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6-1

 俺こと風間(かざま)一郎(いちろう)が年明けに来院したその日、特に記憶に残るような出来事はなかった。

 年末年始だったこともあり調整が入っておよそ二週間ぶりの来院だった。今にして思えば、年始の挨拶など交わしつつも担当医の玲子ちゃんはいつもよりよそよそしい感じがしていた。結局何も聞かされることなく普段と同じ簡単な診察と検査だけですぐに終わり、その後は例のごとくお見舞いをしてからうちに帰った。

 そして今年二回目の来院となる今日もまた前回から二週間ほどが経過していた。原則としては毎週通院することになっているのだが、元々かっちり一週間と決められているわけではなく実際は色々な都合によって前後することも多かったので、きっとまた何か忙しいんだろーなー程度であまり深くは考えはしなかった。

 あるいは俺が退院してからもうずいぶんになるし、今後もこんな感じで徐々に通院の回数は減っていくのかもしれないな、なんて暢気(のんき)に考えたりしながら埼玉の山の中まで二時間以上も電車とバスを乗り継ぎ、ほとんど乗客もいない車内で揺れに身を任せてうたた寝していると、(うるわ)しの国立感染症対策研究所に到着した。

 広大な森の一角をくり抜いて近代的な建造物が緑に埋もれるようにして建っている姿はいつ見ても壮観、というか違和感の方が大きい。建物も新しければ、そこまで続く道路も新品同様だ。

 清潔で無機質で面白みのない建物が並ぶ敷地を歩いて研究棟へ行き、1Fエントランスにある受付のカウンターにて係のおねーさんに来訪を告げると、しばらく待たされた後コードレスホンを手渡された。

 受話口を耳に当てると、いかにも慌てた様子の玲子ちゃんの声が「ちょっと立て込んでるから一郎くんの診察は後でね!」とだけ言ってすぐに切れてしまった。

 しょうがないので先に魅麻子の病室にお見舞いに行くことにした。

 本当ならば特別医療棟の出入りはかなり面倒な手続きやら何やらが必要なのだが、俺の場合は玲子ちゃんのお墨付きなので特別扱いである。事情に通じている警備員も顔パスのようなもので、簡単な身体チェックだけであっさりと通してくれた。ただし、出入りは魅麻子の病室のある1F部分だけだ。

 以前の〝D〟脱走事件の後、各フロアに繋がる階段にも防壁代わりの厳重な扉が設置されたので、そもそも階をまたいでの移動は俺には不可能だった。まあ、頼まれても他のフロアに行こうなんて思わないし、特に3Fにある『あいつ』の病室には絶対に近づきたくない。

 いつも不気味な静寂に包まれた薄暗い廊下も、何度も通っているうちにすっかり慣れてしまった。人間どんな環境でも慣れるというが、この慣れはたぶん命に直結しかねない危険を(はら)んでいることを思えば末恐ろしくもある。

 てくてく歩きながらまっすぐに目指す病室に入ると、魅麻子が着替えの最中だった。

 ネグリジェのようなパジャマが床に脱ぎ捨てられ、それを着ていた当人は下着姿でシャツに袖を通そうとした姿勢のまま固まっており、俺と目が合うと驚いた顔をして瞼を見開いた。

 俺もまた刮目(かつもく)してこう言った。

「え……? それ、おまえのパンツ? なんで黒……?」

「冷静につっこみを入れてないで出て行け!」

 顔を真っ赤にして怒鳴られた。

 同時に魅麻子の髪から滴り落ちた水の雫が瞬時に膨張したかと思うと、荒ぶる龍の姿が現れ牙を剥きだしにしたので俺は慌てて病室から逃げ出した。

 五分ほど外で待ってから、今度は一応ノックしてから入室した。

 魅麻子はすでに着替えを終えてベッドに腰掛け、ぷいとそっぽを向いていた。

「一郎のバカ。すけべ。ろりこん」

「悪かったって。ごめんごめん」

 ムスッとしてはいるが、雰囲気的にそこまで怒っているわけでもなさそうだった。少女を(まも)る〝D〟――〝ミズチ〟の姿も消えていたので、俺は安堵しつつ病室内をさらに区切る強化ガラスに据え付けられた扉を開けて中へ入った。

