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 返す言葉も無く、ただ目の前のウィズを睨むように見続けるしか出来ないでいると、ウィズがゆったりとした動作で髪を掻き揚げる。

 ゆったりとした袂の袖が下がり、手首に青色の石がキラキラと輝いているのが見える。

 ふいに思い出す。

 巫女として強くいられるように。そう、ウィズはあの日言ったんだ。

 あの日のウィズと今のウィズな大分雰囲気が違うけれど、同じ色で石は輝いている。ずっとその輝きは変わらない。

 二つで一つ。

 祭宮と巫女という対極の存在。それでいて共に歩んでいかなくてはいけない存在。

 今、ウィズの協力が無ければ、レツの封印を解く事は出来ない。

 利害はきっと一致しているはずはない。それでも、ウィズに鍵を渡してもらうように説得しなくては。

「私の話を聞いていただけますか」

 にっこりとウィズは笑う。人の良さそうな、それでいて人を寄せ付けないような笑みで。

「どうぞ」

 促されて話し出そうと口を開いたけれど、神官長様がイライラした様子で口を挟む。

「何をなさりたいの、巫女は。わたくしにはさっぱりわかりませんわ」

 どうしてそんなにイライラしているんだろう。普通に話せばいいのに。

 視線をウィズに送ると、ウィズが首を左右に振る。下手に口答えするなって事かしら。

「水竜様を解放して、神殿に何か利益があるとでもおっしゃるの? それとも祭宮殿下のおっしゃるように個人的感情で動いていらっしゃるの? 浅はかとしか言いようがありませんわ」

