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百戦錬磨

 瞳に映る周囲の景色が一瞬、歪んだ。

 この世界に来て、初めて経験する壮絶な痛み。

 深紅の血が微かに溢れると同時に、その血は闇に吞まれて消えていく。そのせいでナハトには目立った外傷がないように見えるが、実際はそうではない。

 最大HPの六割を失うという苦痛は筆舌に尽くし難く、鋸で心臓を削られているような感覚さえあった。

 被害は肉体だけに留まらない。魂を貫くような感覚が思考力や精神を蝕んでくるのだ。


(――いいのを貰った…………)

 

 口から血反吐を吐き出したくなる。

 膝を折り、苦痛の声を上げたくなる。

 視線を下げ、体の状態を確認したくなる。

 今すぐに回復ポーションを取り出して、使用したくなる。

 だが、ナハトは尋常ならざる意思を持って、それら全ての欲求を捻じ伏せる。


 今、この瞬間にも、ナハトが戦う姿をアイシャが、そしてシュテルが見ているのだ。

 で、あらば――どうして無様をさらせようか。

 ナハトは不敵に笑いながら、胸を張り、ダメージなど一切ないと言わんがばかりに口を開く。


「私の魔法なだけはある――流石に効くな」


 ナハトは神龍の血脈を使用して、一瞬で傷を癒す。

 長期戦となるだろうレイドボスとの戦い。本来はこの場で使うべき技能スキルではない。

 

 だが、ナハトは決して愛する娘を不安にさせるわけにはいかない。シュテルの心を支えるナハトが膝を屈することは許されない。

 余裕綽々に、さも当然のように勝利してこそ、シュテルの心に住み着く悪夢を払うことができるであろう。

 そのために、ナハトは一片たりとも弱みを見せることはない。


「おやおや、まあまあ、それはそれは――お気づきでしたの――」


「投影技能と言うやつだな――しかし、妙な手品を使うものだ、何をした?」


 シルフィーたちの過去の話を聞いて、ナハトは常にその投影技能スキルを警戒していた。

 投影技能とは、相手から受けたダメージをそのまま相手にも返すという理不尽極まりない技能スキルである。しかしながら、投影できる攻撃は――自分の物理、魔法の両方において個別に最大攻撃力以下の攻撃のみだ。そして当然ながら、レベル差による成功率低下の影響を必ず受ける。

 

 ナハトのレベルは百四十七、ナハトの知る敵のレベルは百二十五、この差は絶対的なものだ。

 ただの竜魔法ドラゴンマジックならばともかく、ナハトの龍撃魔法を跳ね返すことは不可能なはずだ。

 だからこそ、威力が低く手数の多い竜魔法ドラゴンマジックと圧倒的な攻撃力を誇る龍撃魔法、この二つのみを使用してナハトは戦っていたのだ。

 だが、体を貫いた痛みは間違いなく、龍の吐息ナハトブレスのものであった。


「あらあら、手品の種を教える手品師がいまして?」


 プレイヤーとして使う分にはそれほど問題にならないが、膨大なHPを持つレイドボスが使うとなると正直反則もいい所だろう。失うものが違いすぎる。ナハトの攻撃力を考えれば、下手をすれば一撃でHP全てを消し飛ばされる可能性さえある。身代わりの腕輪や非常用の技能スキルを取得しているため即死することはあり得ないが、拒絶する龍鱗リジェクトスケールの割合減少が効果を発揮しなければ、HPの被害はさらに増えていたはずだ。


(――普通なら完全無効化のはずなんだが……原因は間違いなく固有技能ユニークスキルだな)

 

 固有技能ユニークスキル――レイドボスや一部の高レベルフィールドボスが持つ唯一無二の技能スキルであり、どれも反則的な力を秘めている。実際その固有技能ユニークスキルは二十を超える高レベル帯のレベル差を覆してみせた。


(――対象拡大エクステンドターゲットか……ついでに貫通効果のおまけつき……なんにせよ、これでこちらは迂闊に攻撃できなくなった…………)


