シュテルの冒険
地霊大社へ向けて伸びる中央通りは、四日目にもかかわらず人の往来が激しい。
シュテルはそんな人だかりを避けるように、無数に分岐した横道をすいすいと抜けていく。はでやかな大通りのすぐ傍にはシュテルが見たことも聞いたこともないような飲食店がこれ見よがしに並んでいて、シュテルの胃袋を誘惑してきた。
「ママのおりょうりもおいしーけど――せっかくだし、いいよね」
シュテルが出かけるときは常にナハトかアイシャが付き添っていたので、シュテルにとってはこれが初めて一人で経験するお出かけであった。
いつもであれば、シュテルが興味を示したものにはナハトが解説をしてくれ、アイシャが欲しいのですか、と聞いてくる。
それだけでシュテルは嬉しいと感じるが、心のどこかには不満もあったのかもしれない。
シュテルはただ与えられ続けているだけで、自分から選び、掴み取ったものは存在していないから。大好きな両親に守られることはそれだけで胸が暖かくなるが、同時に自分のやりたいことを一人でやってみたいと思わなくもない。
(我儘だね)
「そーかもねー」
そういう意味でも、この何を買って食べてみようか、という選択は初めてのことであり、極めて重要な問題なのだ。
シュテルもまたナハトから魔法の袋という通常では考えられないほど多くの道具が仕舞いこめる袋を与えられていたが、金銭の類はそう多く与えられていない。最も、特級の回復薬をはじめとする価値の高すぎる品物は惜しみなく詰め込まれているのだけれど、母が持たせてくれた大切な物をたかが金銭に変えるなどという愚かな考えは思い浮かびすらしない。
「むむむ……」
だからこそ、目に映るものなんでも無制限に買えるわけではないのだ。
シュテルはゆっくりと歩きながら考えを纏めていく。
朝食は旅館の料理を色々と堪能したので、できればまだ食べてないような未知の味が望ましい。なおかつ空腹感は多少ある程度で、本格的にご飯が食べたいという気分でもない。
そう思うとシュテルが食べたいものが決まってくる。食後に食べられそうな間食で、できれば甘くておいしいものがいい。
そう思って、シュテルは立派な暖簾のかかった一軒の店に足を運ぶ。
甘味処、イラコ。
それが、その店の名前であった。
「おはようございまーす」
挨拶は大事、そう言っていた母の教えに従いシュテルは暖簾をくぐると大きな声で挨拶をする。
「おんや~、見慣れないお嬢ちゃんだね。いらっしゃい、お使いかい?」
白いエプロンをつけた恰幅の良い女性が上機嫌でシュテルを迎え入れてくれた。
「んーんー、シュテルはお出かけ中なの。まずはさかばでじょーほーしゅーしゅーなの!」
母が言っていた異世界の基本。シュテルにはよく意味が分からないがナハトが言うことはシュテルにとって全て正しいのである。
「うははははははは、うちは甘味処だけどね。甘いものならなんでも美味しいから食べってて、おすすめはきな粉餅ねー!」
「じゃあ、それちょーだい!」
何が美味しいのか、どのような料理を出せるのか、それらが分からないシュテルは促されるままにおすすめであるきな粉餅を注文した。
「ね-、おばちゃん! ヒユキちゃんのことを教えてー!」
料理が届くまでの間、シュテルは本来の目的でもある情報を集める。
「うははは、ヒユキ様かい? そりゃあ、あの人はうちらみたいな市民からしたら憧れの存在さねー、ただの平民で、いやミズハの生き残りって考えるとうちらよりもなお悲惨だねー。なのにさ、才覚一つで出世して、名家ヒイラギに迎えられてさ、弱冠九歳の若さで姫巫女にまでなられた。だから、ちゃん付けなんて恐れ多いことだよ?」
シュテルを優しく咎めるようにおばちゃんは言った。
「やっぱり、すごいんだね! きのうもすごくきれーだった!」
「神楽を見に来てたのかい。そんじゃあ姫巫女様の勇姿も見れただろう? ありゃあ感動なんてもんじゃないねー。こう、なんていうか、引き込まれるさね。見ていて希望が湧いてくるようだよ!」
興奮した女将が声を荒げる。
そしてすぐに、おっと、と声を上げると、本来の仕事である給仕へと戻る。
「はいよ、お待ちどう。きな粉餅だよ」
そう言って差し出された黒色の皿の上に、一度だけ食べたことのあるお餅が乗せられていた。
