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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「二階ぞめき」

作者: 霧夜シオン


落語声劇「二階にかいぞめき」


台本化:霧夜きりやシオン@吟醸亭喃咄ぎんじょうていなんとつ


所要時間:約40分


必要演者数:最低2名

      (0:0:2)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


若旦那わかだんな:このはなしの主役の一人。吉原よしわらへのひやかしにドハマりしていて、

    ひどい時は一日二回も吉原よしわらへ行く有様ありさま。しかし、女郎買じょろうかいではなく

    吉原よしわらという街そのものが好きな男。


大旦那おおだんな:店の大旦那おおだんな若旦那わかだんな吉原通よしわらかよいに頭を痛めている。


番頭ばんとう:お店の番頭ばんとう大旦那おおだんなに言われて若旦那わかだんな小言こごとを言うが、

   若旦那わかだんな吉原よしわらへ行く目的を知り、その願いをかなえようと大工だいく

   留公とめこうに依頼して、店の二階に吉原よしわらを再現させる。


留公とめこう:店に出入りの大工だいく

   腕は確かで、番頭ばんとうに依頼されて店の二階に吉原よしわらを再現してのける。


定吉さだきち:店の丁稚でっち大旦那おおだんなに命じられて、二階で騒いでいる若旦那わかだんなの様子を

   見に行かされる。


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


若旦那・留公・大旦那・枕・:

番頭・定吉・語り:



枕:禁演落語きんえんらくご煙草たばこじゃございませんよ。

  第二次世界大戦中に演じる事を禁じられた演目えんもく、それが禁演落語きんえんらくごで、

  二階ぞめきもその中の一つでした。

  それが終戦を迎えて間もなく解禁され、再び高座こうざにかけられるように

  なった、そういう過去を持っております。

  とまあ、少々重い話は置いておきまして。

  皆さんは店などを冷やかしに行ったことはございますか?

  本来ほんらい冷やかしといいますものは、むかし吉原よしわらそばかみすきがありま

  して、紙屋の職人が紙を水にひたして待っているのが退屈だというので

  、紙が冷やける間に吉原よしわら一周ひとまわまわった。

  ここから冷やかしという言葉がオギャアと生まれ出でたわけでござい

  ます。別の呼び方には素見すけん、ぞめきというものもあります。

  そしてこの冷やかすという行為は長く続くんですな。

  当然です。ぜにがびた一文いちもんたりとも必要ないわけですから。

  張見世はりみせやってるのを見て歩くだけだって綺麗きれいどころが並んでるわけで

  すから、これはたいした見ごたえです。

  そういう場所だけに、一晩ひとばん吉原よしわらへ行かねえとどうも寝られねえ。

  そんな厄介やっかいな人もいたりするわけでして。


番頭:若旦那わかだんな、困りますよ。


若旦那:なんだい、だしぬけに困るだなんて。


番頭:困るんですよ、毎晩毎夜まいばんまいよ吉原よしわらへ出かけて。

   少し度が過ぎますよ。

   先月なんか、月に四十日しじゅうにちも冷やかしに行ってるじゃないですか。


若旦那:ほお、面白おもしろ数取かずとりだね。

    ひとつきは三十一日って決まってるじゃないか。


番頭:若旦那わかだんな、それは陽暦ようれきです。

   このはなしの時代は陰暦いんれきなんですから合わせて下さい。

   いいですか?


若旦那:あ、そう…。

    で、ひと月が三十日と決まってるのに、なんで四十日しじゅうにちなんだい?


