デュランVSナハト
洞窟に潜入する前に、アイシャの着替えを終え、ようやく準備が整った。
黒と白の膝上メイド服を着たアイシャはこの上なく可愛らしい。ゲーム時代から存在した見た目に拘る装備、所謂魅せ装備の中でも実用的で性能が高い物を集めてアイシャに渡している。勿論、普通の装備の方が性能だけを見ればいいものが多いがここは譲れない。金髪少女のメイド服姿を諦める理由にはならないのだ。
明らかに戦闘をする格好ではないが、これでも全身特質級の装備だ。盗賊の攻撃程度なら、物理、魔法共に弾き返す程度の防御力はあるだろう。
まあ、そもそも、ナハトがいる限り、アイシャには絶対に手出しなど許さない。
「さ、行こうか、アイシャ――ちょっとだけ、グロテスクな映像があるかもしれないけど、大丈夫か?」
「ピクニック気分で言わないで欲しいですナハト様……それに今さらですよ――」
初めてナハトと出会ったときも、若干というか、かなりきつい映像を見せられたアイシャだ。ナハトの警告は本当に今さらだった。
アイシャにとって死とは常に傍にあるものだった。
誰もが、ちょっとした切っ掛けで死にいたるのが人生だと知っていた。
アイシャ自身も例外でなく、アイシャの父も例外ではなかった。
だから、ナハトの心配は杞憂だったのだ。
「そっか――それにしても、深いな」
自然にできたであろう洞窟は、底を覗けば覗くほど、薄暗く不気味だった。
入り口のすぐ傍には丸太を加工したであろうバリケードが存在しており、無理に突貫すれば矢の雨が飛んでくることは容易に想像ができた。現にナハトの知覚では、獲物が入ってくるのを今か今かと待ち侘びている者が何名かいた。
本来、こういった狭く、逃げ場所の少ない所での戦闘にナハトは向いていない。
何故ならば、ナハトの攻撃手段は見た目が鮮やかな広範囲殲滅系の魔法が多く、接近戦に弱いため、こういった狭い場所は一方的に不利な地形になってしまうからだ。加えて、洞窟自体を壊してしまわぬように、扱う魔法も制限される。
「めんどくさいな……まとめて吹き飛ばしたら駄目か……?」
「駄目ですよ! きっと、人質の人とかもいます。お助けしないんですか?」
アイシャの不安げな声に、ナハトは手に集めていた魔力を霧散させた。
中に囚われている人間がいなければ、ナハトは間違いなく洞窟ごと盗賊を消滅させる手段を選んだことだろう。
「アイシャ、しっかりと私に引っ付いているのだぞ」
厄介なことに、ここにいる盗賊達はそれなりに連携が取れているのだ。
前方の部隊だけではない、その先、三つに分かれた分道では前方の敵兵が囮、そして左右から挟撃を企てていることからも、地形を利用しうまく連携して戦おうとしているのだろう。
「は、はい!」
では何故、ナハトは洞窟に突貫したのか。
理由は二つ。
盗賊の攻撃がナハトの防具を抜けるとは思わなかったことが一つ。
もう一つは、暗い洞窟でアイシャと合法的に引っ付けるから、それだけだった。
一歩、二歩、と歩き出し、三歩目を踏み出したその瞬間。矢の雨がナハト達に襲い掛かった。
数は十本、それは盗賊の人数を表し、すかさず二の矢が迫ることだろう。
ナハトが警戒したのはまず、矢の種類だ。弓使いの職業も極めれば、絶大な威力の魔の矢を無限に生み出して打ち続けるなんて芸当も可能なのだ。
だが、目の前に迫っている矢はどう見てもただの木の矢である。
空気を裂く鋭い音と共に迫る逃げ場のない矢の壁。
絶体絶命の状況にも見えるその中で、ナハトのため息が聞こえた者はぴったりと引っ付いていたアイシャだけだろう。
「つまらないな――」
言葉と共にナハトの魔力が一瞬だけ輝きを見せた。
「きゃっ!」
突如吹き荒れたのは暴風だった。
アイシャのメイド服が盛大に浮かんで、羞恥に染まる。アイシャにも、ナハトを睨む程度の余裕はあるようだった。
暴風は力の塊となって収束し、まるで重力場の如く矢を押しつぶした。
それだけではない。
ナハトの制御を受けた風は意思を持った鎌鼬が遊んでいるかのような形態を取っていた。一度瞬きをした間に三つの首が宙に浮かび、二つ瞬きをしたときには六つの首が宙を飛んだ。
「な、ん、で…………?」
自らの身に何が起こったのか理解することなく盗賊達の意識は闇の中へと旅立った。
幻術に嵌めた盗賊たちの話では、八十三名の盗賊のうち、七十名はただの農民だという。そして、戦闘経験がある傭兵の仲間はたった十三名であり、ナハトの魔法を受け止めれそうな者は一人もいない。