最も、それはまるで別物だった。
以前はナハトが香ばしく焼いたものに醤油を垂らしてくれていたので、黄土色の粉がかかっているこれはシュテルにとってまったくの未知の料理であった。
もっと聞いておきたいことはあったのだが、まずは目の前のご馳走である。
「いただきます」
シュテルは一言だけ呟くと、串で刺したきな粉餅を豪快に頬張った。
「んー! んー! あまいっ! おいしい!」
口の中に広がったのは独特の風味と絶大な甘味だ。
きな粉の持つ上品な香りが鼻や口から伝わると同時に、くどくない甘みがこれでもかと広がる。
餅が持つ弾力は噛めば噛むほど楽しくなってきて、シュテルは一心不乱に咀嚼した。
「ははは、そうだろうそうだろう」
おばちゃんが上機嫌に笑いシュテルも笑みをこぼす。
しばらくきな粉餅に没頭し、皿に盛られた餅を綺麗に全て平らげると、シュテルはお茶で口を整え、肝心なことを聞いた。
「ねーねー、おばちゃん。ヒユキちゃんがどこにいるのかわかる?」
「憧れるのはいいけど、ヒユキ様は雲の上のお人だよ? 会おうと思って会える人なんてそうそういないさね。まあでも、お住まいは一目で分かるさ――秋の紅葉は和の国一と呼ばれる地霊大社のすぐ傍、お山の上の秋水殿は有名さね」
「ふーん、じゃあ、そこにヒユキちゃんがいるんだね」
「そうさねー、綺麗なお屋敷らしいねー。まあ、そんな所で暮らすなんて、うちらみたいなのには想像もできないけどね」
シュテルは満足そうな笑みを浮かべながら、ひょいっと立ち上がる。
「いろいろありがとー、ねえ、おばちゃん! きなこもちって買ってかえれる?」
「お、お持ち帰りまでしてくれるのかい?」
「んー! ママとパパにお土産かうのー!」
「ははー、ちっこいのにしっかりしてるんだねー! じゃ、ちょっとだけサービスしとくよ」
シュテルはお土産として買ったきな粉餅を手に、一礼した後元気よく店を飛び出した。
「パパ、これで許してくれるかな?」
そんな自問に、心の中の自分が答える。
(甘い)
「きなこもちだけに?」
なんてシュテルは愛らしく小首を傾げた。
◇
地霊大社が祭り上げるもの、それは和の国に存在する広大な山々である。クサツより北方、カザマキ山脈は活火山である和の国最大の山、フジ大山を始め無数の山々の連なりがある。そこには豊かな自然とそれに比例するように強大となった魔獣、そして豊富な魔力を浴びた鉱脈が存在している。
深い山々への入り口を切り開いた場所に小さくあった温泉街、それがクサツの原型であり、今では和の国でも一二を争う大都市であった。
それらの恵みを管理、統治する最たる武家がクサツが領主、ヒイラギであった。
観光街、そして魔石の産地としても豊かなクサツは客観的に見ても富に溢れる領地であることは間違いがない。
そんな街の観光名所といえるだろう地霊大社。
七百七十七つの階段の先にある地霊大社本殿は豊かな木々に包まれるように存在する高地の神社である。度々そこに往来する姫巫女のために作られた秋水殿もまた、山の深き場所に存在している。
「あれか~」
シュテルは一人呟いた。
拝殿に繋がる比較的平地な大通りからも、巨大で鮮やかな秋水殿は目に入っていた。
秋水殿に繋がる道は二つしかない。巫女が地霊大社へと移動する渡道、巫女が修行のために登るとされる修験道。
当然ながらどちらも一般人が立ち入れるような道ではなく、場所でもない。
「どうしよっかー、ママならとんじゃうんだろうけどー」
シュテルはまだ龍の翼を広げて飛ぶ、などという芸当はできない。
精霊魔法で空を飛ぶ手段もあるが、魔力を発し、精霊の助力を得ての飛行は隠密性に欠けるだろう。ナハトとの約束通り、シュテルは誰にも見つかるわけにはいかないのだ。
うんうんと悩んでみるが、答は出そうにない。
そうであるならば、これはもう、正面からお邪魔するしかないだろう。
「じゃあ、いこっか!」
シュテルはぱちりと片目を閉じる。
そうすることで、意識の主導権が切り替わるのだ。
シュテルという人格を構成する二つの魂。エルフの上位種であるオリヴィエであった魂から、世界樹の精霊ルルであった魂へと体の主導権も切り替わっていく。
