秘め事
乱れた浴衣の裾を涙で濡らすアイシャ。
その背は何時にも増して小さく、その表情は影を通り越して闇を纏うほど暗い。
人生に絶望しきったとばかりに膝を抱えるアイシャは、呆然と虚空だけを見ていた。
(どうやら、やりすぎてしまったようだ……)
そんなアイシャを見て、ナハトは珍しく少しだけ反省していた。
あの時、あの場所で、あんなアイシャを見てしまった以上、ナハトが選んだ選択は間違いなく後悔のないものであったと胸を張れるだろうが、如何せん、その後が問題だ。
開き直れるナハトと違いアイシャは繊細なのだから。
「あ、アイシャ……今回は私が悪かった……だから、な――その、元気を出せ」
かつてないほどに落ち込んだアイシャを何とかなだめようとするナハトだが、アイシャは一向に反応を示さない。
「…………そうよ……少なくとも私は気にしないわ……なにせ、サキュバスだし……」
そうフィルネリアが擁護するが、その慰めに満ちた言葉が重力になったかのように、一層深く項垂れる。
「あは~、アイシャちゃんが~、気にするのならー、ハルカちゃんは~、見たものぜーんぶ忘れたことにするよ~」
「…………ぅぅ……もういっそ…………楽にしてくださいぃいい! い、息の根を止めてくださいよぉ………………」
ハイライトを失った目から、切なげに一滴の涙がこぼれる。
どうしてこうなってっしまったのか。
原因はアイシャが魅力的すぎるから、それ以外に存在しないがここはあえて、若気の至りだったのだ、そう言い訳しておこう。
◇
シュテルが出かけてから数時間。そろそろ山を登り切ったころか、などとナハトが思っていると、二人っきりになったアイシャが妙にそわそわとしていて落ち着かない様子であった。
「アイシャ?」
「ひゃ、ひゃいっ!」
緊張しているのか、上ずった声で噛み噛みな返事を返すアイシャ。
ナハトはそんなアイシャに苦笑する。
「そう警戒しなくとも、もう耳を触ったり、舐めたり、噛んだりはしないさ」
「ふぇ、いや、あの、なんだか二人だけって凄い久しぶりで――こう、改まってしまうと……そのナハト様はやっぱりその――――すごく素敵で……恐れ多いというか、なんといか……」
委縮するにも今更過ぎる関係だとナハトは思うが、アイシャはまだ思春期に入ったばかりのような年齢なのだ。
二人っきりで面と向かい合えば戸惑ってしまうのも無理はないのだろう。
「アイシャはまだまだ可愛いままだな」
「あぅ、今子供扱いしましたね――ひどいです……」
だからこそ、ナハトも少しだけ気分が高揚していた。
出会ったばかりのような新鮮な空気。だが、積み重ねてきた時間の分だけ二人の距離は近く、培ってきた思いは厚い。
「千の時を生きるエルフの成長が人間と同じなはずがない。アイシャが二十歳で子供でも何一つとしておかしくはないさ」
「むぅ! アイシャはもう、シュテルのパパになってしまったんですから、十分大人です!」
そう言って、胸を張るアイシャにナハトは朗らかに笑いかける。
「確かにアイシャは立派なお父さんだな。だが、私の前ではまだまだ子供でいていいんだぞ?」
シュテルと出会って、すっかり父親の貫録を持ったアイシャだが、一昔前の必死に背伸びをしようとするアイシャもナハトは大好きである。自分にできることを全てやろうとして、必死になって努力して、から回って、失敗して、成長へと繋げていく――そんな姿は、懸命さは、尊く、美しいものだった。
若さゆえの情熱と親としての母性は相反する側面を持っていて、それがアイシャを押さえつけてしまっているとも言えるのだ。
もっともっともっともっと、アイシャには頼られたいし、甘えて欲しいとナハトは思う。
もっともっともっともっと、アイシャは我儘を言うべきだし、やってみたいことにも挑戦していくべきだとナハトは思う。
「ぅぅ……それは存外にアイシャには大人としての魅力がないと言いたいのでしょうか……」
「アイシャは何時でも魅力的だ――最も今は子供としての愛らしさが若干勝っているがな」
ナハトはアイシャの小さな体を見てそう言った、つもりであった。