いや、一人はいそうといった所か。
小さな笑み、それは微かな期待でもあった。
それともう一つ。ナハトには気になることがあった。
それは、この世界における攻撃手段、武術と呼ばれる奇怪な技についてだ。人に限らず全ての生物が修練を積み、辿り着いた技の極意、らしいのだが、それらはリアルワールドオンラインの職業技能とは少し違っている。
劣化していると一概には言えないが、威力が低いような気がしてならない。
「死ね、化物が――武術――千矢の心得ぇ!!」
例えば、今放たれた一本の矢が、いつの間にか数十にもなって、加速しながら襲い掛かる武術。これは、弓使い系統の一次職、影矢分身と流れ弓を足して、割ったかのようなものだった。
複数の技能のような体を取りつつも、威力はさほど高くない。
「盛大に舞え、鎌鼬――」
飛来したすべての矢に、目に見えるほど鮮やかな風が、絡み付いては矢を消し去る。折れ、崩れた鏃が空しく地面に突き刺さった。
「なっ、くそ、千矢の――」
再び攻撃を放とうとする盗賊。
だが、一度目は見るためにわざと打たせただけで、二度目を許すつもりはナハトにはない。
それはまさに雷鳴と同じ、光ったと認識した時には雷が落ちているのと同様に、ナハトの姿が消えたと思った時にはもう――
「か、ふっ…………」
――命は刈り取られた後だった。
ナハトの敏捷は並外れている、辺りに被害を及ぼさないよう加減していてなおその速さは人の目では映すことができなかった。
「さて――後二人、か」
ナハトが洞窟に侵入しておよそ三分。
敵対勢力はたった二人だけになっていた。
◇
敵も減り、ゆったりとした歩みで洞窟内を歩いていると、ビクリと引っ付いていたアイシャの体が震えた。
漂ってきた、強い闘志。
ナハトはそれを全く気にせず、アイシャを見た。
ナハトの表情は、まるで女神が微笑んだかのように優しげで、どこか嬉しそうなものであった。
実際、ナハトは嬉しかったのだ。
アイシャのその知覚の鋭さが――純粋に素晴らしいと思ったのだ。
何せ向けられているのは害意や殺意ではなく、ただの闘志。
にも関わらず、歩を止めたのは彼女の知覚が、ひいては危険感知能力が高いことを表していた。
「アイシャは凄いな――きっと将来は強くなれるぞ」
ナハトがそっと、アイシャの頭を撫でていると、コツ、コツ、と足跡が迫ってきた。
「そう露骨に無視されると、悲しくなるな」
デュランは気配を隠すことなく、ただ溢れんばかりの闘志を持って、さあ、闘おう、そう言いながら歩を進めていた。
だが、ナハトの返答はそっけないものだ。歯牙にもかけず、というやつだろう。
デュランのことなど気にせず、意識の大半をアイシャに向けていたのだから。
それはデュランにとって屈辱でもあった。
持てる全ての力を闘気として放っていたにも拘らず、無視される。
それは、目の前の少女がデュランを敵として認識しなかったことを意味する。
こんな経験は始めてである。
「まさか――女とはな――」
クリスタも膨大な魔力を持つ女戦士だった。だが、これは何だ。常人の何倍もの魔力を持つクリスタがまるで比較にもならない。それほどまで異なる次元の存在感だった。
デュランの中でかつてないほど五月蝿く警鐘が鳴っていた。
あれと戦ってはならない。
そう、本能が告げているような気がしていた。
肉体能力の差は魔法であっさりと覆る。
魔法使いに時間を与えることは、優秀な戦士であろうと即死に繋がる。
「性別など、些細な問題だ――それに貴様は――」
「デュランだ」
会話に割り込みながらも、デュランは大剣を抜いて、詠唱をさせまいと警戒する。
「――デュランとやらは何故こんな所にいる? 貴様の魂は荒々しいが、決して淀んではいなかったぞ? 強いて言えば、空っぽだったとでも言っておこうか」
挑発するようにナハトは言った。
「っ――! 何故……いや、今は関係ない。俺の加護が教えてくれた――次の獲物はお前だとな」
会話をするだけで心の奥底が覗かれているような錯覚をデュランは覚えた。妖艶に笑む人形のような美少女は、得体が知れないにもほどがあった。金色の円環を纏った瞳が、デュランを見透かしているようだった。
「それで、盗賊の真似事か?」
ナハトの糾弾するような声色に、デュランは繕いながら笑う。
