壱参
ユーリという山賊が居る。ヴァルトが頭をしている山賊団で一番遅く入団――二年前、十四歳だったユーリはなし崩し的にヴァルト達と行動を共にするようになった。
家出してきたと告げて強引についてくるユーリをヴァルトは無視し続けた。けれども、底抜けに明るく馬鹿をする事を本能そのままに行う男はへこたれなかった。
いつしか、会話に混じり、賊の家業を手伝い、いつしか仲間になっていた。
そうヴァルト達に評される一方で、仕事や大事な局面では、冷静さを失う事無く遂行する精神力を持っていた。
始めに討伐隊が編成されている事に気付いたのはそのユーリだった。領主城で行われていた集会の内容に聞き入った彼の顔は引き締められていた。それでも、即座に戻る事が叶わなかったのは、衛兵や騎士がそこら中を跋扈していたからに他ならない。
ユーリは仲間に会う事も無く、民衆に紛れつつ静かにねぐらを目指した。
彼の目の前で、討伐隊が勢い良く城門から外へ走り去る姿を見せたが、見届ける事しか出来なかった。
「おいおいおい。不味い事になったな」
ユーリはねぐらから離れた森の中で、街道を練り歩く討伐隊を確認しながら声を漏らした。
「そうだな」
討伐隊が出立した後を追うかのように、ユーリは町を抜け出すことに成功していた。
今、ユーリの隣にはダンが静かに息を潜めている。いつもと変わらない空気にユーリは平静を保つ事が出来ていた。
ねぐらへ向かう途中にユーリはダンと合流ていた。
「どうするよ。これ、三十人くらいか? 無理無理、助けられないよ。三人だろ?」
騎馬に跨る騎士に衛兵達が隊列を組み、その後ろからは恐らく馬車が先導される形で二人の目の前を通り過ぎる。
二人は、静かに待ち続けた。助ける機会があり、可能性があるかを見極めるために。
「牢屋馬車なら不可能だぞ」とダンは呟く。
牢屋では、助け出すにしても道具が必要になってくる。鉄材で作られた牢屋では鍵を使うくらいしか助け出す手は残されていない。
「来た」とユーリは言った。
視界に馬車が見てくるのを確認する二人。その視線の先では高級馬車が街道を町に向けて走っていく姿を見る事が出来た。その後ろには牢屋馬車の姿が見えてくるとユーリは舌打ちをして、ダンは僅かに眉間へ皺を作り上げる。
「おっ……って。おいおい! 頭だけじゃないか。他は何処行ったんだよ」
ユーリの激情が声に含まれる。視線の先に見える牢屋馬車にはヴァルトがうつ伏せに倒れているのが見えるだけだった。出血しているようだが、まだ生きている事を二人は願うかのように見入る。
そして、あるものを見つけたのはダンだった。
「――ヴォルフ」とダンは力無く呟いた。
目は見開かれ、顔が強張っていた。
「何処よ」とユーリが探す。
「おい、何の、何の冗談だよ」
ユーリの視線は長槍の穂先に向けられた。
「野郎――!!」
「落ち着け」とダンはユーリを押さえつける。
そこに、ヴォルフは居た。瞼を閉じて、口から血を滴らせて、首に布が巻かれ血が零れ落ちないように縄で巻き付けれられて――ヴォルフの頭部は括りつけられていた。
「出て行ってどうなる。考えろ。どうやれば、その激情を殺した奴らにぶつけられるかを」
低かった。それでいてか細く搾り出したダンの懇願にも取れる声に、ユーリは自分の激情を治めたようだった。
握り締めるダンの手を振り解く事もせず、ユーリは身を再び屈めた。身体の震えが収まりはしていないが、一先ず落ち着いたように見えた。
「――ごめん」とユーリは呟き、唇を噛み締めて血を流した。
「同じだからな」
ダンはその行為を咎めることはせずに、じっと前を見つめ続ける。
ダンのその言葉に、ユーリは大きくも静かに頷いた。
ユーリは赤く燃え盛るよりも熱く、身を焦がしかねない炎を内に秘めたダンという男を見つめていた。
気付けば鳥肌が立っていた。それが何を意味するのかユーリには判らないが、内からやる気が漲ってくるのを感じられていた。
「ディックか」とダンは後ろを見る事もせずに呟いた。
「うん」
ディックの声は暗い。
「ダニエルっていう騎士団長が仕組んだ」
「そうか」
「ありがとよ。ディック」とダンとユーリは言った。
「後、ボーは生きてるよ」
その言葉に、ユーリは安堵のため息を漏らした。やはり、生きていると死んでいるのでは前者の報告を聞くのは嬉しいものだった。
「そうか。良かった」
ダンは本当に嬉しそうに、どもりながらも声を漏らした。その姿をユーリは珍しく呆れながらも視線を戻す。既に隊列は右から左へ過ぎ去った後だった。
「ボー。良く生きてたな……」
「二人が逃がしたんだよ」
ユーリの呟きに、ディックは堅い声で言い放つとユーリは振り返ってディックの傍に寄った。
