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 レツから離れがたくて、ずっと奥殿の床に背中合わせにレツと座り込んでいる。

 顔を正面から見たら沢山のワガママが噴出してきそうで、顔を見ることが今は辛い。

 本当は私がずーっとずーっとこの世の終わりまでレツと一緒にいられたらいいのに。そういう奇跡は起こせないの?

 そんなことを口にしてしまうんじゃないかと思う。そしてまたレツを傷つけてしまう。

 傷つけたくない。

 その心を守りたい。

 おこがましいかもしれないけれど、自分の出来うる全てを使ってレツを守りたい。

 守ろうとしたのに、結果としてレツを深く傷つけてしまった始まりの巫女のようにはなりたくない。

 なら、どうしたらいいんだろう。

 考えてみても、答えなんて浮かぶはずもない。

「ねえ、サーシャ」

「ん?」

 後ろから掛けられた声に振り返ると、レツが穏やかな瞳で見ている。

 ほっとして思わず笑みが漏れる。

 良かった。いつものレツだ。もう泣いていない。

「サーシャって図太くて頑丈でおかしな人だよね」

 笑顔で何を言う出すのかと思ったら。

「……褒めてないよね、それ」

 色々心配してたのに、何その人を変人扱いみたいな発言。だけどレツは至って穏やかは顔で微笑んでいる。憑き物が落ちたかのように。

 気持ち的に落ち着いてきたのならいいんだけれど、何か微妙にむかつくというか、ひっかる発言なのは気のせいじゃない。

「褒めてるよ」

 向き合うように体勢を変えると、レツが目を伏せて口元だけ笑みを浮かべている。

 そしてしばらくすると、押し殺したようなクククという笑い声が漏れてくる。

「やっぱり褒めてなんか無いでしょ」

 おかしくて笑いが堪えられないといった様子のレツに文句を言うと、レツは片手をひらひらと振って違うとアピールする。

 だったら何で、肩震わせて笑ってんのよ。

「ついでに短気で一本気で正直だ」

 ぜーんぜん褒められてる気がしませんっ。

 ついに、あははははと大声でお腹を抱えて笑い出すので、こっちは何が起こっているのかさっぱりわからない。

 さっきまでの絶望的な雰囲気はレツの笑いで吹き飛び、私の涙もどこかへ消えて言ってしまったようだ。

 でも、何でこんなに笑ってるの。で、笑われているのは私? それってかなり感じ悪いよ、レツ。

 どうせ頭の中なんて筒抜けなんだから、文句全部聞いときなさい。

 ひとしきり笑った後、レツが涙を指で拭いながらゴホンと咳払いを一つする。

「ごめんごめん。ホントに褒めたんだよ」

「本当に。全然そんな感じしないよ」

 思わず恨み節を口にすると、レツがポンポンと頭を叩く。まるでウィズみたいだ。そう思いながら、レツの指を眺める。

 小さい子供の紅葉のような手なのに、あったかくて優しくて落ち着ける。

「すっかり敬わずへつらわないようになってくれて嬉しいよ」

 言われてサーっと青褪める。

「それって、態度がずうずうしいって事?」

 またレツがクスっと笑う。

「いや、そんな直球に捕らえなくとも」

「ええ? じゃあどんな意味なの?」

「サーシャはボクの事、対等に見てくれてるんだなって思ったんだ。だからボクに命令するなとか言うし、本気でぶつかってくるんだね」

 満ち足りた表情のレツを見て、何も問題は解決していないんだけれど、何か解決しちゃったかのような錯覚さえしてくる。いやいや、それは間違っている。

 私たちの前には問題が山積しているはずなのに。

 でも、こんな笑みを浮かべるって事は少しは何かが動いたのかしら。

「いるけどね。最初から全否定で『私は巫女になんてなりたくありませんでした』とか言ってくるコも。でもさ、そういうコたちだって、水竜であるボクしか見てないわけで、まず水竜ありきなんだよね」