「まさか――お前と戦った後は、俺が潰すつもりだったが、手間が省けた。奥に首領を縛って置いてある。俺が負ければそいつの首も、捕えられた者達も解放するなり、手に入れるなり、好きにするといい」
デュランは最初からここを潰すつもりでいた。
忌まわしき幻影を造り出した切っ掛けを、みすみす放置するはずがない。
「そうまでして私と遊びたいのか?」
ナハトはあえて戦いとは言わなかった。
だが、その言葉はデュランの生を否定する言葉だ。
戦場に身を起き、戦場でしか生きられないデュランの存在が否定されたに等しい。
「戦いをしたい」
デュランにとってそれは直感でしかない。
だが、本能は確かに告げていた。目の前の少女はデュランよりも遥かに格上なのだと。
だから、それは最早懇願に近かった。
「私が戦えば――お前は死ぬ、それも一瞬で、だ」
瞬間、ナハトを中心に空気が爆発した。
溢れるほど多くの大気を押しのけたのは、ただの威圧でしかない。
ナハトはオフにしていた竜の威圧を発動した、それだけだ。
だが、デュランにとってそれは、あり得ない威圧感だった。
格上だとは思っていたが、その気配の差は、まるで人と竜のようだ。
四大竜が目の前に存在している、そう錯覚したデュランは冷や汗を流しながらも、ナハトの目を見据えていた。
まるで試験官のように上から目線で見下してくるナハトにデュランは膝を屈しそうになる。
だが、それでも最後の一線だけは守り抜き、口を開いた。
「それでも、だ」
ナハトの予想に反して、デュランの闘志は消えなかった。
人が蟻を踏み潰すように、竜が人を踏み潰すような、そんな圧倒的プレシャー。
だが、ここで尻尾巻いて逃げ出すことはデュランにはできない。
そうでなければ、デュランの生に意味がなくなるのだから。
戦うことは、戦場に身を置く事こそが、あの日両親に捨てられた価値を、この身で取り戻すことなのだから。
「――ほう」
一瞬、ほんの一瞬だけナハトの顔に笑みが浮かぶ。
「戦う気になったか?」
デュランは戦いの天才である。広い視野で戦場を見極め、最も有利になる手をうち、勝利する。個としての武勇に優れ軍勢の先頭に立った上で、自らの味方に的確な指示を送ることができるだけの才を持っている。
今、この瞬間、最も高い勝利への可能性。
それはナハトの動きを封じるようにしがみ付いている少女を狙うことだった。そうすれば、必ずナハトは少女を守るであろう。それがデュランの確実な予測だった。
だが、それでいいのか。
幾ら相手が格上だからと言って、戦場に立っていないものに刃を向けることが許されるだろうか。
デュランの中で微かな葛藤が巡った。
迷いは一瞬。
「覚悟――」
それを振り払ったとき、デュランは考えるよりも先に体を動かした。
デュランがナハトへと迫る一瞬の間。
ナハトの口が微かに開いたことが、身体強化を行っているデュランには見て取れた。
全力で迫るデュランの気迫を受けながら、ナハトはこう言ったのだ。
――狙ってもいいぞ――
と。
見透かされていた。
視線を向けたわけでもない。本当に狙うつもりがあったわけでもない、ただその振りをして油断を誘い、勝率を上げるつもりだったのだ。
だが、全てはお見通しで挑発までされる有様だった。
デュランは盗賊の武術、瞬歩を進化させた瞬動にて高速でナハトへと迫ろうとして――――できなかった。
金縛りにでもあったかのように、どれだけ力を込めてもまるで体が言うことをきかない。
何だ、これは。
そう思って体を見たとき、細く分かれた薄い影が体を縛るように絡み付いていた。
「影魔法――影に住まう裏切り。まさか、魔法使いが接近を許すと思ったのか? 浅はかだな」
魔法使系職業において、距離は何よりも大切なものである。
得意な距離から一方的に攻撃を、魔法職は得にだが、すべての職業に共通した概念である。
「なっ、く、そぉ……!」
呻くデュランにナハトは四つの魔力球を浮かべた。
それぞれが、異なる色に染まっていく。
地、水、火、風。
それが、拘束されたデュランに容赦なく叩きつけられた。
「くっ、魔法技、魔障壁――」
デュランの魔力を吸って大剣が鈍く輝いた。
魔法と武術の合わせ技は、対魔法使い用に、抵抗力の高い障壁を生み出すデュランのオリジナル技だった。氷帝の魔法さえ弾き飛ばしたデュランの魔障壁。濃く激しい魔力の壁が剣を辿って具現化した
