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cook

帰宅。

 アパートのドアの前に立ち僕は硬直した。白い煙がもんもんと溢れ出ているのだ。

 なんだ? シャワーでも浴びているのだろうか。いや、お湯程度でこんなに煙は出ないだろう。それにこの焦げ臭い匂い――。

 家事!

 ドアを開けると煙が僕を包み込んだ。

「ノイ! 大丈夫か!」

 同居人の安否を確かめるべく狭い部屋に向かって叫んだ。

 視界ゼロの部屋の中を壁に手を着いて突き進む。

「あ、クロ。お帰りー」

 煙の中から姿を現したのはノイは、僕とは正反対の緊張感のない表情をしていた。

「……大丈夫か?」

 その間抜けな笑顔から異常はないと思ったが、念のため訊いた。

「ん? 何が?」

 杞憂だったようだ。

「何をしている?」

 安心した後には怒りがわいてきた。怒気を込めてノイに尋ねる。

「もう、帰ってくるの早いよ」しかし彼女にはこの怒りが通じていないようだ「折角、驚かせようと思ったのに」

「その思惑は大成功だよ」

「うん?」

 取りあえず、この状況を何とかしよう。

 煙はフライパンから発せられている。日を止めると原形をとどめない黒焦げの物体が現れた。次に窓を開ける。換気扇を回す。そして最後に匂い消しスプレーを部屋中に吹き付けた。

 仕事をやり終えた僕は、普段の運動不足がたたってか激しい息切れをした。

「大丈夫?」

「ノイ、座れ」

 昔、悪戯をしては祖父にこっぴどく叱られた。そのとき祖父は決まってこう言った。

「え?」

「座る」

「……うん」

 ノイはぺたんとその場に座り込んだ。 

「勝手に火を使うなって前に言っただろ」

「……でも」

「危ないだろ」

 反論を許さず強い口調で嗜める。

「……ごめんなさい」

 僕が起こっていることを漸くわかったのか、ノイはしゅんとしてこうべを垂れた。

 さて、このあと祖父はなんて言って叱ってくれただろうか。記憶を探るが中々思い出せない。

 ノイは押し黙っている僕を見て、今にも泣きそうな表情になる。

 もういいか、反省してるみたいだし。怒るのは得意じゃない。

「もうするなよ、心配するし」

 そう言ってノイの頭を撫でてやった。

「うん」

 ああ、思い出した。最後はこうやって許してくれたんだった。



「それで、いったい何してたんだ?」

 はっちゃかめっちゃかのキッチンを見てため息を漏らす。

「うう、ごめんなさい」

「もう怒ってないから」

 縮こまったノイの頭をぽんと叩いて慰める。

「料理、しようと思って」

「料理? なんでまた」

「女は家に居て、料理作ったり洗濯したり、家を守るんだよね」

 むしろ危険に曝されたのだが……。

「また、テレビの影響か」

「働きに出る夫」そう言い僕を指差す「を待つ間、妻は家事をこなし家を守る。それが日本の女性の在り方なんだね」

 そう言ってはノイは目を輝かせる。

 そんなことを今の時代大声で言えば、前時代的、男尊女卑などと誹りを受けることになるだろう。

「今は、違う」

「ええ!」

 その驚き方は、日本にSAMURAIがいないと知った外国人のそれと似た雰囲気があった

「まあ、今でもそんな考えが残ってるところでは残ってるだろう。今は平等の時代さ。皆等しく、皆同じに、個性を殺してノーマライズ」

 適当に言った台詞が、なんだかスローガン見たいになってしまった。

「それじゃあ、アンドロ……、ロボットと同じじゃない」

 ノイはアンドロイドだ。

 彼女自身それを理解している。しかしロボットではないらしい。ロボットとアンドロイドの違いが僕にはよくわからないが、彼女の中では明確な違いがあるらしい。

 僕に分からないのも無理はない。最近では人間とアンドロイドの違いすら曖昧になってきた。

「そう、命令通り動くロボットを作りたいんだ。それでいて時には最近の若者には個性がないと嘆く。そんな大人にはなりたくないね」

「皆同じかあ、人間はどうなっていくんだろうね」

「さあねえ」

 二人して、しみじみと人類の未来を憂えた。



「まあ、それはそれとして」ノイは徐に立ち上がり、テーブルの上に黒い物体が乗った皿を置いた。「ちょっと失敗したけど、折角作ったから……どうぞ」

 先ほどから視界には入っていたが、会えて無視していたそれが目の前にあった。

 まったく、説教が足りなかったのだろうか。

 はしで黒い物体をつまみ、期待で溢れている表情をしたノイの口の中に突っ込んだ。

「……うぇえ」

 咀嚼したが、飲み込むことはかなわず、ティッシュの上に吐きだした。

「ふむ、正常な味覚もあるんだな」

 いつもお菓子を食べているところしか見ていないので味覚がおかしいのかと心配していた所だ。

「うう、ひどい」

 目尻に涙を浮かべ中がノイは僕を睨みつける。

 涙を流すほど酷い味だったのか。

「自分で作ったものだろ」

 ノイはジュースをがぶ飲みして口直しの最中だった。

 その後、無言で黒い物体を流しに捨てた。その物悲しい様子にはすこし心が痛んだ。

 そして、いつもの定位置である座イスで体育座りをして顔を伏せた。

 お腹がすいたらお菓子を食べて元気になるだろう、とぞんざいな理由で放置した。なぜなら面倒なレポートを仕上げなければいけないからだ。さっそく取り掛かろうとパソコンを立ち上げる。

