human complex
休日、欲に身を任せて気の済むまで惰眠を貪っていた。
テレビから漏れる音と、珈琲の馥郁たる香りで微かに覚醒する。
そのまま起き上がる気にはなれず、しばしの間まどろみを楽しんでいた。
「クロー、そろそろ起きようよ」
「……」
声には気づいていたが、気だるさに抗えずそのままたぬき眠りを決め込んだ。
「クロー」
ついには毛布をはぎ取られてしまった。
快適な睡眠を邪魔したのは同居人のノイ。同居『人』といっても人間ではない。アンドロイドだ。どういうわけか一緒に生活をしている。
「なんだよ、寝かしてくれよ」
毛布をはぎ取られてもまだ起き上がる気力は湧いてこない。布団の上で体を丸め、体の宙に暖を集めた。
「もう十二時だよ。ほら、珈琲もいれたから」
「……ふう」
意を決して布団から起き上がった。
ノイから受け取った珈琲で乾いた口内を潤す。しかし一口飲んでの珈琲がブラックだと気付き、その苦さに顔をしかめた。
砂糖と、ミルクをたっぷり入れ再び珈琲を口にした。
「いいじゃない、ブラックで」
「苦いんだよ」
「それが珈琲でしょ」
「これも珈琲だ」
「それじゃカフェオレだよ」
珈琲の味自体は好きだ。しかしどうもブラックのままというのは好きじゃない。エスプレッソに砂糖を入れて初めて完成だ、と本場イタリアではいうそうではないか。これはエスプレッソではないが。
珈琲(決してカフェオレではない)片手にカーテンを開けると真上に昇った太陽がぎらぎらと輝いていた。すぐにカーテンを閉めた。
そんな様子を見てかノイが呟く
「不健康だなあ」
ずっと引きこもってるノイには言われたくない。
「日光にそんな大層な効力はない。それに、ばれたらどうすんだ」
世間には一応ノイの存在は隠している。
ノイは恐らく親父から送られてきたものだが、なんの目的があって送ってきたのかは皆目見当がつかない。しかし現代の科学水準でノイが作り出せるのかは怪しい、というより無理だろう。だからまあ、公の機関などには気づかれないほうがいいだろう。と勝手に思っている。一番の理由は面倒事はさけたい、なのだが。
このアパートは大きな県道に沿っている。昼夜問わず車が行き交い、五月蠅いったらありゃしない。そんなわけで人通りも多い。
「ばれたら、か、彼女ってことで」
ノイは言葉に詰まりながらそう言い、自分で言った癖に照れて顔を背けた。
ぼうっと、気だるげな昼下がりをただただ、ぼうっと過ごしていた。
ルイは飽きもせず流れるテレビを眺めている。板チョコをばりばりとそのままかぶりつきながら。
見ていた番組が終わり、次に始まった番組はお気に召さなかったらしく次々とチャンネルを変えるノイ。一周しても気に留まる番組はなかったらしく最初のチャンネルに落ち着いた。
しかし、数分して、
「つまんない」
そう言ってこちらを見る。
何かを求めている視線を感じたが、あえて独り言として処理した。
「つまんない!」
今度は明らかに独り言ではない声量だった。無視もできず眠たげな視線を向ける。
「どうしろと?」
「……」
そこまでは考えていなかったらしく、無言で厳しい視線だけを向けて来る。
「じゃあ、ゲームでもしようか」
「ゲーム? そんなのあったの」
ノイは嬉々として目を輝かせた。
ゲームは、特にテレビゲームがロードが遅いのが嫌だったのであまりしなかった。実家から持っていたものの、今まで一度も開けることなく押入れの奥にしまってあった。
現在出ているものと比べたらかなりの骨董品だ、何せ十年ほど前のハードである。ソフトも片手で数えるぐらいしかなかった気がする。
ノイは廃線を繋げてセッティングする様子を新鮮な眼差しで見つめていた。