「いるんだ。そういう人も」

「当たり前だよ。誰もが好き好んで巫女やってるわけじゃないと思うよ。理不尽に思うコもいるだろうね」

 飄々としているけれど、それでいいんだろうか。レツは。

「でもさ、サーシャの場合は、今もそうだけど水竜っていう単語が浮かぶより前にレツっていうボクの名前が浮かぶよね。そういう違いがね、嬉しいんだ」

 頬にレツの手が触れる。透ける指には温度が無い。

「それにボクがいなくても食いしばれる根性がある。乗り越えようと前向きに動けるしなやかさがある。そしてボクを突っぱねる強さもある」

 本当に褒められているんだろうか。

「対等に。同じ高さで。そう言いたいのはボクのほうだったんだよサーシャ」

 ぎゅっと抱きしめられ、腕の中に引き込まれる。

 また食べられると思って全身が強張るけれど、レツはゆっくりとその身を離す。


「で、答えてない質問に答えて貰おうか。本当にボクの事好き?」

 その言葉に眉をひそめる。

「まだ信じてないの?」

「だってさ、明らかにボクよりも祭宮のほうがお得な物件だよ。お金もあるし身分もあるし権力もあるし」

「そんな俗物的な」

 笑いが堪えられなくて、噴き出してしまう。人ならざるモノの発言とは思えないよ、それ。

 その様子を奇妙そうにレツが見ている。

「だってさ、元々キミはここに来た時から祭宮のことが好きだったわけでしょ。んで勘違い失恋によって諦めたような事を言っていたけれど」

 今なんて言ったの。

「勘違い失恋って何」

「いや、だから神官長との仲を妄想して勝手に失恋決めたでしょ」

「え? え? ちょっと待って」

 頭が混乱してきた。もしかして勝手に想像して勝手に怒って、自己完結したってこと?

「勘違い、だったの、私」

「うんそう。別に訂正しなくてもいいかなーと思って黙ってたけれど」

「その時に教えてよっ」

 恥ずかしい。その独り相撲をレツは眺めていたわけでしょう。見ていても滑稽だったよね。嫌だなあ。みっともないなあ。

 大声を出して叫びたくなる位の恥ずかしさで頬が熱くなる。

「教えてたら、キミはボクを好きにはならなかったでしょ」

 すーっとその言葉が耳と心に届く。

 照れて恥ずかしい気持ちは、レツの瞳に吸い込まれて消えてしまう。

「どうして。元々レツのことは好きだったよ」

「弟みたいにね」

 溜息交じりのレツの言葉をどう訂正したらいいのかわからない。

 確かにレツの言うとおりかもしれない。レツのことは大切だし好きだったけれど、それは目に映る姿が「小さな男の子」だったので自然と少年に接するかのようになっていたと思う。

 実際に折り紙やらかくれんぼやら子供っぽい遊びが大好きだし。

 最初からずっと一緒にいたいと思っていたわけじゃない。いつか巫女で無くなる日が来ること、期限付きであるということを踏まえて接していたし。

 必ずここを離れる日が来るというスタンスで毎日を過ごしていた。

 自分がまさか神官長様のように、巫女という地位にしがみつくとも思ってもいなかった。

 どうやって自分の気持ちを表したらいいんだろう。

 どんなに言葉を尽くしても、レツにはわかってもらえない気がする。

「あっ」

 そうだ、あの方法がある。

「ねえ、レツ。前にさ、私の一番好きな人を見せてあげるって変身したことがあったじゃない。あれ、やってよ」

「えー。何で突然」

 心底嫌そうに言い、思いっきり眉をひそめる。

「だって、言葉でどんなに言ったって信じないでしょ?」

「やだ。あれ疲れるから」

 単刀直入な言葉で拒絶し、レツがぷいっと横を向く。

「もーのすごーく疲れるのに、また祭宮に変わったらボクはもうショックで立ち直れないもん」

 ああもうっ。どうしたらわかってくれるんだろう。

「大丈夫だから。絶対に大丈夫だから」

「ほんとにー?」

 疑いのまなざしにぶんぶんと首を縦に振る。

 内緒だけど、ウィズの事好きかどうかって聞かれたら好きよ。多分、レツ以外では一番好きだと思う。それじゃなかったら、触れられるのなんてお断りだもの。

 多少なりとも好意が無かったら、触っていいかどうかって聞かれた時点で「ごめんなさい」って言っている。

 だから、本当は好き。でもレツの次に好き。

 レツとは離れていたくないって思うけれど、ウィズはそこまで思い詰めるようなものじゃない。だから、二番。安心できるお兄ちゃん……というには毒ありすぎだけど、そういう感じかな。

