超常の戦い
バキリ、とそんな音が響き渡った。水面に張った氷が割れるような、そんな音。
唐突に、大気に亀裂が走り抜けた。
一つではなく、幾つも、幾つも、大気が罅割れ、ちぐはぐになっていく。
割れた空間から重音な咆哮が響きだすと同時に、溢れ出てきた黒い風。
自然に吹く精霊の風とはまるで違う――魔に浸され生み出されたそれを風と呼称するのは最早間違いとさえ思える。
顕現したそれは、死そのものであった。
龍撃魔法とはその名の通り、龍の一撃を魔法にて再現したものである。
かつての世界で、最も戦を好み、最も破壊を愛し、最も人を殺し、最も人に近しかった一柱の龍の一撃が、今、この世界で暴威を撒き散らす。
龍が辿ったその軌跡に、等しく命は存在しない。
あるのはただ破滅のみだ。
幻想龍によって、不可避とも思えるほどあっさり発動したナハトの魔法は、破壊の限りを尽くしていた。
巻き込まれた大地が磨り潰され砂地へと変わる。仮面の魔導師を巻き込むように、森の一角そのものを吹き飛ばし、切り刻み、壊し尽くし、塵と化す。
ナハトが忠告した通り、前方にあったはずの森が跡形も無く消え失せていた。
森が子供が遊ぶような広大な砂場と化しているのだ。その元となった地面や、木や、生物は、今では等しく枯れ果てた砂粒でしかない。
「…………馬鹿げている……」
シルフィーが呆然とそう呟く。
森が少し無くなる、所ではない。
周囲を含め、遥か彼方――数キロ、いや数十キロ、あるいは数百キロ先まで、死が広がっていたのだ。
「――これでも、主様は優しいんだよ?」
見れば、死が広がっているのはシルフィーのちょうど目の前からである。
そんなシルフィー達を庇うように、その悪魔は姿を晒していた。
「お前は……あいつの使役する悪魔か……」
「レヴィちゃんと呼んでもいいぜ? ま、主様は主様なりに気を使ってるのさ。味方を殺さないように僕を呼んで、ついでとは言え、余波からこうして皆を庇うように指示されたんだし。それに、ちゃんと魔法を選んで無理やり戦場を変えてくれたんだよ? お構いなしに主様が暴れたら君たちの命なんてあっさり無くなっちゃうからね」
見れば、ナハトの姿はもう何処にもなかった。
「さ、こっちの戦いはお終いだ――腕を拾っておいで、僕が繋げて上げよう」
「随分と親切だな……」
警戒心の篭るシルフィーの声に、もう一人の化物は笑う。
「今の僕は機嫌がいいからね――何せ久しぶりに我が主様の全力が見られるんだから」
そう言って、悪魔は心底歪に笑った。
◇
森を貫いた一本の砂の道――その最果ては、既に森を抜け出して、荒涼とした大地が広がる丘であった。
そこは大陸の果てと言っていいだろう。この場所に生者はいない。大戦の敗者たちが亡霊となって彷徨い続ける立ち入り禁止の危険地帯、嘆きの丘だった。
宙を漂い、生者を憎むはずの死霊達がその二人には近寄ることさえしなかった。
それどころか我先にと逃げ出す有様。
生物でなくなった今でも、その圧倒的な魔力に脅えずにはいられないのだ。
「…………っふ――――うふ、うふふふふふ――随分な挨拶でございますこと」
皹割れた仮面を支えながら、それは呟いた。
底知れぬ敵意がナハトへと突き刺さる。
「ふむ、流石に一筋縄ではいかないな――流石は百二十五レベルのレイドボスなだけはある」
削れたHPは凡そ一割程度であろう。それでも膨大なHPを持つレイドボス相手にこれほどダメージを与えられる辺り、ナハトの力は確実に増大している。
