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シュテルとヒユキ

 舞台の上に、少女が二人。

 世界にたった二人だけ、そう言わんがばかりに静止したまま見詰め合うシュテルと雪のような少女。

 

 サインを記す色紙も、ペンさえ差し出さず本能のまま動いたシュテルは愛らしく小首を傾げる。

 彼女はただ、手を伸ばしただけだった。

 シュテルの中では少女との距離など存在しないに等しかったのだ。手を伸ばせば届く場所に少女がいて、お話してみたいなと思って、手を伸ばした。


(パパに怒られるよ?)


 ママはきっと笑うだろが、パパには怒られるかもとシュテルは思う。

 だが、好奇心に、本能に従えとは母の教えである。

 であらば、これくらいは許されるのではないか、と子供らしい思考でシュテルは動いた。当然ながら回りがどうとか、立ち入り禁止の舞台の上だとか、そんなことは頭の中に存在しない。

 シュテルの中では最初から二人っきりなのだから。


「ひゃ……あ、あの……困りますよ…………」


 きらきらとした瞳のシュテルに辛うじて少女がそう答えたその瞬間。止まっていた時間が動き出す。


「曲者っ!」


「くっ、どこから――ヒユキ様、お下がりを」


 舞台の影から、人が飛び出してきた。

 目立ちにくい黒と灰の装束を着込む二人は忍びと呼ばれる影のものだ。

 正面に立ち並ぶ警備員とは別に、彼女を守るため控えていたのだろう。姫巫女の護衛だけあって躊躇はなく、小太刀と苦無がシュテルに迫る。

 だが、


(うーん……遅いね…………)


 ただの人間とシュテルではレベル差以前に技量の次元が違い過ぎる。

 生きた年月がそのまま、シュテルの経験値なのだ。シュテルはかつて数百年、数千年単位で修練に励み、暇つぶしにありとあらゆる武術を修めた。エルフの伝統的な戦闘術である精霊魔法、弓と剣に留まらず、ありとあらゆる武技に触れたシュテルは世界最高位の武人と言っても過言ではない。


「シュテルと遊びたいのかな?」


 そんなシュテルから見れば、精鋭の動きといえど児戯であった。

 ナハトから受け取った武具を抜くまでもない。

 身を引いて苦無を避けつつ、斬りかかる相手の腕を取り、体格差を利用して懐に入り込むと体を添えて投げる。

 空中で綺麗に一回転した黒装束の女性が舞台の上に叩きつけられる。ちゃんと、引き手を離さず衝撃を殺してあげる辺りシュテルにとっては本当にただの遊びであった。


 だが、明らかに手加減したうえで片づけられた護衛を見て、ヒユキはシュテルから遠ざかる。


「あっ、待って……!」


 シュテルはヒユキに手を伸ばすが、それを遮るように遅ればせながら到着した警備兵がヒユキとの間を裂いてしまう。


「むぅ…………」


 すごく邪魔だ。 

 シュテルはただ綺麗に踊っていた少女とお話がしてみたかっただけなのに。


(許可を取らないから……)


 心の奥で正論が響くが、シュテルの心は苛立ちと不満の割合のほうが理性よりも少しだけ上だった。


「シュテルの邪魔、しないでよ!」


 強行突破に及ぼうとしたシュテルの手を、


「だめですよ、シュテル! 皆さんに迷惑をかけて、もうっ!」

 

 ナハトに連れられて舞台に上がったアイシャが掴んでいた。


「でも……だって……! シュテルはお喋りしたかったんだもん!」


「駄目ですよ、ナハト様みたいに我儘を言っちゃ」

 アイシャの目は冷ややかだった。だからこそ怖い。

 シュテルは、ぅぅ、と縮こまる。


「酷いな……アイシャ……」

 ナハトをまるで悪い物の見本のように言うアイシャ。

 肩を落とすナハトには目もくれず、アイシャはシュテルを睨んでいた。

 シュテルは何ともばつが悪くなり、一層小さく俯いてしまう。


「心配、したんですよ……もう……勝手に離れちゃダメ、ですからね……お説教は後回しです、まずは迷惑をかけた皆さんにごめんなさいをしましょう」


「…………ぁぃ……」


 と、良い感じに身内の中で問題が解決した頃合いを見計らい、ナハトはアイシャの脇腹をつんつん、と突っつく。


「ふぇ、なんですかナハト様?」


 シュテルのことで頭がいっぱいなアイシャは周りの状況に気がついていなかった。


「既に、謝罪だけでは許して貰えなさそうだぞ、アイシャ」

 

