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 雪は溶け、色とりどりの花が色付き始めている。

 奥殿へ行こう。

 参道の整備はあらかた終わったし、今日は奥殿へ行って久しぶりにレツの顔を見るんだ。

 レツのことを思い浮かべて会えるんだって思っただけで、心がうきうきしてくる。自然と頬が緩んでにやけてしまう。

 やっと会える、レツに。

 いつもよりも念入りにお化粧したり髪を整えたりして、たっぷり時間をかけてから奥殿へと向かう参道へと向かう。

 整備はまだ終わっていないので、いつものようにシレルに道具を用意してもらっておいた。

「本当に、これをお使いになるんですか」

 普段使わない大きな斧を手渡されると、それはずっしりと重い。

「はい。どうしても通路にはみ出している枝が太くて払えなかったので、斧なら何とかならないかと思ったんですが、ダメですか」

「いえ、ダメということではありませんが。あまりご無理はなさらないで下さい」

 心配そうなシレルに笑みを浮かべてお礼をすると、斧をもって奥殿を目指す。

 レツ。元気かな。何してるかな。

 所々に残雪の残る回廊を踏みしめて、鬱蒼とした森の中を抜けると、光り輝く湖と奥殿がそびえ立っている。

 レツ。

 いくら声を掛けても、レツの返事は無い。

 本当に徹底して祭事に関わる事以外ではその声を聴くことが出来ない。どうしたっていうんだろう。

 まずはそれを聞かなきゃね。


 斧を足元において、重たい扉を開く。

 薄闇の中に光の筋が真っ直ぐに伸びて、奥殿の中に外気が入っていく。

「レツ」

 どこにいるのかわからないレツに声を掛ける。

 いつもなら大体目の届く範囲にいるのに。おかしいな。

「レツ」

 もう一度声を掛ける。それでも返事は無い。

 とりあえず斧は外に立てかけておいて、扉を閉める。ぎぎっという音と共に、奥殿の中は一気に薄暗くなる。

 レツがいる時は凄く輝いて見えるのに。その姿が見えないだけで奥殿が重苦しい場所に見えるのはどうしてなんだろう。

 あちこち首を回してレツの姿を探すけれど、一向にその姿が見えない。

 どうしたんだろう。

 きょろきょろと見回して奥殿の中の点検をしながらレツを探すけれど、その姿はどこにもない。

 急に不安になる。

 もしかしてまた聴こえなくなったのかもしれない。

 ぞわっと寒気が立ち上り、全身に鳥肌が立つ。

 嫌だ。レツの声が聴こえなくなるなんて。

 カタカタと震える身体が心もとなくて、自分の足元がグラリと揺らぐ感じがする。立ちくらみなのか、それとも本当に足元が揺れているのかすらよくわからない。

 震える身体を抱きしめている腕を後ろからぐいっと引っ張られ、えっと思った時には腕の中に抱きすくめられている。

「レツ」

 ぎゅうって音が聞こえるくらい強く抱かれていて、息をする事すら苦しい。レツが今どんな顔をしているのかすらわからない。

 とくんとくんという鼓動の音が聴こえてくると心の中の塊が溶けていく。

 幸せだな。レツがここにいてくれて。

「会いたかったよ。レツ」

 囁くように告げると、ふいに腕の力が緩む。

 見上げたレツの顔はどこか寂しそうに見える。蒼い瞳がゆらゆらと揺れている。

「ボクも会いたかったよ。サーシャ」

 やわらかな微笑みにほっとする。

 一人でいる間に何かあったのかな。どうしてそんな顔をするの。

 笑っているのに、泣いているみたいだよ。レツ。

 ぎゅっとレツの背中に回した腕に力を入れると、不思議そうな顔でレツが首を傾げる。

「どうしたの」

 聞きたいのはこっちだよ。

 どうしたの。何かあったの。何を抱えているの。

 聞きたい沢山の事が、喉にひっかかって出てこない。聞いたらいけない気がする。聞いたらそれで全部……。

「愛してるよ。心からキミだけを」

 じゃあどうしてそんな風に口元を歪めるの。眉が寄ってるよ。どうしたの。

「幸せな夢をありがとう。サーシャ」

 まるで別れのセリフじゃない。

 首を振ってレツを見上げると、レツの指が頬に触れる。その指がするすると目元まであがって、レツが苦笑いを浮かべる。

「何で泣くの」

「いなくなるの?」

 今度はレツが首を左右に振る。

「いなくならない。ボクはどこにもいかないよ」

 色んな事が頭に浮かぶ。

 どこにもいかないって事はずっとずっとレツはここから離れないって事?