「あらあら、あたくしたちは初対面のはずでございましょう? まるであたくしのことを知っているような言い草ですわね――」
「詳しくは知らないさ」
なにせ、ナハトがこの世界に辿り着いたのはそれが実装される前なのだから。
「――だが、名前くらいは知っているぞ? 死を笑う道化師」
「あらあら、まあまあ、これはこれは――そうでございますか、それはそれは光栄の極み――で、そう言う貴方は何者ですか?」
ナハトはただ冷たい瞳で仮面を見据えた。
「生憎だが、死に逝く者に名乗る名は無い――シュテルに手を出した報いだ。無意味に朽ちて、無意味に死ね――魔法強化竜魔法――」
――天より降る雷竜×7
七元世界の宝珠が輝きを放つと同時、七匹の竜が空より落ちる。
強化された七匹の竜が奏でる音は、最早、爆音と言っていいほど凄まじく、常人の鼓膜など一瞬で破裂させてしまうほどの力を持った。
「うふふふふふふふ、実に不愉快でございますわ――このあたくしを殺す? ありとあらゆる生命を笑うこのあたくしを? うふっ、やって見るがいい――大魔道障壁――重撃魔法――」
幾重にも重なり、不可思議に輝く魔法障壁が顕現し猛然と突き進む竜の進行を阻むと同時に、強大な魔力の高まりを感じた。
ナハトは咄嗟に、技能を使う。
刹那、全てを圧殺する超重力がナハトへと牙を向いた。
「――重力砲撃」
一直線上に駆け抜ける砲撃は、全てを飲み込み、消滅せしめた。爆音も、悲鳴も、一切響くことはない。飲み込まれたもの全てが、文字通り消滅していた。
だがその場所に、ナハトはいない。
ナハトは即座に上空へと退避していたのだ。咄嗟に使用した技能――透走龍は、瞬間的にだが回避を何倍にも強化して移動することが可能になる。
幾らレベル差があったとしても、ナハトにとっては敵の魔法一発一発が致命傷になりかねない。そう簡単にくらう訳にはいかない。
対して、相手は高耐久のレイドボスである。今も、古代級装備において最高峰に位置する七元世界の宝珠から放たれたナハトの竜魔法が障壁を食らい破り、微かに飛来しているが最初と違い大したダメージにはなっていない。
プレイヤーとは比べ物にならないほど高いHP、高防御に圧倒的な魔法耐性を有している。レイドボスとはその名の通り、多人数で挑む敵を指しているのだから、その格差は当然として受け入れなければならない。
「ちょこまかちょこまか、随分と逃げ腰でございますわね――逃げ惑う獲物を狩るは肉食の獣でございましょうか――魔法二重詠唱――赤き殺戮の炎虎、青き惨殺の水虎」
(――速い)
ナハトは何百倍にも加速された刹那の思考で敵の魔法を分析する。
俊足で迫る二対の虎、尋常ではないその速度からして、追尾性能は無く、純粋で強力な攻撃魔法であろう。眼前に迫るその両方をナハトは翼を小さく束ね、急激に加速し、触れるか触れないかのギリギリで回避してみせる。
圧倒的な耐久の差、一撃必殺の攻撃力――当たればナハトのHPなど瞬く間に消し飛んでしまうことだろう。だが、ナハトにとってはそれがどうした、である。
ナハトには全プレイヤーの中でも最上位の破壊力を持つ攻撃魔法と回避力がある。一撃の威力や純粋な速さだけを見れば個人戦で最上位に在ったメインキャラよりも上なのだ。
当たらなければどうということはない、を地で行くナハトにとって、高火力をぶつけ合う魔法職の対ボス戦は相性がいいと言える。
ナハトは七元世界の宝具によって空白時間なしの無差別弾幕を張ると同時に、決め手となる魔法を準備する。
「――おしゃべりな口を閉じていろ、龍撃魔法――」
