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対談

 静寂に満ちた旅館の一室にナハトだけが座っていた。

 畳の間に、高級感のある座布団を敷いて、正座のまま瞑目する。


 そうしていると、風に靡く木々の葉音が耳に心地よく届いてきた。

 そんな音に重なって、静かにせせらぐ水の音にも意識を傾けてみると、ナハトも少しは待つという行為を我慢することができた。

  

 日本らしい空間で静かに過ごすことを風流だと思わなくもないが、やはりただじっとしているだけはつまらないものがある。

 ここにアイシャかシュテルがいれば、その頭を撫でて幸せな時間が過ごせたのに、と思わないでもない。


「そろそろか」


 ナハトはぱちりと目を開く。

 ハルカが言っていた約束の時間まで後数秒になったその時。部屋の襖が静かに開かれた。


「お待たせしましたかな?」


 その老人は、ナハトを見て、そこはかとなく優し気な声でそう言ってきた。

 まるで音を消し去ったかのように歩くその老人は、白い髪と髭に似合わないほど鍛え抜かれた体躯をしていた。

 そして何より目を引いたのは、傷、だった。

 額から目に及んで、顔の半分を削られたかのような生々しい傷跡は、癒えてなおその身に戦禍を刻んでいた。

 

 今年で六十を超えたらしいが、名刀を腰に携えたその姿はどう見ても現役で通るだろう武人、そのもである。

 後ろに二人の護衛がいたが、正直に言えばこの老人のほうが十や二十はレベルが上に見える。

 これが、ハルカが言っていた先代将軍、タチバナ・ケンセイ、その人であった。


「いいや、ほぼ時間通りだ。少し早いくらいだったぞ」


 重々しい空気だった。

 声も、表情も、常に優し気な雰囲気を纏っているが、その内側には一本の刀がある。

 長年鍛え上げてきたであろうその刀は、鞘に納められてなお信じられないほど強い圧力を発している。まともに向き合えば常人などすくみ上ってしまうことは間違いない。

 だが、それでもナハトは尊大に、いつもの口調で応対した。


「ハルカちゃんに迎えを頼んでいたんじゃがのう、出迎えもせんとは相変わらずの自由人ぶりじゃ。ともあれ、遅れずにすんでなによりじゃわい」


 そう言うと、ケンセイは一言、


「もうよいぞ」


 と有無を言わさぬ声で護衛を下がらせる。

 ゆっくりと、ケンセイが座る頃には部屋に二人だけが残された。


「良かったのか?」

 

 ナハトが聞くと、ケンセイは柔らかく笑った。


「ほーほっほ、なに構わんよ――いてもいなくても変わらんじゃろうて」


「――ほう」


 まるで、ナハトの実力を把握しているかのような言い草に、思わず感心してしまう。


「なに、無駄に年を重ねた老人の特技ですじゃ。いやはや、それにしても凄まじいお方だ。エリン様でもここまでではなかった」


「ふむ、あいつもここに来ていたのか」


「ええ、十年前に一度と少し前にもう一度。大昔の縁で、魔族の意向や戦争のことを少しだけ教えていただきました」


 エストールで戦ったあの人の子供。

 姪であるリノアを探していたらしい幼女は、扉から大陸へと渡った魔王軍の最高責任者なだけあって、色々と動き回っていたらしい。

 

「外は色々と騒がしいようで、大変ですなぁ。わしらは代々引き籠りですので、あまり外のことに詳しくないのじゃが――」


「――それを聞きたかったのか?」


 ナハトが核心を聞いてなお、ケンセイは穏やかに笑った。


「できれば、というだけですじゃ――ところで、ハルカちゃんは何をしているので? 出迎えもそうじゃが、この場にも居合わせるように伝えていたはずなんじゃが……」

 