 こほんとウィズが咳払いをする。

「それを今から聞くんですよ、神官長様。まずは巫女様の話を聞いてみませんか」

 神官長様に柔らかい笑みを向けているけれど、ウィズはそれ以上神官長様が何かを言う事を封じてしまう。

 不機嫌そうに溜息をついて、神官長様は「わかりましたわ」と小さい声で答える。

 沈黙が流れ、居心地の悪い時間が流れる。

 何から話したら良いんだろう。どう説明したら理解してもらえるんだろう。

 考えていると頭の中がぐちゃぐちゃとまとまらなくなってきて、焦りばかりが募っていく。

 落ち着かなきゃ。

 そう思えば思うほど、泥沼にはまっていくように整理できていたはずの考えがぐちゃぐちゃになっていく。

「巫女様はどうして水竜様を解放したいと思われたんですか」

 混乱していた頭に清々しいほどの、まるで一筋の光のような声が届く。

 視線を手許から移して顔を上げると、ウィズがにっこりと微笑む。不思議とその笑みに安心感を覚えるのはどうしてだろう。

「水竜は嘆いていました。どうして鎖につながれていなくてはならないのかと。ですから巫女として、水竜の望みを叶えたいと思いました」

「なるほど。長い間自由を奪われているのだから、そう思われるのも当然ですね」

 同意してくれた。

 心の中の重荷が取れたように気が楽になる。

「暗い、光の当たらない場所で鎖につながれ幽閉されているんです。せめて鎖を解いてあげることは出来ないでしょうか」

 ウィズは考え込むように腕を組んで、視線を奥殿のほうへと移す。

 窓の外、もうすぐ春を迎えるというのに薄曇りの空の下で、奥殿はいつもと変わらず佇んでいる。

 レツはどうしているんだろう。

 奥殿を見るたびに。ううん、一日中レツのことばかり考えている気がする。

 それなのにその声は聴こえてこない。早く春になって奥殿にいけるようになればいいのに。

「解放して、水竜様がこの場所から離れないというのならいいですよ」

 ざわっと空気が揺れる。

 壁際に立つ神官たちが、驚いたような表情で互いを見合わせている。

 こんなにあっさりと同意してもらえるなんて思ってもいなかった。

「祭宮殿下!? そんな簡単に約束してしまっては」

 咎めるような神官長様に、ウィズは口元だけ笑みを湛え、目を細めて首を左右に振る。

「ただし、条件があります」

 条件? なんだろう。鍵の受け渡しの方法とかかな。

「鍵をお渡しする事は出来ません。この手で封印を解くのを了解していただけるのでしたら構いませんよ」

 部屋にいる誰もが絶句した。

 それは遠まわしの拒絶っていっても過言じゃない。

 だって水竜の神殿には外部の人間は入れない。まして奥殿は巫女しか入れないというのに。

 ウィズが封印を解くということは、その全ての規則を踏み散らす事になる。

 咄嗟に神官長様の顔を見ると、神官長様は満足そうな笑みを浮かべている。

 長老や他の神官たちに目を移すと、協力的だった神官だけが苦渋の表情を浮かべている。そして長老は飄々とした表情で成り行きを見守っている。

「……検討させて下さい」

 苦々しく思いながらも極力感情を排して答えると、ウィズが長い指にお茶のカップを絡めながら頷く。

「ええ。返答はいつでも構いませんよ。急いでおりませんから」

 その余裕たっぷりの返事が気に入らなくて、壁際の神官たちに声を掛ける。

「申し訳ありませんが、今の祭宮様のお申し出を受けられるかどうか協議していただけますか。出来れば数時間以内に返答を頂ければと思います」

 そこまで言い切ってから、神官長様にも声を掛ける。

「水竜ご自身が自由を望んでいます。神官長様、どうぞご協力下さい」

 そう言えば否とな言えないはず。でも反論されるかもしれないとも思ったので、更に畳み掛ける。

「というわけで祭宮様。結論が出るまでのしばらくの間、私の話相手をして頂いても宜しいですか」

 にこりと微笑むのも忘れずに付け足す。

「構いませんよ。たまにはゆっくり巫女様と世間話でも致しましょうか」

 やった。思わず口元が緩んでしまう。これで誰も文句は言えないはずだわ。祭宮自身がこの提案に同意したんだもの。


 しばらくして小言をたんまりと残してから、神官長様や神官たちが退室する。

 足音が遠ざかり、部屋の中が静まり返るとウィズが何かを呟く。

「え? 何ですか」

 聞き返すとウィズが眉を寄せてふうっと溜息をつく。

「お前バカだな」

「は?」

「じゃあ言い方変えてやる。阿呆」

 何で馬鹿にされなきゃいけないのよと噛み付こうかと思ったら、ウィズがもう一度溜息をつく。

「交渉は成立しない。根回ししなかったお前の負け」

 言い切るとウィズは足を組んで外を眺める。

 何よ。結果なんてまだわからないじゃない。もしかしたらウィズが中に入る事が出来るかもしれないじゃない。

 でもそう言われると不安がこみ上げてきて、駄目って言われるかもっていう気持ちの方が大きくなってくる。

「どうして」

 搾り出すように言うと、ウィズが淡々と話し出す。

「直球勝負で上手くいく事もある。大祭の時みたいにな。でもな、今必要なのは感情論じゃなくて理路整然とした、誰もが納得できる理屈なんだよ。少なくとも水竜の神殿の幹部だけでも説得出来ていなくては、無理だ」

 感情論? 私の言い方が間違っていたの?

 神官長様に説明なんてしなくてもいいって思っていたのが悪かったの?

