第73回 登戸研究所の謎
今回は、なかなかにマニアックなところを突きます。
登戸研究所。現在の神奈川県川崎市多摩区東三田にあった、旧日本陸軍の研究所。
簡単な概略を紹介します。1939年(昭和14年)1月、「謀略の岩畔」との異名をとった陸軍省軍務局軍事課長で陸軍大佐の岩畔豪雄によって、特殊電波・特殊科学材料など秘密戦の研究部門として、通称「登戸研究所」が「陸軍科学研究所」の下に設立されました。
「登戸」というのは、現在でもこの辺りに「登戸」という地名があり、電車の駅があるので、そこから取られたのでしょう。
第一課から第四課に分かれており、様々な研究が行われたわけですが。
これがまた怪しいの何のって。
一種オカルト的な匂いがする、恐らくその手の話が好きな人にはたまらない場所。
何しろ、ここで研究されたものが。
・原子爆弾
・生物兵器・化学兵器(=BC兵器)
・特攻兵器
・謀略兵器
・風船爆弾
・缶詰爆弾
・怪力光線
・殺人光線
・電気投擲砲(=いわゆるレールガン)
怪力光線や殺人光線など、ほとんど空想じみた研究をしていて、実態が不明な点が多いこともあって、各種創作物の中ではオカルトめいた怪しい研究所として描かれることが多いのです。
しかし実際には、どちらかといえば謀略やBC兵器、特攻兵器のような、地味かつあまりイメージの良くない研究が主だったそうです。
中には、パスポート、偽札、証明書の偽造をやっていた課もあったとか。
他にも、スパイ用カメラ(ライター、ステッキ、シガレットケース、ボタンなどに擬装)も作っていたそうなので、どちらかというと、諜報機関に近いのでしょう。
スパイ映画とかに出てきそうで面白いです。
終戦直前に、この研究所は疎開をし、終戦後に無くなりますが、実は戦後に興味深い事件が起こります。
それが「帝銀事件」と呼ばれるもの。
1948年1月26日に発生した、この帝銀事件。
東京都豊島区長崎の帝国銀行(現在の三井住友銀行)椎名町支店に現れた男が、行員らを騙して12名を毒殺し、現金と小切手を奪った銀行強盗殺人事件です。
その捜査で、警視庁は犯行に使われた毒物が登戸研究所が開発したものと推定し、第二科の研究者を中心に捜査が行われたそうです。
この中の捜査メモに、関東軍防疫給水部と共同による人体実験の関与を指摘する供述が記録されているそうです。第二科の関係者の多くは、登戸研究所で開発されたアセトン・シアン・ヒドリン(青酸ニトリル)である可能性があると証言しています。
なお、現在は、明治大学生田キャンパス内に、「明治大学平和教育登戸研究所資料館」という資料館があり、無料でこの登戸研究所のことを勉強できます。
興味がある人は、行ってみて下さい。
ちなみに私、スパイ映画とか好きです。
アニメだと「プリンセス・プリンシパル」が好きです。