 きっとそういう部分を見抜かれているから、レツに信じてもらえないんだろうけれど。

「ホントに本当だから。ね、一度でいいからお願い」

「んー。そこまで言うなら一度だけやってもいいけど、一回だけだよ。これで最期だからね」

 念押しをして、レツが立ち上がる。

 手を伸ばしてふわっと空気の玉と光の束を宙に放り、目を閉じて何かを唱えるように口を動かす。

 どうなるんだろう。

 確信はしていたけれど、ドキドキしてしまう。

 レツがレツに変わるって事はないだろうから、レツのままなんだよね、きっと。それとも別の姿に変わるのかしら。もう一つの奥殿にいるレツの姿に、とか。

 どうなるんだろうと思っていると、レツの身体を煙のようなものが覆ってしまう。

 白い煙がゆっくりと、ものすごく長い時間に感じる位ゆっくりとゆっくりと消えていく。

 まずは足が、その後に腕がといった具合に少しずつ体のパーツがはっきりしてきて、顔は煙の中で見えてこない。

 大丈夫だと思うんだけれど。

 急に不安になってくる。だって、レツにしては体が大きすぎる。

 ウィズって事はないと思うんだけれど、他に思い当たる人もいないし。

 なら、目の前に現れようとしているのは誰?

 煙が薄くなっていくにつれ、ぼんやりと顔の輪郭が見えてくる。

 なのに、それが誰なのかはわからない。端整な顔立ちと透けるような細い髪。そして無駄のない身体。

 本当に心当たりが無いんだけれど、これは誰なんだろう。

 レツ、魔法間違ったんじゃないの?

 目の前の人物が静かに目を開ける。

「誰?」

「誰?」

 レツと私の声が重なり合う。お互いに誰に変わったのかと問いかけて。

 指を指して問いかける私に、元はレツである人が首を傾げて怪訝そうな顔をする。

「誰って何」

 不快感丸出しの言葉に、あわあわと取り繕うように言葉を紡ぐ。

「だって、見たことないよ。あなた誰? いや、レツなんだよね、大元は。でも、あのね、今目の前にいる人、私知らない人なの。レツ、何か間違えたんじゃないの。私の好きな人に変わるはずじゃなかったの」

