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ハルカとナハト

 この国は、どこかおかしい。

 幼い頃から、ハルカはずっとそう思っていた。

 

 和の国を取り囲む環境は、本来国が成立しないほどに苛酷だ。

 だから皆が皆、生きることに必死になるのはいい。だが、その過程で生じた犠牲を誰もが誇らしく感じているのだ。

 誰それさんが魔獣退治の殿を務め名誉の戦死を遂げただとか、武家ならもっと戦場に赴けだとか。聞きたくもない武功を誇るように語り、死をまるで素晴らしいものであるかのように騙る。


 戦わずして何が武家か。

 血を流さずにして何が武家か。

 

 ハルカは冷淡に失笑する。

 それを言うのなら、民を守らずして何が武家か、であろう。

 きっと、ご先祖様はそう思っていたに違いない。

 

 戦場で刀を振るうよりも多くの命を救った文官を当然のように皆が詰る。

 救った命の数を数えられないものが権力を握ることほどおかしなことはないというのに。


 歴史がどうとか、伝統がどうとか、意味の分からない理論を振りかざし、生じた犠牲を誇るこの国は、ハルカの目には狂って見えた。 

  

「ふ~ん、ま、仕方ないか~。姫巫女、ね――うん、やってあげる――」

 

 武家の生まれで、人一倍魔法の才に恵まれていたハルカは内からも外からも姫巫女になるべしと薦められた。

 それが当然であるかのように、名誉であるかのように、誇らしいことであるかのように、皆は語った。

 

 ――だけど、本当はやりたくなんてなかった。

 

 誰が好き好んで犠牲になるかもしれない役目に立候補して、顔も知らない民を守りたいなどというのか。

 自分がやらなくても、そんなの他の誰かがやってくれるだろう。

 そう口に出して、逃げたかった。

 

 でも、そんな誰かはハルカより劣っていて。

 そんな誰かが代わりに傷つくことになれば、自分も酷く傷つく破目になるのだろう。

 だから、嫌々ハルカは姫巫女になった。


 和の国は、何かがおかしい。

 神願祈祷術式を起動するためとはいえ、十にも届かぬ少女を崇め、信仰を集め、権力者として据える。 

 そんな少女に進んで苦行を押し付ける大人。

 それを誇らしいと胸を張る少女と、信仰する民たち。

 英雄の残した遺産は、今は歪んだ統治体制の道具になってしまっているのではと、ハルカはずっと思っていた。


(私はいつも中途半端だ…………)


 本来自分は臆病で、自堕落で、弱く、すぐに逃げ出そうとする人間だ。

 

 争いなんて、ないほうが良いに決まっている。

 戦いなんて、ないほうが良いに決まっている。

 喧嘩なんて、しないほうが良いに決まっている。

 

 血を流すより、お茶を啜るほうが幸せに決まっているのだ。

 

 そんな当たり前が、みんな何故分からないのか。

 ハルカにはまるで理解できない。


 狂った国と狂った民。

 それでも、ここがハルカの故郷だから。

 国が嫌いでも、民が嫌いでも、近しい人までは嫌いになんてなれないから。

 仕方がなく、ハルカは登る。

 

 誰も、誰も、助けてくれなどしないのだから。

 

 ハルカはただ巫女の服を引きずって、舞台の上へと登ったのだ。

 

  

 












 はじめてその人を見たとき――いや、正確に言うのならば、その人が発する魔力を感じたとき、昼と夜が真っ逆さまに反転した、そんな錯覚を覚えた。

 和の国を覆ってしまいそうなほど、濃密で、暗く、それでいて暖かな魔力の波動。

 何の前触れもなく現れたそれは、天変地異の前触れかとさえハルカは思った。


 エリン様でもここまででたらめじゃなかったはずだ。

 三界の化け物でもここまででたらめじゃなかった。


(――これが、本物…………)


 次元の違う、何か。

 推し量ることさえできない、何か。

 抑えきれない畏怖と、どうしようもない期待がハルカの全身を震わせた。

 古来の伝説の再臨を、ハルカは感じずにはいられなかった。


(これがもしも――もしも、本当に英雄の再臨だというのならば、たとえどんな手段を使ったとしても、彼女を味方にしなければならない)