 やけに魔法戦に歯応えがないとは思ってはいたが、おそらく特殊技能に特化した能力を持つレイドボスなのだろう。死呪カースオブデスの扱いに秀でているのにも納得である。


「よろしいのでございますか、攻撃の手を休めても――」

 高飛車な笑い声が響き渡る。

 高速詠唱と共に襲い来る炎雷と氷雪。ナハトは思考しながらも、一瞬たりとも戦場から意識は放していない。

 即座に氷雪の領域テリトリーから抜け出すと共に、迫りくる炎雷に手を翳す。


「――消せ、原初の深闇ダークネス

 

 ナハトを包む闇の衣が広がると共に、炎雷は一瞬にして消え去った。


「――珍妙な技でございますわね」

 死を笑う道化師ラッヘンクルーンが不快気に呟いた。


(――後二回、か)


 ナハトの身に纏う古代級エンシェント装備、原初の深闇ダークネスは攻撃特化型防具であり、もう一つの武具と言っても過言ではない。

 その防御力は零であり、防具の役目を完全に放棄している代わりに三つの特殊能力を秘めている。その一つである対消滅は、敵の攻撃を消滅させるのに必要なMPを支払うことで、攻撃の無力化を成すと共に、消滅した攻撃力を次の攻撃に上乗せすることが可能なのだ。

 一見便利にも見えるが、回数制限がある上、MPと相談して使用しなければ後々痛い目を見ることになるのは間違いない。


「うふふふふふ、逃げてばかりでございますわね――なら、これはどうでございましょう――猛追する火の巨鳥チェイサーフェニックス!」


 この世界の魔法使いが見れば卒倒するほどの複雑怪奇な立体魔法陣が乱立すると、その奥深き場所より紅蓮に包まれた火の鳥が顕現した。

 空を飛翔する火の鳥は、マッハを軽く超える異常な速度でナハトへと迫る。その姿を、ナハトはコマ送りのような視界に収める。

 ナハトの移動速度を考えれば、回避するだけならば十分な余裕があるのだが――


「うふふ、無駄でございますわっ!」

 

 火の鳥が大きく旋回すると共に、再び狙いを定めて迫り来る。

 その名前からして察してはいたが、やはり追尾性能持ちの魔法であった。


「さあ、チェックメイトにございます――重撃魔法――重力砲撃グラヴィティブラスト!!」

 抑えきれぬ愉悦の笑い声が耳障りに響き渡った。

 後方から迫る火の鳥、ナハトの逃げ場を塞ぐべく飛来する超重力の砲撃。

 刻一刻と退路が塞がれていき、逃げ場所を失うまでの刹那の時間――ナハトは何千倍、何万倍にも届き得るほど加速させた思考の中で、決断を下した。


「――鏡渡りの龍神」









 火の鳥がその口を大きく開き獲物へと牙を向ける。超重力の塊は行き場を塞ぐように全てを圧殺して駆け抜ける。逃げ場のない挟撃に晒されたナハトは勝負時と判断し躊躇なく技能スキルを発動させた。

 

 その瞬間、ナハトが消えた。

 そうとしか表現できず、認識できていなかった。


「…………はっ?」


 追尾性能を持つ猛追する火の巨鳥チェイサーフェニックスはたとえ高速で回避を重ねようと、永遠に獲物を追いかけ続けるはずである。

 だが、火の鳥は完全に目標を見失って、右往左往して消えて行った。

 これは、ゲーム時代にもあり得たことである。発動した攻撃と、対象となる標的、その二者の速度があまりにも大きく懸け離れている場合、追尾の性質が役割を果たさず標的を見失った魔法が消え失せることがあるのだ。

 

「……バカな! そんな、あり得ないのでございます……! 見失ったっ!? この、あたくしが……?」


 猛追する火の巨鳥チェイサーフェニックスは決して鈍重な魔法ではない。上位魔法の中でも、最速と言っていいほどの速力を持つ魔法なのだ。

 だが、それでも魔法はナハトの姿を見失った。

 いや、魔法だけではない。

 死を笑う道化師ラッヘンクルーン本人も、ナハトの姿を見失ったのだ。


「いったい何処にいきやがりましたの……! っ……上っ!?」


 狼狽する死を笑う道化師ラッヘンクルーン感知技能スキルを発動させ空を見上げた。

 だが、既にナハトは竜魔法ドラゴンマジックを発動し終え、降り注ぐ暴風が牙を向く。


「この程度の魔法、今さら通じるはずがないでございましょう――!」


 精霊王の槌にも劣らぬ竜の暴風を、分裂し巨大化した仮面の放つ障壁があっさりと無効化すると同時に、反撃の魔法を編む死を笑う道化師ラッヘンクルーンは視界に収めていたはずのナハトを――見失う。


