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旅立ちに向けて

「魔大陸に殴り込みと洒落込もうじゃないか!」


 そんな、ナハトの言葉を聞いて、最も取り乱したのはフィルネリアであった。


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと、待ってっ! お願いだから待って! 私たちは貴方と敵対する気はない! というかしたくない、絶対! な、何が目的なの? 賠償金っ!? は、払うから、言い値でいいから!」


 必死の形相、とはまさに今のフィルネリアのことを言うのだろう。

 それほどまでに、取り乱したフィルネリアはナハトへと駆け寄る。

 無理も無い。先の戦い一つを見ても、ナハトが持ちえる力は下手をすれば魔族全体を滅ぼして余りあるほどだとフィルネリアは確信していた。

 対抗できる人物と言われても、魔王様くらいしか思い浮かばない。今となっては伝説の中の人物、災禍の魔王や初代勇者を想像させる化物。それがフィルネリアから見たナハトである。 

 

 それに、魔族は皆、短気で好戦的だ。

 余所者のナハトが大きな顔をしていれば、絶対に喧嘩を売る馬鹿が湧く。

 そうなれば、いったいどれ程の被害が出るのか。そして、その責任を取るのはフィルネリアになるだろう。


「…………ほんと……かんべんして……ください……グスッ……な、なんでもしますから……ほんとに、なんでも……私、サキュバスだし……」 

 

 フィルネリアは涙すら浮かべながら言う。

 必死の懇願にナハトは笑む。


「そう心配するな。なにも喧嘩を売りにいくわけじゃない。普通にお話するだけさ、あの人の子に、私も会ってみたいからな」


(それが問題だって言ってんのよっ!!)


 だが、ナハトの口調は最早決定事項を話しているように思える。

 フィルネリアにはなんとか現状を覆そうと妥協案を提示してみるが、ナハトの瞳はキラキラしたままである。

 やがて、エルフたちへの取り決めもなされ、ナハトが魔大陸に渡ることがほぼほぼ決定してしまっていた。


 エルフ達との取り決めは凡そ以下の通りだ。

 その一、魔族は半年を目安にエルフの里より退去する。

 その二、百五十人の魔族の捕虜には正当な対価を支払う。

 その三、退去にかかるまでの時間エルフは魔族たちへの支援を行う。

 その四、一部遺留品などを除いて、魔族軍の物資はエルフたちのものとなる。

  

 話が纏り、そろそろ解散になろうかとするそんな時。交渉の間、ずっと沈黙を保っていたジンが口を開いた。


「一つ、頼みたいことがある」


「はて、何かな副官殿?」


 グレイスの言葉に、ジンは頭を下げた。


「大将の角を渡して欲しい」


 魔王軍の大将であった大妖鬼、ガイルザーク・フォン・クリムゾン。仮面の魔導師の重力魔法に晒され、遺体の損傷は激しく、ナハトがすぐに魔法で埋めて弔ったが、鬼の力の根源と言っていい角は、ガイルザークの命が失われてなお、猛々しい輝きと共にあった。


 今は、戦利品の一つとしてエルフたちの手にある。

 素材としてみれば、超一級品であることは間違いない。魔物から魔族へと進化し、鬼として頂点に昇ったガイルザークの角。もしも武器にできるのであれば、どれ程のものになるか、フィルネリアには想像できなかった。

 

 人間が魔物や魔族を狙う理由には、その体が素材となることが一番に上げられる。だから人は、魔物や魔族を親の仇のように敵視する一方で、討伐すれば利益になる獲物として執着する。


「ちょ、ちょっと――」


 だからこそ、戦で亡くなり素材と化したそれらは返還すべき物の中に入っていない。それは人から戦利品を奪い取る行為に等しいから。遺留品の返還にガイルザークの角を求めることは、最大の戦利品を無条件に返せ、とそう言うに等しい。


