4-1
「――『大盛り』で。あ、やっぱり『特盛り』にして」
トレイを片手に配膳の列に並び、自分の番になった七奈は開口一番、そう言った。
当番の男が虚ろな顔で頷きを返し、お椀にごはんをてんこもりに盛りつけた。
他のおかず類も受け取り、七奈は満足げにトレイをもって自席へと移動する。
椅子に腰かけ、自分を含む班員四名が全員着席したことを確認し、手を合わせて「いただきます」と口にした。唱和するように全員が同じ作法を繰り返して、A班の食事が始まった。
他の班も全員が揃い次第、順次食事を開始していたが、食堂内は静かなものだった。全員が無言というわけではないにしても、七奈が通っていた女子校のお昼休みとはだいぶ違う。だからと言って、どうということもないが。
今日のメニューは、ごはんに卵スープ、照り焼きハンバーグ、大根と海草のサラダ、デザートのプリン。
好きなものを好きなだけ注文していた個室の食事は、贅沢とはいえ味気ないものだった。皆で決まったメニューを食べる今の方がなぜか満足できる。少し量が足りないこともあるが……まあそれくらいの我慢は必要だと割り切ることにしていた。
じつは、入院してから体重が少しだけ――ほんの誤差程度、増量したことを気にしているわけではない。ないったらない。
ものの数分で特盛りのお茶碗を空にして、さっそくごはんのおかわりに席を立とうとした時、背後に何者かが立つ気配がした。
七奈が怪訝そうに振り向くと、そこに立っていたのは見たことのない若い男だった。
おそらく少女の兄よりも少し歳上くらいだろうか、日焼けした肌とツンツンにたてた金髪、両耳には幾つもピアスをじゃらじゃらとつけ、だらしなくボタンをあけたシャツといい、異常としか思えないレベルの腰パンといい、いかにもな格好である。
七奈は本能的な嫌悪を覚えて眉をひそめた。同時に体が強ばったのは、男という不慣れな存在に近くで相対した緊張ゆえだった。
「……なにか用?」
問いかけると、ポケットに両手をつっこんだままいやらしい笑みを浮かべていた男が口を開いた。
「どーも。あんたが団長ってやつなんだろ? 俺、今日からこのママゴトに参加だからさあ、挨拶ってやつ? しとこうかなって思ったんだけど」
頭の悪そうな顔そのままの頭の悪そうな言葉だった。不快感がさらに増すのを感じる。
「団長さんJKかよ。しかもけっこう可愛いし。超ウケるんだけど。なんの冗談だよこれ。てめーら揃いも揃ってJKの下僕かよ!」
食堂全体に聞こえるほどの大声で嘲る男。辺りに漂っていた控えめな談笑の空気が凍りついた。
七奈はその時、自己の中に渦巻く色々な感情を押し込め、我慢することを選択した。空気の読めない邪魔者を刺激するよりは、相手にしない方が得策と判断した結果だった。
「どいて。おかわりに行きたいの。あなたも席に戻ったら? 挨拶なんて後にしましょう」
できるだけ無感情に言うと、男はそれまで以上に下卑た笑い声をあげた。
「おいおい、まだ食うのかよ! 可愛い顔して団長さんて大食いキャラなのな? べつにこんなクソ不味い飯の量なんてどうでもいいんだけどよ。むしろ団長さんが残飯処理してくれるならこっちも助かるってゆーか? ヒヒヒッ」
「…………」
「ん? って、おいおい、団長さん震えてるじゃん? なに? 俺のこと怖いの? 団長なのに? なさけねーなー。あ、それともアレか? もしかして男が怖い? ヒヒッ、たしかにどう見ても処女っぽ――」
「無理」
七奈はうつむいたまま席を立った。そのままつかつかとテーブルから遠ざかるように歩き出す。
「あん? 逃げるの? 団長さん逃げちゃうの? あひひひっ! 超メンタルよえー!! なにこれ? 俺が次の団長ってこと? 不戦勝ってやつじゃん? まじウケる!」