番頭:それは一晩に二度も冷やかしに行ったのが、

   十日もあるからですよ。


若旦那:ほう、それで四十日しじゅうにちかい。

    なるほどねぇ…んっふっふ、我ながらえらいじゃないか。   

    こっからどこまで増やせるかねぇ。


番頭:そんなこと言ってる場合じゃありませんよ。

   大旦那おおだんな様が怒ってるんですから。

   店の者にしめしがつかないって。


若旦那:なんだいその、しめしがつかないって。


番頭:吉原よしわらから遅く帰ってきてどんどんどんどん戸を叩いたら、

   みんな分かるでしょう。


若旦那:そりゃ、叩きたくないけど閉めてるから叩くんじゃないか。

    いっそのこと開けときなさい。


番頭:開けとけって…簡単におっしゃいますけどね、物騒ぶっそうじゃないですか

   。


若旦那:おもての戸がだめなら裏の戸を開けとけばいいじゃないか。


番頭:裏だって駄目だめですよ。泥棒なんてものは裏から来るもんなんです。


若旦那:だったらお前が起きてればいいじゃないか。

    俺が帰ってきてトントンって戸を叩いたらスッと開ければいいん

    だ。

    おもてでも裏でも、どっちでもいいから。


番頭:いや、若旦那わかだんながいつ帰ってくるかなんて分かるわけないじゃないで

   すか。

   いつ帰ってくるのかもわからないのに、じっと起きて待っていろと

   、そういうわけですか。


若旦那:だからいいんだよそれで。

    帰ってくるのが分かってて戸を叩かれたって面白おもしろくないだろ。

    いま帰るか、いつ帰るか、ましてそれもご恩を受けてるご本家ほんけ

    若旦那わかだんながお帰りになるのを待つ、その気持ちだよ。

    女を待つ気持ちと同じだ。


番頭:若旦那わかだんなは女じゃない、

   男じゃありませんか。


若旦那:ああ女じゃないよ、男だよ?

    男だけどもそうやって待つところがいいんじゃないか。

    俺が帰って来た時にね、トントンっと戸を叩かれた時のうれしさな

    んてないよ?

    そのうち足音聞いただけで帰ってきたのが分かるよ。

    あ、若旦那わかだんなのお帰りだってんで、

    トンっと来たら、スッと戸を開けられるようになるんだ。

    なんでもない事なんだよ。


番頭:そんな事おっしゃられましてもね、トンっと叩かれた時点で誰かに

   バレますよ。

   大旦那おおだんな様に分かったらどうするんですか。


若旦那:いいよ分かったって。

    俺が言うから。

    実は俺が悪いんじゃない、ぜんぶ番頭ばんとうにそそのかされたんだって

    、こう言うから。

    その時にお前が、仮にそうでなくてもーー


番頭:仮にも何も、そうでないに決まってるじゃないですか。

   なんでぎぬを着せるんですか。


若旦那:そこはお前、そうでなくてもだね、

    さようでございます、罪はすべて私にございます。

    と、言って俺の罪を背負うんだよ。

    親父は何にも知らないから、とんでもないわけだってんで、

    お前がスポーンと首を切られて、荷物まとめて国へ帰ると、

    こういう筋書すじがきだ。


番頭:ごめんこうむります。


若旦那:そんなこと言うなよ。

    いい絵になるよ?

    たそがれてる空の下、枯葉かれはが舞う中をお前がとぼとぼ帰る。

    絵になるくらいだから、浄瑠璃じょうるりのいい本が書けるよ。

    今晩行ってひとつ、誰かに聞かしてやろうかね。


番頭:バカなことおっしゃられては困りますよ。

   若旦那わかだんな、ここはどうか私の顔をたてて、

   吉原よしわらへ行く回数を減らしてはくれませんか?

   五日に三度とか、三日に一度とか。


若旦那:いやあ…番頭ばんとうさんの顔はたてにくいよ。

    あごがとんがってるから。

    かんなけずってたいらにしとかないと。


番頭:なに物騒ぶっそうな事おっしゃってるんですか。

   私の立場を察してくださいと、そう申し上げてるんです。


若旦那:分かったよ…じゃあ月に一度にするよ。


番頭:え、本当ですか?

   ありがとうございます。

   そんなにすぐ話が分かっていただけるんでしたら、

   ぐずぐず言わなかったんですけどもね。

   一日でいいんですか?


若旦那:ああ、いいよ。


番頭:ありがとうございます。

   けど、今まで月に四十しじゅうも行ってたのに大丈夫なんですか?


若旦那:?

    いや番頭ばんとうさん、お前さん何か勘違かんちがいしてるね。

    一日だけ行かないんだよ?


番頭:え…じゃああとの二十なん日は…?


若旦那:行くに決まってるじゃないか。

    まさかお前、一日しか行かないとでも思ったのかい?


番頭:ええ思ってましたよ。

   じゃあ月に一度だけ行かないと、そういうことですか。


若旦那:うん、そういう事だな。


番頭:だんだん話が通じなくなってきたよ。

   じゃあほぼ変わらないじゃないですか。


若旦那:変わらないね。変わらないならずっと行くよ。


番頭:困りましたなあ、ほんとに…。

   吉原よしわらってのはそんなにいいとこなんですかね?


若旦那:…番頭ばんとうさん、殴るよ?


番頭:え、何かしくじりましたか?