準備を終えノイの前に四本のソフトを並べる。
「さあ、選べ」
「どんなゲームなの?」
「RPG、シューティング、格ゲー、野球対戦」
と、見事にバラバラのジャンルだった。
「どれが二人でできるの?」
「え、俺もやるの?」
当たり前でしょ、と言いたげな冷たい視線が刺さった。
次に、で、どれ? と言いたげに首をかしげた。
「RPG以外は……」
「じゃあ、これにする」
ノイが選んだのは格ゲーだった。パッケージの少女が若干ノイに似ているのでそれで選んだのかもしれない。
いまではないディスク型のソフトをハードに吸い込ませる。
長いロードの末、ようやくゲームのオープニングムービーが始まった。
「どうやるの、どうやるの?」
もう始まったと思いこんでいるノイがボタンをでたらめにガチャガチャと鳴らす。
「まだだよ」
二人の対戦モードを選択しキャラクター選択画面に移る。
ノイはカーソルを震わせながらも、例の自分に似ているキャラクターを選んだ。彼女にそんなナルシストな部分があったのは、新しい発見だった。
どのボタンが小攻撃だとかガードだとか、自分も全く覚えておらず、二人して説明書を見ながら練習した。
「うう、難しい」
ルイは目を細めながら説明書とコントローラーを行ったり来たりしている。
そして僕は徐々に感を取り戻しずつあった。
必殺技を繰り出したり、長いコンボを決めたりしてみると、
「えっ、何? 今の何?」
とルイは尊敬の視線を向けてきた。
それで気をよくして、ボコボコにしていたらいじけ始め、しまいには、
「初心者なんだから……、初めてなんだから……うう」
今にも泣き出しそうな雰囲気だったのでそろそろ止めることにした。
ノイの練習に付き合うこと小一時間、ようやく簡単なコンボや必殺技のコマンドを覚え始めた。
「……」
「……」
その後は、二人とも無言になり、ただ画面の中のキャラクター達だけが元気に動き回っている。
ふと、ルイの方に目をやると半開きの目がどんよりと画面を見据えている。
きっと廃人の目とはこういう目をいうのだろう。
「はあ……」
一息ついたルイがコントローラーを置いた。ゲームをやり始めてもう三時間は経過していた。さすがに疲れたのだろうか。
「そろそろ止めるか?」
僕の言葉を無視して、
「このキャラクターと、私の違いって何だろう?」
悲しげな、呟くような声からいつもの悪い癖が出たことに気付いた。
「この子達も、私も人工的に作られてプログラムされ動いてる。私と彼等と、どこが違うんだろう」
ノイはちゃんと自分がどういったものか分かっている。人間ではないこと。人工的に作られたアンドロイドであること。その癖見かけだけは人間そのもので、ぱっとみは見分けがつかない。
だからこそ余計、ノイは悩む。
きっと外見がもっとごつごつした、いかにもロボットといった風だったら、自分を人間ではないロボットだと素直に受け入れられたかもしれない。
しかの彼女の外見は人間だ。
では中身はどうか?
まず、此処で言う中身とは物理的な意味で、すなわち臓器とか脳とかを指す。
もちろん僕が彼女を作ったわけではないから、中身がどうなっているかなんて分からない。切り開けば簡単、なんて言葉で言うほど簡単ではない。
もちろん切り開けば分かるだろう。しかし、そんなことはしたくない。ノイに対する科学的興味なんてものは皆無だ。それに、一緒に住んでいる以上すくなからず情というものも湧いてくる。
ノイ自信、自らを切り開くなんてことはしないだろう。
アシモフに基づくなら自らを傷つける行為はできないはずだ。こんなことを言ったらノイは酷く怒るだろう。
いや、しかし逆に、自らを傷つける行為は人間という証明に……?
