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宗教国家クラーリス

 宗教国家クラーリスが首都、ラインセルにデュランたちが辿りついたのはソーラスを出て五日ほどたった正午であった。

 白で統一された堅牢な外壁が離れた場所からでもすぐに目に入る。当然ながらそこには立ち入りを監視する検問があった。

 そんな検問所にたどり着く前に、レシアはそっと声を発した。


「では手はず通り私は別行動いたしますです、皆様はしょう会のほうでのんびりとしていてください、なのです」


 そう言った声だけが取り残されて、いつの間にかレシアは消える。

 流石はミナリアの片腕である。デュランでも本気で隠れ潜んだレシアを捉えることは至難の業であった。


「いいか、くれぐれも大人しくしていろよ、お前等」


 貴族のようなドレスを着込むクラウディアと偽装を兼ねるというメイド服に身を包んだネロにデュランはもう何度目になるか分からない忠告を飛ばす。

 クラーリスは人間至上主義を掲げる選神教を強く信奉する国だ。獣人であるネロの耳や尻尾は隠す必要があるし、デュランも護衛として目だつことのない格好をしている。

 デュランの名はそれなりに有名ではあるもののその顔まで正確に知る人間はごくごく一部だけである。やはりどちらかと言えば、獣人であるネロや元王女であるクラウディアのほうを心配すべきだろう。


「問題ありませんわ、これでも私はれっきとした王女だったのです、令嬢の振りなど朝飯前ですわ」


「ぶぅー、おじさん心配しすぎ。ネロだって盗賊さんだよ? 演技も芝居も一人前だもん」


 そんなことを言う二人だが、正直普段の行動からして信用は皆無である。

 今回、クラーリスに入るにあたってデュランたちが利用している肩書きは商人であった。

 と、言っても即席で作ったものではなく、もう七十年以上も昔に発祥した老舗と呼べる商会の肩書きを得ているのだ。シドニスに本拠を構え、クラーリス、エリジア、ソーラス、と西側陣営に近しい場所で商いをするハイリア商会の一員としての証明をデュランたちは持っていた。

 レシアが言うには、


『こと七国に至っては、姫しゃまの耳が入り込めない場しょは存在しないのでございますです。人間とは違って数百年、数千年単位で私たちは影を潜めているのでございますから』

 

 だ、そうだ。

 まさしく、発想のスケールが違った。

 

『有名どころを上げるなら、学じゅちゅこっ家の知恵袋と言われる七百年を生きるエルフの賢じゃは姫しゃまの眷属でございますですし、ギルガンの名工レラも眷属なのですよ。他にもいっぱいいますですよ? 数世代をかけて住み込んで貰った住人もいますし、七国内だけであれば選神きょうの一部も姫しゃまの手は入っていますです』


 聞いているだけでぞっとする話である。

 暗殺国家は裏からも、表からもその手を伸ばし続けていたのだ。


『選神きょうの本国はきっとこんな辺鄙な場しょ、そうじゅう要視はしていないのでございますです。金儲けに熱心な財務に関わる方や兵器開発に携わる方、奴隷に執ちゃくを持ちゅ一部の要人にとっては手放し切れない場しょでございますでしょうけど』


 だから、選神教は表立って軍事介入をしようとしない。

 紛争だから、という表向きの理由は最早誰も気にしてはいないだろう。

 滅ぼすことも、統治されることもされぬまま、ただ混乱をよしとする現状がここにある。


『まあ、それももうすぐ終わりでございますです。今の内に精々笑っていやがれ、なのです』


 そう言っていたレシアの目は恐ろしく冷たかった。


(さて、くれぐれも大人しくしていてくれよ……)


 そんなデュランの心配を他所に、声がかけられる。


「止まれ!」


 選神教の紋章である神の剣。世界を切り分けたとされる白銀の刃が人の道を指し示す、そんな紋章が刻まれた装備を身に纏う衛兵がデュランたちを引きとめた。


 馬車はがたり一揺れすると動きを止め、衛兵が手続きにやってくる。

 と、言ってもデュランたちが対応するわけではない。商会員となっているミナリアの影がいつものように商人として対応しているのだ。


「荷を改めさせて貰うぞ、貴婦人用の馬車も一応確認させていただく」


 そう言って、荷を検めた衛兵はネロたちのいる馬車の中を覗き込む。

 衛兵が馬車の中へと立ち入ったその時、クラウディアは思わず見惚れるような微笑と共に、小さく会釈をしてみせた。


 それにつられてか、衛兵も静かに頭を下げる。

 一方でネロは静かに佇んだまま、微かに衛兵に視線を向ける。

 その様は、主人の身を案じる従者の姿そのものである。

 そんな二人をまじまじと見る衛兵にクラウディアが優雅に笑う。


「そんなに見つめられると……照れてしまいますわ……」


 頬染め、微かに視線を逸らして、恥ずかしそうにそう口にするクラウディアはまさに別世界に住まう令嬢であった。


(いや、誰だ、お前は……)