若旦那:あぁおおいにしくじったよ馬鹿野郎。

    お前ね、その「吉原よしわらいいとこなんですか」て言い方はね、

    おはようございます、こんにちわ、

    って言ってるのと同じなんだよ。

    「吉原よしわらいいとこなんですか?」

    「そうですよ。」

    そこで会話が終わってしまうだろ。

    吉原よしわらに対して失礼だと思わないのかい?

    同じ言うなら、

    「吉原よしわらはいいとこなんでしょうねェェェ。」

    と、こういう声音こわねをするんだよ。

    「そうだよォ、吉原よしわらはいいとこだよォォ。」

    と俺が言って手を取って、共に泣くんだ。

    まったく、その年にもなって吉原よしわらにも行った事が無いってのは

    かわいそうだね。何のために生きてんのか分かりゃしない。

    よし、今晩こんばんお前を連れていこう。


番頭:ちょ、ちょっと待って下さいよ若旦那わかだんな

   私は若旦那わかだんなに、そのような事をしてはいけませんよと、僭越せんえつながら

   お小言こごとをですねーー


若旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    じゃあ道くらいは覚えておくといい。

    知らないより知ってる方が小言こごとは言いやすいってもんだ。

    知らねえくせに言うなって言われるよりは、

    知っててこうこうだからいけませんって言えるだろ。

    私は行けるけどいけませんってな…面白おもしろくない?


番頭:面白おもしろくないですね。


若旦那:まあまあ、話を聞くんだ。

    吉原よしわらへ行くには二通ふたとおりある。

    一つは陸、一つは川だ。川のほうがいいね。

    特に夏場なんざたまらないねこいつは。

    柳橋やなぎばしあたりでもって神田川かんだがわから入って…

    そのくらいならお前さんも分かるだろ。

    ここから猪牙舟ちょきぶね仕立したてるんだ。

    猪牙ちょきってなその昔、明暦めいれきのころにできた船だ。

    気がいて、早く着きたいというこの了見りょうけんたくして、

    小さく細身ほそみに作ってある、だから早いよ。

    早いだけに乗り方は難しいんだ。

    「猪牙ちょきでしょんべん 千両せんりょうも捨てた奴」って言ってな、

    あの猪牙ちょきから小便しょんべんなどという芸当げいとうができるようになると、

    これは吉原通よしわらがよいの古強者ふるつわものと言えるね。

    千両せんりょうは使ってないとこんな芸当げいとうはできないってとこからできたん

    だ。

    初めて乗る奴は速さに驚いてね、後ろへひっくり返ったり、

    前にのめったりする。

    「手をついて 猪牙ちょきへ乗ってる 恥ずかしさ」

    って番頭ばんとう、こいつはお前さんの役だ。


番頭:はあ、ありがとうございます。


若旦那:ありがとうございますって、礼を言う所じゃないよ。

    宿屋の女中じょちゅうだのおかみだのに、いってらっしゃいって言われて

    船に乗る。

    船が柳橋やなぎばしをくぐって北へついーっと向けるってえと、

    風がすーっと吹いてきて、気持ちも北向きにまっつぐになるって

    もんだ。たまらないね。

    そうすると左側に首尾しゅびの松だ。おつな名前だね。

    で、右に見えるのが嬉野うれしのの森と言って大きなしいの木がある。

    肥前平戸ひぜんひらとのお殿様の下屋敷しもやしきがあるとこで、しい木屋敷きやしきってんだ。

    そのしいの木と首尾しゅびの松がまるで夫婦めおとのように見える。

    こと首尾しゅびを祝ってくれるってなもんだ。

    そこをずっと行くと左がおかみのお米蔵こめぐら、お蔵前くらまえを後ろから通り、

    右のほうに向島むこうじまがかすんで見えて、更に左に金龍山下河原町きんりゅうざんしもかわらまち

    五重の塔を見ながら浅草寺せんそうじのところをずっと今度は左へ上がって

    いく、そうすると掘へ入って上がって船宿ふなやどだ。


番頭:それで吉原よしわらに着いたんですか?


若旦那:まだ着くわけないだろ、船宿ふなやどだよ。

    そこから土手八丁どてはっちょう行くんだ。

    土手八丁口八丁どてはっちょうくちはっちょうに誘われてってな。

    「おきのカモメの二鳥立にちょうだち、おや三鳥立さんちょだち。」


番頭:え、若旦那わかだんな、どうしたんですか?


