落語声劇「二階ぞめき」
落語声劇「二階ぞめき」
台本化:霧夜シオン@吟醸亭喃咄
所要時間:約40分
必要演者数:最低2名
(0:0:2)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品
に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。
それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。
●登場人物
若旦那:この噺の主役の一人。吉原へのひやかしにドハマりしていて、
酷い時は一日二回も吉原へ行く有様。しかし、女郎買いではなく
吉原という街そのものが好きな男。
大旦那:店の大旦那。若旦那の吉原通いに頭を痛めている。
番頭:お店の番頭。大旦那に言われて若旦那に小言を言うが、
若旦那が吉原へ行く目的を知り、その願いをかなえようと大工の
留公に依頼して、店の二階に吉原を再現させる。
留公:店に出入りの大工。
腕は確かで、番頭に依頼されて店の二階に吉原を再現してのける。
定吉:店の丁稚。大旦那に命じられて、二階で騒いでいる若旦那の様子を
見に行かされる。
語り:雰囲気を大事に。
●配役例
若旦那・留公・大旦那・枕・:
番頭・定吉・語り:
枕:禁演落語、煙草じゃございませんよ。
第二次世界大戦中に演じる事を禁じられた演目、それが禁演落語で、
二階ぞめきもその中の一つでした。
それが終戦を迎えて間もなく解禁され、再び高座にかけられるように
なった、そういう過去を持っております。
とまあ、少々重い話は置いておきまして。
皆さんは店などを冷やかしに行ったことはございますか?
本来冷やかしといいますものは、むかし吉原の傍に紙すき場がありま
して、紙屋の職人が紙を水に浸して待っているのが退屈だというので
、紙が冷やける間に吉原を一周り廻った。
ここから冷やかしという言葉がオギャアと生まれ出でたわけでござい
ます。別の呼び方には素見、ぞめきというものもあります。
そしてこの冷やかすという行為は長く続くんですな。
当然です。銭がびた一文たりとも必要ないわけですから。
張見世やってるのを見て歩くだけだって綺麗どころが並んでるわけで
すから、これは大した見ごたえです。
そういう場所だけに、一晩も吉原へ行かねえとどうも寝られねえ。
そんな厄介な人もいたりするわけでして。
番頭:若旦那、困りますよ。
若旦那:なんだい、だしぬけに困るだなんて。
番頭:困るんですよ、毎晩毎夜吉原へ出かけて。
少し度が過ぎますよ。
先月なんか、月に四十日も冷やかしに行ってるじゃないですか。
若旦那:ほお、面白い数取りだね。
ひと月は三十一日って決まってるじゃないか。
番頭:若旦那、それは陽暦です。
この噺の時代は陰暦なんですから合わせて下さい。
いいですか?
若旦那:あ、そう…。
で、ひと月が三十日と決まってるのに、なんで四十日なんだい?
番頭:それは一晩に二度も冷やかしに行ったのが、
十日もあるからですよ。
若旦那:ほう、それで四十日かい。
なるほどねぇ…んっふっふ、我ながらえらいじゃないか。
こっからどこまで増やせるかねぇ。
番頭:そんなこと言ってる場合じゃありませんよ。
大旦那様が怒ってるんですから。
店の者に示しがつかないって。
若旦那:なんだいその、示しがつかないって。
番頭:吉原から遅く帰ってきてどんどんどんどん戸を叩いたら、
みんな分かるでしょう。
若旦那:そりゃ、叩きたくないけど閉めてるから叩くんじゃないか。
いっそのこと開けときなさい。
番頭:開けとけって…簡単におっしゃいますけどね、物騒じゃないですか
。
若旦那:表の戸がだめなら裏の戸を開けとけばいいじゃないか。
番頭:裏だって駄目ですよ。泥棒なんてものは裏から来るもんなんです。
若旦那:だったらお前が起きてればいいじゃないか。
俺が帰ってきてトントンって戸を叩いたらスッと開ければいいん
だ。
表でも裏でも、どっちでもいいから。
番頭:いや、若旦那がいつ帰ってくるかなんて分かるわけないじゃないで
すか。
いつ帰ってくるのかもわからないのに、じっと起きて待っていろと
、そういうわけですか。
若旦那:だからいいんだよそれで。
帰ってくるのが分かってて戸を叩かれたって面白くないだろ。
いま帰るか、いつ帰るか、ましてそれもご恩を受けてるご本家の
若旦那がお帰りになるのを待つ、その気持ちだよ。
女を待つ気持ちと同じだ。
番頭:若旦那は女じゃない、
男じゃありませんか。
若旦那:ああ女じゃないよ、男だよ?
