新たな依頼
剣を振るうときはいつも、あの日の記憶が蘇る。
母を襲う盗賊の首を斬り落とした瞬間が、脳裏から離れてはくれなかった。
母の手が好きだった。
微笑と共に、頭を撫でてくれた母の手が好きだった。
父の手が好きだった。
村を歩くとき、いつも手を握ってくれた父の手が好きだった。
力を持つ者に対して人が抱く感情は大きく分けて二つある。
憧憬か、それとも畏怖か。
両親や村人たちが抱いたのは後者だった。
何の変哲もない村の少年が、凶悪極まりない盗賊数十人を血に染めたのだ。
奇異に映るだろう。
異常だと認識するだろう。
人は常識に縛られて生きている。だから、そこから外れたものは忌避され、除け者にされ、排除される。
だからだろうか。
戦いの中に身を置いたのは。
強くなろうと思ったのは。
何者にも屈しない力が欲しかったのかもしれない。目の前に立ちはだかる全てを押しのける強さが生きるために必要だったのかもしれない。
「――ふっ」
短い呼気を吐き出すと共に、大気に浮かぶ残影にボロボロの大剣を振るう。
空気の層に断裂が走る。そんな刹那的に生じた切れ目が塞がるよりも早く、二度目の斬撃が放たれる。人一人と同程度の重量を持つ得物を振るっているとは思えない鋭さだった。
剣閃は分裂したかのように残像を残して、何度も、何度も、何度も、何度も、大剣は空を斬る。
「ちっ――」
当たらない、どころか、掠りもしない。
相対しているのはあの日見た化物だ。
デュランの造り出した幻影は、実物よりも数段遅いはずである。
できるだけ強く、できるだけ速く――その姿を思い描いているがそれでも本物は想定の遥か上にいるはずなのだ。
デュランの渾身の振り下ろし、叩き潰すが如く振るわれる斬撃の合間を潜りぬけた幻影が――
「ぐっ、――しまっ」
――喉に爪を突き立てていた。
デュランはゆっくりと全身を弛緩させ、極限の緊張を解いていく。
「おじさん、凄いね! ぴゅんって、ぴゅーんって、すごーい」
傍で見ていたネロが頭の悪そうな感想を漏らす。
「ネロにもできる? おじさん教えてー!」
「知らん――それに俺の剣は我流だ、教わるならもっとちゃんとした剣術を学べ」
「ふーん。でもネロは盗賊さんだから、おじさんみたいなおっきな剣はいらないや」
「おじさんじゃない、お兄さんだ……はぁ、じっとしてろと言ってるだろうが、危ないぞ……」
「でもでも、おじさん汗かいてるよ、ネロが拭ったげるね」
「こら、服で拭おうとするな、せめてタオルを使え、タオルを……」
ぴょこぴょこと飛び回るネロに、デュランはため息を一つ。
軽く汗を拭っていると、かすかに人の気配がした。
「――ネロしゃま、デュランしゃま、ちゅうしょくの用意ができてございますですよ、姫しゃまもお待ちなのでこちらへどうぞなのです」
舌足らずな声のするほうに子供が立っていた。
十歳と言っていたネロよりもさらに一層幼げに見える幼女が特注であろうメイド服を着こなしてネロとデュランに声をかけてきた。
「子供だぁー、ねぇねぇ、おじさん。子供がメイドさんしてるよー! ネロもあれ着てみたい!」
ネロはそんな彼女にいとも容易く騙される。
「見た目に惑わされるなよ、レシアは俺よりも遥かに年上だぞ、たしか――ぐふっ」
わき腹に細い手が突き刺さっていた。
子供の力と侮ることはできない。まるで筋骨隆々な大男の拳を受けたかのような衝撃だった。
「あらあら、いやでございますですよ。おんにゃの子に年齢の話をしようだなんて――デリカシーに減点一なのです」
そう言って、メイドは軽やかに微笑む。
「使用人が客人に暴力を振るっていいのか」
こんなのでメイド長が務まるのなら、ネロにだってメイドはできるだろう。
「暴りょくなんてそんな、とんでもないのでございますです。メイドらしい愛きょうなのです。そんなことよりも姫しゃまが首を長くしてお待ちなのです、デュランしゃまは汗臭いので少し綺麗にいたしますです。家政婦魔法、洗浄――」
温かな風が駆け抜けると、デュランの身が清められる。
胡散臭い魔法名だが、その実体は絶妙に加減した火と風と水の混合魔法である。異なる属性に変換された魔力が絶妙に絡み合わなければ温かな風が吹くことはない。無駄に高度な技術であった。
案内されるままにレシアについて行くと、長大なテーブルに所狭しと豪勢な料理が並ぶ食堂へと通された。
「ふにゃあああああ! おじさん、ご馳走だよ、ご馳走! ネロ、こんな凄いのみたことない! 食べていいの、いいの?」
案の定、ネロははしゃぐ。
「駄目だ」「良いぞえ」
「うぇえええっ! どっちっ?」
「簡単に餌付けされるな」
「坊やは固いのぅ――久しぶりの再会じゃて、わざわざ贅を凝らしてやったのじゃ、好きに興じればよかろうて」
頂に座るミナリアが肩を竦めてそう言った。
「甘やかしすぎるとすぐに調子に乗るぞ、ガキの躾は最初が肝心だ。でないとお前やそこのメイドみたいになる」
「言われているぞ、レシアよ」
「言われていますですよ、姫しゃま」
幼女と少女が顔を見合わせる。
こいつらの唯我独尊っぷりがネロに伝染するかもしれないと思うと頭が痛くなりそうだった。
「まあ、座るがいいぞえ」
用意された席は四つ。