若旦那:吉原雀よしわらすずめってーーわかんないだろうね。まあいいや。

    途中に土手どて道哲庵どうてつあん砂利場じゃりば孔雀長屋くじゃくながや手前てまえをだな、

    弓手ゆんでに見ながら降りてくると、道はおのずから吉原よしわらに通じる。

    どうだい。


番頭:はぁなるほど、そこから来たんですね。


若旦那:何が?


番頭:すべての道はローマに通じる。


若旦那:…番頭ばんとうさん、大丈夫かい?

    異国いこく吉原よしわらに何の関係があるんだよ。

    くだらないこと言うもんじゃない。

    五十間高札場ごじゅっけんこうさつば、だらだらだらと見返みかえやなぎ

    おッ、見えてくるのが我がうるわしの、大門おおもん


番頭:え、「だいもん」では?


若旦那:「おおもん」だよ!

    で、行くまでのな、八丁八田はっちょうはった土手どて土手八丁どてはっちょうとこう言うんだがな、

    この道哲どうてつって場所がちょいとおつでね。泣かせるんだ。


番頭:はぁ、どう泣くんですか?

   くやしくて?


若旦那:くやしいも何もあるもんか。いいから黙って聞いてなさい。

    これはね、西方寺さいほうじって寺にいた道哲どうてつって坊主ぼうずが作ったという

    ような説があるな。

    また三浦屋の高尾たかおって花魁おいらんに熱くなって通って、

    喋喋喃喃ちょうちょうなんなんありしという説もあり。

    どちらの説も取るに足らないという説もあり。


番頭:若旦那わかだんなの話は難しいですな。

   ややこしくていけませんよ。もっとこう簡単にーー


若旦那:だからね、川の方の行き方はそういうわけだ。

    陸の方は歩いて行くのもいいがな、やはり駕籠かごだね。

    浅草見附あさくさみつけからこう行くってえと二つに分かれてる。

    左の方へ行くってぇとこれもやっぱりお蔵前くらまえから並木町なみきちょう

    ずっと行くと雷門かみなりもんにぶつかるだろ。

    仁王門におうもんをくぐって右の方へ二天門にてんもん、その昔の矢大臣門やだいじんもんだ。

    こいつを右に見て、左へ左へとこう行くんだね。


番頭:なんか若旦那わかだんな、さっきから左左左左言ってますな…。

   その裏門を左左ひだりひだりに行けば良しと言いますな。

   馬道うまみちを五、六丁ろくちょう行って、手前にうばが池の左を通って富士の浅間せんげん様を左に見な

   がら、さらに馬道うまみちを五、六丁ろくちょう行って吉原田町よしわらたまち

   土手どてへぶつかって船宿ふなやどの客と一緒になって左へ行って

   これを左へだらだらと下りて見返みかえやなぎ


若旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    …おい、番頭ばんとうさん。

    お前さんさっき、吉原よしわらの道が分からないって言ったばかりじゃな

    いか。


番頭:ええ、言いました。


若旦那:じゃなんで今すらすら陸での行き方が出てきたんだい?


番頭:ですから、私は駕籠かごでは行くんですが、

   船の方が分からないと、こういうわけで。


若旦那:はあ、こいつは驚いたね。

    で、どうしたいんだい。


番頭:ええ、若旦那わかだんながそういう了見りょうけんでしたら、わかりました。

   ここまで来たからには私も腹をくくりましょう。

   若旦那わかだんな悪事あくじ加担かたんします。


若旦那:ほお、嬉しいね。加担かたんと来たかい。

    どうカタンとくるんだい。

    カタンカタンと、どうくるんだい?


番頭:ですから、若旦那わかだんなれてるであろうかたをですね、

   私が大旦那おおだんな内緒ないしょ身請みうけをして、向島むこうじま今戸いまどかこいます。

   そこに若旦那わかだんなが通うんです。ただし夜はいけませんよ。

   昼間に行ってちょいちょいと会うなり、いろいろありのね、

   大旦那おおだんな様がろくったらーー


若旦那:なんだいそのろくったらってのは。


番頭:まぁまぁまぁまぁ、もしそういう事になりましたら、その時は

   どうとでもなりますから、とりあえず私に万事ばんじ任せておくんなさい

   。


若旦那:はぁ~言うねぇ番頭ばんとうさん。

    お前さん、親父に内緒ないしょでそういう事やってるんじゃないのかい?

    山崎屋の番頭ばんとうと同じことしてるんじゃないのかい?