 それとも私の傍から離れないって事?

 後者であって欲しいのに、レツのその表情は前者であるようと語っているようにしか思えない。

「……いや」

 嫌だ。レツと離れるなんて嫌。

 命の尽きるその瞬間までここにいたい。レツの傍にいたい。私はレツがいればそれでいい。

 ここは檻なんかじゃない。二人だけの楽園だよ。

 ポンっと頭を軽く叩くと、ゆっくりとレツが身体を離していく。

 触れている部分から伝わってきた熱が無くなる喪失感で、胸が痛くなる。

「どこにいくの」

「どこにもいかないよ。お腹すいただけ」

 見つめた瞳が煌くと、またレツの腕の中に引き込まれ、レツの唇が首筋にあてられる。

 きゅっと身体に力を入れると、耳元がくすぐられるようなクスクスという笑い声がして、ぞわっとさっきとは違う鳥肌が立つ。

 身を捩りたいのを押さえ、なるべく身じろぎしないようにしないでいる。

 くすぐったいし、何でかよくわからないけれど恥ずかしいし。本当はやめてーって叫びたいし、レツを突き飛ばしちゃいたいけれど、我慢して耐える。

「つまんなーい。もっといい反応してよ」

「……え?」

 掠れ声で聞くと、レツは楽しそうに首筋を舐める。

「うぎゃぁっ」

 ぞわぞわーっとする感触に耐え切れずに叫び声をあげると、レツが身を捩って体を屈めて笑っている。

「あははははっ。サーシャ最高っ」

「そんなに笑わないでよ。まだぞわぞわするんだからっ」

 笑いながら涙目になるレツに文句を言うと、レツは何が楽しいのか一際大きな笑い声をあげる。

「ホントに、ホントに、キミは最高だよ」

 ひとしきり笑ってからレツが自分の涙を拭いながら、もう片方の手でポンポンと頭を叩く。それはレツの癖。そうやっていつも私の事を子供扱いする。

 別に、嫌じゃないけど。

「ついでに一つ聞いていい? あの物騒なモノ、どうする気?」

 奥殿の外に立てかけておいたあれの事かな。

「斧のこと?」

 うんと頷くレツを手招きして、奥殿の扉のところまで行って現物を一緒に見てもらう。

「これで、レツの鎖切れる?」

「はあ?」

 心底驚いたような顔で目を見開いて、斧と私の顔を見比べる。

「だから、これで本当のレツを繋いでいる鎖、切れる?」

 しばらく呆然としていたかと思ったら、あははと声を上げてレツが笑い出す。

「本当にサーシャって単純っていうか、何ていうか」

 そう言うとレツと私の周りの世界がぐにゃりと歪む。

 一面の闇。

 ここには天窓も無い。蝋燭の光が無かったら、何も見ることの出来ない暗い暗い牢獄の中。

「やってみたら。それで納得できるなら」

 無感情なレツの声に頷き返し、片手で持つには重たすぎる斧を持ち上げる。

 よたっと数歩後ずさりした私の体を後ろからレツが支える。

「危ないから離れて」

「はいはい」

 レツの手が離れる感触がして、大きく息を吸い込む。

 どうか切れますように。

 レツを繋ぎとめる忌々しい鎖が切れて、レツが自由になれますように。

 大きく息を吸い込んで、全身の体重を乗せて斧を振り下ろす。

 カチャンという軽い音がするだけで、思うような結果は得られない。

 何度かやれば切れるかもしれない。

 二度、三度。

 振り上げ、振り下ろして。

 幾度となく続けるけれど、鎖は一向に切れる気配が無い。

「切れて。切れて。お願い」

 呟きながら何度も何度も鎖に斧を叩きつける。

 建国王のした封印の鎖、これさえ解けたらきっとレツとずっと一緒にいられる。

 この鎖さえなければ、私たちは自由になれる。

 はあはあと肩で息をしながら斧を振り上げようとするところで、レツの手が私の腕を握る。

「もういいよ。ありがとうサーシャ」

 全てを達観したかのような優しい言葉に、涙が一気に溢れ出してくる。

 号泣が闇に響き、嗚咽が冷たい土に吸い込まれていく。

「いやよ。いやよ。諦めないんだから」

 下ろしていた斧を振り上げようとすると、レツに背後から抱きとめられる。

 動けないように拘束するレツの身体を払いのけようとするけれど、意外なほどに強い力でその腕から抜け出す事すら出来ない。