「いいか。前例を覆すという事はそれでなくとも難しい。更に今回ササがやろうとしているのは、神殿の根幹を揺るがしかねない事だ。反発があって当然だろう」

 だって、レツが自由を望んでいるのよ。水竜たるレツが。

 レツの意思よりも優先されるべきものがあるというの。この水竜の神殿に。

「でも、水竜が」

「自由にしてどうするつもりだ。この神殿から水竜がいなくなって、その後この国はどうなる。神殿はどうなる。そこまでの考えが無くては一笑に付されておしまいだ」

 同じ事を熊にも言われた。だから熊はこの件には協力しないって言ったんだ。

 今更ながらに自分の浅慮さが情けなくなってくる。

「水竜無き神殿。そして国。そういったものを少しでもササは考えたのか? それでも神殿や国は立ち行くと思ったのか」

 ぎりっと奥歯を噛み締める。

「考えたわ。考えたわよ」

 苦々しく思いながらウィズを睨むと、ウィズは興味深そうに瞳を輝かせる。

「じゃあそれを聞こう。どうせ時間は沢山あるんだし」

 頭の中には主にカカシと司書とした色んな会話が巡ってくる。その中で導きだした結論を、果たして受け入れてもらえるのだろうか。

 でも、もう私にはそれしか切り札は無い。

「私が巫女になる前、巫女の血を誰もが欲しがる。王妃にだってなれるって言ってた……ましたよね」

 会話の途中で新しいカップとお茶を携えてシレルが入ってきたので、慌てて敬語に直すと、ウィズがぷっと笑う。

 笑わなくたっていいじゃない。超失礼なんだから。

「そうですね。巫女様にそうお話した事もありましたね」

 お前だとかササとか言ってたくせに、あっという間に切り替えるんだもんな。ウィズは。

 こほんと咳払いをすると、ウィズが肩をすくめて一瞬だけ舌を出す。

 あー。癪にさわる。悔しいったらないわ。

 でもそんなの表に出したら、またバカだとか阿呆だとか言われるに決まってる。

 冷静に、冷静に。

「それを上手く使えないかなって思ったんです。巫女を形骸化して、王家側が巫女の指名権を持って指名する」

「ほう。それで?」

 意外なほどにウィズが話に乗ってきたので、そのまま話を続ける。

「つまり、表面的には巫女が次の巫女を指名するわけですが、実際には王家が箔をつけたい人物を巫女にしたり、巫女の血を欲する家に巫女を生み出していくことが可能になります。そうすることによって、巫女の血を政治的手段として有効に使う事が出来るのではないでしょうか」

「なるほど。それは面白い考えですね。では、神殿はどうなさいます」

「全ての儀式、祭り、式典を形式化し、誰でもが巫女になれるように整備します。ご神託も水竜の声を占いという形によって聴くという形式に変えてしまったらどうでしょう」

「つまり、全てを王家の思うが侭にする事が可能ですね。その制度だと」

 湯気を立ち上らせるお茶を飲み、ウィズが考え込む。

 しばらくしてから何かを言いかけ、それから言いよどんで口を閉じる。

「何か言いたいことがおありですか」

「いや。大変失礼ながら、巫女様は水竜への信仰心が薄いんでしょうね。だからそれが最善の策だと思うのでしょう」

 信仰心が薄い?

「どういうことでしょうか」

「他国の制度や政治について勉強なされたのだろうという片鱗が見受けられますが、この国の国民の大半はその考えは受け入れがたいものです。水竜ありきの国ですからね」

 難しい顔で黙り込んでしまったウィズに対して何を言ったら良いのかもわからない。

 水竜ありきなのは、わかっているけれど。でもそこに存在しなくとも水竜を奉り、讃える神殿があってもいいと思う。

 その肉声が聴こえなくとも、そのご意思を知ることは可能だと思う。

 今までとは形は違うかもしれないけれど、水竜への感謝の気持ちを伝えていく事は出来る。それのどこがいけないというのだろう。

 それは信仰心が薄いという事になるんだろうか。

「巫女様に先ほど感情論では解決できないと申し上げましたが、民の中にある信仰心。これはどうやっても動かしようの無い感情です。水竜がいないという事を受け入れろというのは無理です」

