【2】(1)
「次のところは……藤島さん」
現代の国語の授業のときに、教科書に載っている物語を読むときがある。
教科書の朗読なんて小学生のときまでだと思っていた私にとって、朗読の機会があるってこと自体が嫌だと思った。
「藤島さん、ありがとう」
声が小さくても、先生は怒らない。
怒られないなら、それでいいって思うかもしれない。
でも……。
「次は、織原さん」
「はいっ」
クラスに、物語を読むのがとても上手な男の子がいる。
それが、私の左隣の席に座っている織原くん。
織原くんが物語を読むと、クラスの空気が変わるのがわかる。
眠そうにしている人も、教科書に視線を向けていた人も、みんなが織原くんに注目する。
「凄く感情が込められていたから、みんなの注目集めちゃったね」
クラスのみんなから、織原くんに拍手が送られる。
これが、現代の国語の授業に決まって行われる定番行事。
「藤島さん」
今日の授業では、もう指名されない。
こっそりと溜め息を吐き出そうとしたところ、更にこっそりとした声が左の席から届けられる。
『やっぱ好き 藤島さんの声』
ノートに綴られた、織原くんの文字。
私が文字を認識できたと確認できた織原くんは、前を向いて再び真剣に授業へと向き合った。
(私の声を知ってる人なんて、ほとんどいないのに……)
私の声の、どこに魅力があるのか。
織原くんの朗読を聞いていると、素直に織原くんの声の方を羨ましいと思う。
どうして同い年なのに、ここまで声に差が出るのか。
(怒られなければ、それでいい……)
違う。
本当は私も、織原くんみたいに綺麗に話せるようになりたい。
先生に言われたことをやるだけじゃなくて、織原くんみたいにもう少し先に私も進んでみたい。
(そう思っているけど……)
自分の声を隠してくれるマスクという存在から、いつまで経っても卒業できない。
「織原が好きなの?」
授業が終わったあと、私は友達と楽しそうに話す織原くんに視線を向けていたらしい。
クラスメイトの指摘を否定するために、私は首を大きく横に振る。
「さっきから、織原の方ばっかり見てる」
また、首を大きく横に振る。
「思いっきり否定するところが怪しい」
「藤島さんで遊ばない。可哀想でしょ」
「ごめん、ごめん」
「藤島さんはね、純粋なんだからね」
可哀想という、言葉の意味が分からない。
純粋という、言葉の意味がよく分からない。
自分を称する言葉として、中学の頃くらいから使われるようになった。
藤島さんは純粋だから私たちとは違うって、いつの頃からか線引きをされるようになった。
(私は、みんなと同じなのに……)
線引きをされた私は、再びマスクの世界へと閉じこもる。
午後の授業の準備をしようと思って、机の中から教科書を取り出そうとしたときのことだった。
教室を流れている空気が変わった。
「…………」
昼休みだから、織原くんがどこに行こうと何も気にすることはない。
でも、織原くんがいなくなった教室を纏う空気の寂しさに気づいてしまった。
廊下へと向かって行く織原くんに視線を向けてしまったが、最後。
次の授業の準備なんてどうでも良くなってしまって、自然と動き始めた私の足は教室からいなくなった織原くんのあとを追いかけた。
(どこに行くんだろう……)
織原くんはロッカーに詰め込まれたコートを取り出して、それを着込んだ。
マフラーも巻いての重装備。
登下校のときと同じ格好をしている織原くんに違和感。
でも、鞄は持っていないから、織原くんは早退するための重装備というわけではないらしい。
(マスクつけてて、良かった)
織原くんがどこに向かうのか想像もつかなかった私もコートを着込んできたけど、コートを来た二人が昼休みの廊下を歩くのは明らかな不自然。
誰も私たちに注目していないと分かっていても、二人だけっていう特別は私に大きな羞恥を運んでくる。
マスクは、そんな羞恥すらも隠してくれる大切な存在。
(屋上……)
屋上は自由に出入りができるようになっている。
開放感ある人気な場所で、昼休みや放課後に利用する人が多い。
でも、11月から2月までは、その人気を集める場所が封鎖される。
寒さや雪で健康を害するといけないっていう、先生の配慮というわけではない。
(屋上に行くの、初めて……)
私の高校では、11月から2月にかけて美術部が屋上で活動をする。
美術部に所属する三年生の卒業制作、チョークアート。
完成したチョークアートに卒業生が混ざり込んで、卒業式の日にドローンで記念撮影。
卒業アルバムには残らないけど、卒業生の心には大きく響く高校の伝統行事でもあった。
「藤島さん」
奥所の階段を上る途中で、私は織原くんに迎え入れられた。
階段を上り切ったところでマスクを外して、必要な酸素を取り込むためにマスクを外す。
吐き出す息が真っ白に染まっていくところが視界に入って、私は再びマスクで自分の口を隠す準備を整える。
「美術部へようこそ」
友達に屋上に行こうと誘われたことのなかった私は、屋上に行くのも初めてだった。
そして、クラスメイトに興味を持つのも、初めてのことだったかもしれない。