「離して。はなしてえっ」

 頭を振り、身を捩る私をレツは抱きしめ続ける。

 本当は一番辛いのはレツのはずなのに。

 自由を一番望んでいるのはレツなのに。

「どうしてダメなのーっ」

 泣き叫ぶ私を、レツはずっと抱きしめていてくれた。何も言わず。熱とその力だけが雄弁に語っている。

 こうなることなんて、レツにはわかっていたのね。


 どのくらい、そうしていたのかわからない。

 しゃくりあげる声の間隔が開いてきた頃、レツの腕の力が緩む。

 ふわっと腕の中から解放されて、レツの顔を見上げるとポンポンと「お疲れさま」とでも言うように頭を軽く叩く。

「手、痛くない?」

 斧を握っていた手を開いて包み込むと、レツが目を閉じて口の中で何かを唱える。

 赤く腫れて熱を持っていた掌から、すーっと鈍い痛みが消えていく。

「……あり、がとう」

 ずずっと鼻を啜りながら言うと、レツが「どういたしまして」と笑う。

 それすらも涙を誘うくらい切なくなる。

「私、出来る限りの事はしたの。でも全部ダメなの?」

「ん?」

 穏やかな表情でレツが首を傾げる。

「レツを自由にしたくて、どうやったら王家の鍵を手に入れられるか考えて、実際にウィズに頼んでみたけどダメ。物理的に鎖を壊す事も出来ない。じゃあ、私は何が出来る?」

 一度引っ込んでいた涙がポロポロと零れ落ちる。

「私はレツに何をしてあげられる? 一緒にいる為に何が出来る? 足掻いてみた、やれる事はやってみた。でも、結局私たちの関係は何も変わりはしない」

 嗚咽交じりの言葉を、レツはただ頷きながら聞いている。

 一緒にいたい。

 レツもそう思っているはずなのに、驚くほど冷静で、静かな湖面のように揺らがない。

「……そうだね。何も変わらない」

 ぽつりと呟くように言ったレツの言葉をきっかけに、堰を切ったかのように一気に感情が溢れだす。

「何でそんなに普通なの。どうして平気なの。私たちずっと一緒になんていられないって事でしょう?」

 瞬き一つ。

「そうだね。変わらないね」

 飄々と告げるレツの腕を掴んで、その顔を覗き込む。

「それで平気なの? レツはそれでいいの?」

 睨むようにして見上げたレツの顔が、あっという間に曇っていく。

「人間に、なるんでしょう。人間になりたいんでしょう」

 握っていた手をパっと振り払われ、レツの蒼い瞳に炎が揺らぐ。

「どうやって。ボクはどうやって人間になるんだ」

 苛立ちが闇の中で燃える炎のように立ち上る。こんな風に怒っているレツなんて見たことが無い。

「そんな奇跡、どうやって起こすんだよ。一緒にいたい。もしも人間になれたら一緒にいられるのに。そう思ったから口にしただけだ。ボクは、ボクは……」

 わなわなと肩を震わせるレツが怒っているんじゃなくて、泣いているようにも見える。

「ボクは所詮ケダモノでバケモノなんだよ。何百年、何千年の時を生きる人外の生き物なんだ。人とは違う。堅い鱗や巨大な身体。それがボクじゃないか」

「レツ」

 思わず伸ばしてレツの腕に触れようとしたら、すっと体をずらして避けられる。

「こんな姿、ボクじゃない。本当のボクじゃない。こんなニセモノのイレモノ、ボクじゃないんだよっ」

「……ニセモノのイレモノだなんて、思っていたの?」

「そうじゃないか。この闇で横たわるものがボクなんだ。ニエだってサーシャだって、みんな本当のボクのことなんて見ていない。化け物のボクが好きなわけじゃない」

 言い切ったレツの腕を逃げられないに力一杯掴んで、反対の手で首元の服をを捻りあげるように掴みかかる。

「だから何」

 自分の声とは思えないほど低い声が出る。

「だから諦めるとでも言うの。根性なし。諦めて、それでまた奇跡を待つの? ここで一人で。レツの本当の望みは何なのよ」

 イライラが募る。

 どうしてレツはすぐにそうやって諦めようとするの。

 全部結果がわかっているかのように、達観してダメって決めつける。

「望み?」

 フンと鼻で笑って斜に構えたような表情を浮かべるレツをぶん殴りたい。

「じゃあ私、もうレツのことなんて知らない。ほかにもっといい男いるか探すわ。根性ない男、嫌いなのよ」