「はあ?」

「本当なんだってば。鏡ないかな、鏡見ればわかる? ほら、目線もさ、今はレツのほうが全然高いでしょ。おかしいな。何度見ても知らない人なのよ」

 不愉快そうにレツがこちらを睨みながら指を弾く。

 どこからか現れた鏡を手に取り、まじまじとその中を覗き込む。

「誰?」

 レツの口からも同じ感想が漏れる。

「ホラね、やっぱりレツが間違えたんでしょ。何で全然知らない人に変わっちゃったの?」

 答えずに「うーん」と唸りながら、何度も角度を変えながら鏡の中の人物を見ている。

 不思議そうにというよりは、納得がいかないといった表情で。

 しばらくそうしていた後、眺め飽きたのか鏡を放り出す。

「わかった」

「え? 誰なの?」

 ニヤリとレツが笑う。

 綺麗な顔で意地悪く笑うと、すっごく悪人っぽいんだけれど。そんなこと言ったら、また百倍返しくらいそう。

「わかんない? 愛が足りないなー」

 腰を屈めてレツが顔を覗き込んでくる。

 いつものレツが同じ表情をしても、こんな風に斜に構えた風には見えなくて、いたずらを企んでいるように見えるのに。なんか手の上で踊らされている感が強くてムカつく。

「全然わかんないよ。こんな綺麗な顔している男の人、私知らないもん」

 ウィズの事を整った顔だなって思っていたけれど、それよりもずっとずっと綺麗。

 透き通った肌。目鼻立ちのはっきりした顔立ち。細くてキラキラ輝く髪。そして蒼い瞳。

「蒼?」

「そ。蒼い眼。だーれだっ」

 ピンっと鼻の頭を指で弾かれ、痛みに顔を歪めると余裕の笑顔で踏ん反りかえる。

「レツ……なわけないよね」

「ぶぶー。ボクでしたー」

 言動が子供のまま。

 苦笑した瞬間にレツの腕の中に抱きすくめられる。

「理解したよ。キミが好きなのは大人なボクなんだね」

 あまりにぎゅっと抱かれるので息苦しくなって、顔をぷはっと息を吐きながらあげる。

「全然理解できませんっ。どういうことなの」

 見下ろし、慈愛に満ちた表情でレツが微笑む。

 レツなんだけど、レツじゃなくて。

 でもこのシチュエーションはドキドキが止まらない。せめてもうちょっと距離があれば落ち着けるんだけれど。

「あのね、キミはボクの本質のもう一つの部分を見ていたって事だよ」

 余計にわからなくなって、頭の中が混乱する。

 本質のもう一つの部分って何なんだろう。本質は本質なんだから、一つしかないはずでしょ。

「肉体的にはまだまだボクは子供だよ。でもね、精神的な部分においては、随分長いこと生きているわけだから、大人って言ってもいいかもしれないよね」

「……うん」

 言おうとしていることがイマイチ掴みきれないけれど、頷いてみる。

「だからね、キミはボクの見たくれじゃなくて、中身が好きなんでしょ。だからこういう姿になったんだよ」

「……そんなのアリなの?」

「アリなんじゃない? 実際変化しちゃったわけなんだから」

 クスクス笑う笑い声が耳をくすぐる。

 なんだろう。この、えも言われぬ敗北感。

「で、感想は?」

 つっけんどんにレツに問いかけると、レツはしばらく笑った後、腕の力を弱めて顔がよく見えるようにして微笑む。

「何でサーシャがそんな不機嫌そうなのかわからないけど、嬉しいよ。ありがとう」

 ボっと顔から火が吹いたんじゃないかって位、一気に顔に血が上る。

「そ、そんな。あの、えっと、感謝されるようなことはしてないし」

 どんなに逸らそうとしてもレツの視線からは逃れる事が出来ない。絡め取られて、レツの瞳が真っ直ぐに覗き込んでくる。

「したよ。ありがとう」

 もう一度ぎゅっと腕の中に抱きしめられ、首筋にレツが顔をうずめる。

 その感触が本当に人のように温かくて柔らかくて、胸がキュンと高鳴る。

 ずっとレツの熱を感じたかった。

 レツの胸に頬を寄せ、目を閉じる。

 とくん、とくんと規則的な音が聞こえてくる。

 レツの使う力で感じる感触じゃなくて、本当に生身の人間の感触がする。

 嬉しくて嬉しくて、この夢が覚めなければ良いのにと思う。ずっとレツのことこういう風に触れられたら良いのに。

 幸せな一時に浸っていると、しばらく動こうとしなかったレツの顔が動き、ちゅっと頬に口付ける。

「食べても良い?」

「無理っ」

 両腕でレツの身体を突っぱねて遠ざける。

「無理っ。絶対に無理っ。お願いやめて」

「何でそんなに全否定? 傷つくなあ」

 余裕の笑みで、髪の毛を一束手にとってレツが私の目を覗き込みながら、唇を落とす。

 それだけでクラクラしてくる。

 心臓はもう破裂寸前。

「勘弁して。そんなことされたら倒れるから」

「えー。これ疲れるんだよ。さっきも大技繰り広げちゃったから、ボクすっごーくお腹すいてるんだよね。ダメ? サーシャ」

 甘い声でおねだりしないで。思わず、うんって言っちゃいそうになるじゃない。

 首を横に振って拒否すると、レツの指が髪を梳く。

「どうしてそんなに嫌なの」

 心の中に直接届く蕩けるような声に、心が鷲づかみにされる。声一つでこんなに人を魅了できるなんて、大人になったらレツってばどんな風になっちゃうの。すっごい女タラシ?