男だけどもそうやって待つところがいいんじゃないか。
俺が帰って来た時にね、トントンっと戸を叩かれた時の嬉しさな
んてないよ?
そのうち足音聞いただけで帰ってきたのが分かるよ。
あ、若旦那のお帰りだってんで、
トンっと来たら、スッと戸を開けられるようになるんだ。
なんでもない事なんだよ。
番頭:そんな事おっしゃられましてもね、トンっと叩かれた時点で誰かに
バレますよ。
大旦那様に分かったらどうするんですか。
若旦那:いいよ分かったって。
俺が言うから。
実は俺が悪いんじゃない、ぜんぶ番頭にそそのかされたんだって
、こう言うから。
その時にお前が、仮にそうでなくてもーー
番頭:仮にも何も、そうでないに決まってるじゃないですか。
なんで濡れ衣を着せるんですか。
若旦那:そこはお前、そうでなくてもだね、
さようでございます、罪はすべて私にございます。
と、言って俺の罪を背負うんだよ。
親父は何にも知らないから、とんでもないわけだってんで、
お前がスポーンと首を切られて、荷物まとめて国へ帰ると、
こういう筋書きだ。
番頭:ごめんこうむります。
若旦那:そんなこと言うなよ。
いい絵になるよ?
たそがれてる空の下、枯葉が舞う中をお前がとぼとぼ帰る。
絵になるくらいだから、浄瑠璃のいい本が書けるよ。
今晩行ってひとつ、誰かに聞かしてやろうかね。
番頭:バカなことおっしゃられては困りますよ。
若旦那、ここはどうか私の顔をたてて、
吉原へ行く回数を減らしてはくれませんか?
五日に三度とか、三日に一度とか。
若旦那:いやあ…番頭さんの顔はたてにくいよ。
顎がとんがってるから。
鉋で削って平らにしとかないと。
番頭:なに物騒な事おっしゃってるんですか。
私の立場を察してくださいと、そう申し上げてるんです。
若旦那:分かったよ…じゃあ月に一度にするよ。
番頭:え、本当ですか?
ありがとうございます。
そんなにすぐ話が分かっていただけるんでしたら、
ぐずぐず言わなかったんですけどもね。
一日でいいんですか?
若旦那:ああ、いいよ。
番頭:ありがとうございます。
けど、今まで月に四十も行ってたのに大丈夫なんですか?
若旦那:?
いや番頭さん、お前さん何か勘違いしてるね。
一日だけ行かないんだよ?
番頭:え…じゃああとの二十なん日は…?
若旦那:行くに決まってるじゃないか。
まさかお前、一日しか行かないとでも思ったのかい?
番頭:ええ思ってましたよ。
じゃあ月に一度だけ行かないと、そういうことですか。
若旦那:うん、そういう事だな。
番頭:だんだん話が通じなくなってきたよ。
じゃあほぼ変わらないじゃないですか。
若旦那:変わらないね。変わらないならずっと行くよ。
番頭:困りましたなあ、ほんとに…。
吉原ってのはそんなにいいとこなんですかね?
若旦那:…番頭さん、殴るよ?
