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契約

「部外者の分際でっ!」 

 忌々しい。

 心に渦巻く憎悪を隠すことなく、少女は吐き捨てた。


「何が、私が姫巫女だっ! 武家の血も引かない部外者の分際で!」


 苛立たしさが頂点に達すると、和菓子を乗せていた空の皿を持ち上げ、投げ捨てようとして――


「っ――! っと、いけませんわ」


 ――その手をピタリと止めると、ゆっくりと机に戻す。


「武家の心得その三、武家は民の模範となるべし、ですわ」


 民が献上した焼き物を怒りに任せて壊してしまうなど武家の行いではない。

 そう思うと、辛うじて残っていた自制の心が働く。

 だが、落ち着いても、心にある憤怒は消えないままだ。


「あんな女に大祭を任せようなんて、母様も母様ですわ! どいつもこいつも、何も分かっていないのだから――」


 漆塗りの如く美しい黒髪を少女はたくし上げた。

 ヒイラギ・ヨゾラにとって武家の教えは絶対だ。それに従わないものは全て悪なのである。


「もう、時間がありませんわね」


 大祭まで後二日しかない。

 どうにかして、姫巫女の座を得ようと手を回したがうまくいかない。

 巫女の修行過程を全て終えたヨゾラの実力は、ヒユキには一歩劣るが歴代姫巫女と比べても何ら遜色はない。


 なのに何の覚悟もないあの女が選ばれて、ヨゾラが選ばれないのには理由がある。

 母がそれを望まないからだ。

 神教の上役にいくら顔が利いても、ヒイラギの当主代理である母が反対すれば、ヨゾラが姫巫女になることはできないのだ。


「――愚かな――」


 明後日の大祭は必ず失敗する。

 よしんばうまく行ったとして、憎々しいあの女は無事ではいられないだろう。

 ヨゾラの中にあるそれは、直観ではあるが確信でもあった。


(べ、別にあいつがどうなっても一向に構いませんわ。ですが、これは武家の宿命なのです)

 

 皆、分かった気になっているが姫巫女の本質は、当人以外に理解できるものではない。

 あの常軌を逸した修行を耐え抜き、己を鍛え上げるためには才覚は勿論必要だ。

 だが、そんなものは魔力的な資質があれば耐え抜けるし、痛覚には自然と耐性が備わる。貧弱な心しか持たない大半の巫女は修行に耐えられないが、それでも、そんなことは些細な問題でしかない。


 姫巫女に本当に必要なものは、


「覚悟、だけだと言うのに」


 武家の教えは間違っていない。

 和の国には武家の流す血が必要だ。

 揺らがず、迷わず、全てを差し出す、血の覚悟が。








 





「うぇっあっ!」


 想像以上の驚きに、変な声が口からこぼれた。


「あ、おかえりなさーい」


 日課の瞑想を終え、部屋に戻ると当然のように彼女がいた。

 小さな体を横たえて、足を延ばしてパタパタと振るその仕草は、まるでここが自分の部屋であるかのような寛ぎ方であった。


「た、ただいま、じゃなくて! なんでいるの!?」

 ヒユキは思わず強めの語気でそう言ってしまった。


「ふぇ…………ダメ、だった……?」


 すると、くつろぎモードだったシュテルの顔が悲しみに変わる。


「あ、いや、そうじゃなくて…………その、駄目じゃない、よ……」


「ほんとぅ?」


 シュテルの泣き顔に抗う術などあるはずもなく、ヒユキはまたシュテルの来訪を歓迎せざる得ない。


(警備……改善の必要がある、かな…………)


「え、えっと、それで今日は何をしに来たのかな、シュテルちゃん」


 そうヒユキが聞くと、


「ママがね、言ってたの! せっかくの祭りだ、ここはひとつ、でーとにさそうがよい、って! だからね、シュテルとお出かけしよう」


 シュテルはそんな無茶を満面の笑みで言った。

 大いに期待を寄せ、キラキラと光る瞳が眩しい。

 だが、ヒユキはそんなシュテルの期待に応えてあげられそうになかった。


「…………ごめんね、それはできないかな……」


「えーっ! なんで!?」


 平時なら外出はできるかもしれないが、今は祭りの真っ最中だ。

 ヒユキは当然ながら、多くの人に顔が知られている。出かければ大騒ぎになるだろうし、周りだって絶対に許可は出さないだろう。

 大祭が迫る今、この身は和の国で最も大切なものと言っても過言ではないのだから、外出などできるはずがない。


「本当にごめんね! お祭りが終わったら一緒に出掛けることできると思うから今は――」


 ――諦めて、


 と、ヒユキは言った。

 最も、大祭の後、自分がどうなっているのかは、ヒユキにも分からないが。

 喉の奥底から絞り出したかのようなヒユキの声を聞いたシュテルは、沈黙していた。


(落ち込んじゃったかな…………)


