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舞台裏の戦い

 光の魔力を帯びた魔石が、深い闇を微かに照らしていた。

 ライン大聖堂は東西でおよそ一キロ、南北で一キロ半という小規模な都市としては圧倒的な敷地面積を誇る巨大建造物であった。一般向けに解放された聖堂の裏には、神事に纏わる様々な建物がある他に、神聖国からの要人を招き入れる豪奢な宿泊施設も存在していた。


 宗教的装飾がなされた建造物の数々は、まるで貴族の邸宅が立ち並んでいるようにも見える。

 こんなものが幾つも平然と並んでいるのだから、宗教が稼ぎ出す財力は凄まじい。


「あれが第一貴賓館なのですよ。お星様はあそこなのです」


「場所は?」


「一階の寝室か、二階の執務室か、この時間帯ならおそらくは後者なのですよ。二階への侵にゅうは私がやるのです、デュランしゃまは念のため一階のほうをお願いいたしますです」


「了解した」


「ではでは、ハイエースでドナドナなのです」


「なんだそれは?」


「さあ? 昔魔王しゃまが言っていたらしいのです。誘拐のじょう套句らしいのですよ」


「物騒な言葉だ」


 そう言って、デュランたちは二手に分かれた。

 兵の目を掻い潜って、デュランは敷地内へと侵入する。門番や巡回の兵はいるようだが、その技量は一般的な兵士のレベルでしかない。


 隠密は決して得意とは言えないが、ミナリアやレシアを見て、真似たデュランのそれは最早プロが扱う武技アーツの領域に達している。一般的な訓練しか積んでいない兵士に見つかるはずがなかった。

 自然と調和し月明りに映える噴水を抜け、貴賓館の壁で息を潜める。

 

(正面突破でもいいが……得物が少々頼りないな)


 周囲の息遣いや魔力を鋭敏に察知し、人気のない場所を探る。

 そうして辿り着いた一室の窓に向かって剣を向け、声もなく一閃。抜き放たれた剣が目に見えぬほどの速度で振り抜かれると同時に、薄いガラスに線が走る。


 そして微かにずれ始めるガラスをくり抜くと、デュランは誰に悟られることもなく貴賓館へと侵入を果たした。


(さて、寝室はこの位置からだと左奥か)

 

 事前に手渡された資料から、建物の内部構造は頭の中に叩き込んである。

 順調に行けばこのまま見つかることもなく事を終えれそうだ、とデュランが思ったその時であった。


「っ――!」


 深い闇の奥から黒いナイフが凄まじい速度で飛来した。

 デュランは咄嗟に半身を逸らして回避すると同時に、深い闇の中へ視線を向ける。


 目の前にいた、なにか、は恐らく兵士ではない。

 全身を黒いローブで蔽った小さな人影はまるで子供のようにも思える。が、飛来したナイフ一つとっても生半可なものではなかった。壁に突き刺さったナイフは黒い靄を発して、壁を腐食し、蝕んでいるのだ。


「随分と物騒な……」


 レシアやミナリアほどではないが、デュランは自身の技にそれなりの自信があった。

 それがこうも容易く察知されるということは、これがレシアの言っていた精鋭たちなのだろう。


「シンニュウシャ……ハ…………」


「コロス……メイレイ…………」


 酷く機械的な声がローブの奥から響くと同時。黒ずむローブの裏から零れ落ちるように取り出された新たな刃がデュランに迫った。

 人らしからぬ声や、不自然な動きに疑問を抱くよりも先に、身体は回避行動を取っていた。


「むっ…………」


 一息で距離を詰め、振るわれる刃。その動き、特に足捌きは素人のような歩法であった。

 振るわれた刃もまるで熟練していない。

 そのくせ、速度だけは尋常でなく速い。何時かの氷帝を彷彿とさせるレベルである。


(なんだ、こいつら…………)