番頭:え、何かしくじりましたか?
若旦那:あぁ大いにしくじったよ馬鹿野郎。
お前ね、その「吉原いいとこなんですか」て言い方はね、
おはようございます、こんにちわ、
って言ってるのと同じなんだよ。
「吉原いいとこなんですか?」
「そうですよ。」
そこで会話が終わってしまうだろ。
吉原に対して失礼だと思わないのかい?
同じ言うなら、
「吉原はいいとこなんでしょうねェェェ。」
と、こういう声音をするんだよ。
「そうだよォ、吉原はいいとこだよォォ。」
と俺が言って手を取って、共に泣くんだ。
まったく、その年にもなって吉原にも行った事が無いってのは
かわいそうだね。何のために生きてんのか分かりゃしない。
よし、今晩お前を連れていこう。
番頭:ちょ、ちょっと待って下さいよ若旦那。
私は若旦那に、そのような事をしてはいけませんよと、僭越ながら
お小言をですねーー
若旦那:【↑の語尾に喰い気味に】
じゃあ道くらいは覚えておくといい。
知らないより知ってる方が小言は言いやすいってもんだ。
知らねえくせに言うなって言われるよりは、
知っててこうこうだからいけませんって言えるだろ。
私は行けるけどいけませんってな…面白くない?
番頭:面白くないですね。
若旦那:まあまあ、話を聞くんだ。
吉原へ行くには二通りある。
一つは陸、一つは川だ。川のほうがいいね。
特に夏場なんざたまらないねこいつは。
柳橋あたりでもって神田川から入って…
そのくらいならお前さんも分かるだろ。
ここから猪牙舟を仕立てるんだ。
猪牙ってなその昔、明暦のころにできた船だ。
気が急いて、早く着きたいというこの了見を託して、
小さく細身に作ってある、だから早いよ。
早いだけに乗り方は難しいんだ。
「猪牙でしょんべん 千両も捨てた奴」って言ってな、
あの猪牙から小便などという芸当ができるようになると、
これは吉原通いの古強者と言えるね。
千両は使ってないとこんな芸当はできないってとこからできたん
だ。
初めて乗る奴は速さに驚いてね、後ろへひっくり返ったり、
前にのめったりする。
「手をついて 猪牙へ乗ってる 恥ずかしさ」
って番頭、こいつはお前さんの役だ。
番頭:はあ、ありがとうございます。
若旦那:ありがとうございますって、礼を言う所じゃないよ。
宿屋の女中だのおかみだのに、いってらっしゃいって言われて
船に乗る。
船が柳橋をくぐって北へついーっと向けるってえと、
風がすーっと吹いてきて、気持ちも北向きにまっつぐになるって
もんだ。たまらないね。
そうすると左側に首尾の松だ。乙な名前だね。
で、右に見えるのが嬉野の森と言って大きな椎の木がある。
肥前平戸のお殿様の下屋敷があるとこで、椎の木屋敷ってんだ。
その椎の木と首尾の松がまるで夫婦のように見える。
事の首尾を祝ってくれるってなもんだ。
そこをずっと行くと左がお上のお米蔵、お蔵前を後ろから通り、
右のほうに向島がかすんで見えて、更に左に金龍山下河原町、
五重の塔を見ながら浅草寺のところをずっと今度は左へ上がって
いく、そうすると掘へ入って上がって船宿だ。
番頭:それで吉原に着いたんですか?
若旦那:まだ着くわけないだろ、船宿だよ。
そこから土手八丁行くんだ。
土手八丁口八丁に誘われてってな。
「沖のカモメの二鳥立ち、おや三鳥立ち。」
番頭:え、若旦那、どうしたんですか?
若旦那:吉原雀ってーーわかんないだろうね。まあいいや。
途中に土手の道哲庵、砂利場、孔雀長屋の手前をだな、
弓手に見ながら降りてくると、道はおのずから吉原に通じる。
どうだい。
番頭:はぁなるほど、そこから来たんですね。
若旦那:何が?