 そう、どんな手段を使っても――



「――んぅ…………」


 ぼんやりとした視界に、脱衣所に残された僅かな湯気が入り込んだ。

 曖昧な意識の中に、影が入り込む。

 薄っすらとした視界でも、すぐ傍にいるその人が一目で誰だか分かった。

 否応なく、理解させられた。


「起きたか」


 澄んだ音色が耳に入る。

 そんな声に誘われて、体を起こすと、そこに彼女はいた。


 幻想のように美しく透き通る黒髪が、濡れていた。水気を帯びて深みが増す漆黒の髪が包みこんでいる小さな顔。その造形は、女神が嫉妬を覚えるほどに完成されている。

 真っ白な肌を隠すものは小さなタオルが一つだけ。

 その容姿を一度瞳に映してしまえばもう――意思とは関係なく、魅了される。視界から不純物が消えうせて、ただただ吸い込まれそうになってしまう。


「…………ん、おはよう、ナハトちゃん――」


 顔が、体が、微かに火照りを残していた。体の奥には心地のいい疲労感が残っている。

 ナハトに揉みくちゃにされた体はいつになく軽く、日常になっていたずきずきとした痛みが襲ってこない。

 それだけで、悔しいが少し気分が良かった。

 

「調子はどうだ?」


「……おかげさまで、いろんな所が大変だよ、もう……」


 ハルカは羞恥に頬を染めながらも、精一杯の皮肉をぶつける。

 ナハトに気絶するまで攻め続けられたハルカは、色々と醜態を晒してしまっていた。普段は権力者として偉そうに振舞っているのだ。もし回りにあんな醜態を知られでもすれば、もう一生神社に引き篭もる覚悟である。

 身から出た錆とはいえ、意識を失うほど激しいとは思ってもみなかった。


 脱衣所に送風機の風が入り込む。

 風に髪が揺らされて、火照った体に心地のよい涼が訪れる。

 ハルカはゆっくりと立ち上がると、曝け出された醜い裸身を隠すように着物に袖を通した。


「反省したか?」


 からかうようにナハトは言う。

 ハルカは少しだけ俯いて、


「――反省ならずっとしてる」


 そう言った。

 ハルカは身を整えるとゆっくりと周囲を見渡して、ナハトの隣にいるべき少女の不在を確認した。


「あれ~、アイシャちゃんは~?」


 いつものように、笑みを浮かべてハルカは言う。


「アイシャなら外で水分補給さ。お前に付き合ってムキになれば疲れるだけだと学んだようだ」

 

「えー、ちょっとからかっただけなのに~」


 ハルカは不服そうに唇を尖らせるが、すぐに態度を軟化させる。

 それどころか、どこか嬉しそうに微笑を浮かべ、さりげなくナハトとの距離を詰めにかかった。


「でもでも~、じゃあ~、二人っきりだね、英雄様――」


 ハルカはわざと着崩した和服から自らの肢体を見せ付けるようにナハトへと迫る。

 ナハトの視線には決してハルカの体に情欲を抱くような、いやらしさ、は含まれていないが、自分に迫られることに嫌悪は抱いていないはずだ。

 それどころか、若干の心地よさを感じているように思えるのだ。特に胸を押し付けると反応がいい。

 

 従者を見ればナハトの好みが可愛らしい女性であることは間違いがない。であれば、ハルカにも色仕掛けが多少なりとも可能であろう。自慢ではないが、ハルカは自分が醜い傷跡さえ隠してしまえば、極めて整った愛らしい容姿をしているという自負がある。

 

(――それにアイシャちゃんよりは胸もあるし)


 ナハトに対して過剰なスキンシップは逆効果だと思う。

 だからこそ、自然に、さりげなく距離を詰めようとしたその時――


「――ふぇ?」


 突如として訪れた浮遊感に、思わず声がもれ出た。

 いつの間にか、手を掴まれていて、気がづけばハルカは寝かされていた。

 それも、ナハトの膝に頭を乗せる形で、だ。


「あ、あの……これって、どういう状況……?」

 

 戸惑うハルカの頭に、優しい感触が伝わる。


「ふぇ、あの……えいゆうさまぁ……?」


 暖かい手の温もりが、心地よかった。

 普段は触れ合うことさえ恐れ多いとされるハルカにとって、久方ぶりに感じる人肌の温もりが、どうしようもなく、心地いいのだ。

 