「分かってる。無茶言ってることは、わかってんだ。だが、あの人の生きた証を、届けたい人たちがいる。あの人に、相応しい場所がある。だから――」


 ――頼む


 と、ジンは地に伏して、頭を下げた。


「ふむ。ジン殿の仰ることは分かりました。わしとしては、将来にまで禍根が残りそうな遺品に関しましては返還すべきだと思っております」

 

 世界樹の恩恵を受けるエルフの里はそれ一つで完結している。金銭や価値のある鉱物が必要かと言われれば首を傾げるであろうし、魔物の素材がどうしても必要かと言われればそうでもないと答えるだろう。

 

 一呼吸おいて、グレイスは続ける。


「ですが、あれほどの素材を無条件に手放すというのは、命を賭して戦った同族たちへの対面が悪いというのもまた事実なのです」


 ガイルザークの角にどうしても執着する理由は存在しない。だが、あれは誰の目にも分かる戦果として残ってしまっているのだ。

 グレイスの言葉を聞いて、それでもジンは激しく頭を下げた。


「そこをなんとか、頼む! 俺様にできることなら何でもやる! 素材が欲しいなら向こうの大陸で危険指定種や災害種を狩ってきてやる。だから――」


「ほっほっほ。話は最後までききなされ――ただ単純に手渡すのは良き選択でない、とそう言っているのじゃ」


 そう言って、グレイスはナハトを見た。

 ナハトはそれだけで、グレイスの思惑を察していた。


「…………?」


 だが、根っからの脳筋であるジンにはどういう意味なのかがまるで分かっていないようだ。


「では、その角は私が貰おう」


 と、ナハトが言う。

 ナハトが先の戦で齎した成果は誰しもが納得するものである。

 であれば、ナハトが褒賞として角を貰った所で誰も文句は言わないだろう。


「うぉおおいっ! ちょ、ちょっと待ってくれ――!」


 慌てるジンにナハトは笑った。


「だが、私はこんな物を貰ったところで、まるで使い道など無い。欲しいならくれてやるぞ、ジン」


「へ――は? え、どういうことだよっ!」


 理解の及ばぬ状況に戸惑うジンにフィルネリアはため息を一つ。


「いいから、あんたはそれ貰えばいいの……はぁ……でも、人前に出しちゃ駄目よ。でも、ほんとにいいの……?」


「問題はない。私は既に報酬を貰っているし、一番の報酬は私のもとにある」


 ナハトは確信を持って笑う。

 そんなナハトの言葉の意味を、フィルネリアは図りかねたが深く追求する必要もなかった。

 

「そう――じゃあ、そろそろ私たちはこれで…………」


 と、そう言ってフィルネリアとジンは去っていった。

 静けさを増した部屋で、グレイスがお茶をすすった。

 ことん、と机に置かれた湯飲みが静寂を破る。


「一番の、報酬ですか――」


 ナハトは寄りかかる娘を優しく抱きながら、頷く。


「ああ、誰が、なんと言おうと、これはもう決定事項だ」


「…………わしらは、長き時間の中で族長様に頼りきってしまっていたのかも知れませぬ――次代を決める頃合ですかな――」


 そう口にしたグレイスは、寂しそうな、そして儚げな瞳をしていた。

 

「そう寂しそうにするな、グレイスよ。ここがシュテルやアイシャにとって大切な場であることは何一つとして変わることはない。すぐにまた、帰って来るさ――今度はアイシャの母を連れて、な」