番頭:すべての道はローマに通じる。
若旦那:…番頭さん、大丈夫かい?
異国と吉原に何の関係があるんだよ。
下らないこと言うもんじゃない。
五十間高札場、だらだらだらと見返り柳、
おッ、見えてくるのが我が麗しの、大門!
番頭:え、「だいもん」では?
若旦那:「おおもん」だよ!
で、行くまでのな、八丁八田土手が土手八丁とこう言うんだがな、
この道哲って場所がちょいと乙でね。泣かせるんだ。
番頭:はぁ、どう泣くんですか?
悔しくて?
若旦那:悔しいも何もあるもんか。いいから黙って聞いてなさい。
これはね、西方寺って寺にいた道哲って坊主が作ったという
ような説があるな。
また三浦屋の高尾って花魁に熱くなって通って、
喋喋喃喃ありしという説もあり。
どちらの説も取るに足らないという説もあり。
番頭:若旦那の話は難しいですな。
ややこしくていけませんよ。もっとこう簡単にーー
若旦那:だからね、川の方の行き方はそういうわけだ。
陸の方は歩いて行くのもいいがな、やはり駕籠だね。
浅草見附からこう行くってえと二つに分かれてる。
左の方へ行くってぇとこれもやっぱりお蔵前から並木町を
ずっと行くと雷門にぶつかるだろ。
仁王門をくぐって右の方へ二天門、その昔の矢大臣門だ。
こいつを右に見て、左へ左へとこう行くんだね。
番頭:なんか若旦那、さっきから左左左左言ってますな…。
その裏門を左左に行けば良しと言いますな。
馬道を五、六丁行って、手前に姥が池の左を通って富士の浅間様を左に見な
がら、さらに馬道を五、六丁行って吉原田町、
土手へぶつかって船宿の客と一緒になって左へ行って
これを左へだらだらと下りて見返り柳。
若旦那:【↑の語尾に喰い気味に】
…おい、番頭さん。
お前さんさっき、吉原の道が分からないって言ったばかりじゃな
いか。
番頭:ええ、言いました。
若旦那:じゃなんで今すらすら陸での行き方が出てきたんだい?
番頭:ですから、私は駕籠では行くんですが、
船の方が分からないと、こういうわけで。
若旦那:はあ、こいつは驚いたね。
で、どうしたいんだい。
番頭:ええ、若旦那がそういう了見でしたら、わかりました。
ここまで来たからには私も腹をくくりましょう。
若旦那の悪事に加担します。
若旦那:ほお、嬉しいね。加担と来たかい。
どうカタンとくるんだい。
カタンカタンと、どうくるんだい?
番頭:ですから、若旦那が惚れてるであろう方をですね、
私が大旦那に内緒で身請けをして、向島か今戸に囲います。
そこに若旦那が通うんです。ただし夜はいけませんよ。
昼間に行ってちょいちょいと会うなり、いろいろありのね、
大旦那様が六ったらーー
若旦那:なんだいその六ったらってのは。
番頭:まぁまぁまぁまぁ、もしそういう事になりましたら、その時は
どうとでもなりますから、とりあえず私に万事任せておくんなさい
。
若旦那:はぁ~言うねぇ番頭さん。
お前さん、親父に内緒でそういう事やってるんじゃないのかい?
山崎屋の番頭と同じことしてるんじゃないのかい?
番頭:またそういう事をおっしゃって…。
私はですね、若旦那の為を思ってーー
若旦那:またそれかい、二言目には俺の為って…。
そりゃあ俺の為と言っときゃね、俺が後を継いだらお前さんが
一番の功労者ってことになるからね。
番頭:そういう事じゃありませんよ。
分かってますよ。
若旦那:番頭さん、分かってるって言うけどね、
肝心なところが分かってないよ。
番頭:どういう事です?
