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休日、いつもなら昼過ぎまで寝ているが今日はすぐに目が覚めた。
意識が目覚め、テレビから陽気な声が聞こえる。薄眼を開けるとノイがいつもの定位置の座イスに座りテレビを眺めている。
しばしの間、テレビを眺めるノイをぼおっと眺めていた。
彼女はアンドロイドだ、特技は髪の毛の色、長さを一晩で自由に変えられること。
しかし、ここ最近はいつも同じ髪型だ。黒色でストレート、長さは肩を少し超えるぐらい。
どういった心境の変化だろうか。金や赤のように目がちかちかする色にされるよりは
こちらとしては嬉しいのだが。
テレビ番組のコーナーが変わると、ノイは少し身を乗り出した。
ベッドの上からではテレビは窺えないが、音から察するにこの季節に流行るコーディネート特集――まあ、ファッションの話らしい。
ノイの表情は先ほどとは変わり、真剣だ。
それにしても意外だ、いつもジャージやスウェットといった僕の寝間着ばかり来ているのだが、まさか服やファッションに興味があるとは。
ますます人間じみてきた、なんて一瞬思ったが、むしろアンドロイドっぽいところの方が少ない。
テレビのファッションコーナーが終わるとノイは普通の、先ほどまでの表情に戻った。と同時に視線を移し僕に気付いた。
「はっ!」
見られた! と言いたげな何とも分かりやすい表情をした。
「おはよう」
気付かれてしまったので取りあえず朝の挨拶をした。
「いつから起きてたの?」
「何、服とかに興味あるの?」
ノイの問いを無視して、僕は尋ねた。しかし、その問いで答えも兼ねているだろう。
「べ、別に全然、そんなことないけど」
あからさま過ぎるほどの否定は、逆に素直に思えて可愛らしかった。
「欲しいなら買うけど。いつもそんな寝間着みたいなのじゃつまんないだろ」
「いいっ、大丈夫!」
そうは言っているが明らかに強がりに聴こえた。
ノイも一応、見かけは女性なのだからファッショに興味を持っても別におかしくはないだろう。アンドロイドとはいえ、だ。
彼女の存在によって僕は人間とは何か、人と何かをわける境界線とは何か。そんなことを考えることが多くなった。
今のところの結論は、彼女は確かに人間とは言えないが、それは人間として生まれなかっただけに過ぎないと、僕は思う。見かけは人そのものだし、髪や肌の手触りなんかもそうだ。内臓的な意味での中身はどうだか知らないが、心や感情といった意味での中身は人間と同じだ。
すなわち、僕は彼女を人として扱っている。
何かに興味を持つ、個を持つということ。それは人として当たり前のことだろう。
「よし、服買いに行くか」
僕は勢いよくベッドから立ち上がりそう宣言した。
「いや、いいよ、いいって」
その否定は本当の否定だった。
「さて、準備するか」
前々からノイの出不精には少し懸念を抱いていた。
確かに彼女の存在は、今の社会ではそうそう受け入れられるものではない。なので、隠す必要はあるのだが。近所を出歩くぐらいなら、彼女の正体がばれる危険性は少ないだろう。
しかしノイは外に出たがらない。今までにも軽く誘ってみたが一向にその誘いには乗らない。思うに人が怖いのだろう。
テレビなんかはもちろん平気だ。テレビはこちらから一方的な見るだけだが、向こうからも自分が認識できる、一個人と個人が向き合うというのはまだ恐ろしいのだろう。
未知なるものに対する恐怖、その動物的で本能的は恐怖はより人間らしい。本当にアンドロイドなのかと疑いたくなる。
なんにせよ、ノイの個の発見と共に、彼女の出不精、ないし対人恐怖症を緩和しておくのもいいだろう。
「ううぅ……」
引きずるようにして部屋から連れ出したノイは泣きそうなうめき声をあげた。
さすがに寝間着のままではどうかと思ったので、僕の服で彼女に会いそうなものを一旦与えた。さすがに男性のものなので暗い色の服でボーイッシュな出で立ちとなっている。
外に出たノイはキャップを目深にかぶり自らを必死で隠そうとしている。
「さ、立ち止まってないで行くよ」
と言っても歩きなので行ける場所は限られてくる。バスや電車という手段もあるが、まだ人に慣れてないうちは厳しいだろう。今度、ノイの自転車も買おう、と心に留めた。
ノイの手を引いて歩く。
歩いていける距離には大型ショッピングセンターがある。フロアの一つが婦人服、紳士服で埋め尽くされているから品ぞろえは豊富だろう。だがしかし、バスや電車と一緒の理由でよした方がいいだろう。