「っ――! それは、アイシャの胸がぺったんこだって――ぅぅ、やっぱりナハト様も大きい方が好きなんですね…………」
が、アイシャはナハトが胸を見てそう言った、と勘違いをしているようだ。
ナハトも知っているが、アイシャはどうにも胸にコンプレックスがあるようなのだ。
特にシュテルにパパ呼びされてからは、より強く意識してしまっている。
ぶっちゃけてしまえば、ナハトに好きな胸はと聞きけば、躊躇いなくアイシャの胸と答えるだろう。
そこに大小は関係がなく、爆だろうが、巨だろうが、微だろうが、賓だろうが、無だろうが、アイシャの胸こそが等しく最上であると断言する。
(が、これはちょうどいいかもしれないな)
アイシャと二人っきりになるという作戦は成功した。
であらば、やるべきことをきちんとやらなければならない。
「そういえばアイシャ、この宿にある温泉の効能だが血行促進や美白効果は勿論だが、微量に含まれる湯の魔素を肌から取り込むことで、健康的な発育を促す作用があるらしいな」
「ほ、ほんとうですかっ!!」
アイシャがこれ以上ないくらいに食いついてきた。
身を乗り出してまで必死に尋ねるアイシャは珍しい。
「私はアイシャに嘘などつかないさ」
そう、これは決して嘘ではない。
クサツの湯には様々な効能があることに間違いはない。最も、それらの効能はナハト達には本質的に必要がない。龍の魔力を得たアイシャやシュテルは外的な効能など必要とするまでもなく、健全で、完全と言える成長を迎えることは間違いがないからだ。
ぶっちゃけてしまえば、湯船に浸かったところで胸が大きく成長するということはない。
だがアイシャは、成長、憧れの巨乳、これでナハト様もきっと、などと心ここにあらずといった感じで、ブツブツと呟いている。
こうなれば、後はその背を少し押すだけだ。
「と、言うわけだ。せっかく温泉宿にいることだし、昼間からお風呂にゆっくり浸かろうじゃないか、アイシャ」
全てはアイシャとの親睦を深めるために。
「は、はい!」
アイシャは元気よく返事をしていた。
きっと、この時のアイシャはあんなことになってしまうなんて想像もしていなかったのだろう。
◇
魔渡大社の神主、ハルカが手配した旅館は当然のように貸し切りだった。
クサツの有名旅館を祭りの真っ最中にそのまま貸し切れるあたり、ハルカが和の国においてかなりの力を有していることはそれだけでも伺える。
ナハト達が泊っている温泉旅館、ユキヒラには三つの有名な露天風呂が存在している。
昨日三人で浸かった湯は、フジ大山が一望できる景色に重点を置いた露天風呂であった。
今、ナハト達が足を踏み入れたのは磨かれてなおごつごつとした岩肌を晒す源泉に近しい湯船である。高き岩合から湧き出る湯は、不定形に落下して、小気味のいい水音を立てていた。見ているだけで目と耳を楽しませてくれる。
一歩足を踏み入れれば、程よい熱気と薄くなってなお感じる硫黄の匂いがそこにある。立ち込める白い湯気の奥深くから、二人の美少女が現れた。
アイシャは小さな体にタオルをしっかりと巻いているが、ナハトは何も身に纏うことなく堂々と裸身を晒してる。
温泉に浸かる前だというのに、一切の汚れも、傷も、染みも、何一つとして肌を汚す不純物は存在していない。一面銀世界のように透き通る真っ白の肌、そして程よく括れる女の子の体、扇情的な桜色の突起さえ、今は覆い隠すものもない。
美しい女性らしさと子供らしい小さな体、相反しているような二つの要素を合わせ持つナハトの体は、本人でさえ常識外れだと思うほどの美少女っぷりである。
アイシャはそんなナハトの裸身から懸命に目を逸らそうとするが、吸い寄せられるようにナハトを見つめ、ボンと顔を赤く染めては、首を振って視線を誤魔化す。
昨日はシュテルが二人の合間にいたので、アイシャも変に意識することはなかった。
だけれど、今は、二人っきりだ。
「ん? どうした、アイシャ?」
「はひゃっ! いえ、にゃにも……」
お互いの息遣い以外に耳を汚す音はない。