「そっか。お前、見てたのか」
「出て行ったら怒られるし、悲しい顔するから」
「――良くやった。褒めてやるよ」とディックの身体を叩きながら、ユーリは優しく微笑んだ。
「うん、ありがとう」
その言葉に、ディックも落ち着いたように声を出した。
「で、ボーは何処に?」
「食糧積んで走らせた馬車で寝てる」
その言葉を聞くとユーリはダンの背中を見つめる。ダンもその視線に気付いて後ろを振り向き、互いに視線を交じり合わせる。
「ダン。今からアンタが一時的に頭だぜ?」
ユーリの言葉に、ディックは何も言わずダンも暫くの間、思案するかのように動く事は無い。だが、ダンの頭の中で今後の計画が組みあがったようで口を開き始める。
「……俺は、今からあの集団に張り付く。ディックはボーに説明して町に変装させて潜入させろ。合流場所はいつもの場所」
矢継ぎ早に繰り出される言葉の数々をユーリとディックは黙って聞いた。
「判った。僕は町の近くで隠れてる。いつでも呼んで」
「あぁ」とディックの言葉にダンは静かに頷いた。
ディックはその指示を聞くと森の中へ消えていった。
「ユーリ。お前は町の地形を把握しろ。特に、俺達が今まで寄り付かなかった領主城近くだ」
「判った……やっぱ処刑だよな」
ユーリの顔が渋る。
領主城内への侵入は一度成功してはいるが、それは警戒される前で民衆へ向けての集会が催されていたから簡単に入れただけだった。
今度はそう上手く行くとは考えられないユーリだった。ならば、町の中で領主城の地形を把握しなければならない。ユーリはせめて広場の簡単な見取りだけでも判れば好転すると考えていた。
「だからこそ、助けられる機会がある。娘二人を誘拐したのは町の権力を牛耳るためと考える。そしてその罪を俺達に全て被せた」
だからこそヴァルトは殺されなかったとダンは考えた。つまり処刑して見せしめにするという事。ヴァルトが叫ぼうがそれは賊の戯言でしかない。所詮、山賊は悪党で民衆は悪党の言葉を簡単に信用するかもしれないという思いをダンが持つ事は無かった。
騎士団長の言葉から領主の娘を攫ったと煽られてしまえば、民衆は容易に信用する事だろう。。
「でも、何で双子姫を生かしたの? あそこで皆殺した方が上手く収まりそうなのに」
「今回の首謀者は、仮にも騎士団長だ。町の象徴でもあった領主、延いてはその血筋を絶やすとは考えにくい」
その言葉にユーリは納得が言ったかのように右手をきつく握り締めた。
「賊捕まえて、お姫様を助け出した英雄の凱旋ってか?」とユーリが感情を消し切れずに言い放つ。
「沸く民衆を目の前に、司教の悪行をさらけ出し処断」とダンは話を続けていく。
「さらに人気と信頼は挙がり、最後には双子のどちらかを――いや、喋れない妹を妻にでも迎えれば?」
「全ては自分の物となるってか」ダンの言葉にユーリはそう言葉を吐き捨てた。
騎士団長とは言えば町の警備を司る権力を持つ立場で、独断で捜査も行える権限を持っている。そのような立場の人間が賊を捕まえ、双子姫を助けて凱旋し声高々に司教が山賊と結託し全てを仕組んだと叫ぶ。
民衆はそれを信じる。英雄に酔いしれ、凱旋に沸く。
「騎士団長といえば、長年ニールの町を護ってきた野郎って話だろ。疑う奴なんか絶対居ないよな」
ダニエルは二十年間、領主であるラインハルト・グーテンベルクに仕えてきた重鎮と呼べるほどの人物だった。
「何にしても、頭が処刑されれば次は俺達だ。領主の娘を攫い、下手をすれば領主殺しの罪まで着せられる事になりかねない」
「うっへ。それは勘弁だ」
ダンの言葉に、ユーリは心底勘弁願いたいとばかりに顔を顰めて喋った。
「だからこそ、ヴァルトを助ける。そして姫のどちらかも」
「証言させようってか? そう上手くいく?」
ユーリの言葉に、ダンはため息を一つ吐き出した。
「行かせるさ。ボーを傷つけた罪は重い。勿論、ヴォルフを殺した事もな」とダンは言った。
ユーリはその言葉に、頼もしさと可笑しさ、そしてダンらしさを感じて苦笑いを浮かべる。
「普通、死んだ人の名前を先に出さない? まぁ、ダンらしいけど優先順位が」
「な、何を言っている。俺はボーの事など」とダンは焦りながらも反論した。
それを適当に「はいはい」と、あしらいつつもユーリは持ち前の明るい声を出した。空気を変えて、色々な思いを切り替えるように。
「良し。取り合えず動く! 万事上手くいけば、敵討ちもいけるから、張り切っちゃうぞ!」
「ユーリ」ダンは動くユーリを呼び止める。
「お、何よ?」
ダンの言葉に、ユーリは振り返って聞き返す。
「死ぬなよ」
「……心配されるならやっぱ美女が良いわ。男は駄目」