 ベッド脇の折りたたみチェアに座り、改めて少女の姿をまじまじと見る。

 チェックのミニとニーハイソックス、シャツの上にノースリーブのニット――全体的に暖色系のファッションは珍しかったが、どこぞの少女アイドルグループに混じっていても違和感がない程度に似合っていた。

 最近は私服を着ていることの多い魅麻子だが、また新しく買ってもらったのだろう。病室の本棚にも年頃の女の子が好みそうなファッション誌が増えていた。最初の頃は少女漫画や子供図鑑みたいなのばかりだったのに、オシャレを気にしだすなんて何か心境の変化があったのかもしれない。

「今日は早かったのね? もっと遅く来ると思ってた」

「玲子ちゃんが忙しいらしくて、先に魅麻子のとこ来たんだ」

 来院した日は必ずお見舞いするのが俺の習慣であり、少女と交わした大切な約束だった。

 魅麻子の方も俺が来る日は玲子ちゃんから事前に聞いているはずだが、俺が見舞いに現れる時間帯はいつも夕方前後なので驚いたようだ。なるほど、そのせいで着替え現場に遭遇してしまい悪いことをしてしまった。

 ご機嫌取りのお世辞というわけではないが、俺は思ったことを素直に口にした。

「なかなか可愛いじゃん、その服。よく似合ってるぜ」

「……!!」

 誉められたのが嬉しいのか照れてるのか、魅麻子はそっぽを向いたままでもごもごと言った。

「お、おと、オトナっぽいと、思った……?」

「え? いや、子供じゃんおまえ」と返すほど、俺は空気が読めない唐変木(とうへんぼく)ではない。

 いい機会だし、ここはきちんと話しておくべきだろう。俺はキリッと顔を引き締めて言った。

「うん、ちょっとびっくりした。だけど、パンツはもうちょっと需要を考えて選ぶべきだな。定番のクマさんパンツとまでは言わないが、シンプルな白、あるいは縞パンの方が――」

「パンツの話じゃない!」

 魅麻子が飛びかかってきて思いきり首筋に噛みついた。歯形が残るほど強く。

 吸血鬼だったのか、この幼女は。

「いってー……いやでもな、パンツはそれほど重要だということをわかってもらいたかったんだ」

「黙れ。ヘンタイ」

 膝ダッコで向き合った姿勢のまま、ゴミを見るような目で幼女に(ののし)られた。紗羅さんばりの迫力だったので俺は即座に口を(つぐ)んで目を逸らした。

 魅麻子はハァと溜息をつくと、気を取り直したように立ち上がった。部屋の中央に移動し、お気に入りの服を自慢するようにその場でくるりと回転して見せる。スカートの裾がひらりと舞って、髪から滴る細かい水滴が照明を反射してきらきらと輝いた。

「いいでしょ。冬服、あんまり持ってないって言ったら、買ってくれたの」

「へー。玲子ちゃんてけっこう太っ腹だよなあ」

 案外、ああ見えて子供好きなのかもしれない。女の子の服を選んだり着せたりするのって楽しいって聞くもんな。たしか秋服も何着か買い与えていて、お見舞いのたびに週替わりで魅麻子のファッションショーが繰り広げられていたのを思い出す。病室の隅に置いてあるクローゼットの中身がそろそろ溢れ出すのではないかと少し心配である。

「ううん。これはちがくて。真土先生が買ってくれたの。私がちゃんと実験に協力してるからご褒美にって。誕生日にまた買ってくれるって約束したよ」

 魅麻子は三月生まれらしいから、俺も何かプレゼント考えておかなきゃな……ってそれはまあいいとして、

「まづち? 誰だっけ」

 玲子ちゃんの他にも何人か医者やら研究者らしき白衣の連中は見ていたが、あまり絡みがないので名前が出てもピンとこなかった。

 魅麻子は少し考える素振りをしてからこう説明した。

「一朗よりもおじさんだけど、一朗よりも若いおじさん」

「……ちょっと待て。俺はそこまで老けてないだろ? な? 怒らないから正直に言ってみ?」

「なんでそんなに必死なの?」

 小学生女子におじさんとか言われるとわりと本気でショックな大学生の俺だった。だってまだ二一だよ俺!?

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