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10-1

 わ、わけがわからないよ……!!

 悪夢でも見ているかのような現実離れした光景に俺は眩暈(めまい)を覚えた。

 扉の隙間から窺う中の様子は地獄絵図としか形容のしようがなかった。妹の腹のあたりからぶっとい巨大な蛇の首が生えており、その先には年末に俺たちが捕獲したばかりの〝D〟――鎧神らしき奴が半分壁にめりこんだ状態で大蛇の頭に喰われていた。

 士堂の奴はどうやらまだ生きているようで抵抗するように素手で大蛇の鼻先を殴ったりしていたが、その動きはだんだんと弱っているように見えた。自慢の鎧はすでにボロボロだったし、まじで喰い殺されるのは時間の問題だろう。

 すぐ隣で室内を窺っていた紗羅さんがさすがに緊張した面持ちで口を開く。

「まさかここまでとはな……」

 彼女とて最初は驚き絶句した様子だったが、幾分いつもの冷静さを取り戻したようだ。……あんた鉄でできてんのか? こんなん見せられたら俺は言葉もねぇよ。

 その鉄乙女(アイアン・メイデン)がこちらを振り向くと、当然のようにこう言った。

「というわけだ。貴様がなんとかしろ」

「無理です」

 即答した。さよなら士堂、おまえのことは忘れない。アーメン。

 一瞬で諦めた俺を紗羅さんが思いきり蹴ってきた。

「ここで殺人を起こすわけにはいかんのだ。発案者は別だが、実験に許可を出した国木田博士も責任を問われることになるぞ」

 それはわかるし、玲子ちゃんの立場を考えると助けたいとは思うが……

「だって!? なんですかあれ!? 怪獣じゃないですかまるで!!」

 髪が蛇でうねうねしたメドゥーサ状態ならばまだいい……よくないけど、百歩譲っていいとしよう。だって人型だもの。だがしかし、腹から超ぶっとい大蛇の首が生えて人喰ってる姿なんて見たらもはや妹とかそういうレベルじゃない。いや、妹なんだけどさ!

「貴様は妹が殺人者になってもかまわんのか?」

 一五、六といった幼い容姿に似合わない、冷たく研ぎ澄まされた眼差しに射貫かれて俺はたじろいだ。

「…………」

 かまわないわけがなかった。だが、それを俺がどうこうするというのもまた違う気がした。

「だ、だいたい、ここには警備員がわんさかいるはずじゃないですか」

 地下へ来る途中、階段を封鎖する物々しい格好の連中は見ていた。防衛線が張られている以上、突入部隊だっているはずだ。

「ああ、その通りだ。すでに部隊は反対側の入り口を固めているし、私もいる。装備だってこの通り準備してあるさ」

 紗羅さんはいつものフォーマルなスーツの下に防弾チョッキを付けており、緊急事態を受けての武装なのかソードオフされた散弾銃(ショットガン)らしきものまで手にしていた。拳銃をぶっ放している姿は何百回も目撃してきたが、さすがに物々しさが桁違いである。

「だが、貴様はそれでいいのか? アレの鎮圧は容赦も手心も一切、かなぐり捨てたものになるだろう。警備の人的被害も、アレそのものの命すら保証されない。だからこそ国木田博士は貴様をここに連れてくるよう私に命じたのだと思うぞ」

「玲子ちゃんが……?」

「警備が突入すればどういうことになるか想像してみろ。――鎧神に銃は効かん。狙うべきは貴様の妹ということになる。もっとも安全かつ簡単な方法としては麻酔銃を使うべきなのだが、一撃で仕留められなかった場合、反撃にあった警備の連中がアレを蜂の巣にするだろう。H〇四の効果は折り紙つきだが、人間には強すぎる成分である以上、過剰摂取オーバードーズは後遺症では済まん。その場合、廃人か死の二択といったところか」

 思わず絶句する俺に、紗羅さんはまるで他人事のようにこう付け加えた。

「……よってこの案は却下された。目下のところ銃火器による武力鎮圧の線で指令が下りている。正確な注射により確実に一撃で仕留めるためだが、そのためにまずはアレの動きを封じねばならんし、我々も相応の被害を受けるだろう。いずれ蜂の巣は避けられんよ。誰も死にたくはないからね」

 ゴクリと喉が鳴った。いくら完全武装した精鋭とはいえ、あいつに対し生身の人間が応戦するなんてどれほどの危険を伴う行為であるかなどわかりきっている。ならばこそ紗羅さんは容赦なくショットガンをぶっ放すだろうし、それは他の連中も同じはずだ。

「結局のところどっちもどっちということだ。あの状態のアレを無傷で捕らえることなど、貴様ができんと言うならば他の誰にもできんよ。この私にもな。国木田博士としてはアレを殺さずに捕えたいはずだが、容認できる限度というものがある。患者による殺人行為が行われるよりは、事故死として処理する方がまだいい」

 端正に整った美貌、その切れ長の目の奥で、異国の血を引く狼を思わせる灰色の瞳がじっと俺を見つめていた。

「正直、私はどちらでもかまわん。それが私の仕事だからな。優先すべきはどう考えてもこの場の収束であり、化物の生き死にに興味はない。――だが、風間一郎は違うよな?」

 体の中で心臓がまるで別の生き物のようにのたうち回り、狂ったように鼓動を刻んでいた。

 七奈が、死ぬ……?