この場にいるのは四人だが、レシアは使用人なので除外される。
「王たちとの話は終わったのか?」
「無論じゃて。奴らもそれなりに忙しい身、飯も食わずにそそくさと帰りよったわ」
では、空白の席はいったい誰のために用意されたものなのか。
デュランが考えるよりも先に、答えは訪れた。
パン、っと勢いよく開かれた扉の奥から、ドレスを着込んだ少女が勢いよく入室してきたのだ。
少女の瞳が忙しなく動き、デュランの姿を映し出すと、じんわりと目元に涙を浮かべる。
「…………さまっ……!」
掠れる声が微かに響くと同時に、鮮やかなプラチナブロンドの髪を靡かせ少女は走る。
そしてその勢いに任せるままに、
「騎士様っ!!」
少女はデュランに飛びついてきた。
◇
「やっと、やっと――! お会いしとうございまいました、騎士様!」
柔らかな感触が伝わった。
小さく膨らんだ二つの果実がこれでもかと押し付けられる。そんな感触を楽しむまもなく、少女は腰に手を回して、一層強く抱きついてくる。
必死だった。
二度と放すものかという気概を感じる。
見れば、少女は泣いていた。
そしてそんな泣き顔が何時かの儚げな子供の面影に重なった。
「お前、シドニスの王女か――」
出会ったときは五六歳程度の子供だったが、今ではすっかり少女と呼べる姿になっていた。だから気がつくのに時間を要したのだ。
「まさかっ、お忘れになっていたのですか!? 酷いです騎士様っ! 私はずっと、ずっと騎士様をお慕いしていましたのに! なのにっ……気がついたら騎士様はいなくて、置いてけぼりにされた私の悲しみがどれ程だったか騎士様に分かりますかっ!?」
泣きながら、必死の形相で少女は抱きついてくる。
「それは……まあ、なんだ……悪かったな……」
「それに、私はもう王女ではありませんわ。今はただの、クラウディアですわ、騎士様」
「…………」
そんなクラウディアの言葉にデュランは沈黙する。
彼女が王位を失ったのはデュランのせいでもある。血の繋がりを持つ肉親を失ったこともシドニスでクーデターを決行したデュランに責任の一端があることは間違いない。
「あ、でも勘違いしないでくださいね。私は決して今の自分が疎ましいなんて思っていませんので。むしろ、王位なんて面倒くさいものがなくなってよかったなって、そう思ってます。だから、安心して下さい――」
クラウディアは両手を背に回したまま、デュランを見上げ微笑んだ。
「――これでなんの柵もなく騎士様と結婚できますから!」
なんて臆面もなくクラウディアは言う。
「――は」
「だめぇええええええええっ! そんなの駄目、絶対駄目っ! おじさんはネロのだもん、離れてっ!」
思わず、呆然としたデュランが何らかのリアクションを示す前に、ネロが勢いよく飛び込んでくる。
「ひぅ――髪を引っ張らないでくださいまし――騎士様っ! なんなのですかこの子供は――」
「ネロは子供じゃないもんっ! それに、あんたもおっぱい以外はちんちくりんじゃん」
背丈だけで言えばネロとクラウディアはそう変わらない。
「私はもう十三になりましたので大人です!」
「ネロだってもう十歳だもん! 大人だもんっ!」
「かかかっ! 坊やは相変わらずモテモテよのぅ――羨ましいぞえ」
愉快そうに、ミナリアだけが笑っていた。
デュランはやかましく言い合う二人を諌める。
「はぁ……とりあえずお前は離れろ、そしてネロは座れ」
「ひゃっ!」「はぅっ!」
片手でそれぞれの首根っこを掴み、デュランは二人を両隣の席に座らせる。
「何を勘違いしているのかは知らんが、俺は騎士なんかじゃない。それに、俺はお前の家族の仇でもあるんだ、滅多なことを言うな」
「で、でもっ! 騎士様は私を助けてくれましたわっ!」
「ただの気紛れだ、せっかく拾った命をこんなおっさ――お兄さんに使おうとするな」
「言い直してもジジイ顔は変わらんぞえ」
「ババアは黙ってろ――」
デュランはテーブルに並ぶグラスを取ると、果実酒を一息に煽る。
「私は……私は、ずっと騎士様のことを――」
「一時の気の迷いだ、忘れろ」
再びグラスに注がれた酒をデュランは飲み込んだ。
「で、なんでシドニスの元王女がここにいる? いい加減、俺への用を喋ったらどうだ――」
デュランの言葉に、ミナリアは薄く笑みを浮かべる。
「なに、一連の事情を説明するとすればそこな王女も無関係ではあるまい。それに、置いてけぼりを食らった思い人に会いたいと願う者を、なぜ我が妨げる必要があるのじゃ」
「ふん――」
デュランは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「まあ、坊やへの依頼は単純じゃ。とある要人の誘拐、最悪の場合は殺しても構わん」
「戦争絡みか」
「無論じゃ、標的は神聖国が七聖の一人、ルドワルド・カルロール。かつて小国の国家予算を優に凌ぐ献金を持って七聖の座を勝ち取り、神聖国の財務を掌る要人、その誘拐が坊やの仕事じゃ」
「また物騒な話だな」
「かかっ、いつものことじゃろうて。引き受けてくれるじゃろう?」
デュランはネロとクラウディアを一瞬だけ見る。
そして、少しの間目を閉じ、再び見開いて声を発した。
「――条件次第だ」
 