 だが、彼女の目を見た瞬間、それが間違いであることに気づいた。

 彼女は何処か不安そうで、心配していると言わんがばかりに、揺れる瞳でヒユキを見ていたのだ。


「――辛くないの?」


「――!」


 違った。

 子供のように我儘を言うとそう思っていたのに、彼女が口にした言葉はまるで違う。


 声にならない悲鳴のような苦悶の息が、どうしようもなく込み上げてきた。

 ぴしり、と。

 心の奥底に深く亀裂が刻まれた、そんな気がする。


「なにを――――」


 言っているの、っと。

 そう言おうとしたが声が出ない。


「やりたいことができないのは、かなしいことなんだよ?」


 まるで諭すような小さな音色に揺らされて。

 強く在ろうとして、必死に凍らせていた心の氷が、砕け散った、そんな気がした。













 クサツの中でも田舎と揶揄される、小さな村がそこにはあった。

 温泉の湧かないその村は、清涼な小川の水と、魔獣が出没することもある山の恵みに支えられ、生活圏を築き上げた場所だった。

 ミズハ村と呼ばれたその場所は、今はもう、存在しない、オクムラ・ヒユキの故郷であった。


 小さな頃の記憶はあまり多くはない。

 持てるだけの全ての愛情を注いでくれた母と、ヒユキを突き放していた父。

 ミズハの代官をしていた父は小さな村の中ではお偉いさんであった。

 

 だが、そんな父との関りは薄かった。

 母と二人、小さな家を与えられて、父とは別々に暮らしていたので、ヒユキは父親を肉親とは中々思えなかったし、父はヒユキや母が疎ましいに違いないと、幼いながらにそう理解していた。


 原因は多分、ヒユキの持つ魔力と容姿。

 母の旧い祖先に魔族がいたらしく、ヒユキにはその影響が強く表れていた。先祖返り、と呼ばれる現象で、薄まっていた魔族の因子が唐突に顕在化してしまったのだ。

 そのせいで、母も自分も父のいる本来の家を追い出されてしまったのである。

 そのことに、ヒユキは気がついていたのだが、父の本心までは分からなかった。


 年に一度。

 ヒユキの誕生日になると、父は必ずヒユキに会いに来ていたのだ。

 持てるだけのご馳走と、贈り物を携えて、父は必ず会いにきた。

 そして、


「おめでとう」


 と、不愛想に言って帰る。

 血の繋がった家族のはずだが、どこか他人のように思えるそんな父を心の底から父親だと思えたのは、あの日の、あの瞬間だけだった。



 荒々しい暴風に乗って、横殴りの激しい豪雨がミズハを襲った滅亡の日、ヒユキはちょうど七歳の誕生日を迎えていた。

 雷鳴が幾度も明滅し、轟音が耳を震わせた。

 どうしようもなく怖くって、母の手をぎゅっと握って、早く終わってと、ヒユキはただ空の神様に祈っていた。


 だが、かつてないほどの大雨は、ミズハという小さな村を飲み込んだ。

 まるで地竜の足音のような、不気味な地鳴り。

 それはどんどん、どんどん大きくなって、全てを飲み込む厄災が訪れた。

 