 ヒユキを守るように展開した警備兵がざっと二十、その外側でひそかにこちらを狙う影の者が十。

 彼らが一向に襲ってこなかったのは、家族のお話を中断させまいと思ったナハトがその全てを逐一把握し、牽制していたからに他ならない。


「ふぇ……あの……どうしましょう……?」


「今日の所は、ごめんなさいして帰ろうか」


「え……?」


 シュテルを肩に乗せ、アイシャを抱きなおし、ナハトは動く。

 ナハト達の姿が消えた、と周囲が認識した次の瞬間、


「ひゃ……え……なんで……」


 シュテルとアイシャを担いだナハトがヒユキの目の前にいた。

 技能スキル、幻想龍と透走龍の合わせ技、当然ながら誰かの目に映ることなどない。

 ナハトは肩に乗せたシュテルの目線と少女の目線が同じになるようにその場に屈んだ。


「迷惑をかけた、すまなかったな。だが、この子に悪気はない。ただ好奇心を抑えられなかっただけだ。できれば仲良くしてやって欲しい。なにせお前はシュテルが始めて我儘を言った相手だからな」


 頭を下げるようにナハトは言った。


「ほら、シュテル」


 アイシャに促されシュテルはナハトの肩の上で頭を下げた。


「…………ごめんな……さい……」

 シュテルは小さな子どもだ。

 特別な力を除けば、それ以上でもそれ以下でもない。

 そんな子供が、顔をくしゃくしゃにして必死に頭を下げていた。


「いえ、その、私は大丈夫ですから――それより皆さまのほうが……」


 ヒユキは謝罪を受けいれ、ナハト達を気遣っていた。


「はは、今日の所は退散する――多分だが、すぐにまた再会できる、そんな気がする」

 

 ナハトが飛び立つその直前、


「ほんとにごめんなさい、ま、またねっ!」


 そう、シュテルは精一杯の言葉を残した。











 空が宝石箱のようだった。

 天の頂に身を寄せ合う二つの月、燦然と輝く数多の星々。

 明るく、美しい星空と対比するかのように、落ち込むシュテルがナハトの膝にもたれかかった。


「……ぅぅ……パパ……怖い……パパ……怖い……ママぁー」


 アイシャはかなりシュテルを心配していた。

 当然、その分のお説教は長くなる。

 アイシャは怒ると怖いのだ。淡々と真顔で正論をぶつけられるあの時間は中々に苦痛だ。

 やっとの思いで解放されたシュテルはナハトに甘えるように引っ付いてきた。


「アイシャは心配性だからなー」


「シュテル、悪いことしちゃった……」


「そうだな――――でも、そのままでいい。やりたいことを我慢するな。欲しいと思ったものを諦めるな。シュテルがとった方法は間違いだったが、お前の思いは間違っていないぞ。シュテルの行動は軽率だったかもしれないが、決して間違ってなどいない」


 思いを抑圧して、押し込めて、我慢した先にあるのは空白だ。

 ぽっかりと空いた空白。

 その空白はどんどんどんどん大きさを増し、やがて生きている意味を見失う。

 ナハトはそれを誰よりも知っている。


「いいの?」


「ああ、やりたいことをやりたいだけやるといい。それが子供の特権だ。最も、いけないことをしたらパパのお説教が待っているがな」


「それは……もう……いやぁ…………」


 シュテルがナハトの膝に頭を乗せ、ぱっちりと目を開く。

 

「…………でも、あの子は我慢してた」


「そう、感じたのか?」

 

