9-1
「せぃッ――!!」
裂帛の気合が空気を震わせた。
繰り出された模造刀の横薙ぎの一閃を、少女は半歩後ろに下がるだけで優雅に回避した。完璧なまでの見切り――それは攻撃の側にあった鎧神こそが驚くべき精度だった。
七刀ノ神としての少女は動体視力が劇的に、それこそ人間離れしたレベルにまで向上している。それだけではなく、すべての身体能力が以前とは比べものにならないほどだ。そのことが、自らの体が自らだけのものではないことを少女に自覚させている。自分たちがもはや分かちがたいほどに『自分たち』なのだと――理解している。
「つまらないわね」
少女は小さく吐息を洩らした。
油断していたとは言え、この程度の攻撃が避けれずに一撃で昏倒した男たちにちらと目をやる。本当に面倒だと思った。最大の敵は無能な味方、とはよく言ったものである。
少女が思うに、〝D〟感染者の強さとは『馴染む』かどうかだ。もちろん〝D〟そのものが能力的に優れていることは重要な要素だが、使いこなせなければ意味がないのは何も〝D〟に限った話ではない。
その点、自覚的にも他覚的にも、少女は最強だった。おそらくその相性の良さは偶然によるところが大きいはずだが、まるで初めからそこに収まることが定められていたかのごとく、七つ首の神は少女の中にぴたりと『はまった』。ゆえに彼女たちは今、七つにして一つの生物だった。
「忠告しといてあげるよ」
長い黒髪がふわりと舞うようにたなびく――闇が翼を広げたように。
その漆黒の中に禍々しい真紅の目が幾つも開き、対峙する少年に向けてぎょろりと一斉に視線を向けた。少女自身の目の他に、七対の瞳が敵の動きをあらゆる角度から見つめ、即座に少女の脳に伝える――圧倒的な視覚情報量は守りだけでなく攻めにおいても絶大な効力を発揮する。
「最初から全力できなさいよね。本気を出す前に死にたくないなら、ね」
小さな体が猛獣の群れにも匹敵する強大な殺気を放ち、獲物に狙いを定めるように毛束が鋭い刃の先端を形作った。
「……大した自信だな」
鎧神――士堂がさすがに気圧されたように半歩後退する。
その声が幽かに震えたのは、武者震いに他ならない――少なくとも本人はそう強く思う。相手が強大であればあるほどに、心躍る。これこそ彼が、彼らが切望した試合だ。
――死合だ。
相手の力を推し測るための牽制はもはや不要――忠告に従い、奥義を使う。
構えを変化させると同時、少年が面頬の奥で喊声を叫んだ。
「士堂流・神逆刃!」
絶妙の間合いから放たれる神速の斬り下ろし。
それは先ほどと同じように紙一重で少女にかわされた。
が、本命は返す刃にある。
中空で止まった刃が流れるように向きを反転させた。
少年は勝利を確信する。死角からの斬り上げは少女の胴を薙ぎ、その細いあばらを打ち砕く――はずだった。
士堂の目がカッと見開かれた。
「なめないでね」
刃は少女に触れる寸前で止まっていた。どす黒い鱗に覆われた少女の左手が、刀身をがっしりとつかみ押さえこんでいたのだ。
しかしなによりも士堂を驚かせたのは、その黒い鱗に覆われた手そのものだった。それは彼にとって見覚えのある、忘れがたい光景だった。
士堂が驚きの声をあげるよりも早く、少女の黒髪が刃となって胸もとへと吸いこまれた。鎧の上から激しい刺突を受け、士堂は刀をもぎ取られながら後方へ吹っ飛んだ。
「髪だけだと思ってたのならおあいにく様ね。わたしは全身がこの子たちの『巣』みたいなものなんだから」
少女は手に残った模造刀を興味なさそうに一瞥して後ろへ放り捨てる。同時に鱗に覆われた左手は一瞬にして元の白い肌に戻っていた。
「だけど――肌に鱗があるのって、あんまり良くないでしょう? だからいつもは目立たない髪にしているの。おにいちゃんに嫌われたくないから。本当は誰にも見られたくないんだよ、こんな姿」
「兄妹……なるほど、そういうことか」
士堂がこの場所にやってくることになった原因――彼は、ある人物に試合で負けたのだ。
その妹とこの場で相対することになるとは、運命は皮肉が効いている――少年の口許が笑みの形に歪んだ。もっとも、顔の半分が面頬に包まれた今は、鎧そのものが三日月のような不気味な笑みを浮かべたように見えた。
瞬間、少女の頬がぴくりと引き攣った。
「今、わたしを笑ったの?」
少女の表情がかき消え、空気が凍りついたように冷気を帯びた。静かな怒りがその全身から溢れ出していた。
「気が変わったわ。降参するなら許してあげようと思ってたけど、やっぱり殺すことにするね。おにいちゃんに告げ口するかもしれないから、殺した方がいいよね」
「……たしかに今おれは刀をなくして戦力は半減以下だが、あんたの攻撃もしょせん、この鎧を貫くほどじゃない。おれの鎧神は防御に特化した〝D〟だ。勝負はまだついてない」
「ふぅん。自慢の鎧みたいだけど、一本じゃ貫けないなら、こんなのはどう?」
少女が翼のように広がっていた長い黒髪を一つ結びのようにまとめあげると、束になった先端に集約した七つの刃がギラリと黒光りした。
「わたしは同時に七つのパターンで攻撃できるけど、そんな稽古したことはある?」
唄うように言いながら猛悪に嗤う少女。その姿は絶対的で支配的なまでの自信に満ち溢れていた。