 山崩れ、であった。

 土砂が村になだれ込み、家屋をなぎ倒して、埋めていく。

 川は大いに氾濫して、濁流が流れ込み、避難もできるような状況ではなかった。


 母と二人手を繋いで、逃げようと駆け出したとき、目の前に大きな大きな波を見た。

 土色の波は、荒々しい音を立てて私と母を無情にも飲み込むはずだった。

 だが、


「っ――!」


「――――!」


 人影が飛びだしてきた。

 本当に肉親なのか、本当に家族なのか、分からない不思議な人。

 母はその人と目が会うと、一瞬で意思を疎通したのか、その人に向かって私を放り投げた。


 自らは、土砂に巻き込まれるであろうその瞬間――その人の手に私がおさまるのを見ると、母は安心しきった表情を浮かべ、笑っていた。

 その笑顔が、私が見た母の最期の姿であった。


 襲い来る土石流に抗うように、その人は鬼気迫る顔で駆けていた。

 宝物を抱くように、私を両の手で抱えて。

 走って、跳んで、また走って、そして終には波に攫われて――それでもなお、私を必死に抱いて、抱きしめて、体全部で守ってくれた。


 私は、その人の顔を見て。

 やっとのことで気づかされた。


「おとう、さん」


 その人が、私の父であったことに。

 私を抱いて、その背で全ての土砂を受け止めた父は、血まみれになってなお、最後の最後の瞬間まで、懸命に微笑んでいた。











 ミズハの村の生き残りはたった数十人だった。

 人口千程度の小さな村は、天災に飲み込まれ、あえなく壊滅した。

 どこにでも転がっている、小さな悲劇だった。


 救助に駆け付けたクサツの人たちに助けられ、ヒユキは一命を繋いだのだ。

 母と父が繋いだ命。

 ヒユキはその命を何よりも掛け替えのないものだと実感した。

 だから、必死になって模索した。

 両親を失った幼い子供でしかないヒユキが生き残るための方法を。


 神教の施設に預けられてからは、必死になって修行と勉学に明け暮れた。

 孤児が十全に生きていくには、厳しい世の中だ。

 それでもヒユキは必死になって、抗って、抗って、生き残ろうと努力した。

 そして、その人がヒユキの前に現れた。


「貴方がヒユキさんですね――突然で申し訳ないのだけれど、私の娘になっていただけませんか」


 クサツを治める大領主、ヒイラギの領主代行であるコノハがヒユキに会いにきたのだ。

 それも、ただの孤児でしかなかったヒユキを娘にしたいなどと言う。

 信じられなかったし、裏にどんな思惑があるのか、疑心暗鬼に陥りそうだった。

 だが、彼女は全てを懇切丁寧にヒユキに話したのだ。


「貴方の魔力と霊的資質はずば抜けていると聞いています。失礼ながらあなたの過去を少しだけ調べさせて貰いましたが、貴方はオクムラの娘であったのですね。最も、貴方の父はそのことを必死に隠していたので、孤児となって預けられるまで貴方の存在が表に知られることはなかったようですが」


 ヒユキは父親が亡くなって、父の愛を知った。

 圧倒的才覚を持つヒユキが、小さな村の代官の娘でしかないヒユキが、コノハのような大領主や神教の上役に利用されないように、その存在を隠されていたことに、今更ながら気がついたのだ。


「貴方には私の娘として姫巫女になって貰いたいのです。きっと貴方のお父上はそれを望まないでしょうが――貴方が私の娘になってくださるなら、何不自由のない貴方の将来を約束します」


 そして、何の後ろ盾もない貧しい孤児の私は、彼女と契約を結んだ。

 生きるために。

 ただ、それだけのために。












 姫巫女の使命を果たせば、ヒユキは何不自由なく、生きていける。

 今までだって衣食住に困ることなく、いやむしろ贅沢に生きて来られたのだって、ヒイラギの娘になったからだ。

 だから、私は幸せなんだ。

 そう思い込もうとヒユキはしていた。


 だけど、


『――辛くないの?』


 その一言で。


 ヒユキの全てを見透かしているようなその一言で。


 あっさりと、ダムは決壊した。


 辛い。


 寂しい。


 本当の肉親は何処にもおらず、


 姫巫女の使命は重くのしかかり、


 武家の習わしにもみくちゃにされる。


 もっともっともっともっと、もっともっともっともっと。


 母親と、父親と暮らしたかった。


 やりたかったことは、


 ヒユキが本当に欲しかったものは、


 もう何処にも存在していない。


 得体の知れない子供と出会い、招き入れ、遊んだのは、寂しかったからだ。

 家族を失ったヒユキはどうしようもなく、寂しかったから、何の裏表もなく遊びたいと駆けつけてくれたシュテルが羨ましくて、眩しかった。


「だいじょーぶだよ!」


 ヒユキの胸を貫くように、シュテルが明るくそう言った。


「ママに秘密兵器を貰ったから、だから大丈夫だよ、おねーちゃん!」

 

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