「ですから万民に水竜の不在を公表しなくてもいいと思うんです。水竜の神殿はずっとここにあり続け、水竜を祀り続ける。普遍の存在として」

 どうしてもウィズにわかって欲しい。レツを自由にする為に。

 こうする事によって、レツがいなくなっても国はやっていけるようになると思うの。

「最も水竜への信仰心が強い、水竜の神殿の神官たち。彼らが巫女様のお考えを受け入れるとお思いですか。恐らく受け入れられいないと思いますが」

「そんなことっ」

「では試しに聞いてみましょう。そこの君。今の巫女様のお考えについてどう思う」

 壁際に控えていたシレルがウィズに声を掛けられ、背筋を伸ばして会釈する。

 考えをめぐらせるように視線を彷徨わせてから、静かにシレルが話し出す。

「水竜の神殿において、原理派と呼ばれる起源や原則に拘る人物にとっては受け入れがたいと思います。もしもそれを実行しようとなされば、神殿は最悪二つに分かれる事になるかと思います。それは思想的にというのではなく、物理的に」

「興味深いな。続けてくれ」

「まず、原理派は水竜様が座す場所である故に水竜の神殿に在ると考えています。水竜様がこの場所を離れるのならば、水竜様の座すところに新たな神殿の建立を考えるかと思います」

 淡々と話し続けるシレルに、ウィズが相槌を打つ。

「また水竜の巫女とは水竜様のお声が聴こえる存在でなくてはなりません。ですので、新たな巫女探しに奔走し、水竜様の声が聴こえる巫女を擁立して水竜の巫女と呼ばれる人物も二人存在する事になるかもしれません」

 どうしてその考えを今まで言ってくれなかったんだろう。

 話し合いの場で言ってくれたら、別の方法を考えたかもしれないのに。

「しかし……これは個人的な意見ですが、巫女様のおっしゃるように水竜様が鎖で捕らえられ強制的に国や人々に奉仕しているということであれば、水竜様の御意思を優先させそのお体を自由にする事こそ、水竜様への信仰心の表れではないかと思います」

