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贄の姫君

「…………ぅぅ…………違うんです……アイシャは、あんなことを口にするつもりは……ぐすん……」


 部屋の隅っこで膝を抱えるアイシャ。

 こうなってしまうと、しばらくは正気に戻ってくれないだろう。

 ナハトは仕方なく、目の前の二人の女性と向き合った。


「しかし、思っていたよりも早い到着だったな」


「…………あんたはいい御身分よね……高級旅館で愛しの従者とあんなことをしてるんだから……」


 フィルネリアはいい加減ナハトに気を遣うのは疲れたのか、力関係など無視したように皮肉をぶつけてきた。

 彼女はナハトのせいで色々と駆けずり回った後なのか、とても草臥れた目をしているのだ。


 湯上りのサキュバスだけあってその姿は扇情的ではある。ピンクは淫乱の法則に当てはまる異世界らしい色合いの髪は、水気を帯びて艶やかに輝いていた。アイシャが羨ましがるであろう大きな果実は、少しでも動くと弾むように揺れている。普通であれば情欲を掻き立てるのであろうが、彼女はそれ以上にぐったりしていて、死んだ魚のような目をしいているせいで、色気が喪失している気さえした。


「…………はぁ……もう……魔王軍、このまま退役しようかな…………」


 どう考えても、一言も断わることなく面倒ごとを全て押し付けたナハトが悪いであろう。

 彼女は真っ先にナハトに文句を言ってやろうと思って、ナハトたちが入浴中だと分かっていても浴場に突貫してきたのだ。

 

「二人で~、色々と~、駆けずり回ったからねー。武家ってば結構頭固いから~、大変だったんだよー。でもまあ、対外的な体裁は整えてきたし~、ハルカちゃん達も~、ようやく休憩ってわけだね~」


 のんびりとした声でハルカが言った。

 旅路の疲れと汚れを温泉にて洗い流したハルカは、着くずした浴衣の裾から健康的な肉体を惜しみもなく晒していた。思わずぐっとくる和服美人にナハトも満足そうな表情を浮かべるが、そんなナハトに落ち込んでいるアイシャからの糾弾はなかった。


「そうそう~、明日は~、タチバナの偉い人が来るから~、ナハトちゃんも同席してねー。わざわざこっちに呼んだから~、逃げ出しちゃいやだよ?」


 和の国でのナハトの予定は存在しない。

 ただ、思わぬ旅行を満喫できればそれでいいのだ。

 快適な和の国ライフを満喫するためには、権力者の後ろ盾はあるにこしたことはない。

 ナハトはハルカの言葉に頷く。


「それくらいなら構わないさ。聞いておきたいこともあるしな」


 そう、ナハトが言うと、


「ふーん、なんならハルカちゃんが聞いたげるよ~、なんでも聞いて~」


 と、ハルカが言ってきたのでナハトは少しだけ考える。

 一度目を閉じてから、ナハトはハルカに聞いておきたいことを口にする。


「私たちをここに呼んでおいたのは、保険か?」


「――――」


 おっとりとしたハルカが目を細め、一瞬だが息を呑んだ。

 ナハトでなければ気がつけないほどの微細な反応。

 表面上はニコニコとしたままだが、内心の動揺と驚愕はナハトには筒抜けだった。

 ハルカの反応を見た限りでは、ナハトの考えはほぼほぼ当たりだろうと思う。


「どういうことかな?」


「別に隠す必要も、恍ける必要もない。私たちは祭りを楽しみながら温泉を満喫できているのだ、不満はないさ」


 ハルカはゆっくりと息を吸って、柔らかい表情を繕うと、口を開いた。


「気づかれちゃうんだ――やっぱりナハトちゃんはすごいね~、何時気がついたの?」


「この街に着いた時だな。最も、最初の違和感は盛大な歓迎とお前を見てだが――私は魂魄龍の龍人だからな、気がつかないはずがない」


「へー、ナハトちゃんは魔族じゃなくて竜人なんだー。ここは閉鎖的だからさー、竜人のこととかは全然知らないんだけど~、やっぱり魔法とかには詳しいのかな?」


「ハッキリ言って……こいつは規格外よ…………普通の竜人は一騎当千、くらいじゃないかしら…………」


 フィルネリアの説明にハルカは納得したように頷いていた。 

 まるで化け物扱いである、まあ自覚がないわけではないが。


「ふむ、失礼な。どこにでもいる普通の女の子だぞ、私は!」


「「嘘だ!」」

  

 息の合った突っ込みにナハトは苦笑する。

 勿論、ナハトは普通の人間でもあるだけで、普通の龍でもあることは間違いがない。それを嘆くことも、恨むことも、戸惑うことも、今はないので他者にどう思われようがナハトは別に構わない。

