第5章 黙示録解釈への肯定的含意
5-1. 人間視点への警告
ストレージ学派が主張する、「最後の審判では人間の善悪が基準にならない可能性」を認めると、人類が自らの行いを“道徳”や“正義”という尺度で誇示することがあまり意味を持たないという大きな衝撃が生じる。
しかしそれは同時に、“私たちは宇宙や創造主の計画を自己中心的に解釈しすぎていないか”という問題提起でもある。黙示録の数字が固定されているという点は、神の超越的裁量による結果と結び付き、人間ごとの行動評価とは切り離されるという解釈をある種正当化する。
5-2. 人類の謙虚さと共存
もし“善人か悪人か”が救済に直結しないなら、人類は自らの尺度を絶対視するのではなく、“創造主がどのようなデータを望んでいるか”を謙虚に考える必要が出てくる。
あるいは、そもそも創造主の意図を読み取ることは不可能かもしれない。いずれにせよ、この論理は人類の倫理観や生き方に衝撃を与えつつ、“自分たちの善悪が絶対ではない”と気づく謙虚さを促す可能性がある。
5-3. 多次元解釈との融合
仮想現実世界論の神域物理学派は多次元投影を強調するが、黙示録の場面は“地上の全人類が一斉に起こされ、評価される”という巨大イベントを語る。
この巨大イベントこそ、上位ストレージの大規模データ整理であり、下位世界(われわれの物理宇宙)からデータを引き抜く作業だと理解すれば、聖書の終末預言をSF的に統合できる。
“海から死人が出る”のも“黄泉から死者が出る”のも、上位次元の再アクセスに伴うデータリストアと解せるからだ。




