事故
「あんたいつまで寝てんのよ」
朝は母さんの声で目が覚めた。時計を見ると七時半、いつもより少し遅めだ。携帯の電源を切っていてアラームが鳴らなかったせいだ。
「昨日食べなかったから食べるでしょ、カレー」
台所からは確かにカレーのいい匂いがしている。
「ごめん、遅刻するからいらない」
その一言が母さんの癪に触ったのか、俺が被っている布団をがばっと取り上げられた。冷たい空気が一気に全身を包み込む。
「あんたそんな自分勝手なことばっか言って!朝はちゃんと食べなさい!」
そう言うと母さんはばんっと大きな音をたててドアを閉めて出て行ってしまった。低血圧の俺にとってはかなりキツイ朝だ。
渋々とベッドから出て俺は制服に着替え、一階のリビングへ降りる。リビングでは小学生の妹のルナと父さんがカレーを食べていた。
「おはよう父さん」
「おはよう。今日は遅いな」
父さんは既にカレーを食べ終わっていた。
「今日はちょっと寝坊した」
「ふーん。あ、そうだ。すぐ近くの踏切でさっき人身事故があったみたいで、ちょっと通れなくなってるみたいだぞ」
「え、まじで」
「ああ。飛び込み?かなんかあったみたいだよ。怖いな」
「ったく。死ぬなら周りのやつに迷惑かかんねえように死ねよ」
俺はそう言ってカレーを食べた。急いで食べたところで、あの踏切を渡れないようじゃどちみち遅刻確定だ。
「ねえおにいちゃん、飛び込みってなに?」
「知らねえよかあさんに聞けよ」
俺は皿に乗ったご飯を平らげると、いつもより三十分遅めに家を出た。
自転車に乗り、踏切へ向かう。踏切にはブルーシートが被せられていて、警察が何人かいた。
ここを通らなかったらかなり遠回りになるんだけどな。
全く朝から傍迷惑な事故起こしやがって。
俺は別の道から学校に向かおうと自転車の向きを変えようとしたその時、俺は踏切の中に気になるものを見つけてしまった。
「…は?」
踏切の中に落ちていたのは、確かに莉子の自転車だった。
「あの、すみません」
俺はすぐそばに立っている警官に声をかけた。
「どうしたんだい?」
「ここで飛び込みがあったんすよね?誰だったかわかったんすか?」
警官は、しれっとした顔で答えた。
「この近所に住んでいる明智莉子っていう女子高生だよ。もしかして、知り合いかい?」
明智莉子。
それは確かに俺の彼女の名前だった。
それから俺はどうやって学校に行ったのかよく覚えていない。気付いたら学校にいて、緊急集会で体育館に並んでいた。
「おい、慎吾…」
話しかけてきたのは、親友の力也だった。
「莉子のこと、びっくりしたな…」
力也と俺と莉子は三人でもよく遊んだ。俺なんかより莉子のことぜんぜんわかっていて、俺と莉子が喧嘩した時には絶対力也は俺が悪い!て言って莉子の味方をしてくれていた。
「慎吾、多分今お前が一番辛いと思うけど、気をしっかりもてよ」
そう言われたけど俺の頭はひどく冷静だった。莉子が死んだという事実が全く頭に入ってこなくて、みんな何かの冗談を言ってるかのように感じる。実は冗談なんじゃないだろうか。だとしたらかなりたちが悪い。
莉子は昨日も俺と一緒にいて、元気だったし、いつもみたいにしょうもない喧嘩して、それで…。
「おい慎吾大丈夫か?顔色悪いぞ…保健室行くか?」
「」
大丈夫。そう言いかけたところで俺の視界は急に真っ暗になった。
心臓がどくん、どくんと速く脈を打つ。視界が滲む。手が震える。
認めたくない。
莉子がもうこの世にいないなんて。
「おい、慎吾!慎吾!」
そんなこと急に言われても、信じられるわけがない。
なのに、なんで、こんなに悲しいんだ。
「嘘だろ…そんな、しんだなんて、そんな、信じれるわけねえだろお!!!」
踏切でみたブルーシートの隙間から人の肉片のようなものをみた。
それが俺がみた最後の莉子で、時刻は午前八時十二分。
莉子が事故にあったのは午前七時四十分で、事故だったのか自殺だったのか、まだ詳しいことはわかっていない。
目撃者の証言によれば、莉子は警報の鳴る踏切の中に自ら飛び込んだらしい。
そんなこと勿論信じることが出来なくて、その日は早退させてもらった。
今朝はあったはずのブルーシートはなくなっていて、いつもと変わらず電車が走っていた。
莉子。俺、最後にお前となんて話したっけ。
喧嘩した状態でさよならなんて、さみしくないか?
まだごめんって言ってねえよ、ばか。
頭が痛くなってきて、視界が滲んだ。まぶたの奥が熱くなってきて、気付けばぽろぽろと涙が溢れていた。らしくない。
家につき、部屋に駆け込む。母さんが、何か言ってるのが聞こえたけど聞こえないふりをした。鍵をしめて、布団に潜り込む。
現実を見たくなくて、俺は目を閉じた。ぎゅっと閉じると、そこには莉子がいた。
昨日に限って、なんで俺は莉子と喧嘩したまま別れたんだろう。今更後悔したって謝れることじゃない。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
俺はそのまま眠った。飽きるまで寝続けた。