「あいつは羽目を外しすぎてな――今頃部屋でのたうち回っているだろう」


 フィルネリアとハルカは二人とも酷い二日酔いだ。

 布団から起き上がる気力もないのか、水だけ飲んで今でもだらしなく寝ているのだ。


「ほーほっほ、あの娘がはしゃぎ過ぎですか――それはまた、珍しいこともあるものですな。それもナハト殿の影響ですかな」


「さてな、だがまあ、あ奴もまだまだ子供なのだろうさ」


 ちなみにアイシャはと言えば、二日酔いではなかった。

 龍の従者は状態異常にもそれなりの抵抗を得るので、酒の毒に負けるようなことはない。

 だが、問題は体ではなく精神の方にあった。


 状態異常に強いということは、当然ながら酔っていた頃の記憶も存在しているということなのだ。

 アイシャの名誉のためにあまり口にはしないが、昨日のアイシャは中々に酷かった。

 だがそれでも、ナハトは酔ったアイシャも可愛いで済ませるのだが、如何せん正気に戻った本人は酷い自己嫌悪に陥っていた。

 二日酔いで苦しむ二人とは別に、部屋から出てきてくれないのだ。


「あれも不憫な子じゃ。姫巫女に弱音は許されませぬが、あの子はもう巫女ではない。存分に甘えさせてやってくだされ」


「あまり構うと私のアイシャが拗ねてしまうからな。ほどほどになら、考えよう」


 そう言って、ナハトが柔らかい笑みを浮かべると、ケンセイもまた笑みを返してきた。


「改めまして、先代将軍タチバナ・ケンセイじゃ――なに、今はただの隠居爺じゃよ」


 そんな気楽な挨拶に、ナハトもいつもの言葉で返す。


「魂魄龍が龍人、ナハト・シャテンだ、親愛を込めてナハトちゃんと呼ぶがいい」







◇ 




 

 

 将軍家タチバナは名実ともに和の国の頂点である。

 数多ある武家の頂に登ったのは純然たる力によるものであると言われるほど、タチバナには腕の立つ者が多い。

 和の国の政治には力が求められるのだ。もっと言えば、武勲が求められる。

 先代将軍、タチバナ・ケンセイは数多の戦場で武功を積み上げた百戦錬磨の名将として、引退した今でも国政を左右するほどの発言力を持っている。

 なんでも彼が戦場で敗北し、その身に傷を負ったのは、生涯でただの一度だけであるという。真偽のほどは分からないが、民の間では生きた伝説として語られるほどなのだ。

 

 凶暴な魔獣が跳梁跋扈している和の国において、国家の防衛は何よりも重要視されている。僻地故に他国からの侵略を警戒する必要が薄い反面、対魔獣においては常に武力の必要を迫られる。

 ここはそんな場所なのだ。


「この国はいい所だな、恵まれている。いや、恵まれ過ぎているのか」

 

 豊かな自然と、それを糧にする凶悪な魔獣。

 そもそも、何故この地にはこれほど過酷な自然が集中しているのか。

 ナハトは当然ながらその答えを悟っていた。


「大きくもなく、辺鄙と言える極東の島が鎖国を打ち立てて、なお豊かなのはそのおかげでもあるのじゃが――素直に喜べぬのが人間よのう」


 この地は魔素マナの集束点なのだ。

 地の底を走る魔素マナの通り道――龍脈の数が尋常でないほど多い。

 それらが、少しづつ重なって、三つの巨大な魔素マナの通り道ができていた。その影響なのか、地が隆起して山脈と化したり、豊かだが時に大荒れする海ができたりと、自然に大きな影響を与えていた。

 