 レツがしたように鼻で笑うと、レツが冷たく睨みつけて、そしてまたフフンと鼻で笑う。

「ボクよりいい男? いるわけないでしょ。ばっかじゃないの」

「バカはそっちよ。奇跡? 起こしてやるわよ。見てなさいよ」

 正直勝算は無い。

 けど、ずっとずっと考えていた。もしかしたらこれならいけるかもしれないって。

 一度手を離し、レツに向けて真っ直ぐに手を差し出す。

「手。握りなさいよ」

「何で上から目線? いいよ。奇跡、起こしてみてよ」

 本当は不安だけど。これが私の出来る最後の手段だけど。

「私を誰だと思ってるの。奇跡の巫女って呼ばれているのよ」

 レツから視線を逸らし、胸の中の不安を打ち消すように顎でついっと斜め上を指し示す。

「もう一つの奥殿へ」

 短い言葉で十二分に伝わって、景色は一転する。

 手からはレツの熱が伝わってくる。何かを言わなきゃいけないとも思ったけれど、何かを離したら壊れて消えてしまいそうな気がして、何も言い出せない。

 レツの顔を見てしまったら、不安が伝わってしまうから、何も言わずにレツを引っ張って扉へと歩み寄る。

 開いた扉の向こうは夕闇が近寄ってきていて、橙色の空が美しい。

 多分、私は一生この景色を忘れない。

 ここから見た、レツと並んで立って見たこの景色を。


 足を一歩踏み出し奥殿の外へ出ると、腕がピンっと後方へ引っ張られる。

 その正体を知っていたけれど、無視して力の限り前へと進もうとするけれどビクともしない。

「どうする気」

「黙って付いてきなさいよ」

 振り返らずに答える。レツがここから足を踏み出した瞬間に、何かが消えてしまうかもしれない。この手の中の熱も力も。

 指を絡めなおしてもう一度引っ張る。

「奇跡、起こしてみせるから」

 言った瞬間、強い力は抜け前へと足が動き出す。

 どうか消えないで。

 心の底から願いながら、もう一歩足を前へと進める。

 一歩。二歩。三歩。

 右、左、右、左。

 壊れそうなくらいの音を立てる心臓の音を聞きながら、前へ前へと進んでいく。

 怖くて後ろは振り返る事が出来ない。

 でも確かに掌から伝わってくる感触があるから、それを信じて一歩一歩前へ前へと歩いていく。

 湖を回り込み、緑のトンネルの中に入っていく。

 石畳を歩く音はカツカツと規則正しい音が一つ。二つが重なって一つに聞こえているのだと信じるしかない。絶対に、この手はレツと繋がっている。

 来る時にはあっという間に感じた回廊がやけに長く感じ、決してここから出られないんじゃないかって錯覚してしまう。

 どうか、出られますように。

 この先の、多分シレルが待っているその場所に辿り着けますように。

 私の願いが叶いますように。

 どうか本当の「奇跡」を起こせますように。

 一歩一歩、踏みしめていく。

 前へ前へ。振り返らずに前だけを見て。

 緊張感が最高潮に達する頃、回廊の終わり、前殿が見えてくる。

 一瞬立ち止まりそうになるけれど、更に歩む速度を上げて早足で一気にシレルのいる場所まで歩いていく。

 回廊の終点には、見知った神官たちの顔が見える。

 シレル。長老。傭兵。それから助手。

 こちらに気付いたようで一礼をして、頭を垂れたまま並んでいる。

 ドキドキで胸が痛い。口の中が乾いてしまって、何かを発する事も出来ない。

 終点に付くと、一斉に神官たちが顔を上げる。

 何かを言おうとして、そして神官たちが一様に目を見開いて絶句する。

 その視線の先を、おそるおそる振り返る。

 いるから、驚いているんだよね。

 この手の先には、レツの手が繋がれているんだよね。

 ぎしぎしと首が音を立てて、まるで壊れた人形のようにぎこちなく振り返る。

 振り返ると、全身から力が抜け、へなへなと床に座り込んでしまう。




 その手は、つながれたまま。




 言葉もなく、誰もがその場所に縫い付けられたように立ち尽くしている。

 その真ん中で私だけが腰を抜かしたように座り込んでいる。

 奇跡。そうだ、奇跡を起こせたんだわ。

 ガタガタと全身に震えが走る。

 どうして震えるのかすらわからないけれど、止める事が出来ない。