 いないのだ。

 目を逸らしていないにも関わらず、上空にナハトは居らず――それどころかまた、その姿を見失っていた。


「っ――! くそっ――!」


 まるで瞬間移動を繰り返すかのような圧倒的な速度の差。

 一分間、という限定的な時間、回避力を二倍、移動速度をさらに数段跳ね上げる鏡渡りの龍神を使用したナハトは最早誰の瞳にも映ることなく、消えては現れるを繰り返す。

 

 傍から見れば一方的な蹂躙にさえ見える。

 だが、跳ね返されても致命傷にならない威力が低い魔法にて攻撃を加えているため、防御さえ許さず打ち込んでもHPはそう多く削れない。


「がっ、くぉの、下等生物がっ――」


 だが、一方的に攻撃を受けるというのは、中々にストレスが溜まるであろう。まして、相手はこの世の全てを見下し笑うと豪語しているのだ。そのような者が逆に見下されて、苛立たないはずがない。

 

「いいのか、背中ががら空きだぞ――」


 言葉と同時。

 明滅する魔力の灯火が、深く、暗く、沈んでいき――人が触れられぬ領域にいとも容易く踏み入れる。禁忌の領域から滅びの前兆のような至極色の光が溢れ出た。


魂魔法ソウルマジック――咎人達の暗黒郷デストピア


 悪魔の手、とも思える半透明に透き通る禍々しき腕が吸い込まれるように迫り、魂を握り潰す。

 冥府へと突き落とす無常の手を、死を笑う道化師ラッヘンクルーンは魔力を滾らせ振り払う。


「ぐっ――くそっ!」

 

 死を笑う道化師ラッヘンクルーンが振り向いたその場所には、既にナハトはいない。

 一撃入れると同時に離脱。過剰な速度の優位性を活かす徹底的なヒットアンドアウェイこそがナハトの真骨頂である。

 牽制の魔法を打ちつつ、頃合を見て確実にダメージとなる攻撃を加えていく。

 一分という制限時間が刻一刻と失われていく中――


「――ちょこまかと! ええい、鬱陶しいのでございますっ――! 潰れて、拉げて、崩れて、屍を晒せ――重力崩壊グラヴィティコラプス!」


 苛立ちに満ちる音色と共に、禄に狙いも定めない広範囲無差別破壊魔法が解き放たれた。

 一瞬、小さな小さな黒い点が中空に出現した、そう思った次の瞬間、辺り一帯に存在する何もかもが巻き込まれて、消滅し尽くした。

 凄まじい衝撃波と共に、音もなく破滅が広がる。


(威力で見れば間違いなく一級品、だが――それは悪手だろう)


 どのような現象が発生しようと、それはあくまで魔法であり――実際に発生した現象と違い威力エネルギーに比例して効果範囲が広がることはない。

 ナハトは領域外から、その圧倒的な破壊を静かに見据える。頬を切裂くような余波が原初の深闇ダークネスを微かに揺らした。


 HPを削られれば大技を使ってくる、こういった思考はレイドボスであった時と同じようだ。

 これがプレイヤーであれば最善手、即ちナハトの技能スキルの効果切れを待つために防御を迷いなく固めるだろう。

 ナハトは崩壊を終え、巨大なクレータとなった大地に足を踏み入れる。


「――はぁ、はぁ…………鬼ごっこは、終わりでございますか?」

 