 そんなナハトの言葉に、グレイスは笑った。


「ほっほっほ、ではわしも老い先短い命を繋がねばなりませぬな。貴方がこの場を訪れてくれたおかげで、長く陰っておった里に光が射したようですじゃ――ナハト殿――」


 グレイスは静かに頭を下げた。


「――感謝を」


 老人の謝意に、ナハトは楽しそうな微笑を返した。












 エルフの里を去るとなれば、当然のように別れがある。

 その中でも、取り分け大切な我が家の愛玩動物は、暖炉の傍でのどを鳴らしていた。

 ナハトが毎日欠かさず整えている純白の毛並みは、ふわふわとしていて、極上の絹のような肌触りがあった。

 そんなタマに寄りかかるようにして、シュテルが柔らかな寝息を立てている。

 タマとの別れを感じたシュテルが何時も以上にタマと遊んだ結果であった。


「お前も随分と馴染んだものだ」


 苦笑と共にナハトは言う。

 ナハトの魔力で躾けただけあって、アイシャやシュテルには絶対服従の獣は、最早獰猛な虎ではなく、ただの愛らしい猫であった。

 そんな猫が、こうしてシュテルやアイシャといることに違和感を感じないほど、タマはナハトたちの生活に溶け込んでいた。


「明日になると、タマともお別れですね……少し、寂しいです…………」


「にゃおん」


 アイシャの呟きに答えるように、タマが鳴いた。

 タマをナハトの旅に連れて行くかどうか、ナハトは最終的な判断をタマの意思に委ねた。

 実際、連れて行こうと思えば様々な問題があるのは間違いないが、方法自体は存在する。普段は共に行動し、街中などに入っている間は動く家サブホームに入れておけばタマと一緒に行動することは十分に可能だ。


 だが、すっかり猫化したタマもあくまで野生の獣であり、普段は森の中を走り回り狩りに勤しんでいる。

 ふと気がつけば数日森の中に篭る事もあるタマはまだ成体ではないのだ。きっと、親元に帰る時があるのだろう。

 だからこそ、慣れ親しんだ森を離れることはそれだけでストレスになるであろうし、この場所を離れることもタマは望んでいなかった。

 

 それにタマを残していくメリットもある。

 手薄になったエルフの里を守る上で、タマは十分な戦力と言えるだろう。


「そう寂しそうにするな、アイシャ――すぐにまた会えるさ」


 タマを連れて行くことがアイシャの願望であったとしても、無理にとなればアイシャ自身がその選択を望むはずもない。

 アイシャの母を見つけて、またここに帰ってくるのが一番良い選択なのだろう。

 

 しんみりとした空気の中で、暖炉の火が淡く揺れる。

 ナハトは座り込むタマに手を翳した。


「にゃおん?」


 疑問符を浮かべるタマにナハトは言う。


「私たちはまたここに帰ってくる――故に、この場所を守るのはお前の仕事だ、タマよ」


 深い知性を宿す双眸がナハトを見返す。


「それなりに頼りがいが増したとはいえ、駄目っ娘エルフだけでは不安だからな、ついでに里のほうも守ってやれ――――というより、この程度の小さな森、お前が掌握してしまえ、その程度、私たちのペットならば容易いだろう?」


「ああ、もう、またナハト様はむちゃ言って――別に無理しなくていいですからね、タマ」

 

 アイシャとナハトの言葉、そのどちらに答えたのか、定かではないが、


「――にゃおんっ!」


 タマは力強くそう鳴いた。


「お前にも、家族の証をやらねばな――」


 そう言って、ナハトはタマに翳した手から黒い魔力を微かに注いだ。

 純白の毛並みに隠れる、黒い縞が少しだけ強くなる。

 と、同時に愛らしい肉球を持つ手の甲に黒い紋様が刻まれた。深い夜を体現する暗闇の縞。それは、見様によっては竜の鱗のようにも見えた。


 アイシャたちのように特別な技能スキルを使ったわけではない。少しだけ魔力を刻んだだけだ。だから、特別な効果を持つわけではない。

 だが、今この瞬間に、タマはナハト一家の一員となったのだ。


「――お前の成長にも期待している、次に会う時を楽しみにしているぞ」


 エルフの里に一匹の獣が住み着いた。

 誰に靡くこともない獰猛な獣、魔力を纏いし白き虎。

 そう思われていた虎は、何故か猫のような鳴き声を上げ、いつの日も里を見守るように徘徊する。

 そんな獣は、何時しか里のエルフたちに守護獣様と呼ばれだすのであった。

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