 付け足すように言うと、シレルが深く一礼する。

 色々な考え方があるけれど、シレルは水竜を解放するということが必要だと考えていてくれている事がわかって、ほっとした。

 一瞬でも恨み節が浮かんでしまったことを、心の中で謝罪する。

「信仰とは難しいものだな。ありがとう」

 もう一度頭を下げると、シレルがソファの傍に歩み寄り、耳元で囁く。

「部屋が冷えて参りましたので、膝掛けなどをお持ちいたします。少し席を外しますが宜しいでしょうか」

 言われて部屋の中に漂う冷気に気付く。

 私は巫女の正装だし、ウィズだってそんなに暖かそうな服装には見えない。

「お手数をお掛けしますが、お願いします」

「かしこまりました」

 短い言葉を残して、シレルは部屋を後にする。

 パタンという扉の閉じる音を背後に聞き、改めてウィズに対峙する。

「鍵、渡してもいいよ」

 消え去りそうな位の小声で呟くので、思わず身を乗り出してしまう。

 乗り出して机の上に手を付くと、その腕をウィズに握られてびっくりする。驚いて手を引っ込めようと思っても、腕を掴まれているから動かしようがない。

「対価を払うなら。協力しよう」

 思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。

 今までの話が嘘のようにあっさりというから、何か裏があるのかしらと勘繰りたくなる。

 でもウィズが望むようなものを用意できるとは思えない。水竜の巫女という後ろ盾がなければ、私はただの村娘でしかないんだし。

 当然お金だとか宝石だとかっていうものは無理。せいぜいご神託を託すくらいしか出来ないんだけれど。

「対価って、ウィズは何が望みなの」

 ふっと口元を上げて鼻で笑ったウィズが、耳元に顔を近づける。

「俺のところに来るなら、手を貸そう」

 言っている意味がわからなくて傍にある顔を見返すと、ウィズが企んでますって言わんばかりの笑みを浮かべる。

「お前鈍いな。始まりの巫女はこれで会話が成立したらしいのにな」

 手をパっと離して、どかっと音を立ててソファに座ったかと思うと、何を思ったのか立ち上がって机を回り込み、私の隣に座りなおす。

「えっ。どうしたの」

 思わず距離を置いて座りなおすと、ぐいっと腕を引っ張られる。

「わかりやすく言ってやる。俺と結婚するなら協力してやってもいい」

 え……。

 思考停止。

 結婚? 結婚ってなんだっけ。

 思わずウィズの顔をまじまじと見つめてしまうと、ウィズが堪えきれないといった様子で顔を歪めて笑い出す。

「色気ねえー。口開いてるぞ」

「あ、ああ。うん」

 言われて慌てて口を閉じる。開いてたなんて気付かなかった。

 あははっと声をたてて笑い、目に涙を浮かべているウィズの様子に首を傾げる。

 私なんか変な事言った?

 それよりも、鍵よ、鍵。レツの封印を解く鍵を渡してくれるって話よね。

 協力してくれるんだよね。結婚したら。結婚。結婚。結婚?

「何で私がウィズと結婚しなきゃいけないのよっ」

 結婚という単語の意味がやっと思い当たって、お腹を抱えて笑っているウィズに問いかけると、一瞬こっちを見たウィズがまた身を捩って爆笑する。

「真っ赤。超赤い、顔」

 何がそんなに面白いのよ。そんな面白い顔してるつもりないのに。

 でも気になって両頬に手をおくと、思っていたよりもずっとずっと熱を帯びている。

 ひとしきり笑った後、ウィズが笑顔のまま語りだす。

「建国王がね、そう言ったんだ。始まりの巫女に。手を貸してもいい。その代わりに俺のところに来いって」

 始まりの巫女?

 あ。そうか。だから、始まりの巫女が巫女じゃなくなった時、建国王に王宮に行くと言ったのね。

 あの時見た風景は、その場面だったのかな。

 でも、あの時の始まりの巫女は幸せそうには見えなかった。自分で決めた事だけれど、悲しいと泣いていた。

 水竜の神殿を造る協力を建国王がしてくれたから、実際に水竜の神殿を建立してくれたから、始まりの巫女は約束を果たした。けど、本当にそれで良かったのかな。幸せになったのかな。

「おい。そこで自分の考えに浸っている失礼なヤツ。普通プロポーズされたら返事くらいするもんじゃない?」

 顔を覗き込まれて、思わず体を仰け反らせると、ウィズが鼻で笑う。何で笑われなきゃいけないのよ。

「冗談だ。ササが終わりの巫女になるなら、始まりの巫女と同じ質問された時にどうするのかなって思って聞いてみただけ」

 もしかして、私が笑われたんじゃないのかな。ウィズが自分自身を嘲笑したのかな。そんな風に思えるような言い方をする。

 どうでもいいと付け足してそっぽを向いたウィズの腕を思わず掴んでしまうと、ウィズが何とも形容しがたい笑みを浮かべて振り返る。

「なんだよ」

「私、ウィズの事嫌いじゃないよ。でも結婚っていうのは……えっと、あの……」

 きょとんとした表情をし、それから破顔してウィズがポンポンと頭を叩く。

「冗談だって言ってんだろ。気にするなって」

 すいっと立ち上がって、ウィズが窓辺に立つ。

 釣られてウィズと同じように窓辺に立つと、窓の外には奥殿が見える。

「祭宮じゃなくて俺の個人的意見な。俺はこれ以上巫女を増やしたくない、ササや神官長様のように水竜に心を捕らわれた者たちを生み出したくない」

 窓枠に置いた手からは冷気が伝わってくる。指先から熱がどんどん奪われていく。

 見上げたウィズの横顔は、真っ直ぐに奥殿へ向けられている。

「これ以上、不幸を積み上げたくない。水竜も巫女たちも、国の為に犠牲になり続ける必要など無い。けれどこの国は水竜と共に歩んできた。水竜のいない国など受け入れられる事は無い」