「――これで、少しは話しやすくなったか?」


「っ――!」


 息を呑む。

 飲み込んだ息が、軽薄に出ていた言葉を止めた。


「………………ずるぃ……」


 やさしい温もりが、弱い自分を呼び起こす。

 皆の前では精一杯気取っている強い自分が、彼女の前になるといとも容易く剥がされてしまう。


「…………何でも見透かすようなこと言って……英雄様はずるいよ…………」


 ナハトの膝に顔を埋めて。

 ハルカはこれは無理だ、とそう思う。


「私は理不尽だからな。それに、どこかのだれかさんが素直じゃないのが悪いと思うぞ」


 崩れた顔を見られたくなくて、震える声を聞かれたくなくて。

 でもきっと、情けなく俯くハルカの内心などナハトはお見通しなのだと思う。

 だからもう、無理だ。

 こんなにも、ナハトに絆されているハルカが色仕掛けだの、利用するだの、そんなのは不可能だと思い知らされてしまう。


『――それにアイシャちゃんよりは胸もあるし』


 そんなことを思って、彼女の愛しい人に対抗心を燃やしてしまう時点で、自分はどうしようもなくこの人に惹かれているのだから。 


(私はいつも――中途半端だ…………)


 嫌いといって、嫌いになりきれず。

 使命だと言い聞かせて、非情になりきれず。

 嫌だといって、逃げることさえできないまま、今も彼女を欺こうとして、本心さえ口にできない。


 姫巫女の使命――クサツで行われる予定の大祭は不穏の一言に尽きた。

 才はあるが、精神的に不安定な孤児の姫巫女ヒユキと、そんなヒユキに対抗心を燃やす巫女のヨゾラ。当主不在の中ヒイラギを支えているコノハは極めて優秀なのだが、十二年前の一件以来、過保護なまでにヨゾラを寵愛している。

 ヒユキをヒイラギに迎え入れてまで、大祭の役目を代わらせたのは、もう二度と肉親を失わせないという彼女の強い意志なのだろう。

 だが、そうした不和は総じてトラブルを生みやすい。 

 

 だからこそ、ハルカはナハトと出合ったその時に、力を借りられないまでも巻き込んでしまえばと、即座にクサツ行きを勧めた。

 表向きは旅行になるように最大限体裁を整えて、ナハトの力を借りようと企んだのだ。

 そんな自分がどんな顔をして、願いを口にすればいいというのか。

 

 ハルカにとってナハトは降って湧いたような希望だった。

 それも、決して逃すことができない特大の希望。

 そんなナハトが本当に些細な関係でしかないハルカに望みを言えと言ってくれる。

 ハルカの自作自演など見抜いた上で、願いを口にしろという。

 

 それが、そのことが、ハルカにとってどれほど大きな喜びだったことか、きっとナハトは分かっていないのだろう。

 

 心は罪悪感で一杯だった。

 それでもなお、身勝手な自分は期待する。期待するなというほうが無理だと言いたくなってしまう。

 きっとナハトにはハルカの願いを叶えるだけの力がある。ハルカが一生をかけてでも解決しようと取り組んだ問題を笑いながらなぎ払う理不尽な力をこの人は持っているのだろう。

 でも――

 

(――言えるわけないよ…………)


 怖いのだ。

 もしも、ナハトがハルカの望みを断ったら、こんなにも弱い自分がどうしたらいいのか、それさえ分からなくなってしまうから。

 もしも、過剰すぎるお願いに愛想を尽かされたら、こんなにも情けない自分があっさりと折れてしまうのではないかと不安だから。

 

 火照っていた体がいつの間にか冷たくなっていて、肩が無意識に震えてしまう。

 もっともっと近づいて。

 もっともっと仲良くなって。

 もっともっともっともっと、深い関係になってからじゃないと、お願いなんてできるはずがない。

 こんなにも私は欲深くて、中途半端に臆病者なのだから。


「――お前は意外と慎ましいな」


「え?」


 不意に届いたナハトの声が、ハルカの思考を遮った。


「この、私が、願いを聞いてやると言っているんだぞ! 宝くじにでも当たった気分で、もっともっと欲深くなったらどうだ?」

 