シュテルは魔法の袋から雲隠れの衣を取り出した。かつて、エルフの里での戦で父が使っていた装備、そのお下がりである。
薄汚れたローブに身を包むと、存在の密度が薄れていく。
そして、母から譲り受けた竜のお面を被り、いざという時のための隠密性を高めるのだ。
そうして姿をくらませた後、シュテルは音のしない独特な歩法で歩き始めた。古くより伝わる東方武術、おそらくは和の国の技術であったものをシュテルなり昇華してきたものである。
(うん、大丈夫……)
オリヴィエの魂を表とするならば、表側のシュテルは直情的で、近接戦闘や直感的な行動を得意としている。一方でルルの魂は裏、冷静で、視野が広く、精密な行動を得意としている。
シュテルは冷静に警備の目を避けると、山道を縫うようにして駆け上っていく。
修練中の巫女見習を珍しそうに眺めてしまったのも一瞬。すぐに目的を思い出し、冷静に歩を進めればすぐに建物は目の前にあった。
だが、そんな屋敷に侵入しようとして、ピタリとシュテルの足が止まる。
魔力感知の結界、それに罠と人が数えきれないほど多く存在している。警報をはじめ、崩れそうな屋根、振動を感知する地面、色々と厄介だった。
(流石に警備は厳重……精霊魔法は駄目……じゃあ、ここはママが言っていた通り、技能を使おう)
そう言って、シュテルはその技能を行使した。
――結び龍。
攻撃対象に接近するための移動系技能だが、技能の発動中はありとあらゆる場所を制限なく移動することが可能になる。
それは空の足場を駆けることも、壁を垂直に上ることも、水場に浮かぶことも、火の中でさえも、移動できるようになる汎用性の高い技能だった。
空を足場に門を超え、屋根や壁に足を乗せながら、気配を消してシュテルは進む。
屋敷の中へと侵入すれば、どうしても人の目は増えてしまう。
時には人とすれ違うこともあったし、何奴っ、などと腕のいい者に叫ばれることもあった。心臓が意思と関係なく強く脈打つが、シュテルはそれを何故か楽しいと感じてしまっていた。
誰の目にも映らないように、未知の屋敷を冒険することは不思議な高揚感をシュテルに齎し続けているのだ。
(ママの影響ですね……)
秋水殿の奥に進むにつれ、人がいなくなっていく。
どこか閑散とした廊下をシュテルが歩くと、静けさが満ちていった。少し前までは侍女や料理人、修行中の巫女に庭師や警備の人まで、大勢いた人がここにはいないのだ。
まるで、立ち入ることを禁止されているような、そんな雰囲気。
その先の部屋に、彼女はいた。
シュテルは閉じていた目をぱちりと開く。
「…………ねてるのかな……」
だが、シュテルには眠っているというより、ヒユキが戦っているように思えた。
薄着のまま眠るヒユキの露出した手足には汗が伝っていた。
表情は目を閉じていながらも険しく、額にも汗が滲んでいる。
時折響く、痛々しい呻き声。
シュテルはかつて眠りながら味わった地獄のような時間を少しだけ思い出してしまっていた。
あの時は、シュテルは一人じゃなかった。
最愛のパートナーが頑張れ、大丈夫だよ、私も一緒だから、と声をかけてくれていた。結局、かつての自分は耐えきることはできなかったけれど、それでもこの身がここにあるのは両親と、そしてもう一人の自分のおかげである。
シュテルの手がそっと伸びる。
小さな手で、白い髪に触れ、優しく撫でるのだ。
シュテルは父と母にこうされる時間が何よりも大好きであったから。
自分が興味を抱いた少女の苦痛を少しでも和らげられたらいいな、と手を動かす。
どれくらい時間が経ったのか、ヒユキの息遣いが変わった。
シュテルはヒユキから手を放し、一歩離れる。
「…………ん……」
声を漏らして、目が半開きになるが、すぐにそれは閉じられた。
乱れた息遣いを懸命に正そうとするヒユキにシュテルは思わずつぶやいていた。
「――だいじょーぶ?」
ヒユキの体がビクンと震えた。
落ち着きなく目を見開いて、シュテルの方をヒユキが向いた。
「こわいゆめを見ちゃったの? だったら――」
シュテルはかつての母の姿を思い浮かべる。
辛い時も、苦しい時も、常に自信だけを表して、不敵に笑う母の姿を真似すように片目を閉じる。
「――龍の使者が特別にお話を聞いてあげますよ?」