 気恥ずかしさに俯くと、髪を梳いていた指が移動して顎をくいっと持ち上げられる。

「真っ赤だよ」

 言うなー。全身沸騰しそうな位恥ずかしいのに。

 レツの蒼い瞳に見つめられると、いてもたってもいられないような落ち着かない気持ちになる。

「だって恥ずかしくて今でもクラクラしてるのに、食べられたりしたら絶対腰抜けるもん」

 あははっと余裕の笑いをレツが発する。

「それは楽しそうだ。ぜひ腰抜かしてね」

 そう言うとレツにぎゅーっと抱きしめられる。

「逃げないでね」

 耳元で囁く声にゾクゾクとして、全身が粟立つ。

 ちょっと姿が変わっただけなのに、どうしてこんなに恥ずかしくて耐えられないんだろう。子供の姿のままでも十分辛いけれど、これ、刺激が強すぎる。

 レツの鼓動、感触、熱。

 その全部が心の中にさざなみを起こす。

 ふわっと熱っぽい息が耳を掠め、頬に、それから首元に唇が落ちてくる。

 ぎゅーっとレツの服の裾を掴んで耐えるものの、こそばゆくて身体がレツの唇から逃げようとしてしまう。

 バクバクと大きな音を立てている鼓動が耳にうるさくて、どうにもおかしくなってくる。

 ただの食事、ただの食事。そう何度も自分に言い聞かせるのに、熱は全身に広がっていく。



 予定通り膝にきて腰を抜かした私を、レツは両腕で受け止めて笑う。

「面白いねー。ボクはボクのまま変わってないのに、サーシャの反応が新鮮だね。たまにコレやろう」

 満足げに微笑むレツを力なく睨み返すと、レツは余裕の笑みを浮かべる。

「蒼い瞳。そのまま蒼のまま変わらなくなっちゃえばいいのにね」


 しばらくしていつもどおりの姿に戻ったレツは、飄々とした表情で奥殿の中を徘徊している。

 そんなレツを見て、思う。

 日常はこっちなんだと。

 さっき垣間見た「大人のレツ」は幻想で作り上げられた虚像でしかない。

 別に姿形に惹かれた訳ではないのに、今の姿をどこと無く物足りなく思えてくるのは欲張りすぎなんだろうか。それと同時に、誰にも見せずに隠しておきたい気持ちにもなる。

 だって、あんなレツの姿見たら、きっとみんな魅了される。

 沢山の人がレツに魅了されるようになったら、その大勢の中から私じゃない誰かをレツが選ぶかもしれない。だから閉じ込めておきたい。

 でもそれって凄く捩れた愛情だよね。きっとそんな醜いもの、レツは望んじゃいない。

 ふうっと溜息をついて全身を伸ばす。

 泣いたり笑ったりドキドキしたり。その全部がレツがいてこその日常。

 どうやってこの日々を守ったら良いんだろう。

 遠くない未来に来る別れの時まで、どうやってレツと過ごしたらいいんだろう。

 そして何よりも、私はレツに何を遺せるのだろう。

 別れ。

 その単語に胸が締め付けられて苦しくなる。

 喉につかえるように湧き上がってくる感情を押さえ込んで、飲み込んで。ぎゅっと服の胸元を握り締める。

 もう言わないって決めた。別れたくないって。

 今だけを考えるって決めたんだもの。

 それでもまだ気持ちは付いていかなくて、レツを見つめている事さえ辛くなる。

 いつか無くなる風景。

 ゆっくりと時の流れる、光と影のコントラスト鮮やかな奥殿の中、何よりも鮮やかに存在しているレツ。

 一瞬涙が出そうになる。

 泣いちゃダメだ。

 俯いて頭を小さく左右に振る。

 進まなきゃ。前へ。私の出来る事を探さなくちゃ。残された時間の中で。

 すっと立ち上がり、奥殿の天窓から入る光を確認する。もう茜色に染まろうとしている。

「レツ。私帰るよ」

 レツが立ち止まって振り返る。

「もうそんな時間?」

「うん。空、紅いよ」

 外を確認してから、とことことレツが歩み寄ってくる。

 目の前に立ち見上げてくるレツの目線に合わせるように膝を折る。

「多分、言っておいたほうがいいと思うから言っておくね」

「うん?」

「ボクは諦めたくないよ。残りの時間を穏やかに過ごすだけじゃなくて足掻きたい。後悔しないように」

「……うん」

「欲が出た。キミを抱きしめたら離したくなくなった。くれてやるのは惜しくなった。だから出来る限りの事をしよう」

 ぶわっと涙がこみ上げてきて、嗚咽で言葉が出ない。

 一緒にいることを諦めようとしていたのに。私。それなのにレツは。

 止め処ない涙を、レツの透けた指が掬い取ろうと動く。

「触れたい。悔しい」

 短い言葉だけ残してレツの腕が離れていく。

 顔を上げてレツの表情を見上げると、レツも泣きそうに顔をぐしゃぐしゃに歪めている。

 それが余計に胸を締め付け、苦しくて切なくて、奥殿の中に泣き声がこだまする。

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