となると候補は一つ、あまり賑わってない古着屋だけだ。たまに足を運ぶがいつも閑古鳥が鳴いている。客が僕一人のときだってあった。それほど広くもないので品揃えもあまり期待できない。まあ、仕方ないだろう。
「ねえ、帰ろうよ。気持ち悪くなってきた」
「気のせい、気のせい」
すれ違う人々の視線から隠れるように僕の斜め後ろに回り込んでいる。
大抵の人は挙動不審なノイの様子にも、さほど興味を示さず通り過ぎて行く。今はこんなものさ、誰も他人にさほど興味を示さない。アパートの隣人の名前も知らないそんな世の中だ。
「何がそんなに怖いんだ?」
「わかんない、でも、なんか……、なんだろう」
その気持ちは分からないでもない。子供が暗闇を恐れるのときっと同じようなものだろう。
しかし、せめて目を開けて歩いて欲しい。先ほどから何ども躓きバランスを崩している。その度に僕の服が伸びている。
「おおぉ」
なんとか店に辿り着くと、一面に並んだ衣服にノイは目を輝かせた。
幸い、今日も店内には片手で数えられるぐらいしか客がいない。
「さ、好きに見て回れ」
「うん!」
そう返事はしたが、僕の半径二メートル以上は離れようとしない。それ以上向こうへ行きたいときは『着いてきて』と目で訴えるのだ。
やれやれだ。
テレビでファッションコーナーを眺めていた時より数倍、目を輝かせ、生き生きとしている。
その笑顔に店内に居る数人の男性客は目を奪われて、ちらちらとこちらを窺っている。実際にノイの容貌、顔立ちは美しく、それはテレビやスクリーンの中でもそうそう目にできないレベルだろう。
きっと誰かはノイのことをこう形容するだろう。『まるで作りもののように綺麗だ』、と。まあ、その通りなのだが、それを聴いたらノイは傷付くだろうな。
「ねえ、これ小さいかな?」
ノイが青いブルゾンを体に当てて尋ねてきた。
「さあ、着てみればいいだろ」
「え、これ着ていいの?」
「ああ、試着はいいよ。ほらあそこで」
奥に二人分だけある試着室を指差した。
「じゃあ、着てみる」
そう言って当然のように僕の手を引いて試着室を目指す。さらに当然のように試着室に僕ごと連れ込もうとする。
「まてまて」
「え……」
僕が拒むと迷子の子供のように不安げな表情になった。
「ほら、そこは一人用だから」
本当はそういう問題ではないのだが。
「そっか……。ちゃんとそこにいてね、動いちゃだめだよ」
何度も念を押し、さらにカーテンを半開きで僕を監視している。面倒くさいのと、上着を脱ぐだけだったので何もとがめなかった。
「どうだ?」
ノイは肩や体を回して異常がないか確認する。
「うん、いい感じ」
試着室から出たノイからそのブルゾンを受け取り、迷いなく買い物かごに放り込む。値段が三ケタだったからだ。
もう用は済んだといった顔でノイは後ろに佇んでいる。
「もう買わなくていいのか?」
「え、まだいいの?」
僕の言葉にノイの頬がほころぶ。
「上下一式ぐらいはね」
「クロ、なんか今日は優しいね」
「でも、あまり高いのは――」
言い終わる前にノイは僕の元から駈け出して行った。なんともまあ、一人立ちが早いことだ。だけど少し寂しくもあった。
数十分後、カゴの八割は埋め尽くされていた。
ノイは満足そうに頬を紅潮させている。
カゴの中身を一つ一つ改め、その合計金額と財布の中身とを比較した結果。ぎりぎりの僅差で財布が勝利した。
さすがに当初の予算よりオーバーしているが、ノイにとって初めての買い物なので惜しむ事はやめにした。
精算を済まし店を出る。
軽い足取りで歩くノイはもう僕の後ろに隠れることもなかった。
「満足かい?」
「うん、ありがとね、クロ」
そんな満面の笑みを返されたとなると、奮発したかいもあるというものだ。
「それにしても――」ノイが選んだ服を見て思った。「なんでそんな暗い色の服ばっかなんだ?」
ノイの選んだ服はほとんどが黒ないし青色のものだった。一般的に女性はもっと明るい色を好むのではないか。
「だって、クロと一緒が良かったから」
「なに? 俺の服が黒っぽいの多いから?」
「うん、それに『クロ』の名前とも同じだしね」
何の衒いもなくそんなことを言うものだから面喰ってしまった。
誤魔化すようにノイの頭をわしわしと撫でる。
「??」
「別に好きなの選んでよかったのに」
「ん? だから、好きなの選んだよ」
そっか、好きの理由なんて人それぞれだ。ただ、その理由が自分にあるというのは、なんともこそばゆい。
ノイは収穫物の入った紙袋をぶんぶんと振り回し、ふんふんと聴き覚えのない鼻歌を歌っている。
思えばこんな上機嫌なノイを見るのは初めてかもしれない。いつものヒューマンコンプレックスもなく安定した一日だった。
これからも楽しく過ごして欲しいと、そう願うばかりだ。