2‐5.
汐屋のアパートには小さな中庭があり、中心には石造りの池があった。当初は噴水のつもりだったのか、小便小僧よろしく水を吐き出すための蛇口があるが、結局銅像も何も作られないまま剥き出しで放置されていた。建設途中で管理人が他の事業に手を出して失敗し、人手に渡ったために中途半端な作りになったのだと汐屋が言っていた。
ヒビの入った古い壁には植物の蔦が伝い、『レトロ』と言うと感じが良すぎて気が引ける、そんな景観のアパート。良い面と言えば家賃が安いということだけだ。
あの部屋にとてもいられなくて、けれど仕事にはまだ早く、陸はアパートの周りを逡巡していた。まだ夕方にもならないというのに、雨空のせいで外はもう薄暗い。
タタン、タタン、と雨が傘を叩く。陸は雨が嫌いだった。思い出したくない記憶と雨は、連結していた。
ぎっしりと生え詰まった藻で、池は緑色に濁っている。魚一匹いない水面に雨の粒が銀色に光りながら落ちる様は、単調で退屈だった。
こういう良く言えば情緒のある風景も、陸の目にはただの寂れた一角にしか映らない。芸術云々などは、理解の外のことだった。
―……描きたいなあ、ここ。
シトシトと降る雨の音の隙間から突然兄の声が聞こえた気がして、陸はビニール傘を持ち上げ、辺りを見渡した。しかしもちろん中庭には、兄の姿はおろか陸以外誰一人いなかった。
それでも陸は、傘の作る丸い影の向こうに革靴を履いた兄の足先が見えるような気がして、身を硬くした。背中がぞっとして、喉の奥にじりじりとしたものが降り積もっていくように感じる。陸は動揺してしまった自分を恥じて、小さく舌打ちをした。そしてその瞬間に、またも兄の声が聞こえた気がした。こら、と鋭い声が頭上から。
―舌打ちは癖になるんだぞ。社会に出てうまくいかないことがあっても、それですませるつもりか?
眉間に寄せた皺。小言ばかり言って聞かせる、少し尖った薄い唇。自分を見下ろす目の、冷静でどこか遠い感じ。
汐屋の部屋から持ち帰ってきてしまった兄の気配は、当分消えてくれそうにない。




