幻想魔法
ヘブライ、グラッドは共に、元傭兵の盗賊だった。
かつては斥候部隊の隊長をしていただけあって、両者ともそれなりの腕を持っている。
気配だけでなく、魔力さえも隠す、武術隠蔽を使いこなし、ヘブライは五感の鋭さから気配察知に優れ、グラッドはその危険察知能力で罠を見抜くのに長けていた。
「どう思う」
二人は数百メートルは離れた位置から二人の女を見据えていた。
アイゼンの指示に従い、南方を調べていると、すぐにその気配を見つけることができたのだ。
「どうもこうも、アホにしか見えねーぞ。エルフの方はガキだし、もう片方はなんだ、ありゃ? 貴族か? やばすぎんだろ、あいつは――超抱きてー! めちゃくちゃにしてー! ぶっ壊してー!」
小声ながらも、ナハトの美貌に魅了され、欲望のままにグラッドは言う。
「罠の可能性は?」
ヘブライの言葉にグラッドが答える。
「そいつを俺に聞くか? 気配察知はお前のが上だろ? 周りに誰もいないんなら罠じゃねー! 辺りに罠もない」
グラッドも欲望に忠実だが、職務にはなお忠実だ。何せ命がかかっている仕事なのだから。
冷静な意見を事実として答える。
「周囲に人はいない」
「なら、ただの獲物だ――俺の危険察知にも反応はない」
そう断言するグラッド。
だが、それはナハトがそうさせているだけで、彼の能力が機能したわけではない。
「万が一、罠の場合――俺が引きつけ、お前が報告だ、いいな」
ヘブライの言葉にグラッドは頷く。
ヘブライも、冷静を装って、最低限度の備えはするが、本能ではナハトを襲いたくてしかたがなかった。
決して、少女趣味ではないが、そういう性癖の次元を超えた美しさが目の前にあるのだ。
男として、本能を抑えることは難しかった。
そうして二人は、自ら死地へと乗り込んでいくのだった。
「うぉい! てめーら――」
グラッドの大声が響き渡る、その前に――
「いらっしゃい、待っていたぞ」
たった一言。
天上の調べが、場のすべてを支配した。
その言葉が指し示す意味。
襲う側の自分達が、ただ罠にかかった獲物に過ぎないという事実に、グラッドは怒りを覚えた。
「はっ、ガキ二人に何ができる! どんな手品を使ったが知らんが、お前らは俺に犯されるんだよ」
衝動的になるグラッドと違って、ヘブライは冷静だった。
最初から、罠だった。
つまり、目の前の少女は隠密行動に優れた自分達をあっさりと見つける実力者であり、その上で罠を張っていた。となると、勝算は限りなく薄い。一見すれば可憐な少女が、とんでもない魔法を扱うことだって、十分にあり得る。
紛れもない、失態だ。
「グラッド、予定通りだ――行け――」
そんな指示に、グラッドは舌打ちしながらも渋々従う。
グラッドとて馬鹿ではない。戦場で生き抜いてきた古強者だ。であれば、最善の選択を見誤ることはない。
この極上の獲物は、離脱した後、化物を連れて来てから確実に狩るべきなのだ。
「おっと、まあ、そう連れないことを言うな――せっかく来たんだ、もう少し遊んでいくがよい」
「な、な、なにが、はぅ――」
ただ一人、何も分からないアイシャが戸惑いの声を上げる。彼女は盗賊がすぐ傍にいたことも気づいていなかったようだ。
同時にグラッドが離脱を試みて――
「なっ――!」
失敗した。
背後には何故か森がなかった。
目を何度見開いても、そこは断崖絶壁になっているのだ。
それだけではない。
慌てて辺りを確認すると、景色がぐんにゃりと歪んでいて、雲ひとつない空と土の気配のしないまっさらな円形の平地に二人は立たされていたのだ。逃げようにも逃げ道など何処にも存在していなかった。
「幻想魔法、歪む楽園。しかし、驚いた――いや、幸運だったというべきか」
状態異常対策は、生存率を上げるためには必要になってくる。
基本的な、毒、麻痺、睡眠、沈黙は低レベルでも技能やアイテムで対処できる。致命的な状態異常の筆頭である幻術、呪いなども自由市場で安いアイテムを買うなどしてできれば対策しておきたい。勿論魔法抵抗力によっては判定で弾けるので、一番の対策はレベルを上げる事なのだけれど。