番頭:またそういう事をおっしゃって…。

   私はですね、若旦那わかだんなの為を思ってーー


若旦那:またそれかい、二言目ふたことめには俺の為って…。

    そりゃあ俺の為と言っときゃね、俺が後をいだらお前さんが

    一番の功労者ってことになるからね。


番頭:そういう事じゃありませんよ。

   分かってますよ。


若旦那:番頭ばんとうさん、分かってるって言うけどね、

    肝心かんじんなところが分かってないよ。


番頭:どういう事です?


若旦那:俺はね、女が好きで吉原よしわらへ行くんじゃないんだよ。

    吉原よしわらが好きで行くんだ。

    だから女を身請みうけしてもらっちゃ困るね。


番頭:え…つまり…?


若旦那:だから、女を身請みうけするんじゃない。

    吉原よしわら身請みうけすればいいんだよ。

    できないだろ?


番頭:できませんよ、吉原よしわらそのものだなんて。

   じゃ若旦那わかだんな、あなたは女が目当めあてじゃなくて、

   吉原よしわらそのものが目当めあてで通ってると?


若旦那:そうそう、そういう事なんだよ。


番頭:…でしたら若旦那わかだんな、つかぬ事をうかがいます。

   あなたは二階を一人でお使いになられてますよね?


若旦那:そうだね、広すぎて体のやりに困ってるよ。


番頭:いいですよ、やりに困るくらい広いんですから、

   やりのあるようにしましょうよ。

   二階に吉原よしわらを作りましょう。


若旦那:…え?


番頭:ですから、二階に吉原よしわらをそっくり作りましょう。

   そこを冷やかしておいでなさい。

   そうすれば大旦那おおだんなも何も言わないでしょう。


若旦那:…番頭ばんとうさん、お前さんどこで取れたっけ?

    すごい事考えるね。

    二階に吉原よしわら、作れるのかい?


番頭:ええできますよ。

   そうして朝に晩にひやかせばいいじゃないですか。

   昼遊びもあるんですよね?


若旦那:あ、あぁ、そうだけど…。

    でもね、仮に作るとしたって俺は注文がうるさいよ?

    半端はんぱ出来できじゃ満足しないよ?

    というか番頭ばんとうさん、お前さんが作るのかい?


番頭:私が作るわけないじゃないですか。

   大工だいく留公とめこうに作らせますよ。


若旦那:とめ?あの出っの?


番頭:ええ、腕はしっかりしてますから。


若旦那:あ、そう…、まあわかった。

    できなくて元々だと思って、期待しないで待ってるよ。


番頭:承知しました。

   ではさっそく。


   【二拍】



   ここだな。

   留公とめこう、いるかい?


留公:おっ、こいつァ番頭ばんとうさん。

   今日はどうしたんで?


番頭:実はね、うちの店の二階、あそこはいま若旦那わかだんなが一人で使ってるん

   だが、そこに吉原よしわらの町並みをそっくりそのまま作ってほしいんだ。


留公:へっ!?吉原よしわら町並まちなみをお店の二階に!?


番頭:ああ、若旦那わかだんな吉原よしわら通いは知ってるだろう?

   あれは実は、女目当おんなめあてで通ってたんじゃなくて、吉原よしわらそのものが

   目当めあてだったって事が分かってね。

   だったら町並まちなみをそっくり二階に作ってしまおうと、こう言うわけ

   なんだ。

   頼まれてくれるかい?


留公:へえ~!また珍しいご趣向しゅこうですなあ!

   いや、しかしうれしいですな!ありがとうございます!

   生きてて良かったと思うのは、こういう仕事が来た時だね!

   やります、やりますよォ!


番頭:入費いりひはいくらかかってもいいから頼むよ。

   若旦那わかだんなはあそこのすみからすみまで知ってるんだから、うるさいよ?

   もう吉原よしわらを再建するくらいの勢いでないといけないよ。


留公:へへ、心配ご無用でさ!

   こちとら頭の中に全部入ってんだ!

   どこそこの行灯部屋あんどんべや行灯あんどんが何本あるか、

   知ってるんでェ!

   あっしはくわしいんだ。


番頭:そりゃ居残いのこりじゃないか。

   えばったって駄目だよ。


留公:へへへ、そうだけどね。

   まあひとつ、あっしに任しておくんなせェ!


語り:そんなこんなで吉原よしわら再現工事が開始と相成あいなったわけですが、

   これがどこでどうれたか、その道の細工師さいくしだの左官屋さかんやだのが

   面白おもしろそうだってんでぞろぞろ集まってきた。

   そして寄ってたかって吉原よしわらを店の二階にこしらえてしまったので

   あります。


留公:どうだい番頭ばんとうさん、この中にゃ実際に吉原よしわら通ってる奴もいるが、

   そいつの目から見てもうり二つってことだぜ!


