1‐2.
兄の訃報を聞いたのは、汐屋からだった。
深夜、次の日早番だった陸は自分のアパートで眠っていた。体が石のように重くて、意識が少しずつ浮上していっても、重い瞼を開けることはできなかった。
初めは、携帯電話の目覚ましが鳴っているのだと思った。だから陸は枕元の携帯を取り、ぼやけた頭でどこかのボタンを押し、音を止めようとした。いじっている内に音が止み、陸は再び枕に顔を押し付けた。しかし、窓の外から聞こえる音のように、微かな人の声が耳をさらった。慌てて起き出し、携帯を耳に当てると、汐屋からの電話だった。
―…陸……陸?
―ああ、シオくん?ごめん、ちょっと寝てた。
―…陸。
―うん、なに?どしたの?
―正行が、事故に遭った。
まるで極寒の地で寒さに震える人の声のようだった。天と地が逆さになったような、真っ暗な闇が陸の目の前を襲った。
あの日のことは、一生忘れない。明日へと続いていた扉が不意に姿を消し、大きく暗い穴へ自分だけが落ちてしまったようだった。
病院に着いた時はもう深夜1時を回っていて、辺りは静まり返っていた。『手術中』のランプが点いたオペ室の前の長イスに、両手を組んで汐屋は座っていた。陸に気付き、顔を上げる。色素の薄い茶色い瞳は涙に濡れて黒々と輝き、不安に揺れながら頼りなく陸を映した。
―約束してたんだ・・・・夜の海に行こうって。最近忙しくてドライブにも行けなかったから。・・・・楽しみにしてるって、言ってたんだ。
すでに泣きそうな声でまるで告白するように囁く汐屋。震える肩や、涙を貯めて悔しそうに唇を噛む姿なんかを見て、陸はどうしようもなく自分が小さい存在に思えた。
オペ室の中の緊迫した空気がドア一枚を隔てて、ひしひしと自分たちを苛んでいった。
沈黙の中でいろんな事を考えた。無断で休んでしまった店のことや、つけっ放しにしておいた部屋の明かり。もしこのまま兄が死んだら、田舎から親族は誰か来るのだろうかとか、そんな事まで考えた。
今必死に戦っているだろう兄の心配ではなく、身近な生活のことしか思いつかなかった自分を、冷徹だとかリアリストだとかは思わない。実感がないのは、兄の姿を見ていないせいかも知れなかった。
冷たい長イスの上で汐屋と並んで、こうしてただ時が過ぎるのを待っていると、感覚が妙に研ぎ澄まされていくのを感じた。看護婦が数十メートル離れたところから駆けて来る音や、やってくる救急車のサイレン。そして、張り詰めた静けさの中で気付いた、いつの間にか降り出した大粒の雨。全感覚でそれらを捉える。
雨は、暖かいもののように思えた。それに寄り添うように、心が落ち着いてくる。
確信はないにしろ、兄が死ぬ予感などまるでしなかった。
……なのに。
およそ4時間に及ぶ手術の末、兄は静かに息を引き取った。