若旦那:俺はね、女が好きで吉原へ行くんじゃないんだよ。
吉原が好きで行くんだ。
だから女を身請けしてもらっちゃ困るね。
番頭:え…つまり…?
若旦那:だから、女を身請けするんじゃない。
吉原を身請けすればいいんだよ。
できないだろ?
番頭:できませんよ、吉原そのものだなんて。
じゃ若旦那、あなたは女が目当てじゃなくて、
吉原そのものが目当てで通ってると?
若旦那:そうそう、そういう事なんだよ。
番頭:…でしたら若旦那、つかぬ事をうかがいます。
あなたは二階を一人でお使いになられてますよね?
若旦那:そうだね、広すぎて体のやり場に困ってるよ。
番頭:いいですよ、やり場に困るくらい広いんですから、
やり場のあるようにしましょうよ。
二階に吉原を作りましょう。
若旦那:…え?
番頭:ですから、二階に吉原をそっくり作りましょう。
そこを冷やかしておいでなさい。
そうすれば大旦那も何も言わないでしょう。
若旦那:…番頭さん、お前さんどこで取れたっけ?
すごい事考えるね。
二階に吉原、作れるのかい?
番頭:ええできますよ。
そうして朝に晩にひやかせばいいじゃないですか。
昼遊びもあるんですよね?
若旦那:あ、あぁ、そうだけど…。
でもね、仮に作るとしたって俺は注文がうるさいよ?
半端な出来じゃ満足しないよ?
というか番頭さん、お前さんが作るのかい?
番頭:私が作るわけないじゃないですか。
大工の留公に作らせますよ。
若旦那:留?あの出っ歯の?
番頭:ええ、腕はしっかりしてますから。
若旦那:あ、そう…、まあわかった。
できなくて元々だと思って、期待しないで待ってるよ。
番頭:承知しました。
ではさっそく。
【二拍】
ここだな。
留公、いるかい?
留公:おっ、こいつァ番頭さん。
今日はどうしたんで?
番頭:実はね、うちの店の二階、あそこはいま若旦那が一人で使ってるん
だが、そこに吉原の町並みをそっくりそのまま作ってほしいんだ。
留公:へっ!?吉原の町並みをお店の二階に!?
番頭:ああ、若旦那の吉原通いは知ってるだろう?
あれは実は、女目当てで通ってたんじゃなくて、吉原そのものが
目当てだったって事が分かってね。
だったら町並みをそっくり二階に作ってしまおうと、こう言うわけ
なんだ。
頼まれてくれるかい?
留公:へえ~!また珍しいご趣向ですなあ!
いや、しかし嬉しいですな!ありがとうございます!
生きてて良かったと思うのは、こういう仕事が来た時だね!
やります、やりますよォ!
番頭:入費はいくらかかってもいいから頼むよ。
若旦那はあそこの隅から隅まで知ってるんだから、うるさいよ?
もう吉原を再建するくらいの勢いでないといけないよ。
留公:へへ、心配ご無用でさ!
こちとら頭の中に全部入ってんだ!
どこそこの行灯部屋に行灯が何本あるか、
知ってるんでェ!
あっしはくわしいんだ。
番頭:そりゃ居残りじゃないか。
えばったって駄目だよ。
留公:へへへ、そうだけどね。
まあひとつ、あっしに任しておくんなせェ!
語り:そんなこんなで吉原再現工事が開始と相成ったわけですが、
これがどこでどう漏れたか、その道の細工師だの左官屋だのが
面白そうだってんでぞろぞろ集まってきた。
そして寄ってたかって吉原を店の二階にこしらえてしまったので
あります。
留公:どうだい番頭さん、この中にゃ実際に吉原通ってる奴もいるが、
そいつの目から見ても瓜二つってことだぜ!
番頭:へえぇこいつは驚いた…!