 大きく息を乱しながらも、挑発的な声が響く。

 こうも一方的に攻撃を受けながら、それでも死を笑う道化師ラッヘンクルーンに余裕があるのはHPの優位と投影技能スキルがあるからなのだろう。


「――うむ、お前の技能スキルは概ね理解した」


 ナハトは静かに、だがはっきりした声でそう言った。


「条件は視界、か――」


「っ!」

 仮面に視界があるのかどうかは些か疑問だが、それでもナハトはそう結論付ける。


「ついでに言えば回数制限もあるようだな」


 相手の攻撃によるダメージをそのまま返す。

 そのような技能スキルがなんの制限もなく無差別に使えるはずがない。

 当然、発動に必要な条件があるはずなのだ。

 技能スキル大嘘つきの悪態バットジョークは、既存にある投影技能と同じく、最大攻撃力以下、レベル差による成功率の減少に加え、術者の視覚化が必須条件なのだろう。


「――高々相手を見失った程度で動揺しすぎだ、これが虚偽の情報であれば見事というべきだろうがな」


 熟練したプレイヤーであればその可能性を疑った。だが、相手は所詮行動ルーチンが存在するモンスターでしかない。

 一分間の情報収集の間に、気づいたことは三つある。

 一つ目は、ナハトの姿を見失ったときの動揺。

 二つ目は、威力の低い竜魔法には目もくれなかったこと。

 三つ目は、不意打ちで放った致命傷レベルの魂魔法ソウルマジックを跳ね返してこなかったこと。

 結論として術者を見失えば、敵は投影によってダメージを跳ね返すことはできないのだろう、とナハトは思う。


「そもそも投影技能が無制限に使えるなら、いっそ攻撃全部を反射してしまえばいい――それができないのだから、お前の大噓つきの悪態バッドジョークは私の消滅と同じで使用制限がある、と考えるべきであろう」


「――うふっ、うふふふふふふぅ、あっはははははははははははぁ――で? それを理解した所で、どのみち貴方はあたくしを攻撃できないのでございましょう? 意味の分からぬ技能スキルも打ち止め――貴方には最初から勝ち目などございませんわ」


 そう言って、死を笑う道化師ラッヘンクルーンは高らかに笑う。

 敵のHPは所々で使用された回復スキルの影響もあり、今だ半分以上も残っている。

 一方で、ナハトは様々な技能スキルを消費した、消耗戦は分が悪いようにも思える。

 だが――


「――はぁ」

 

 ナハトはそれにわざとらしいため息で応じた。

 分かりやすい呆れ、である。

 どうやら、敵とナハトには相当な認識の違いがあるらしい。


「種が割れた手品ほどつまらないものはない――そもそも、お前は勘違いをしているようだが、勝算のない戦いを挑むほど私たちは甘くないぞ?」


 かつての世界において、敗北とは即ちキャラクターの喪失――死を意味していた。

 故に、プレイヤーはモンスターに対して常勝を義務付けられていたと言える。

 そんなナハトが、レヴィを置いて配下も使用せず、ただ一人だけで戦場に立つということは、百パーセントに近い勝算があったからに他ならない。


「――どういう、意味でございましょう?」


 もしも、ナハトにとって敵が強大である――即ち、看破がまるで通じぬ相手であれば、それの出現を察知した瞬間、シュテルとアイシャを引き連れて逃亡している。

 それは心情的には決して望むべき選択ではないが、そうした一切の感情を理性によって容赦なく切り捨てる決断をナハトは下したであろう。

 己が大切なものを守るためであれば、ナハトは決して迷わないのだ。

 それほどまでに、命の危機に鋭敏でなければ、あの過酷な世界で生きていくことなど不可能だった。


「分かりやすくいえば――私はあと二回変身を残している、その意味が分かるな? ――というやつだろう」

 

 レベルとはゲームにおいて捧げてきた情熱の証であるし、その格差は絶対的なものである。ボスモンスターであろうとそれだけは変わらない。

 特に高レベル帯のレイドボスは化物揃いだ。カンストである百五十レベルとなればナハトがダース単位で挑んだとしてもまるで相手にもならない。

 だが、十、そして二十とレベルが下の相手ならば、その逆もしかりである。


「諦めるといい――」


 高レベルプレイヤーとはあらゆるモンスターに打ち勝ってきた百戦錬磨の猛者なのである。ましてナハトには魂の底に、カンストプレイヤーを二人育成した明確な記憶が刻み付けられている。

 だからこそ、勝てない戦を仕掛けるほど愚かではないのだ。

 ナハトは遥かなる高みから見下ろすように視線を下げ、全ての反論をねじ伏せるように言葉を紡ぐ。


「――貴様は最初から処刑対象に過ぎないということだ」 

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