並んで歩き、肌が触れ合えば、くすぐったさとか、温かさとか、気持ちよさとかが伝わって――お互いに跳ね上がった心臓の鼓動が伝わってしまったのではと心配してしまうほど、ナハトとアイシャしかここにいない。
緊張するアイシャをリードするようにナハトはアイシャの手を摑まえる。
「ふぇ! な、ナハトしゃまっ!?」
「ほら、おいで。湯船に浸かる前に、体を洗ってあげよう」
「はにゃにゃ! じ、自分でできますから……!」
「そうつれないことを言うな、アイシャ。昨日はシュテルの体を洗ってやっていたではないか」
「あ、あれはシュテルが子供だから」
「ふふ、じゃあアイシャはもう大人だというわけか」
とナハトがそんな言い方をすれば、
「と、当然です」
予想通り、アイシャはムキになってそう言った。
「ならちょうど良かった」
ナハトは渾身の笑みを浮かべる。
それはエサにかかった哀れな仔羊を食らう肉食獣の笑みである。
「あ、あのナハトさま……?」
不穏な気配を感じたアイシャが恐る恐る伺うような声を上げるが、ナハトはにんまりと笑ったまま共有ストレージに手を入れる。
その次の瞬間、広い浴場に大きくて、柔らかなマットが敷かれていた。
たっぷりの空気で膨らまされたそれは、親衛隊隊長が仕上げた道具、欲望の夜、であった。
高級ソファーのような質感と弾むような程よい反発、ただ寝転がるだけで体力微回復、スタミナポイントの最大値を増やす拘りの一品であった。
「そ、それは……いったい……?」
「大人が体を洗う時に使う道具さ、アイシャはもう大人だろう?」
「あ、アイシャは先にあがりま――」
危機感を覚えたアイシャが咄嗟に逃げようとするのだが、残念なことにアイシャの手はナハトが掴んだままである。
ナハトはひょいっとアイシャを持ち上げると、自然な流れでタオルを剥ぎ、アイシャをマットの上に寝転ばせた。
「は、ひゃぁあああああああ!」
剥ぎ取られたタオルを下敷きにして、盛大に晒された裸体、その前側だけを隠すようにアイシャはうつ伏せに寝転んだ。
ナハトはそんなアイシャの傍に座り、アイシャの背を優しく撫でる。
「そんなに慌てなくとも、もう何回かは裸のお付き合いをした仲じゃないか、アイシャ」
ナハトはアイシャの愛らしい姿に理性を持っていかれないよう、平然を装いそう言った。
「だ、だけど、その、これは、なんていうかいつもと違うと言いますか、ひゃんっ!」
アイシャの言葉が悲鳴に変わる。
「ちょっと冷たいけど、我慢な――」
「な、なんですか、この冷たくて、ドロドロしているものは――」
「薄めたMPポーションさ。振りかけると、魔力回路が活性化して魔力の回復を促してくれる」
副次的な効果として、活性化した魔力回路を捉えやすくもなるのだ。
ドロドロとした青い液体の奥側で、美しく輝くアイシャの背をナハトは軽く触って、ほぐしていく。
「ふぁ! ひゃ……! あっ……これ…………すごぃ…………」
「どうだ、アイシャ? 気持ちいいか?」
ナハトは壊れ物を扱うかのようにアイシャの体を優しくマッサージしていく。
「……はぃぃ……とってもぉ…………」
アイシャの蕩けた声を聞いて、ナハトは金の円環に覆われた瞳を一層見開いた。
「少し、痛いぞ」
警告と同時に、指先に集めた魔力を一本の細い細い針が如く研ぎ澄ませて、アイシャの体――正確に言うならば、毛細血管よりも細い極小の魔力回路に、打ち込んだ。
「はぅっ! っ――! ぁ~~!」
「痛かったか?」
「……ひゃい、でも、ピリッとして、いた気持ちいですぅ~」
「じゃあ、もう一回」
「っぅ――!」
「火竜との戦いやエストールでの戦い、エルフの里でも、アイシャは今までに扱ったことのないような大きな魔力を使ったからな。自己修復されているとはいえ、歪んでしまったり、無理をさせ過ぎてしまった魔力回路を元に戻して、魔力の流れを活性化しておこうと思ってな」
そうすれば、体の調子も整うし、次に魔法を発動させるときにスムーズに魔力が流れる。ゲーム時代と違ってアイシャの体はデジタルデーターなどではなく、血の通った本物なのだ。酷使すれば傷つく部分も当然出てくる。