 その瞬間、俺は右手を、そこに宿る邪悪な気配を押しこめるように強く左手で握りしめた。

 ……嫌だ。

 そんなことは絶対に嫌だ。

 目の前で妹を殺される光景を見せられることなど二度とごめんだ!

 だからこそ強く願った。願ってしまった。

 どれほどに人間離れしていようと、もはや化物と呼ばれる存在にまで()ちていようと、俺はあいつを(まも)りたい――と。


 だってあいつは俺の妹で、俺はあいつの兄貴なのだから。


「……わかりましたよ。俺がやればいいんでしょ!!」

 やけくそ気味に叫んで突入を決意する俺。

 決心した勢いのせいか、体の中にこれまで感じたことのないほどの不思議な力が満ち溢れている気がした。それは右手を中心に身体中を駆け巡り、一種の麻薬のように恐怖心すら抑えこむようだった。

「その代わり警備の連中を中に入れないように頼みますよ。必ず俺があいつを止めますから、紗羅さんもここで待機しててください」

 紗羅さんは短く「わかった」と言って、銃口で扉を指し示した。

「ならば先陣は貴様に任せるとしよう。とにかく鎧神の奴が殺される前にアレを止めろ。それまで我々はけして手出しをせん」

 その言葉に背中を押されて扉の前に立つ俺。大きく深呼吸し、さあ行くぞ! と気合を入れて扉を開け放とうとしたところで、急に手を捕まれた。

「ちょっと待て」

 早く行けと急かしていた御本人様から止められて困惑していると、紗羅さんは珍しく歯切れの悪い感じでこう言った。

「その……貴様があれの暴走を止められず、殺される可能性がないわけでもないよな……」

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

 えっと……? もしかして、俺の心配してくれてるの……!?

 今世紀最大級の驚きにして驚天動地の出来事だった。

 つ、ついに紗羅さんのデレ期到来なのか!?

「まあ、貴様が死んだら死体は敷地の裏手のゴミ焼却炉に放り込んで、骨はすぐそばの地面に埋めて枯れ木で組んだ墓標に『バカの墓』とでも刻んでおけばいいとして」

「よくねーよ!? 警察が死体隠匿しないでくださいよ!」

 どうやら違ったようだ。こんなデレはおかしいだろ、常識的に考えて……

「それはともかく、私はその、今日は玲子に逢いにきたのであって、本来ならば非番のはずだった。だから、えーと、足りてないのだ」

「はぁ……?」

 もごもごと言いよどむ様子の紗羅さんだったが、急にガバッと顔をあげたかと思うと俺の襟を引っつかんで怒鳴った。

「だから死ぬ前に『栄養』をよこせ、と言ってるんだ!」

 完全に吹っ切れた様子で目が血走っていた。

 ちょっとびびったが、話はどうやらそういうことらしい。

「貴様が失敗したら私が後始末することになるんだからな。体調は万全に整えておく必要がある。今ここに玲子がいない以上、貴様が私に栄養をよこす義務があるのだ! だからその……き、貴様、私に何を言わせるつもりだ? 重大なセクハラ事案として訴えてもいいんだぞ。いやむしろ判決を待たずして死刑だ!」

 暗いマット色の髪を邪魔にならないよういつも二つ結びにしている紗羅さんだが、それもあいまってひどく幼さが引き立つ場面だった。

「私刑じゃないですかそれ。はいはい、わかりましたよ」

 こちらの襟首を捕まんだままの彼女の手をとって、無造作に顔を近づける俺。時間がないので手早く済ませるつもりだったのだが、紗羅さんはびっくりしたように顔を背けてしまった。

「ま、待て。ここではまずい。監視カメラの死角に行くぞ」

 実年齢二七歳にして見た目は一五歳程度、性格は冷静冷酷冷淡の三拍子が揃ったクールビューティーというハチャメチャなお人ではあるが、意外と可愛いところもあるのだった。こんなこと本人に言ったらまじで殺されそうだから内緒にしているが、俺の中ではひそかに彼女の萌え要素が着実に積み上がっている。

 紗羅さんは俺の手をとって廊下の角まで戻ると、そこで呼吸を整えるようにすっと息を吸いこんだ。

 ――そして彼女の『食事』が始まった。

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