そこにはいつものユーリといつものダンが居た。ユーリは口を釣り上げて万遍の笑みを浮かべ、ダンは控えめながら鼻で笑い、互いに行動を始めた。
ボーは両親の顔すらも知らない。ただ、浮浪者として収監された聖都教が主導する矯正院で暮らしていたという思い出したくもない記憶だけが残っていた。孤児院とは違うその施設では、怠惰であるとされる職の無い若者や子供を集めて労働を教え、働く喜びを覚えさせるという建前で運営されていた。
蓋を開ければ、そこは地獄。
ボーは一日中、滑車を回した。そうしなければ、四方を壁に囲まれた部屋の中に水が溜まり、溺れ死んでしまう。だから、ボーはずっと労働という名目上、滑車を動かして排水作業をし続けた。何の意味もないその作業を延々と毎日繰り返し、食事と寝床を与えられた。
矯正院は、働く事を強制する場所で、教育する場所ではなかった。
日々、人の往来はあるものの、子供を見ては奴隷商人が買っていく。ボーは連れて行かれた子供達がどうなったかを知らない。ただ、教師と自らを自称する大人達からは貴族の使用人として召抱えられていった。仕事が見つかった。と言って残った者を鼓舞し続けた。
ボーはそんな事を一切信じはしなかった。
「ボー」
ディックの声に、ボーは身じろぎ一つしなかった。膝を抱えて、ロバと一緒に荷台に乗せられて、ただ座っていた。
「ボー、ヴァルトを助け出すよ」
「ダンが指揮を執ってる」とディックは立て続けに言葉を並べていく。
ボーは膝に顔をうずめるようにしていた。
「ヴォルフが殺された」
ボーは何故、自分が外に出られたのかを良く覚えていない。だが、気付けば外にいて、矯正院にいた子供達と路上生活を始めざるをえなかった。
「うん」
ボーという名は本名ではない。だが、誰に付けられたかもボーは覚えていなかった。ただ、ボーという名を嫌っている訳ではなく、初めての名前だから大切にしていた。
いつもボーっとしている。だから、ボーと呼ばれるようになっていた。矯正院では二百五十六番だったボーは、初めて名前を貰い、盗人や物乞いをしながら生きるようになった。
「見てた?」
それは、ある日の事だった。ボーは短剣を盗んだが、短剣を持っていた男の仲間に捕まえられてしまう。それが十年前の出会い。
「うん」
「どうして、助けてくれなかったの?」
ボーは顔を挙げて、ディックを見つめた。真っ赤な瞳はまだ揺らめいている。怒り、悲しみ、動揺。様々な思いを混ぜ込んでいる言葉だった。
「ヴァルトもヴォルフも出て来て助けろ。なんて思ってなかった」
「――そうだね」とボーは呟いて前を見据えた。布の壁が視界一杯に広がっている。
「ディックにとって、ヴァルトや僕達はどんな存在?」
ボーは先ほどより落ち着いたようで、ディックに語りかけた。
「家族だよ。大切な」
「同じだね」
ボーは笑った。
「でも、僕にとってヴォルフが全てだったんだよ」
涙が零れ落ちる。拭う事もせず、ただ流れる。
「十年前に出会ってから、ヴォルフは僕の父さんだった」
ボーは思い出す。あの時のやり取りを――あの時のヴォルフの姿を。
「うん」
「許せない」
「許せないよ」
二度、呟かれたボーの言葉には悲しみ以上に憤怒が込められている。語尾が荒々しい。
ボーは顔を挙げる。ディックを改めて見つめるその表情に、先ほどの弱々しい姿は消えていた。
「ダンはなんて?」
「変装して情報を探る。いつもの場所で」
「きっと、町は厳戒態勢だね」
「うん」
ディックは頷いて、荷台から離れようとする。いつでも、言われた指示通りに動けるように、それでいて町に近く、町人には見つかれない場所で息を潜める。ディックにもやるべき事はあった。
「ありがとう、ディック」
ボーはディックの後ろ姿にそう声を掛けて腰を挙げた。そして、荷台に積まれている荷物を漁り出す。
「お兄ちゃんだから」
ディックは振り向いてそう言った。
「ボーは僕のお兄ちゃんだから」
ボーは大きく頷いた。もう、誰も死なせたくは無いと心の底から思い、そうさせないように動く覚悟を決めていた。
「絶対、死にはしません」
ボーは思い出す。
ヴァルトから短剣を盗み、ヴォルフに捕まった十年前の出来事を。あの時、死に物狂いでヴォルフにしがみ付いて離れなかった当時の自分を、ボーは心の中で褒め称えた。
あの時、ヴォルフみたいな人を父親だと奇妙に確信めいて感じた自分は間違っていなかったと。
だから、今のボーは与えられた役割をこなすために動く。
それが、敵討ちへの近道であると考えられるほどに、ボーは落ち着きを取り戻していた。
ボーは荷物の中から年季の入った木の櫛と女性用の衣類を探し出し、纏めていた髪の毛を解いて、身なりを整え始めていった。