 遠慮という言葉を間違いなく知らないであろうナハトは、自分を棚に上げるようによく分からない言葉を言う。


 ふと顔を上げてみると、自信満々に瞳を輝かせているナハトと目があった。

 金の円環の奥深くで輝くそんな瞳が、語っていた。

 

 心配など必要ないと。

 

 思うが侭に口を開けば良いと。

 

 せいぜい私を楽しませる答えを用意してみろと。

 

 そんなナハトを見ていると自然と震えが収まって、思考が明瞭になっていく。

 自分はいったい何を心配していたんだろうと、ばかばかしくもなる。


(私はいつだって、いつだって、いつだって……中途半端なままだなぁ……)


 ナハトはハルカの願い事など、きっと片手間に叶えてしまうに違いないというのに。そんな理不尽な存在こそが自分が憧れ、夢見た英雄の姿だというのに。


 この人になら、本心をぶつけてもきっと大丈夫なのだろう。

 ハルカは精一杯考えて、ナハトの期待を裏切れるような、一番欲深い答えをナハトへと返した。 


「――じゃ、じゃあ……その……ハルカちゃんを――お、お嫁さんにしてください!!」


 羞恥に顔が真っ赤になる。

 

 気恥ずかしくて、死にそうだ。


 気づかされた本心を、ただただ吐露する。

 

 それだけのことが、こんなにも辛く、恥ずかしく、勇気が必要なのかと、ハルカは涙の滲む顔で告げた。


「うぐっ……! ……それは……私がアイシャに殺される…………」

 

 珍しく言いよどむナハトに、ハルカは懸命に口元を歪め、笑おうとした。

 そしてすぐに、


「……な~んて、冗談だよ~、もちろん……」


 そう言う。

 

 ハルカはナハトの膝に預けていた体をゆっくりと起こして、姿勢を正した。

 正座のまま、ゆっくりと頭を下げて、ナハトに請う。

 精一杯の気持ちを込めて。

 精一杯の誠意を込めて。

 ハルカは何時の日にか憧れた、英雄に希う。


「――助けてください」


 頭を垂れ、神に傅くようにハルカは言う。


「この国を、姫巫女を、歪んだ仕組みを、後ついでに皆を、全部全部助けてください」


 心の奥底に閉じ込めた言葉。

 貴方ならきっと、全部全部、拾い上げてくれるはずだから。

 だから、助けてください、と。


 かつて、和の国を訪れた一人の男がいた。

 彼は、懐かしいなぁ、気に入った、というただそれだけの理由で、脅威に晒されていた一つの国を破滅から救い上げたのだ。


 当時大陸の情勢が不安定でなければ、きっと和の国はもっともっと平和に満ちた国になっていたことだろう。

 あったかもしれないもしも――その続きを貴方なら見せてくれると思うから。

 ハルカは厚かましくも頭を下げた。


 ゆっくりと、ゆっくりと、時間が流れ。

 痛いほどの沈黙を破るように、ナハトが口を開く。


「私はな、ハルカ――ハッピーエンドが好きだ」

 

 きょとんとするハルカが言葉を理解するよりも先にナハトは続けた。


「誰もが幸せになれるような、ご都合主義の塊のような、存在しないが故に追い求めてしまう、常識はずれで、現実離れした、物語の中のハッピーエンドが好きで好きで仕方がない」


 そう言うや否や、ハルカはナハトに引き寄せられた。

 抵抗する余裕さえ与えられないまま、口に何かを押し付けられる。

 流れてくる液体を苦しげに飲み干していると、ナハトは愉快そうに笑った。


「故に! 私がアイシャと共に歩む未来にハッピーエンド以外の結末を認めん!」


 ハルカの体に光が集った。

 

「うそ……なんで、傷が…………」


「大言壮語を吐いておいて、お前のお願いには応えられなかったからな――これはその詫びだ」


 ハルカの理解が追いつく前に、どたどたと激しい足音が近づいてきていた。

 勢いよく、浴場の扉は開かれて、


「――――ままぁああああああああああああっ!!」


 見慣れた子供がナハトに突貫してきた。

 ナハトはそんなシュテルを難なく受け止めて、


「役者も揃った事だ――さて、ハルカ――ハッピーエンドに向かうとしようか」


 自信満々にそう言うのだった。

 

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