と、その時だった。
A班を構成する三人が、自分の食事の載ったトレイを手にもち同時に立ち上がった。まるでこれから起こることを予測したように、全員が避難するように席から距離を取り始める。実際、彼らはせっかくの食事が血で汚れるのを避けただけだった。
「……な、なんだてめーら?」
異様な雰囲気を察して男が班員たちの方を不審げに見やる。
その背後で、どす黒い何かが爆発したように膨れ上がった。
「!? !? !?」
男が目を限界まで見開き、笑みの形に歪めたままの口腔から鮮血を溢れさせた。
背後から攻撃を受けたのだと男が理解するまでに数瞬の間があった。
「どうして男ってこう、がさつで汚らしくて頭も悪いの? ああ、きもちわるい。きもちわるいよ。おにいちゃんに逢いたい……」
少し離れた場所で、胸の前で両手を合わせて祈りを捧げるように虚空を見上げる少女。その髪から七本の漆黒の刃が伸びて、男の全身を背後から串刺しにしていた。
「て、てめぇ……!!」
痛みと怒りに震える男の耳に、感情を押し殺したような静かで冷たい声が届いた。
「動かない方がいいよ。わたしは二秒でおまえを殺せる。傷が再生する暇なんて与えない。きっとすごく痛いよ? おとなしく席に戻るなら、今ならまだ許してあげる。わかった?」
「わかる――かよ!!」
怒声と共に男が体を前方へ移動させた。突き刺さっていた刃を無理矢理引き抜きながら距離を取る。
衣服が破れ全身から血が流れ出していたが、男は額に脂汗を滲ませながらも不敵に笑った。
「やってくれやがったな。なんだその刀みてーのは? それが団長さまの〝D〟ってわけか? ええ、しょうもねーなおい!」
怒気に満ちた声と共に、男の体が二倍に膨れ上がった。
その額を突き破って生えてきたのは、二本の角だ。浅黒く変色した筋骨隆々たる肉体はおよそ人間離れした規模である。
「〝鬼〟――単純にして純粋なパワーは誰にも負けねぇ!」
男が電信柱ほどの太さもありそうな巨大な腕を振りあげた。
「俺がここの頂点だぁっ!!」
見た目に違わぬ威力を秘めた強力な一撃――そのスピードたるや常人に見切れるものではない。
七奈はけれど、腕を組んだまま微動だにしなかった。ただその口の端を吊り上げ、ニヤリと不気味に微笑した。
振り下ろされた鬼の腕が空を切ると同時、黒い刃が一閃した。
シュバッという鋭い断空音が耳を打ち、肩口から切断された鬼の腕が宙を舞った。
肉塊が血をまき散らしながら遥か後方へと吹っ飛んでいく。
驚愕に目を見開いた鬼が痛みを感じるよりも早く、少女は動いた。
「わたしに斬られた傷は〝D〟だとなかなか治らないよ?」
歌うような声は男のすぐ耳元で聞こえた。
巨大に膨れ上がった肩の上に華麗に舞い降りる小さな姿――少女はそこに腰掛けた姿勢で優雅に黒髪をかき上げた。
「今すぐその醜い姿を戻さないと、おまえ死んじゃうかも。次は左腕を落とそっか? それとも首いっとく?」
「な……!?」
「ほら、十秒待ってあげる。降参するならすぐに姿を戻すといいよ。そうしたら殺さないであげる。おまえを殺すよりも、焼き芋もらった方が嬉しいから。相手を殺さずにモメ事を解消したらって約束なの。わかる? おまえの命なんて焼き芋三個程度なんだよ。でもこれ以上、わたしをムカつかせたら殺す。焼き芋がもらえない分も上乗せして、めちゃくちゃに苦しめた上で、指先から五センチずつ細切れにして殺す。……ねぇ、あと一秒だよ?」
「こ、降参す――」
「はい時間切れ」
斬ッ――と。
鉈のように巨大な形状に変化した黒髪の束が上空から振り下ろされ、鬼の額から生えていた角を片方、根本から断ち切った。