「観光するにはいい所だ、鎖国しているのは勿体ないな――――いや、扉をくぐれば独占できるなら、それはそれでいいのかもしれないが」

 随分とハードルの高い入国制限である。


「ナハトちゃんの滞在はこちらとしても歓迎ですじゃ。気のすむまで満喫されるといい」


「ハルカの時も思ったが、随分と甘いのだな。最初は警戒されていたが、後の歓迎具合といい、私たちに随分と都合が良過ぎると思うぞ」


 ナハトのような異物が国で好き勝手をしていれば、それに不満を抱く者は間違いなく存在しているはずなのだ。

 そうナハトが言うと、ケンセイは少しだけ表情を引き締めて言う。


「理由は幾つかあるのじゃが、基本的にわしら和の国の民は扉の先からの来訪者を歓迎しているのじゃ。それも魔族は特に。和の国の民はそれほどまでに、魔王様に恩があるし、神のように信奉するものさえおるでな」


 それは、表面的に発することのできる薄い理由だった。

 初代魔王に恩があったとしても、それは二千に及ぶ過去の話。当事者でない彼らがそんな理由で無条件にナハトを信頼するはずなどない。


「扉からの来訪者は偶然ではあるじゃろうが皆、和の国に利益を齎してもいるのですじゃ。魔王様の娘であられるエリン様がこの地を訪れた時は『忙しいからちょっとだけね』などとおっしゃりながらも、魔獣退治に参加してくださり、長年民を苦しめていた凶悪な魔獣をたった一人で屠ってくださった。それどころか、『厳しいなら一個大隊くらいすぐに送るけど? あ、勿論この程度で恩に着せるつもりなんてないわよ、まあ、久しぶりだし、信頼関係の再構築から始めましょう』などと提案までしてくださった」


 ケンセイは楽し気にそう口にする。


「信頼とは行動にて勝ち取るもの――わしら和の国は魔族と同盟関係にある。まあ、まだ非公式の秘密条約程度ですが、それでもフィルネリア殿を歓迎する理由には十分であるじゃろう」


 言葉の通り受け取れば、美談にも聞こえるケンセイの言葉。

 だが、ナハトはその心の裏側にある断腸の思いを把握していた。


「それは苦渋の決断か?」


「わし個人としては幸運だと思っておるよ。ただ、自国のことですじゃ、好ましくないのもまた事実。じゃがのう、ナハトちゃん。人は自然には抗えぬて。荒れ狂う海に飛び込めば死ぬし、噴火する火山に飛び込んでも死ぬ。それをどうにかしようと思えば、人を超えた何かに縋ることも必要なのですじゃ」


 何かを悟ったような弱い声色。

 ケンセイは生々しく残る傷跡を隠すように、手を当てていた。


「最初の質問に帰れば、ナハトちゃんを歓迎する理由はただ単純に恐れているからですじゃ。果たして、あの扉を開けるほどの力の持ち主、貴方が敵に回ればこの国に勝ち目があるのか――――まあ、直に見ての結論は、万に一つもないですじゃろう」

 正直すぎる老人の言葉に、ナハトは思わず苦笑する。


「いいのか、そんなことを口にして」


「なに、ここにはわしとナハトちゃんしかおりませぬ故」


 そう言って、ケンセイは剽軽な笑みを浮かべて見せた。

 だが、それもほんの少しのこと。

 ケンセイは静かな声で言葉を紡ぐ。


「若かりし頃はわしも随分と自惚れていましてなぁ……無茶をして、多くのもの巻き込んで……結果、誰一人として救えなんだ…………だからこそ、もう、誤るわけにはいかぬじゃろうて――」


 ナハトを見つめながら言葉を紡ぐ老人の瞳は、どこか別の景色を眺めているように思えた。


「私としては観光を満喫させてくれるのならそれだけで十分だ。その間、この国に万が一が起こることは絶対にない、それだけは保証してやろう」


「ほーほっほ、頼もしいですなぁ――できる限り便宜を図りますが、なるべく大人しくしていてくだされ」


 先日の一件や、シュテルのことを揶揄しているのだろう。

 ナハトは苦笑しながら、


「ははっ、できる限り努力はしよう」


 それでもなお言葉を濁した。

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