 ナハトは落ち込むアイシャを愛おしそうに見た。 


 彼女と出会ってからは、自分がどういう存在なのか考えることさえしなくなった。

 私はナハト・シャテンだ、その事実だけでいいと、ナハトは思う。


「まあ、それなりに分かりにくい術式ではある。私も全てを理解しているわけではないが、鍵はお前のような存在なのだろう?」


「怖いね~、もう、何でもお見通しか~」


「なんでもじゃないさ、分かっていることだけだ」


 そう言って、ナハトはそろそろ機嫌が戻らないかな、とさりげなくアイシャの様子をうかがって見るが、未だにアイシャはさめざめと泣いているままであった。

 

「…………そういえば、あんたの可愛い娘はどうしたのよ?」


 ここにいないシュテルのことを気にしたのか、フィルネリアが聞いた。


「シュテルは遊びに行っただけだ。いい子だから、夕暮れには戻るだろう」


「ふーん……一人で行かせて大丈夫なの…………?」


「私の娘だぞ? 何も問題はない」


「……あんたの娘だから心配してるんじゃない…………」


 ひどく失礼なことを言われた気もするが、シュテルの方に問題はないだろう。


「そういえばハルカ、なんでも聞いていいのだったよな?」

 

 そうナハトが切り出すと、一瞬、ハルカは警戒したようだが、すぐにニコニコと微笑みを浮かべる。


「いいよ~、恋愛相談でも~、おっぱいを大きくする方法でも~、なんでも聞いてねー」


「なに、少し気になってな――姫巫女とやらが何なのか、聞いておきたいと思ってな」


 ナハトは愛しの娘の姿を思い浮かべながら、身構えるハルカにそう聞いた。












 和の国は現在進行形で、鎖国状態にある。

 開港している場所は西にあるミナト以外に存在はせず、王国の一部の商船を除いて全ての国との貿易を遮断している状態なのだ。


 元々極東にある島国故に、他国から人が押し寄せるような国ではなかった。独特の文化を持ち、大陸との関りもそう深くないこの国が、それでも鎖国政策を打ち出した一番の理由は選神教の入国を嫌ったためだと一般的には言われている。


 和の国の宗教は様々で、多神教ではあるが、おそらくその考えの全てに《神教》と呼ばれる宗教が関りを持っている。

 この世の全てのものには神様が宿る可能性がある、という神教の教えからすれば、選神教とは水と油だと言える。

 彼らは自然の中や、人々の生活の中にさえ神を見出し、信仰しているのだ。

 そんな神教の頂点に立っているのが、三界の姫巫女と呼ばれる、三人の巫女であった。


「三界は和の国の全てとも言える大自然のことで~、海、山、森、の三つを指すんだよ~。それぞれの世界に一人の巫女が祈りを捧げるの~。だから三界の姫巫女って呼ばれてるんだよー。私も元々はその一人だったんだ、皆の憧れ、超絶美少女な海の姫巫女、まあ過去形だけどねー」

 

 彼女の持つ権威の正体、それこそが元神教の頂点という立場だ。


「ヒユキという女と同じ立場だったのか」


「ヒユキちゃんは~、今の山の姫巫女だねー。可愛くて、努力家で、凄く才能がある子なんだけどね――――」


 吐き出された言葉は、何故か少しだけ弱い音色で括られた。

 ハルカは何かを考えるように視線を逸らす。

 

「これ言っちゃっていいのかな~? でも、なんかもう、全部バレてるような気もするから今さらだよね~」


 うんうんと頷いて、ハルカは一人納得する。


「姫巫女の役割は表にはあんまり公表されてなかったりするんだよね~、和の国の根幹にも関わってくるし~」


 でも~、と気の抜けるような声に続けて、少しだけ表情が引き締まる。

 彼女が時折見せるそれは、権力者としての顔だ。

 人の上に立つものが見せる威厳。無意識に放たれる重々しい威圧。それはまるで、自らが別世界の住人だと言わんが如き、覇気であった。

 そんなハルカをナハトは楽しそうに見据えている。


「皆は扉を通って来た魔王様の関係者とも言える存在。この国を救ってくれた恩人としての立場も持ってるし、少しならいっか」


 ハルカはそう言うと、湯飲みからお茶を飲み、ゆっくりと口を開いた。


「和の国はね、閉鎖的で頭が固いの。それでいて周りが物騒だから、自分たちも物騒にならなきゃ駄目って思いこんでる。だからこの島には一つの伝統というか、考え方があるのよね――」


 ――和の国は武家の血によって治められるべし。


 血を流さぬものに、人の上に立つ資格はなし。

 上に立つものが率先して戦うことは当たり前で、誰もがそう考えて、譲らない。


「その考え自体は間違ってないと思うよ。現場を知らない権力者なんて使えないし、ふんぞり返って偉そうな言葉だけを並べても人はついて来ない。でも、固執し過ぎるのもどうなんだろうね…………」

 