いや、よくこしらえたもんだね。
日当はこれだよ。
いや、ご苦労様だったね。
それじゃ、私は若旦那に知らせてくるよ。
【二拍】
若旦那!
できましたよ!
若旦那:?何が?
夕餉かい?
番頭:夕餉じゃありませんよ。
ほら、その…二階に、
【声を落として】
吉原が、できましたよ。
若旦那:えっ、できた!?
二階に!?
吉原が!?
本当にやったのかい!?
番頭:はい。
今ちょうど灯が入りましたよ。
どうです?冷やかして来ませんか?
若旦那:…~~んんんフフフフ、ぞくっとするようなこと言うね。
冷やかしに?いいのかい?
番頭:いいですよ、家の中なんですから。
若旦那:そ、そうだね。
じゃ、ちょっと冷やかしてこようかな。
番頭:でしたら、誰か連れをーー
若旦那:【↑の語尾に喰い気味に】
連れなんかいらないよバカ。
「色にはなまじ、連れは邪魔」て言葉を知らないのかい?
番頭:そうですか。
若旦那、今晩は貸し切りですよ。
大門閉める事になりますね。
若旦那:お、俺が一人で?大門を!?
【手を叩く】
よォし!いいねッ!行く行く!
じゃ、そこの戸棚開けとくれ。
番頭:入るんですか?
若旦那:戸棚に入る奴がいるかい。借金取りに追われてるわけじゃあるま
いし。
着物を出してくれってんだよ。
番頭:いや若旦那、家の中なんですから別に着替える必要もないのでは?
若旦那:なに言ってるんだ。
冷やかしに行くのにこのなりで行けると思ってるのかい?
これに着替えなきゃいけないよ。
番頭:はあ、冷やかし用の着物ですか。
若旦那:そう、古渡唐桟てんだよ。
番頭:袂がないんですね、これ。
若旦那:冷やかしている時に誰かとぶつかりゃ喧嘩になる。
殴られる前にこっちからポカッてやるんだ。
そん時に袂があっちゃ邪魔だから、平袖のやつを着るんだ。
帯を締めて…よし、下駄と手ぬぐい持ってきておくれ。
番頭:下駄と手ぬぐいって…湯屋行くんですか?
若旦那:湯屋ってお前ね…夜露に濡れるのは毒だから、
手ぬぐい持ってこいって言ってるんだよ。
番頭:いや、家の中ですよ?
夜露なんてありゃしませんよ。
むしろ眠くなったらそのまま寝ても構いませんよ。
床は畳なんですから。
若旦那:余計なこと言うんじゃない。
じゃ、行って来るから、誰も上げちゃいけないよ。
番頭:へいっ、いってらっしゃいまし!
若旦那:いってらっしゃいまし、と来たよ、へへへ。
吉原行くのにこんな送り出し方されたの初めてだね。
トントントントントントン、トトントントントンっと。
!!!
へえぇぇぇ!!
はぁぁぁこりゃ驚いたねえ!
留公の奴やりやがったよ。
誰哉行灯にずーっと火が入ってる。
見返り柳があって、それに…大門!
吉原を借り切ったのは紀伊国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門だけ
だが、俺で三人目だね。
引手茶屋に…大見世がひしめき合って…江戸一には玉屋、松葉屋
、扇屋に三浦屋。
聞くだけでぞくぞくっとくるね!
江戸二に尾張屋、梅屋、丁子屋、大文字屋、大黒屋だ。
仲之町を進んでくってェと…角海老桜だ、嬉しいねえ。
だけど…うーん……無人だな。
あっ、そうか。
つまり今日は紋日かなんかで客がどんどん上がっちゃってね、
冷やかしの客も帰っちゃって大引けも過ぎてると。
犬の遠吠えに按摩の笛の音…よし、こういう日にしよう、うん。
【※ここから若旦那妄想の一人芝居が始まります!】
どうだい、忙しいかい?