 クラウディアに見惚れるあまり作業が進まぬ衛兵に、今度はメイドとなったネロが言う。


「騎士殿、職務に忠実なのは大変結構なのですが――慣れぬ男性が傍にいるとお嬢様はどうしても緊張してしまうご様子、手早くお願いいたしますね」


 などと、子供のネロからは信じられないほど繕われた声が零れる。

 その言葉は、佇まいは、教育を受けた侍女のもので間違いがない。


(いや、だから、誰だ、お前は…………)


「はっ、確認いたしました」


 デュランの予想に反して、問題は何も起こらず、あっさりとラインセルに侵入することに成功した。

 馬車はゆっくりと石畳の道を渡り、街の中央へと進んでいく。


「うまくいきましたわ」


「うまくいったねー!」


「……うまくいった、だと…………」


 喜色溢れる笑みを浮かべるネロとクラウディアとは対照的に、デュランは呆然と呟いてしまっていた。

 正直な所、かならず何かやらかすと思っていたのだ。少なくともデュランは一戦交える程度の覚悟はしていた。


「むぅー、おじさん失礼だよ! 頑張ったネロにご褒美をあげるべきなのだ」


「騎士様、そこのぺちゃぱいはともかく、私は当然の振る舞いですわ!」


「けんか売ってるの? 買うよ!?」

  

「いい度胸です、どこからでもかかってきやがれ、ですわ!」


「静かにしろっ!」


「ふにゃっ……!」「はぅっ……!」


 頭を抑えうずくまる馬鹿二人に、デュランは折角上げた二人への評価を再び落とすのだった。

















 クラーリスには国王の住まう城以上に優美で、鮮やかな建造物が存在する。

 純白の壁面には天上の世界を象るが如く精緻な意匠が凝らされており、至る所に装飾された魔石の光が建物の存在をより幻想的に仕上げていた。鮮やかなステンドグラスは神話を描き、差し込む光さえもがどこか神々しく見えてくる。

 それこそが、この街の中心とも呼ぶべきライン大聖堂である。

 一般向けに解放されている聖堂では、神の教えを伝えたとされる使徒の祭壇に向かって多くの者が祈りを捧げる姿がある。

 人々は日々の生活の中で教えを請い、祈りを捧げ、神に縋っていた。


 そんな世界の裏側で、一人の男が息を吐く。


(――無謀だろうな)


 吐き捨てた息は酷く重い。

 ルドワルド・カルロールは自覚している。

 自分が商才以外においては凡愚でしかなく、七聖の中においても極めて平凡であることを、しっかりと自覚しているのだ。

 故に、今回言い渡された七国に住まうであろう魔族の駆除は、ほぼほぼ成功することがないとそう思うのだ。


 そもそも、七聖のうち半分は七国の情勢など気にもしていない。気にかけているのは外務を掌るアイリーンと財務を掌る自分、そして頭が大分イカれたあの研究者ぐらいだろう。

 神聖騎士団セイクリッドナイツでは手を下したことのある青と何故か首を突っ込んできた黒が辛うじて関心を寄せている程度だろうか。

 

(――先の魔竜紛争、王国とエストールの衝突、二つの異変の裏にあるだろう魔族の影――教皇聖下は不穏な動きを警戒しての決定であるのだろうが、明らかに無謀であるな)


 間違いなくはずれ籤を引かされたのだろう。

 成り上がりで、新参者で、一応は七国に詳しいであろう自分があまり物のように選ばれた。


 戦力としてならば太刀打ちはできるだろう。

 何せ、黒の騎士が率いる神聖騎士団セイクリッドナイツの一団が既に七国に潜入しているのだから。

 七国を一国家としてみたとしても、黒の騎士がいれば些か過剰戦力にさえ思えてくる。


 だが、問題はそこではない。

 七国の異常性は異質なまでに統制され、秘匿された情報にこそある。

 宗教を掲げる選神教が情報戦においてまるで歯がたたない。信徒の数だけ我らが持つ耳があると言えるにも関わらず、七国で知りたいことがあれば暗殺国家の影どもを頼ったほうが早いという。

 

 ふざけた話だ。

 だが、非常な現実が目の前にはあった。

 ルドワルドも七国での商売においては専ら暗殺国家に頼りきっていた所がある。シドニスにおけるクーデターの際に購入した情報も彼らが齎したものだ。


(不利益は事前に回避した、だがあれも恐らく誘導がなされていたのだろうな)


 選神教の介入を受け続けているにも関わらず、曲りなりにも多種族国家が息を引き取らずにいる現状は、裏で何者かが糸を引いているからに違いない。


(ミナリアか、さていったいどのような化物なのか)


 名前だけが一人歩きしている七国の闇。

 まず間違いなく選神教の最大戦力の一つと言える黒の騎士と比べてどちらが優位に立っているのか。

 少なくとも武芸はからっきしなルドワルドが推し量れるものではない。 

 自分にできることはと言えば、商売であり、財務であり、内政である。


(露骨な挑発に関与してくるか、それとも黒の騎士が足取りを掴むか、どの道仮初の指揮権では悩むだけ無駄というものか)


 せっかく混乱した戦場にいるのだ。

 すべきことは金儲け、それだけである。

 そう思考を打ち切ると、男はただ黙々と積み重なった書類を捌いていくのだった。 

 

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