 心の沁みこむ様な声音に頷くと、ウィズが奥殿から目線を戻して、眉をひそめる。

「ササを助けてやりたいと思う。力になりたいと思う。けど、封印と解く事が最善の策とは思えないんだ。ゴメンな」

 言いたいことは十二分にわかる。

 ウィズやシレルの言うように、万人が変化を求めているわけじゃない。

「でも、それじゃレツはどうなるの」

「レツ?」

 疑問を投げかけられた事にすら気付かないで、胸にこみ上げてくる不安をウィズにぶつけ続ける。

「ずっとずっと一人なのよ。暗い闇の中、例え明るいところにいたって、誰もいない一人っきりの檻の中。せめて自由にしてあげたいと思うのに。どうしてそれがいけないことなの?」

 違う。そうじゃない。

 レツが自由になれなかったら、私が……。

「どうして一緒にいられないの。レツが自由になれたら、ずっとずっと一緒にいられるかもしれないのに。命の尽きるその時まで。それはいけないことなの」

 絶句した表情のウィズの腕を掴む。ゆすってみても、答えはない。

 私はレツと一緒にいたいの。

 どうしてそれは許されないの。

 巫女じゃなくても一緒にいられるように。レツが望むように人間になってずっと一緒にいたいのに。

 掴んでいた腕とは反対側の手で、ウィズが握り締めていた手に手を重ねて、腕から私の手を引き剥がす。

「水竜とはこの国に必要な絶対神なんだ。失うわけにはいかない。例えそれが水竜の望みでも」

 残酷な宣言は、決して望みが叶わないことを痛感させる。

 僅かな望み、レツを鎖から解き放って自由にするという事さえ阻まれ、私はこれからどうしたらいいんだろう。

「精一杯の恋をしろ。お前が巫女である限り」

「ウィズ?」

「傷つこうが、後悔のないように。思い残す事の無いように」

 長い指が頬に痕を残した傷に触れる。

「人の世では何一つ出来る事のない水竜に代わり、俺がお前の庇護者になろう。だから批判を恐れるな。無理な事は無理って言うが、俺はお前の味方になってやる」

「じゃあ、鍵ちょ……」

「それは無理」

 全然味方じゃない。そんなの。

 頬を膨らませるとウィズが笑う。

「自分の出来る範囲で、自分の手の届く中で、最善を尽くしてこい。サーシャ、お前、この世でただ一人の水竜の巫女なんだから」

 よくわからないけれど背を押されたような気がする。

 したいようにしてもいいけど、鍵は渡さないって。一体どうしたらいいんだろう。

 窓の外の奥殿を見る。

 あそこからレツを解放したい。でも鍵は手に入らない。じゃあどうやって?

 レツ。

 一緒にいたいっていう願いを叶える事が、こんなにも難しいことだなんて。

 諦めに似た溜息を浮かべると、頭上からふふんと笑い声が降ってくる。

「もうギブアップ? 根性ねえな」

「違いますっ。悩んでるだけです。意地悪なんだから、ウィズは」

 ポコンと叩かれた頭に手を置くと、ウィズが目を細める。

「お前に何が出来るのか見届けてやるよ。類稀な巫女で奇跡の巫女だっけ、サーシャ?」

「見てなさいよ。ちゃんと目を離さずに最後まで見てなさいよ。絶対にウィズの鼻を明かしてやるんだから」

 クスクス笑って、ウィズが片手で口元を覆う。

「ああ、頑張れ頑張れ。その勢いで」

 何がおかしいのか爆笑してお腹を抱えて笑うと、ウィズはもうその話題には触れてはこなかった。

 王都でどんな事があったとか、戦争がどうなったとか、本当に世間話を飽きもせず聞かせてくれた。神官たちの答えが出るその時まで。


 あまり長い時間を要しなかった協議の結果も、変化を求めないものだった。

 前例が無い為、認められない。

 私はこれからどうしたらいいんだろう。

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