なに?暇です?何言ってやんでェ、暇な事はねえじゃねえかよ。
上がってくれ?だめだよ。俺ァ冷やかしてんだ。
ぐるっと廻ってまた寄ってやるよ。
【鼻唄】
(若衆):ちょいと、ちょいと旦那。
なんだよ、袖を引っ張るなよ。
(若衆):ちょいちょい、いらっしゃいいらっしゃいらっしゃい。
どうぞ、店の前へ。
なんだよ、嫌だってんだよ。
(若衆):そんなこと言わないで、さささ、店の前へ。
おぉいおいおい何するんだよおい、嫌だってんだよ。
冗談じゃないよ。
こちとら冷やかしなんだ。
(若衆):お願いしますよ。
嫌だよ。
(若衆):あたしを助けて下さい。
嫌だってんだろ。
(若衆):まずまず、店の前に。
だから嫌だーーって忙しいなこりゃ。
何から何までやらなくっちゃいけねえよ。
【鼻唄】
(花魁):ちょいと。…ちょいと。
…あん?俺かい?
(花魁):そうだよ。
さ、一服、お上がんなさいな。
なんだよ、悪いじゃないか。
(花魁):悪い事なんかないよ。
あたしはあんたの事好きだからさ。
さ、やっとくれ。
…ふふふ、そうかい?悪いね。
じゃ、もらうぜ。
すぱ、すぱ…ふぅぅ~…。
おう、ありがとよ。
(花魁):ねーぇ、お前さんさあ、今夜ひとつ上がってくれないかい?
実は夕べも一昨日もお茶ひいてるんだ。
きまりが悪くってさ、上がっておくれよ。
嫌だよ、俺ァ冷やかしなんだ。
まだ廻るんだから。
(花魁):廻るったってもうみんな寝てるよ。
そんなこと言わないで、ね、後生だから上がってよ。
嫌だってんだろ。
(花魁):いいじゃないの…ってちょいとちょいと。
お兄さん本当に上がんないの?
止すの?
冷やかしで行っちゃうのかい?
ふんっ。
どこ行ったって寝るとこなんかないよ!
一服ふかすだけふかして行っちまうんだね。
どうせ上がれないんだろ!
なんだと?
上がれねェたぁなんだ、何言ってやんでェ!
気に入んないから上がんねぇんだ!
(花魁):大きなこと言うんじゃないよ。
気に入ったって、お足がなくて上がれないんだろ。
銭無し!
おっおっおこの女、いまなんつった?
銭無しとはなんでェ!
あるかねぇか分かるってのかい!
(花魁):見りゃわかるよ!
女にさ、後生だから上がってよって言われりゃね、
上がらなきゃ男がすたるもんさ。
上がらないってのは銭がない証拠だろ。
あったらここに並べて見せてみなってんだよ!
タバコだけふかして行っちまおうってんだからさ、泥棒!
っ泥棒だとこんちくしょう!
客をつかまえて泥棒たぁなんでェ!
(花魁):客だぁ?
ふん、笑かしてくれるよ、何が客だい。
上がるから客ってんだよ。
上がれもしない奴に客も何もあるかい!
文無し!
おっ、今度は文無しって言いやがったな!?
このっ…!
(花魁):な、なんだいこの手は?
乱暴を働こうってのかい!?
冗談じゃないよ!こっちにはお金がかかってんだ。
ぶつんだったら身請けでも何でもしてからにしな!
身請けする銭もないんだろ!
っまた銭のこと言いやがったな!
もう勘弁ならねぇ!
(若衆):おい、おいおいよせや!
相手は女じゃねえか。
な、何だ何だてめえは!
(若衆):なんだ、って仲裁に決まってるじゃねえか。
弱ぇモンとケンカする男ァでぇっきれぇだ!
このケンカはなぁ、俺が買ってやろうじゃねえか!