 ハルカは少しだけ、暗い表情でそう言う。

 何事も、過ぎたるは及ばざるが如し、である。


「姫巫女もそう、望む望まないなんて関係なく、ただ差し出すことが肝要だった。姫巫女って今ではちゃんとした重要職だけど元々は違う。姫は哀れな生贄だった。一を差出し、九十九を掴もうとする、人が選んだ苦渋の選択――」


 ――贄の姫君――


「それが、姫巫女の本質なのは今でも変わらないんだよね」


 ハルカは自らの体を抱きしめるように、両手を回して肩を抱いた。


「私は今でも自分の選択を後悔はしてないつもりだけど――――」


 強く抱きしめていた手をそっと放し、懸命に笑みを繕うとしながら、ハルカはナハトの目を鋭く見つめた。


「ねぇ、ナハトちゃん……扉の向こうの英雄さん……! 貴方は、たった一人のために――醜い己のエゴのためにっ! 百万の人間を見殺しににすることができるのかな……?」


 ハルカの目が揺れていた。

 泣きじゃくる子供が、じっと温かな手が差出される瞬間を待ち望んでいる、そんな儚さに満ちた瞳。

 彼女はまだ子供であった。

 

 笑みの奥にそれを隠して、重たい気迫に幻影を乗せて、言葉で余裕を虚飾して。

 権力者でもあり、大人でもあった彼女の本質が今、垣間見えた気がした。

 

 彼女が欲しい言葉は分かる。

 彼女は自らが選んだ選択を肯定して欲しいのだ。この国の住人ではない、部外者であるナハト以外には誰にも言えないであろう己の内側。議論の余地なく正しいことと胸を張らなければならないが、自らの選択を心のどこかで後悔しているのだろう。

 だから、肯定して欲しい。

 正しいさ、そんなことは誰にもできない、お前は立派だ、そんな慰めの言葉が欲しい。

 だが、不安そうに差し出された手を、ナハトは、

  

「――ははっ」


 一笑に付した。


「愚問だな。私は私の大切のためならば、世界さえも敵に回すぞ?」

 

 さも、当然とばかりにナハトは言う。

 実際、シュテルとアイシャのためならば、百万だろうが二百万だろうが、ナハトは躊躇いなく見殺しにできる。

 ナハトは決して己の大切なものを見誤ることはない。


「…………そう……」


 深く沈んだ言葉が響く。

 痛々しい沈黙が訪れた。

 ナハトはそんな沈黙に、


「だが――」


 凄惨な笑みをぶつけてやるのだ。


「ああ、だが、私は我儘だ! 誰かが九十九を救うために一を切り捨てると言うのならば! 私はそれを笑い倒し、一を拾い上げ、ついでに九十九を救ってやり、その先の二百でも、三百でも、拾い上げて見せようではないか!」

 揺らぐことのない自信を乗せ、ナハトはただ言い切った。


「そ、そんなめちゃくちゃっ! できるわけ――」

 ハルカは必死になって否定する。

 だが、ナハトは嬉々として無茶を押し通すのだ。押し通してこそのナハトなのだ。


「――できないはずがないだろう! 私が! 私こそが! ナハト・シャテンなのだからな」


 その名は、理不尽の代名詞。

 誰かが不可能と断ずることを、容易く捻じ曲げてしまう異物の名。ナハトはそれを自覚している。

 だからこそ、ナハトは己が大切なもののために、最良の未来を目指す努力を怠ることはない。


「辛かったのだろう? 助けてほしいことがあるのなら、特別に聞いてやらなくもないぞ? お前には宿を手配して貰った恩があるからな」


 そう、優しくナハトが言うと、


「……えいゆうさま…………」


 ハルカは呆然と呟いて、


「私の、英雄様っ!!」


 躊躇いなく、ナハトに抱き着いた。

 それどころか、一心不乱にすり寄って、胸やら顔やらを押し付けてくる。

 まるで、甘えん坊の子供のようだった。

 これはこれで良い感触ではある。

 そう、ナハトが思っていると、


「ナ、ハ、ト、さ、ま?」


 目の前に、鬼がいた。


「やあ、アイシャ、おはよう…………これは、その……違うんだ……決して私が望んだわけでは――」


 そう、誤魔化すように言うナハトだが、アイシャは元気になるを通り越して、酷くお冠だった。


「英雄様っ! 辛かったです! 大好きです! だから、ハルカをよしよししてください」


 そんなアイシャを無視して、ハルカは一層ナハトに甘えてくるのだ。

 アイシャの憤怒が、ナハトの目には確かに見えた。


「う、わ、き、で、す、か?」


 嚇怒の火が、アイシャの背で燃えていた。

 その威圧感は、逆鱗に触れられた龍のそれだ。

 こうなったアイシャにナハトができることは一つしかない。


「ごめんなさい」


 異世界に来て、ナハトは初めて土下座をせざる得ないのだった。


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