 シュテルが何かを考えるように片目を閉じる。


「昔のシュテルと一緒だった。やりたいことじゃなくて、やらないといけないことだった。でも、それでも綺麗だった。だから、きっと彼女が心から舞ったらもっと綺麗」


 ナハトは膝の上に置かれた小さな頭を撫でる。


「そうか。それでは、楽しみにしておこう」


「あい、シュテル、頑張る」

 二人で密かに笑い合っていると、


「――なんですか、また二人で悪だくみですか?」


 アイシャが威圧感の籠った声を投げてきた。


「はは、そんなことはない。二人で反省していただけさ」


「…………パパ……」

 露骨にびくりと反応するシュテルにアイシャは笑った。


「そんなに怖がらないでくださいよ。もう怒ってないですよ」


「…………ほんと……?」 


 アイシャを見上げるシュテルがか弱い声で聞く。


「はい。でも、今度はちゃんと一声かけてくださいね。心配したんですから」


「ごめんなさい」


 そう言ったシュテルの頭をアイシャは撫でる。


「はい、シュテルはちゃんと反省して、謝れるいい子ですね」


「えへへー」


 アイシャに褒められたシュテルはにへらと笑う。


「では、仲直りもかねて皆でお風呂に入ろうか。裸のお付き合いと洒落込もうぞ!」


 ナハトは決定事項とばかりに二人を抱え上げる。


「ふぇ! それは…………は、恥ずかしいです……アイシャは遠慮し……」


「お風呂ー! パパとママと一緒~!」


「ほ~ら、シュテルのためだぞアイシャ。それに娘の前で変なことはしないから安心しろ!」


「そのセリフが既に安心できないんですけど……!」


「ははは、よいではないか、よいではないか~」


「ないか~」


 厳正なる多数決の結果は言うまでもなく、三人仲良くお風呂は最早確定された未来だった。












 一人で生活するには明らかに広く、過剰なまでに豪華な一室。

 そこが、自分の――ヒユキの部屋だということに、七年経った今でも違和感を覚える。


 それに、寂しくもあった。

 無駄に広い部屋に、誰も使わない数多の家具、生活用品、衣服、それに嗜好品――長い間使わないこともあったのだが、使わないと使用人や管理の人が姫巫女様のお気にめさないと捨ててしまったことがあった。


 もったいないと、心から思った。

 それからは、与えられたものはなるべく全部使うようにしていた。

 食事の度にお皿を使い分けてもらったりだとか、食べきれない菓子を配って回ったりだとか、色々と工夫して、処分されないように使いまわす。

 

 それは正しいことだろう。

 そうしないといけない、と心から思う。

 でも――心の奥ではなぜか達成感よりも虚しさの割合が大きい当たり、贅沢になったなぁ、と自嘲する。


 専属の侍女以外は許可なく立ち入ることができない姫巫女の私室。

 そこに、


「――入るわよ」


 許可なく立ち入れる人物はそう多くない。


「お義母様」


 もうすぐ四十路になる義母は二十代で通るほどに若々しい女性だった。

 朗らかな笑みとそれを台無しにするような鋭い瞳。本人は視力が悪いだけと言い張っているが、多分それは嘘でただ目つきが悪いことへの言い訳にしているように思える。


「今日、トラブルがあったらしいわね。大丈夫だったの?」


「う、うん。神楽に興奮した人がちょっと舞台に入ってきただけだから、大丈夫だよ」


 そういうことにしてある。

 実際、この目で見てなお信じられないが、子供の暴走であったようだし、大事にして警備の人たちに責任を負わせたくないヒユキとしては、そういうことにしておいたほうが都合がいいのだ。

 

 最も、大勢の人の目もあったし、地霊祭の管理運営の責任者である義母を騙せているとは思えない。だがそれでも、地霊祭、そして大祭も間近となった今、大事にしたくないという義母と思惑は一致しいていることだろう。


「そう――では、くれぐれも体には気をつけて。今日は疲れたでしょうから、もう、おやすみなさい」


「うん、そうします。おやすみなさい」


 義母が退室すると、ヒユキはだらしなく布団に寝転んで、暗い部屋の天井を見つめた。


「シュテルちゃんか――」


 脳裏には子供らしからぬ技量と子供にしか見えない容姿を持った幼女が焼き付いて、離れなかった。


「いろいろすごい子だったなー。それに――――」


 子供らしく、無邪気で、それに自由だった。

 そんな頃が自分にもあっただろうかと思い返しながら言葉がもれる。

 独り言が増えたな、と自嘲しながらも、耳が寂しくて、心が寂しくて口を自然と開いてしまう。


「――可愛い子だったなぁー」

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