番頭:へえぇこいつは驚いた…!

   いや、よくこしらえたもんだね。

   日当にっとうはこれだよ。

   いや、ご苦労様だったね。

   それじゃ、私は若旦那わかだんなに知らせてくるよ。


   【二拍】


   若旦那わかだんな

   できましたよ!


若旦那:?何が?

    夕餉ゆうげかい?


番頭:夕餉ゆうげじゃありませんよ。

   ほら、その…二階に、

   【声を落として】

   吉原よしわらが、できましたよ。


若旦那:えっ、できた!?

    二階に!?

    吉原よしわらが!?

    本当にやったのかい!?


番頭:はい。

   今ちょうどが入りましたよ。

   どうです?冷やかして来ませんか?


若旦那:…~~んんんフフフフ、ぞくっとするようなこと言うね。

    冷やかしに?いいのかい?


番頭:いいですよ、家の中なんですから。


若旦那:そ、そうだね。

    じゃ、ちょっと冷やかしてこようかな。


番頭:でしたら、誰か連れをーー


若旦那:【↑の語尾に喰い気味に】

    連れなんかいらないよバカ。

    「色にはなまじ、連れは邪魔」て言葉を知らないのかい?


番頭:そうですか。

   若旦那わかだんな、今晩は貸し切りですよ。

   大門おおもん閉める事になりますね。


若旦那:お、俺が一人で?大門おおもんを!?

    【手を叩く】

    よォし!いいねッ!行く行く!

    じゃ、そこの戸棚とだな開けとくれ。


番頭:入るんですか?


若旦那:戸棚とだなに入る奴がいるかい。借金取りに追われてるわけじゃあるま

    いし。

    着物を出してくれってんだよ。


番頭:いや若旦那わかだんな、家の中なんですから別に着替える必要もないのでは?


若旦那:なに言ってるんだ。

    冷やかしに行くのにこのなりで行けると思ってるのかい?

    これに着替えなきゃいけないよ。


番頭:はあ、冷やかし用の着物ですか。


若旦那:そう、古渡唐桟こわたりとうざんてんだよ。


番頭:たもとがないんですね、これ。


若旦那:冷やかしている時に誰かとぶつかりゃ喧嘩けんかになる。

    殴られる前にこっちからポカッてやるんだ。

    そん時にたもとがあっちゃ邪魔だから、平袖ひらそでのやつを着るんだ。

    おびめて…よし、下駄げたと手ぬぐい持ってきておくれ。


番頭:下駄げたと手ぬぐいって…湯屋ゆや行くんですか?


若旦那:湯屋ゆやってお前ね…夜露よつゆに濡れるのは毒だから、

    手ぬぐい持ってこいって言ってるんだよ。


番頭:いや、家の中ですよ?

   夜露よつゆなんてありゃしませんよ。

   むしろ眠くなったらそのまま寝てもかまいませんよ。

   床はたたみなんですから。


若旦那:余計よけいなこと言うんじゃない。

    じゃ、行って来るから、誰も上げちゃいけないよ。


番頭:へいっ、いってらっしゃいまし!


若旦那:いってらっしゃいまし、と来たよ、へへへ。

    吉原よしわら行くのにこんな送り出し方されたの初めてだね。

    トントントントントントン、トトントントントンっと。


    !!!


    へえぇぇぇ!!

    はぁぁぁこりゃ驚いたねえ!

    留公とめこうの奴やりやがったよ。

    誰哉たそや行灯あんどんにずーっと火が入ってる。

    見返みかえやなぎがあって、それに…大門おおもん

    吉原よしわらを借り切ったのは紀伊国屋文左衛門きのくにやぶんざえもん奈良屋茂左衛門ならやもざえもんだけ

    だが、俺で三人目だね。

    引手茶屋ひきてちゃやに…大見世おおみせがひしめき合って…江戸一えどいちには玉屋たまや松葉屋まつばや

    、扇屋おうぎや三浦屋みうらや

    聞くだけでぞくぞくっとくるね!