それらを整えてやるのも主としてのナハトの役目だ。
「ひゃわ……ナハト様、そこは……っ! ダメ、ですぅ!」
「ちゃんと全身にかけてやらないとダメなんだよ。大丈夫だアイシャ。これは医療行為だ、マッサージだ、だから何一つとして恥ずかしいことも、やましいことも、ありはしない!」
「あ……あっ……ぁううぅ……だめぇぇええぇぇ…………」
ナハトはアイシャの魔力回路に、自身の魔力を流していく。
崩れたり、絡み合ったりしていた魔力の通り道を、魔力を注ぐことでじっくりとほぐしていくのだ。
もちろん、全身、くまなくである。
体の隅々までマッサージを施し、最後に残った場所に手を伸ばそうとしたそんな時。ナハトの手を、不意にアイシャが遮った。
「い、いやぁ…………ナハト、しゃまぁ……ダメ、そこは……ちいさい、から……」
上気した頬、汗で輝きを増す体。
ナハトはアイシャを抱え込むように背中から手を回すと、アイシャは触れさせまいとナハトの手を止めようとする。
小さな手が、ナハトの手を懸命に止める。
ナハトはそんなアイシャの耳元に口を近づけて、囁いた。
「アイシャは私のことが好きか?」
「ふぇ! い、い、い、いきなり何を言うんですかっ!?」
「私の故郷には誰もが知っている言い伝えがある」
ナハトはいかにも真剣だと言いたげに言葉を発した。
「――――好きな人に胸を揉まれると大きくなる、らしい」
アイシャの体が電に打たれたかのように、震えた。
「私はアイシャのことが大好きだ。アイシャが私を好きだと思ってくれているなら、その胸を大きくしてやることも可能かもしれない」
「ひゃ、あ、アイシャは、その……ナハト様のこと……す、す、す――――」
恥ずかしそうに、俯いて、誰にも聞こえないような小さな声で、
――好き、です…………
と、か弱い声がナハトの耳を震わせた。
「アイシャは胸を大きくしたいんだよな?」
ナハトがアイシャの耳元でささやくと、アイシャはこくりと頷いた。
肩に手を乗せて、耳を軽く刺激しながら、マッサージによって敏感になったアイシャの肌を指先でなぞる。
ビクンと体を反応させるアイシャの吐息が荒くなり、切なげな声が唇から漏れ出ていた。
その表情が、仕草が、アイシャの全てが、ナハトの嗜虐心を擽ってならない。
「じゃあ、私になんてお願いしたらいいか、分かるよね?」
吐息を吐き出しながら、優しくアイシャの耳に囁く。
喉を軽く撫で、濡れた唇に触りながらナハトはアイシャの言葉を待った。
「……………………を…………ださい…………」
「ん? なんだって?」
アイシャの顔はリンゴのように真っ赤である。
俯きがちに呟いた声を、ナハトは聞かないふりをしながらアイシャの体を優しく触る。
「だから……の……胸を…………さい…………」
「ハッキリ言わないと、分からないよ、アイシャ」
「ぅぅ、だから、その――」
ナハトもアイシャも多分この時、理性など残ってはいなかったのだろう。
だから二人は体を重ねながら、お互いに顔を赤く染める。
アイシャはもうつらいのか、必死になって我慢していた顔から力を抜いた。
そして、その口が大きく開く。
「――――アイシャの胸を揉んで大きくしてくださいっ!!」
かこん、と何かが落ちる音がした。
それは桶が地面に落ちる音。
アイシャがふっと視線を上げた。
ナハトもそっちに顔を向ける。
「………………お邪魔だったようね……」
「どうぞ~、おかまいなくー」
そこにはタオルを巻いた二人の女性。
アイシャは一気に現実に引き戻されたが、過酷な現実を理解したくないのか未だ放心しているままだ。
徐々に脳が思考を加速させ、理性を取り戻してしまうと、アイシャの顔は真っ赤を通り越して、紅に染まる。全身からぼふっと火を上げたアイシャが泣きながら、二人を見ていた。
そして、
「っ――――! なぁ――――! ふぇ、ふぇええええええええええええええん、ちがっ、違うんですぅぅううううううううううううぅぅっ!!!!」
絶叫が、響き渡った。