 けれど視線だけは動かす事が出来ずに、一点を見つめ続けている。その先にいるのは……夢じゃないよね。

「大丈夫?」

 心地いい、私にだけ聴こえる声が耳に届く。

 いつも前殿で聞くよりも低くて落ち着いた声。少し高い少年の声じゃなくて、私が手を繋いだままのその人の声。

 頷くのと同時に、涙が零れる。

 今日いったいどれだけの涙を流したんだろう。けれどそのどれよりも、その涙が忌々しい。だって涙で視界が遮られたら、見たいその姿が見られなくなっちゃう。

 瞬きのたびに涙が落ちる。

 同じようにしゃがみ込み、長い指で涙を掬い、そして微笑む。

「行こう」

 短い言葉に首を思いっきり縦に何度も振り、全身に力を入れて立ち上がる。そうしないと震える身体に上手く力がいれられなくて、立つことさえままならない気がしたから。

 立ち上がり肩を並べると、優しく微笑んでくれる。

 どこへ行くのかなんてわからないけれど、二人でいけるところならどこでもいい。

 一緒に、どこまでも行こう。

 重なりあうように響く足音。掌から伝わってくる温度。

 それだけで幸せで、歩きながら顔を見上げると、口元に穏やかな笑みを浮かべる。

 行き交う神官たちが立ち止まり、それからものすごい勢いで跪いていく。

 その慌てた様子さえも、私が奇跡を起こせた証明のような気がして、心の中に喜びがどんどん広がっていく。

 初めて入ったのにも関わらず、道を全て把握しているかのように迷わずに進んでいき、いつしか礼拝堂へと辿り着く。

 中で作業をしていた熊を始めとした神官たちが、はっとした表情でバタバタと跪いていく。

 礼拝堂の祭壇の前で立ち止まると、ぐるりと視線を巡らせて何かを考えるかのように、誰かを待っているかのように首を傾げる。

「神官長と祭宮を呼べ」

 短い言葉に、神官たちが何人か走り出す。今日、ウィズ来てたの? 知らなかった。そんなこと誰も言ってなかったのに、どうして知っているんだろう。

 神聖な祭壇に寄りかかったかと思うと、ぎゅっと絡み合う指に力が籠められる。

「レツ?」

 見上げたその顔に笑みが広がっていく。

 その笑みを見ていたら、大丈夫なんだなって思えてくる。

 これでいいんだって。

 しばらくすると慌てた様子で、ウィズが。それからしばらくして神官長様が飛び込んでくる。

 肩で息をする二人に、祭壇の上から声を掛ける。

「人払いを」

 決して大きくないのに、その声は礼拝堂の中に響き渡る。

 膝を折っていた神官たちが慌てふためいて礼拝堂の中から駆け出ると、礼拝堂の中には静けさが広がっていく。

 この状況下で何を話したらいいのかなんてわからなくて、全員の顔を交互に見回すことしか出来ない。

 しばらくすると、ついっと腕が引っ張られ、祭壇の下に立つ二人の傍へ歩み寄る。

「やあ、祭宮」

 陽気な口調で声を掛けられたウィズは、強張った表情をピクリと動かす。

「……何で」

 その問いには答えない。

「鍵、持ってるんだろ。渡してくれないか」

「ダメだ。渡せない。どこに行く気だ」

「どこにもいかないよ。ボクの本体はずっとずっとここにいる。それで満足だろう」

 どういう意味だろうと思って仰ぎ見ると、にっこりと笑みが返ってくる。

「奇跡の巫女のおこした奇跡に乗る事にしたんだ。ボクに自由をくれ」

 ウィズが私のことをじーっと見つめる。何かを推し量るかのように。

「一つ聞くが、これはあの時のような事態を引き起こすんじゃないのか」

 何を言っているんだろう。あの時のような事態ってなんだろう。考えあぐねて答えに詰まるけれど、視線の先は私なのに問いかけた相手は私じゃなかったみたい。

「いつかは終わりはくるだろうね」

 短い返答に満足したのかわからないけれど、ウィズは黙り込んでしまう。

 繋いだ手とは反対の手が、神官長様へと伸びる。

「久しぶりですね。元気にしていましたか。あなたのことだから、身体のことなど顧みずに無理をしていたのでしょう」

 口調や声音を変えて話しかけると、神官長様の両目からは涙が溢れ出し、長い指がその涙を掬う。