だが、
「がぁああああああああああああああああああっ!」
全身を蝕む凄まじい痛みが襲い掛かった。
皮膚の焼ける感触、体を壊すかのような衝撃、全身を引き裂かれるような斬撃、そしておまけとばかりに氷結が指を凍らせた。
「ふむ、まあこんなものか――」
地面を抉り、火に炙られた氷が蒸気となって視界を埋めた。デュランは満身創痍であることは間違いない。
ナハトは臨戦態勢を解こうとした、が――――
「まだ、だ……まだ、俺は戦って、いないっ……!」
自らの影に拘束され、全身から血を流してなお、デュランは膝を屈していなかった。
まだ、何もしていない。
まだ、何もできていない。
まだ、何も得ていない。
乾いた渇望だけが、デュランの体を支え続けた。
満身創痍のデュランが、その険しい表情が、水晶のようなナハトの瞳に一瞬だけ映りこんだ。
浮かんだ笑みは先ほどよりも少しだけ深い。
「――ははは、そうか――――いいだろう、ならば全力でぶつかってくるがいい」
ナハトは一度両手をパンと合わせた。
同時にデュランの拘束が解ける。
「私の名はナハト。ナハト・シャテンの名において、お前の思いを受けてやろうではないか」
ナハトは構えることなく、その背にアイシャを置いて、デュランを見る。
ナハトの姿勢はかつてのものではない。
かつて、PVPに望んだ、真剣で、必死で、暑苦しく、時には命がけだった、あの時とはまるで違う。
だが、気持ちは少しだけ同じだった。
不思議な高揚感が胸にあった。
真剣さを求めるデュランの意思がそうさせたのだろう。ナハトは面白そうにデュランを見た。
「ああ、感謝する」
デュランは腰を低く構え、大剣を握る。
デュランの生涯において最も強大な敵が今、目の前にいた。
であるならば、放つ攻撃は生涯において、最強の一撃でなければならないだろう。
上段に構えた剣をさらに上げる。瞬動と身体強化に支えられた体が幻影を残しながら動いた。細胞の一つ一つが一体化するような錯覚が体にはあった。いつしか剣は己の一部となって、今か今かと、決戦の時を待っていた。
刹那の静寂――
早鐘のように鳴る心臓が清流のように静まって、トクン、と一度なった瞬間。デュランは本能が命じるままに動き出した。
山を割り、地を削る一撃を今――
交錯は一瞬だった。
デュランの瞳にナハトの姿が映ることはなかった。
ただ剣を振り下ろした瞬間にナハトの姿が消えた。
――キィィィイン。
と、そんな音が時を止めた。
受け継いだ刃が悲鳴を上げ、空しく地面に突き刺さる。
デュランの手に残った感触は、金属の山脈を切りつけたかのような痺れだけだった。
デュランの意識がまだ存在しているのはナハトの恩情に他ならない。
ナハトがその気ならば、そのまま首を落としていたことだろう。
「種族技能龍爪――龍技、神龍一閃――」
「ははっ…………」
感嘆と賞賛に後押しされて笑みが零れる。
「――確かに戦ったぞ? これで満足か?」
物理とは言えデュランに対してナハトは使う必要のない、最上位スキルを使用したのだ。
それは、彼の心意気を買った、ただの気まぐれである。
竜の威圧を乗り越えたご褒美とも言える。
「ああ……ありがとう……俺の負けだ――」
見えたのは一瞬の影。
幻影のような姿だけ。だが、それで十分だった。
まるで、踊っているかのように軽やかで、光のように速く、稲妻のように激しい、一撃。
それはデュランが追い求めた、美しくある力そのもの。
誰が見ても、その有様を馬鹿にできない、真の力だ。
血を浴びようと、何人を切り殺そうと、賞賛するであろう芸術だった。
そんなものを見せられれば、もう、デュランにできることは何もなかった。
「好きにしろ」
デュランは敗者として全てを差し出そうとした。
命を奪われようが一向に構わないと、そう言ったのだ。
しかしナハトは露骨に顔を顰めるだけだった。
そして簡潔に一言。
「いや、おっさんとかいらんし」
「なっ、俺はこれでも二十代だぞ……」
「え…………全然見えない……」
デュランは持ち前のごつい体に、生やしっぱなしの無精ひげのせいで、全然全くこれっぽちも二十代に見えない。
「見えないです……」
追従するアイシャもナハトに同意のようだった。
「いっそ……殺せ……」
素直に心の内を吐露しただけなのに、何故か愕然として膝をつくデュランは先ほど戦いに敗れたときよりも悲壮感を感じた。