それに、ナハトは幻術系魔法も取得しているが決して本職ではない。妨害系魔法に特化していたギルインのエロエロ系夢魔(男)は、抵抗に成功した相手に対しても、一定確率でバッドステータスを付与したり、幻術無効の超レア装備をつけているにも関わらず、追加効果の呪いを与えたりと、それはもうめちゃくちゃだった思い出がある。トラウマになった仲間もいるくらいだ。
ナハトはあくまで攻撃魔法特化であり、その他の魔法は余った魔法枠を埋めているに過ぎない。
それでも効果が発揮できたのは幸運だった。
「さて、大人しくするがいい。そうすれば苦しまずにすむぞ?」
ナハトは悠然と立ち、盗賊を見下すように眺めた。
ヘブライとグラッドの体が、ひんやりとした空気に当てられ、一瞬だけ震えた。
今さらになって、グラッドの危険察知が最大限に警鐘を鳴らすが、全てはもう手遅れであった。
「嘘だろ……こんな魔法、見たことも聞いたこともねぇ……!」
「そうなのか……ちなみにアイシャは知っていたか?」
ナハトがアイシャに尋ねると、アイシャはフルフルと首を振った。確かに、今となっては便利な魔法だが、ゲーム時代は有効な相手が限られているので、専門職以外の人間は幻術系の技能をあまり取らない傾向があった。その分、高レベル帯のモンスターはどんどん使ってくるので対策はやはり必要なのだが。
「そうか――」
「てんめぇー! この化物がぁ! ぶっ殺してやる!」
離脱は不可能と感じたグラッドが一転して攻勢に出た。
だが、それは余りにも遅すぎるだろう。
ナハトは思わず失笑してしまった。
幻術は対策が必ず必要だと言われる状態異常の一つである。何せ、一度幻術に囚われれば、一定時間の攻撃不可、それが解けても、命中率低下を受けることで有名なのだ。加えて、酷い場合はマップ上に複数の敵キャラが表示されたり、味方と敵の区別がつかなくなったり、移動不可に陥ったりと、踏んだり蹴ったりな状態異常である。まともな対策をせず、味方に迷惑をかけてしまうと、何ともいえない気持ちになるのだ。
万が一幻術に囚われてしまった場合、アイテムによる移動、及び離脱が最優先、不可能な場合防御スキルを発動させて効果切れを待つのが得策といわれているのだ。アイテムによる回復手段がほとんど存在しないことも、幻術が対策される要因である。
つまり――そんな状態で攻勢に出ても、誰も、何も捉える事はできない。
以前の盗賊と比べれば比較的速い、まあナハトからすれば欠伸をして寝転ぶ余裕のある剣撃が、無様に空だけを斬った。
見えない幻影をひたすら斬りつける姿は滑稽でもあった。
ゲーム時代は、抵抗に失敗した場合、一定時間攻撃不可と眩暈のバットステータスを与える魔法だったが、今は幻術にかかった者を思いのままの世界に閉じ込める効果がある。かなり凶悪になっているといえるだろう。
「さて、よい夢を見る前に――色々と教えて貰おうか――」
手間をかけてまで捕獲した情報源だ。
ナハトは冷徹に、二人を夢の世界へと導いた。
◇
「クソが!」
黒狼の牙、その頭目であるアイゼンの機嫌は悪い。
自分にとって信頼の置ける手駒を放ったにも拘らず、その二人は帰ってこない。
何の情報も手に入らないままでいるのは非常にまずい。
交易都市は北方なので南への道が封鎖されるだけならば構わないが、討伐隊が存在するのならば悠長にことを構えている余裕はない。
索敵において一番の手駒を使ったのだ。
それで、駄目ならば、もうアイゼンに取れる手段は交戦か撤退かの二択しかなかったのだが――
「親分! 侵入者だ! 女が二人! 森の罠道を越えて洞窟にきやがってる!」
「落ち着け、訓練どおりだ! 防衛線を築け、時間を稼げば、あの人が全てを終わらせる――」
アイゼンは武装を整え、両手持ちの大剣を担ぐと、剣客のもとへと向かった。
だが、そこに人影はいなかった。
「はは、そうか――向かったか――ならば何も問題はない」
実際は違う。
ただ、アイゼンが気配を捉えられなかっただけなのだ。
アイゼンはその口元に勝利を確信した笑みを浮かべた、刹那。
頭部に走る鈍い痛みと共に、アイゼンの意識は暗転した。