ナハトが龍撃魔法を唱える時、当然だが二度目となれば敵は全力で警戒する。
回避系の技能を発動させるか、魔法による回避を試みるか、それとも防御を固めて受けに回るか――だが、その全ての選択肢をナハトは封殺する。
「なっ――」
いつの間にか、と言っていいだろう。
死を笑う道化師が光の楔に撃ちつけられ、神々しい輝きに囚われていた。
気づいた時にはもう遅い。
ナハトの持つ魔法の中で最速の魔法。
初見で対応できた人は、ナハトの友人を含めても片手で数えられるほど少ない。
まして、ただのNPCでありレイドボスに過ぎない敵が、躱せるはずがないだろう。
「――光龍の聖なる審判」
調停と裁きの神、と謳われた龍の光。
信仰する神を持たないただの魔法使いが神聖属性の力を持つ理不尽。
かつて、徹が愛して止まなかった最高レベルの攻撃力と多種多様な属性を持つ強大な龍の魔法。
その力が、今、まさに、理不尽なまでの暴威を振りまいていた。
「がああああああああ――――!」
苦悶の声が響き渡る。
高耐久を誇るレイドボスの防御を貫通し、盛大にノックバックした敵にナハトは一切の容赦をしない。
苦し紛れに放たれた魔法を全て避けると、ナハトは共有ストレージに手を入れる。
そこから、時刻みの鈴と呼ばれる課金アイテムを手元に出現させ、砕いた。
高い音色と共に効果を発揮した高額アイテムが本来はあるはずの待機時間を掻き消してしまう。敵には決してできない反則と言っていいだろう。
「龍姫の殲撃――龍撃魔法――龍の吐息」
立ち昇る圧倒的な魔力によって象られる、黒々しい闇色の龍がその口を開いた。
冥府の入り口にも見えるその場所に、球状の魔法陣が幾重にも重なる。
収束する魔力が、技能の恩恵を受け、輝きを増す。
暗闇に満ちた夜を駆け抜ける刹那の瞬き。無常な夜は悲鳴さえも奪い尽くし、大地に奈落を生み出して敵を沈めた。
ナハトの龍眼は倒れ伏す敵の姿を正確に捉える。
「――おまけだ――世界を象れ、七元世界の宝具」
七色の光を発する宝珠が、一切の間を空けることなく攻撃を重ねる。
その、回避不可能な一人弾幕は幾ら古代級装備とはいえ、些か卑怯にさえ思えるほどだ。
生み出された絶死の空間を闇が覆い、雷が駆け抜け、重力が押しつぶし、光が貫き、氷が埋め、咆哮が走り、死が満ちる。
敵も物理、魔法、精神、その全てを防ぐ理の障壁をはじめ、属性防御魔法や技能を使用しているようだが、ナハトの火力はそのさらに上を行く。
(残存MPは凡そ五割、相手のHPは六割程度か)
龍眼の持つ看破に技能を重ね、敵の状況を探る。同時に消費したMPを神の雫を用いて回復させる。
そんな中、崩れ落ちた大地の底で、不気味な笑い声が反響した。
「くふっ――」
決して諦めに満ちた音色ではない。
それどころか、不気味なまでに強大な殺意を感じた。
「――あっはははぁはははあああっ。ああ、ああ、ああっ! いったぁあいわぁああっ! あなたはこのいたみにたえられて?」
禍々しい、血に染められたような魔力が渦を巻いて、文字を刻む。
何を書いているのか理解することはできない。
だが、それが誰かを呪うものである、それだけは嫌でも理解できてしまう。
「固有技能――敗者の小部屋で喚く愚者――この痛み、その全てを、笑いましょう」
禍々しい輝きが、世界を生めた。
ナハトは咄嗟に、拒絶する龍鱗を発動させた。
だが――
「――大噓つきの悪態」
技能が発動したその瞬間、かつて経験したことのない凄まじい激痛と共に、一ミリも削れていなかったHPの約六割が消し飛んでいた。