 肉体能力の限界を突破しているような速度に、技量のほうがまるで追いついていない。単純な肉体能力だけならば、この二人はAランク冒険者にも匹敵するだろう。だが、その実振るわれる剣技はデュランからすれば子供が刃物を振り回しているようなものである。


(問題は武器のほうか……)


 黒ずみを幾度となく漉したかのような刃は呪詛の塊なのだろう。

 掠るだけで負に侵された魔力が体を蝕むであろうし、打ち合えば得物はあっさりと腐敗する。

 だからこそ、酷くちぐはぐな印象の連撃をすれすれの所でデュランは避け続ける。


 まるで嵐のように降り注ぐ二者の剣撃。だがデュランはただ回避に専念しているわけではない。

 人の放つ攻撃にはリズムがあり、生き物のような息遣いがある。それはどれ程練熟した達人であろうと、剣を持ったばかりの素人であろうと変わらず存在しているものだ。長年戦場に身を置き、何千、何万の実戦経験を持つデュランは酷くちぐはぐで統一性のない動きでさえ、その根幹を容易く読み解く。


 今、まさに目の前で振り下ろされようとする黒い刃。触れることさえ許されない狂刃から今まで引いていた足を下げず、デュランは先んじて踏み込む。


「カハッ!」


「カッ……」


 刹那の間に二閃。

 全力で振るった剣は何か硬質な手応えを残すものの、小さな体を数十メートルは吹き飛ばした。 

 地面を転がり、壁にぶつかるまで吹き飛んだ人影に打ち込んだ斬撃は間違いなく胴を両断する一撃であった。

 にもかわらず、吹き飛ばされた人影はピクンと痙攣すると、壊れた人形のような挙動で立ち上がる。

 

(やはり、普通ではないな……)


 デュランは油断なく剣を構えるが、奇怪な体に打ち込んだ刃がほんの少し欠けていた。


「……ハイシンシャ、ニ…………」


「……カミ、ノ……サバキヲ……」


 蠢くなにかが声を上げる。

 すると、瞬く間に黒い斑模様が地に広がった。


「なっ!」


 可視化できるほどの暗い呪詛。

 それが、手に持つ武器からではなく、二人の体から吹き上がっていた。

 影が一歩踏みしめて迫るそれだけで、避けようのない負の魔力がデュランへと襲い掛かる。


「くっ……」


 目の前が真っ暗になる、そんな言葉が現実のものとなる。

 そして世界は、黒、に覆われた。















「さ~て、さて――デュランしゃまがいい感じにおとり……もとい、陽動をこなしてくれているうちに、さくさくとお仕事を終えるのですよ」

 暗闇に紛れレシアは歩く。

 ただ己の屋敷を歩くが如く、自然に、廊下の真ん中を闊歩してなお、誰一人としてその存在に気がつくことはない。


 月明りが微かに光を運んでいた。そんな薄暗い一室に影が降りる。

 扉は開かず、音は鳴らず、それでもその声はただ響いた。


「こんばんは、なのですよ~」


 広い、と言えるだろう執務室は紙束の山で覆われていた。

 カリカリと走る筆の音に重なって、レシアの声が響く。


「ふむ、来客の予定を入れたつもりはないが、あえて言葉を発するとすれば――ようこそ、よくきたな、とでも言うべきか――最も歓迎はしないがな」

 暗がりから男の声がした。


「これはまた、意外でございますです。驚かないのでございますね」


「いいや、十分に驚いている。これでも私は私の価値を正確に把握している。故に、こうなる可能性を想定はしていたが、現実になる可能性は一割にも満たないと思っていたのだ」

 低く、暗い声だった。

 その声は、暗殺者と呼べるであろう存在を前にしてなお、微塵も動揺が感じられない。

 

「想定していたなら対策をすべきだったのではないのですか?」


「残念だが私にできるであろう全てを行った。仮初の指揮権では二人を引き抜くだけでも相当な労力なのだよ。それに、あれでも神聖騎士セイクリッドナイツだ、それで十分だとも思った。どうやら見通しが甘かったようだな――お前はこうしてここにいる、それが全てだ。して要件を聞こうか、暗殺国家ソーラスの刺客よ?」