なんて提案をしたら本当にやりそうだから止めておこう。
さて、では心理的解釈で中身を心としたらどうだろう。
そう、此処が最もノイが気にかけている部分だ。心、感情、人間を人間たらしめているものはそういったものではないだろうか。
しかしそれは証明できない。心、感情、ただの言葉であってそれが何であるか、概念的な存在でしかないのだから。答えが無いからノイは悩む。自分は人と同じように考えているのだろうか。この喜怒哀楽の起因するところは人と変わらないだろうかと。彼女のこの感情を僕はヒューマンコンプレックスと呼んでいる。
僕に言わせれば、考え、悩むことができる時点で十分人間だと思うのだが。だからいつも僕は、
「ノイはちゃんと人間だよ」
と、慰めに似た言葉をかける。
「でも、だけど……、彼等も攻撃を受ければ顔を歪ませ苦しむし、勝利すれば笑って喜ぶ。あの感情は私の感情とどこが違う?」
ノイは体育座りの格好で膝に顔を埋めて問う。
「ノイは、彼等の感情が偽物だと言ってるんだな?」
ノイと同じようにゲームのキャラクターを彼等と呼ぶのはいささか抵抗があった。
「え? だって、そうでしょ。彼等はそうプログラムされている。動きも全て」
「つまり、予想ができる。線形的な感情だと?」
「うん。まあ」
さて、どう言えばノイを納得させられるのだろう。
「じゃあノイと彼等は全然違うじゃないか。コントローラーが無くても動くし、色んな髪型に……表情になるし。次に何を言うか、何をするか全く予想できない」
「そうだけど、そうだけど……」
納得できずに、ノイはまだ唸っている。
「ノイは自分の感情もプログラムだと?」
「……うん」
「その苦悩も?」
「……うん?」
「彼等は自分の存在に悩んだりしない。疑問も持たない」
「これも、この悩みもプログラムじゃないって保証はないじゃない」
「何のためのプログラムだよ」
「より人間らしくするため……?」
ノイのその発想には驚いた。ばかばかしいと笑い飛ばしたくもあったが、今はシリアスな雰囲気なので自嘲した。
「人間らしく、か。その悩みは人間らしくあるためだと、断言できる?」
「分かんないよ。ただの想像だもん」
「プログラムは想像なんてしない。創造もしない」
ノイはよく創作お菓子を作る。ポテチにジャムを塗ったり、板チョコをオーブンで焼いたり、創作と呼べるか怪しいものだけれど。
「そんなの分かんないじゃない」
「それが出来たら人間と一緒だよ」
「でも人間じゃない」
「零と無限小は違うものだけど、その違いに意味なんてないだろ」
「数学じゃちゃんと定義されてる」
まだルイは受け入れない。まったく、どうやったらそのdxが埋まるのだろうか。いや、埋まらない。そう、答えなんてないのだから。
「人間は考える葦である」
「アシ?」
「草、パスカルの言葉。人間と草とその違いは考えるか否か。ノイは自分が何者なのか考える。自己について考えることは人間にしかできないことだよ
「パスカル……」
「そこら辺にいる、与えられるがままに生きてる人間なんかよりルイのほうがよっぽど人間だと思うけどね」
「パスカル」
再び、今後はうっとりと彼の名を噛みしめるように反芻した。
「満足かい?」
「うん、偉い人がそう言うんなら私はちゃんと人間ってことだね。この心はちゃんと人と変わらないものってことだね」
ノイは言い自らに言い聞かせるように高らかに言った。
「そうそう」
なんて相槌をうつものの、根本的な彼女の疑問は解決していないことも、もちろんわかっている。
人も悩む、自らが何者なのか。何故生きるのか。しかし、それは答えがでない。どれだけ考えても普遍的な答えなどあり得ないのだ。
だがノイの場合。人工物であるという点が非常に痛い。人が作るものにはメカニズムがあるからだ。イコール答えがある。何者なのか、何故、の。
それが羨ましくもあり、不憫にも思えた。
ノイが悩み苦しむ度に、彼女を作ったであろう自分の父親を強く憎む。
「さて、もう一戦やりますか!」
「まだやるの?」
「やるの」
ノイはすっかり元気になった。
ヒューマンコンプレックスは今のところ乗り越えたらしい。
どうやら偉人の言葉が効果的だったらしい。次回からも引用させてもらうとしよう。
できれば、悩むことなく、ただ楽しく過ごして欲しいと無邪気な笑みを浮かべるノイを見て思った。