何をォ!?
んの野郎ォ、女の前でカッコつけやがってェ!
てめェやるかァ!?
ッ!
(若衆):おっ!この野郎ォ、上等だ!
ふんッ!
てっ! やったなてめェ!
面白ぇ、包丁でも何でも持って来い!
こちとら三度の飯よりケンカが好きなんでェ!
さあ、殺すんなら殺せ!
殺せェーーーーーッッッ!!!
【二拍】
定吉:なんだろ、なんだかやけに二階が騒がしいなあ…?
大旦那:…しょうのねぇバカだ。
たまに家にいると思ったらこれだ。
定! 定吉! いるかい!?
定吉:!へーーいっ!
お呼びですか大旦那様。
大旦那:あのバカ…若旦那に少し静かにしろと、
二階上がってそう言ってきな。
世間体てものがある。
定吉:へい、かしこまりました。
番頭さんは二階上がっちゃいけないって言ってたけど…、
大旦那様の言いつけだからしょうがないよね…って、えええ!?
ずいぶん綺麗になっちゃって…え、これって吉原だよね?
若旦那:野郎ッ、このッ!殺せッ!
さぁどうでもしやがれッ!こんちきしょうめ!
こちとらな、吉原で死ねりゃ、本望なんでェ!
定吉:あれ、むこうで騒いでるよ。
ほっかむりしてるのがいる…泥棒かな…ってあれ、若旦那だ。
喧嘩してるよ、相手いないけど。
え、一人芝居?自分の首絞めたり胸倉掴んだり、
女になったり男になったりしてるけど。ここ、大丈夫かな?
若旦那! 若旦那!
若旦那:うるせえッ!
誰が止めたって、てめえなんざ生かしちゃおかねえぞ!
定吉:若旦那! 若 旦 那ッ!!
若旦那:なんだこの野郎!
って誰だ!肩なんぞ叩きやがって!
邪魔だてするんじゃねえや!
てめェ、てめェなんぞなぁ!……って、えっ!?
定吉:若旦那!
あたいです、定吉です!
若旦那:あっ!?定吉か!?
定吉:へい。
若旦那:~~~悪いとこで会ったなぁ…。
おい定、いいかい。
俺とここで会った事、家に帰っても親父には内緒にしておいてく
れ。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
古今亭志ん生(五代目)
立川談志(七代目)
柳家花緑
※用語解説
・六ったら
南無阿弥陀仏で六文字、警察の隠語で仏(死人)を指す。
・ぞめき
騒き、と書きます。
遊郭や夜店などをひやかしながら歩くこと。また、ひやかし客。
大勢の客の中には張見世を見て回るだけの見物客もあり、
これを「ひやかし」「ぞめき」「素見」といった。
そうした見物客にとって花魁道中は目を楽しませるものであった。
・古渡唐桟
古渡は室町時代かそれ以前に外国から伝来した織物などで、貴重なものと
された。唐桟は細番の諸撚綿糸で平織にした縞織物。
・紀伊国屋文左衛門
紀文と略称される。
紀州湯浅(和歌山県有田郡湯浅町)の出身。
紀州みかんや塩鮭で富を築いた話が伝えられる。
・奈良屋茂左衛門
材木商として明暦の大火や日光東照宮の改築、将軍綱吉の寺社造営などを
契機に御用商人となり、一代で急成長したという。
吉原の遊女を身請けするなど、紀伊國屋文左衛門に対抗して放蕩の限りを
尽くしたと言われる。
・喋喋喃喃
男女がむつまじげに語り合うさま。
また、小さい声で親しそうに語り合う様子。
・江戸一
江戸町一丁目の事。江戸二は二丁目。
・按摩
マッサージの手技療法、またはその施術を職業とする人の事を指す。
按摩という言葉は視覚の不自由な方を表す言葉でもあったので、
放送禁止用語に指定されており、普段耳にすることはない。