 その男はレシアを見る。

 言葉の平坦さと合わせて一層不気味な、暗い目が闇の中からレシアを覗く。

 七聖と言えば、神聖国でも政治、祭事を掌る最高位の重職である。そのイメージは煌びやかなものであろうが、目の前の男はまるで違う。薄暗く、陰険としていて、どこか不気味。そんな印象を持つ男であった。


「今、ここで、こうして貴方と話すことが一応の目的なのですよ」


「ふむ、具体性に欠けるな」


「では、用件を伝えましょうか。貴方に表舞台から消えていただこうかと」


 レシアの声は酷く冷たい。

 まるで氷の刃を突きつけているかのように。


「物騒だな、生憎と私はまだ死ぬわけにはいかない」


 手元にあるのだろう魔道具へと僅かに動こうとしたルドワルドの手がピタリ、と止まる。

 

「――抗えるとでも?」


 幼女から発せられたとはとても思えない冷たい音色だった。

 同時に物質化したかのような濃密な殺気が部屋を満たした。

 思わず、呼吸が止み、体が意思とは関係なく活動を止める。細胞の一粒一粒が恐怖に晒され、支配されているかのように。

 そんな中でのどだけが震える。


「抗うさ、それが人間だ」


 レシアは愉快気に笑い、息を吐く。

 張り詰めた空気が一瞬にして霧散した。


「随分と立派なことを言うのでごございますですね、金の亡じゃが――」


「否定はせん、金は人生の全てだ。世界中の九割九分九厘の人間は金に縛られて生きている。だからこそ、金は薄汚く、血に塗れ、なお輝く。その輝きは、美しいと思わんかね?」

 

「人のしゃく度から久しく離れた私に同意を求めるのは無謀なのですよ――それに、お金はしゅ段であって目的ではないのでしょう?」

 そのレシアの言葉を聞いて初めて、能面のようなルドワルドの顔が微かに歪んだ。


「さて、どうだろうな……だがまあ、金の力が効かぬ相手は私の領分ではない――一応聞いておこうか、寝返らんか。金を積むぞ」


 レシアは笑う。

 酷く呆れたように。

 口元だけが微かに笑うが、その瞳に光はない。

 歪んだ口元が悠然と告げる。

 何をバカなことを、と。


「――レシアが姫しゃまのもとを離れる時は、この命が消え果てる時でございますです」

 

 心酔という言葉さえ生温い、絶対的な音色が落ちる。

 心の奥底に落ちて、力強く反響した。

 

「ふ、まあ期待などしていないがな。こうなった次点で九割九分負けであろう。しかし――私の命に現状でどれ程の価値があるのか、参考までに聞かせて貰えぬかね?」

 ルドワルドは確かに財務という重要な役職を得ているが、布教の顔でもなければ武力の象徴でもない。代わりが効く程度の要人でしかないのだ。少しの間は混乱もするだろうが、一段程度下の人材ならば代わりを用意できるはずだ。

 

 では、今現在討伐に動いている黒の騎士を止めるカードにルドワルドがなるのか、と問われればこれもまた首を傾げる。イルミーナは弱者に決して従わない。ルドワルドの命などあっさりと見捨てる可能性さえあるだろう。 

 仮に、この場でルドワルドを殺したとして七国が得る利益も殆どない。それどころか、七国内での七聖の暗殺ともなれば、本国が重い腰を上げる危険さえあると言っていいだろう。だからこそ、ルドワルドはレシアの真意を量ることができていないようだった。

 

「ご安心を、すぐに理解できるでしょう――最も、この先の選択肢を間違えなければの話でございますが」


 再び、緊張が場を埋める。

 一瞬の沈黙。


「――聞こうか」


 レシアはゆっくりと口を開く。


「と、言っても繰り返しなのですよ――貴方には一度消えて欲しいのでございますです」


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