 チクンと胸に刺さったものに気付かない振りをして、なるべく表情を変えないように二人の遣り取りを見守る。

「痩せましたね。私のせいで、しなくてもいい苦労ばかり掛けていますね。申し訳なく思っています」

 ポロポロと零れ落ちる涙と噛み締めた唇が、声にならない声で震える。

 何かを言おうとしても、言葉にならず、神官長様がきれいに整えられた指で口元を覆い、泣き崩れてしまう。

 慈愛に満ちた表情は、水竜そのもののように思える。

 見る相手によって、相手の理想を投影する為に声も正確も何もかも変えてしまう。巫女に好かれるように。

 かつて聞いたフレーズの一端を思い出す。

 神官長様の「水竜様」はこういう人だったんだ。

 視線を神官長様からウィズへ、そしてレツへと移していくと、レツがふわりと笑う。

 それだけで、心の中が満たされていくような気がする。私だけにしかそんな顔、見せないもの。ウィズにも神官長様にも「水竜」の顔しか見せない。

「サーシャ、行こうか」

 腕を引っ張られ、祭壇を降りる。

 ウィズと神官長様の間を抜けようとした時、繋がっていない反対の手が引っ張られる。

 その先にあるウィズの瞳は私を見ていない。

「終わりが来た時、どうなる。国は。神殿は」

 その問いにレツは首を横に振る。

「そんなものどうでもいいよ。別にボクにとって大事なものじゃない。その全てを捨てても欲しいものがあるから手に入れる。あとは勝手にしたらいい」

 くいっと引っ張られるけれど、ウィズの手にも力が籠められて一歩も動けない。

「ササはどうなる」

「それはこっちでどうにかする。お前の手を煩わせないよ」

 語尾が上がり、ふふっとレツが笑う。

「もう限界なんだ。だからいいだろう?」

「……限界」

「うん。そう」

 二人の会話にどんな意味が籠められているのかわからない。何が限界なのかも、全く想像がつかない。

 すっとウィズの手から力が抜ける。ウィズは何かを言おうとして、それを振り払うように頭を振り口を噤む。

 神官長様は泣き崩れたまま、顔を上げようともしない。

 そんな二人を見ていると、もう一度手を引かれる。

「どこまでいけるのかわからない。どのくらいの時間が許されているのかもわからない。それでも一緒にいてくれる?」

 思い立ったように立ち止まり、レツに聞かれる。

 奇跡の時間は一体どれだけ続くのだろう。明日目が覚めた時には終わっているのかもしれない。ううん、そんなに持たないかもしれない。礼拝堂の扉すら開けられないかもしれない。

 それでも、私は。

「今更聞くまでもないじゃない」

 笑顔で答えると、零れんばかりの笑みが返ってくる。

 扉の向こうにあるのはどんな世界なのかわからない。けれど、一歩でいい。一瞬でもいい。

「レツと一緒にいたい」

 こくりと頷いたレツに腕を引かれ、礼拝堂の扉を開ける。

 早咲きの花が風の中で舞い踊る。夕日の中、桜色の花びらがふわりふわりと降り注ぐ。

 この時が永遠に続きますように。

 ずっと二人で肩を並べて歩んでいけますように。

 極彩色の景色の中、レツが笑う。

「ありがとう」

 短い言葉に首を左右に振る。

 レツの為じゃない。これは私が望んだ、私のための奇跡。

 一歩、二歩。桜色の花びらと新緑の緑の上を歩き続ける。檻の外へ。レツと一緒に。どこまでも歩んでいける。

 怖いから、後ろは振り向けずにいる。背後にある巨大な神殿を見てしまったら、そこで魔法が全部解けてしまうんじゃないかと思えて。

 そうだ、レツに私の村を見せてあげよう。

 そんなに遠くないもの、きっと、辿り着ける。

 夕日の下、立ち止まってレツの顔を見上げる。怪訝そうに首を傾げるレツに微笑みかけ、背伸びしてそっと唇を重ねる。

 不思議そうな顔をして、それからクスクスとレツが笑う。

「栄養補給なら間に合ってるよ」

「そんなんじゃないのわかってるくせに。バカ」




 ああ、こんなに世界はキレイなのに。

 こんなにも愛しくて幸福な時間なのに。

 それでも、世界は回る。闇色の世界へと。

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