    江戸二えどに尾張屋おわりや梅屋うめや丁子屋ちょうじや大文字屋だいもんじや大黒屋だいこくやだ。

    仲之町なかのまちを進んでくってェと…角海老桜かどえびろうだ、嬉しいねえ。


    だけど…うーん……無人だな。


    あっ、そうか。

    つまり今日は紋日もんびかなんかで客がどんどん上がっちゃってね、

    冷やかしの客も帰っちゃって大引おおびけも過ぎてると。

    犬の遠吠とおぼえに按摩あんまの笛の…よし、こういう日にしよう、うん。


    【※ここから若旦那妄想の一人芝居が始まります!】


    どうだい、忙しいかい?

    なに?暇です?何言ってやんでェ、暇な事はねえじゃねえかよ。

    上がってくれ?だめだよ。俺ァ冷やかしてんだ。

    ぐるっとまわってまた寄ってやるよ。


    【鼻唄】


(若衆):ちょいと、ちょいと旦那。


    なんだよ、そでを引っ張るなよ。


(若衆):ちょいちょい、いらっしゃいいらっしゃいらっしゃい。

     どうぞ、店の前へ。


    なんだよ、嫌だってんだよ。


(若衆):そんなこと言わないで、さささ、店の前へ。


    おぉいおいおい何するんだよおい、嫌だってんだよ。

    冗談じゃないよ。

    こちとら冷やかしなんだ。


(若衆):お願いしますよ。


    嫌だよ。


(若衆):あたしを助けて下さい。


    嫌だってんだろ。


(若衆):まずまず、店の前に。


    だから嫌だーーって忙しいなこりゃ。

    何から何までやらなくっちゃいけねえよ。


    【鼻唄】 


(花魁):ちょいと。…ちょいと。


    …あん?俺かい?


(花魁):そうだよ。

     さ、一服いっぷく、お上がんなさいな。


    なんだよ、悪いじゃないか。


(花魁):悪い事なんかないよ。

     あたしはあんたの事好きだからさ。

     さ、やっとくれ。


    …ふふふ、そうかい?悪いね。

    じゃ、もらうぜ。


    すぱ、すぱ…ふぅぅ~…。


    おう、ありがとよ。


(花魁):ねーぇ、お前さんさあ、今夜ひとつ上がってくれないかい?

     実はゆうべも一昨日もお茶ひいてるんだ。

     きまりが悪くってさ、上がっておくれよ。


    嫌だよ、俺ァ冷やかしなんだ。

    まだまわるんだから。


(花魁):まわるったってもうみんな寝てるよ。

     そんなこと言わないで、ね、後生ごしょうだから上がってよ。


    嫌だってんだろ。


(花魁):いいじゃないの…ってちょいとちょいと。

     お兄さん本当に上がんないの?

     すの?

     冷やかしで行っちゃうのかい?


     ふんっ。


     どこ行ったって寝るとこなんかないよ!

     一服いっぷくふかすだけふかして行っちまうんだね。

     どうせ上がれないんだろ!


    なんだと?

    上がれねェたぁなんだ、何言ってやんでェ!

    気に入んないから上がんねぇんだ!


(花魁):大きなこと言うんじゃないよ。

     気に入ったって、おあしがなくて上がれないんだろ。

     ぜに無し!


    おっおっおこの女、いまなんつった?

    ぜに無しとはなんでェ!

    あるかねぇか分かるってのかい!


(花魁):見りゃわかるよ!

     女にさ、後生ごしょうだから上がってよって言われりゃね、

     上がらなきゃ男がすたるもんさ。

     上がらないってのはぜにがない証拠だろ。

     あったらここに並べて見せてみなってんだよ!

     タバコだけふかして行っちまおうってんだからさ、泥棒!


    っ泥棒だとこんちくしょう!

    客をつかまえて泥棒たぁなんでェ!


(花魁):客だぁ?

     ふん、笑かしてくれるよ、何が客だい。

     上がるから客ってんだよ。

     上がれもしない奴に客も何もあるかい!

     もん無し!


    おっ、今度はもん無しって言いやがったな!?

    このっ…!


(花魁):な、なんだいこの手は?

     乱暴を働こうってのかい!?

     冗談じゃないよ!こっちにはお金がかかってんだ。

     ぶつんだったら身請みうけでも何でもしてからにしな!

     身請みうけするぜにもないんだろ!


    っまたぜにのこと言いやがったな!

    もう勘弁ならねぇ!


(若衆):おい、おいおいよせや!

     相手は女じゃねえか。


    な、何だ何だてめえは!


(若衆):なんだ、って仲裁ちゅうさいに決まってるじゃねえか。

     よえぇモンとケンカする男ァでぇっきれぇだ!