 テレビを消すと静かな部屋。

 そこにはタイプの音以外にもう一つの音が響いている。ぶつぶつと何かを唱えるような小さな声。もちろんノイ以外にはいない。

 近づいて耳を澄ましてみる。

「折角、作ったのに……いつもお世話になってるし……、所詮アンドロイドなんて……個性なんて……人間に……」

 聴いているこっちも気がめいるようなネガティブな言葉が止めどなく溢れていた。

 頭をなでても反応なし。

 お菓子の袋をがさがさとしても反応なし。

 仕方がない。

「料理、してみるか?」

 ノイの声がやんだ。

 よし、じゃあいいか。

 デスクに戻りレポートを再開した。

「こらー!」

 勢いよく立ちあがったノイは体を大の字に広げて怒りを露わにした。

「そういうの良くないよ! 期待持たせといて裏切るなんて最低だよ。汚い大人の仲間入りだよ!」

「いや、反応なかったからさ」

「そこはもうひと押しでしょ!」

 ノイは案外かまってちゃんだ。この辺は本当に人間らしい。



「じゃあ、味噌汁でも作ろうか」

「はい!」

 お湯を沸かし、味噌をとかし、味の素を入れ……、淡々を味噌汁を作成していく。その間、ノイは斜め後ろに立ち感心するように「ふむふむ」と大きくうなずいていた。

 着々と完成に近づくい味噌汁を見てノイはふと眉をひそめた。

「私の出番は?」

「じゃあ、かき混ぜようか」

 そう言ってお玉を渡したが納得のいかない顔だ。

 不満も分かるが、今日の惨状を見ては下手なことはさせられない。

「もっと、なんかこう……、ねえ」

「……しかたない」冷蔵庫を漁ると大根の切れ端が出てきた。「さあ、これをいちょう切りにするのだ」

「おお、料理っぽい!」

 いちょう切りとは、包丁の握り方等を教え場所を譲る。

 まな板を前にしたノイは嬉々とした様子で包丁を握る。

「刃物だからな、気を付けろよ」

「はい!」

 返事だけは立派だが、包丁を握る手は定まらず危なげだ。すとん、すとん、とこぎみよい音を響かせながら、なんとか大根を切っていく。

 切り終えた大根を湯だった味噌汁の中へ投入して出来あがり。

「はい、よくできました」

「おお、できた――痛っ」

 小さな悲鳴。

「どうした、切ったのか?」

「そう、みたい」

 ノイの手を取り様子を見ると、人差し指の側面に切り傷があった。ほんの小さな傷だが、少し深く切れている。普通なら血が出てもおかしくない、指先なら尚更だ。しかしノイの傷口からは血は出ていな。傷の内側は皮膚よりも赤く染まっているが、それだけだ。

 指で押さえておけばそのままくっつきそうなほど綺麗な傷口だった。

「大丈夫か?」

「うん」

「気を付けろよ全く、刃物は危ないんだからな」

 ノイは怒られ落ち込んだ表情になったように見えたが、

「やっぱり、血が流れていないんだ、私」 

 どうやら、怒られたことが理由ではないらしい。いつものヒューマンコンプレックスだった。

 ノイは傷口を眺めては、とたんに暗い表情になった。

 むしろ普通に血が出てきた方が僕は驚いただろう。しかし、少なからず驚いたのも確かだ。

 ノイが切り傷を負ったのは初めてだ。

 今まで考えなかったわけじゃない。ノイの中身(内臓的な意味で)はどうなっているのかと。おそらくノイ自身も考えただろう。

 知りたい、しかし知るのが怖い。どんな結果を望んでいるかもわからない。

 そうやって、先送りにしてきた問題に今、直面している。

 解決したわけじゃないが、少なくとも指先には血が通っていないことが分かったわけだ。

「まあ、そんなに気にするなよ」

 安っぽい言葉をかけながらノイの指にバンドエイドを巻いてやった。

「普通は血、出るんでしょ?」

「まあね。でも痛みはあるんだろ? それでいいじゃないか」

「どうして?」

「痛み――危険信号が分かるなら生きて行く上では問題ないだろ」

 血が流れていなくとも痛みが分かれば人間と大差ない、そういいたかったのだが。『信号』という単語がどうやら彼女の気に障ったらしい。

「信号……、私が感じているこの痛みは、クロが感じている痛みとは違うかもしれない。ただの『痛み』という『信号』なだけかもしれない」

「大火にそれは証明できない。だけどそれは皆にもいえることだ。俺の見ている青が誰かの眼には赤と映っているかもしれない」

「どういうこと?」

 いまひとつ要領を得ていないノイは首をかしげる。

「ある色Xを俺は青と認識する、誰かは赤と認識する。それでも二人にとってその色はXだから何も矛盾は生まれない。他人の感覚を共有はできない。だから色だけじゃなく、痛みも、他人と自分では感じ方が違うかもしれない。『本当の痛み』なんてないのさ」

「そっかあ……」

 明確な答えはない、だけど、だからこそノイは少し安心したような表情を見せた。

 クオリア、哲学的ゾンビという言葉が頭をよぎった。だけどここで口にすべきではないだろう。

 心というものがノイにあるのか、その仕草、表情、行動はただの信号の結果に過ぎないのか。

 何度も考え、答えなどでないと分かりつつもやはりたまに考えてしまう。

「さて、少し早いけど夕飯にするか」

「うん」

 ノイはバンドエイドを巻いた指をさすりながら上機嫌に返事をした。

 相変わらず躁鬱の入れ替えが激しい。普通なら――。

 それ以上は思考から追い出し、夕飯の準備に専念した。


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