     このケンカはなぁ、俺が買ってやろうじゃねえか!


    何をォ!?

    んの野郎ォ、女の前でカッコつけやがってェ!

    てめェやるかァ!?

    ッ!


(若衆):おっ!この野郎ォ、上等だ!

     ふんッ!


    てっ! やったなてめェ!

    面白おもしれぇ、包丁ほうちょうでも何でも持って来い!

    こちとら三度のめしよりケンカが好きなんでェ!

    さあ、殺すんなら殺せ!

    殺せェーーーーーッッッ!!!


   【二拍】


定吉:なんだろ、なんだかやけに二階が騒がしいなあ…?


大旦那:…しょうのねぇバカだ。

    たまに家にいると思ったらこれだ。

    さだ! 定吉さだきち! いるかい!?


定吉:!へーーいっ!


   お呼びですか大旦那おおだんな様。


大旦那:あのバカ…若旦那わかだんなに少し静かにしろと、

    二階上がってそう言ってきな。

    世間体せけんていてものがある。


定吉:へい、かしこまりました。


   番頭ばんとうさんは二階上がっちゃいけないって言ってたけど…、

   大旦那おおだんな様の言いつけだからしょうがないよね…って、えええ!?

   ずいぶん綺麗きれいになっちゃって…え、これって吉原よしわらだよね?


若旦那:野郎ッ、このッ!殺せッ!

    さぁどうでもしやがれッ!こんちきしょうめ!

    こちとらな、吉原よしわらで死ねりゃ、本望ほんもうなんでェ!


定吉:あれ、むこうで騒いでるよ。

   ほっかむりしてるのがいる…泥棒かな…ってあれ、若旦那わかだんなだ。

   喧嘩けんかしてるよ、相手いないけど。

   え、一人芝居ひとりしばい?自分の首絞くびしめたり胸倉むなぐらつかんだり、

   女になったり男になったりしてるけど。ここ、大丈夫かな?

   若旦那わかだんな! 若旦那わかだんな


若旦那:うるせえッ!

    誰が止めたって、てめえなんざ生かしちゃおかねえぞ!


定吉:若旦那わかだんな! わか だん ッ!!


若旦那:なんだこの野郎!

    って誰だ!肩なんぞ叩きやがって!

    邪魔だてするんじゃねえや!

    てめェ、てめェなんぞなぁ!……って、えっ!?


定吉:若旦那わかだんな

   あたいです、定吉さだきちです!


若旦那:あっ!?定吉さだきちか!?


定吉:へい。


若旦那:~~~悪いとこで会ったなぁ…。

    おいさだ、いいかい。


    俺とここで会った事、家に帰っても親父おやじには内緒ないしょにしておいてく

    れ。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


古今亭志ん生(五代目)

立川談志(七代目)

柳家花緑



※用語解説


ろくったら

南無阿弥陀仏で六文字、警察の隠語で仏(死人)を指す。


・ぞめき

騒き、と書きます。

遊郭ゆうかくや夜店などをひやかしながら歩くこと。また、ひやかし客。

大勢の客の中には張見世はりみせを見て回るだけの見物客もあり、

これを「ひやかし」「ぞめき」「素見すけん」といった。

そうした見物客にとって花魁おいらん道中は目を楽しませるものであった。


古渡唐桟こわたりとうざん

古渡は室町時代かそれ以前に外国から伝来した織物などで、貴重なものと

された。唐桟は細番の諸撚綿糸で平織にした縞織物。


紀伊国屋文左衛門きのくにやぶんざえもん

紀文きぶんと略称される。

紀州湯浅(和歌山県有田郡湯浅町)の出身。

紀州みかんや塩鮭で富を築いた話が伝えられる。


奈良屋茂左衛門ならやもざえもん

材木商として明暦めいれきの大火や日光東照宮の改築、将軍綱吉の寺社造営じしゃぞうえいなどを

契機に御用商人となり、一代で急成長したという。

吉原の遊女を身請けするなど、紀伊國屋文左衛門に対抗して放蕩ほうとうの限りを

尽くしたと言われる。


喋喋喃喃ちょうちょうなんなん

男女がむつまじげに語り合うさま。

また、小さい声で親しそうに語り合う様子。


・江戸一

江戸町一丁目の事。江戸二は二丁目。


按摩あんま

マッサージの手技療法、またはその施術を職業とする人の事を指す。

按摩という言葉は視覚の不自由な方を表す言葉でもあったので、

放送禁止用語に指定されており、普段耳にすることはない。




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