第72回 徳川家康のすごさ
戦国三英雄の織田信長、豊臣秀吉について書いたので、最後は徳川家康。
実は若い頃は、徳川家康が好きではありませんでした。それは、彼が「天下を横からかっさらった」イメージがあったからでしょう。
つまり、「卑怯」だと。
ところが、自分が年を取って、中年になると不思議とこの家康の処世術に魅力を感じるようになってきます。
これは、家康が最終的に「天下人」レースに勝ち残った成功者だからでしょう。
経済・経営的にも成功者の人生は、参考になるのです。
まあ、私はただのサラリーマンなので、経営はしてませんが。
ということで、家康ですが、経歴については皆さんご存じだと思うので、ざっくり書くと。
彼は、とにかく若い頃から「苦労」をしてきたのです。
織田信長は、なんだかんだで親が大名のボンボン、豊臣秀吉は、出自は貧しい庶民で苦労してきたけど、性格が歪んでたのか、殺しまくった(詳細は前の回を参考に)というのがありますが。
家康の場合は、事情が異なります。
家康が生まれたのは、三河国(現在の愛知県)で、父は松平広忠という大名。
その意味では、待遇的には織田信長と同じですが、実は広忠の父、つまり家康の祖父・松平清康という武将が非常に有能でした。
ところが、森山崩れという家臣の反乱により、わずか25歳の若さで殺されます。
その後を継いだ広忠もまた24歳の若さで病没。
家康は数え年6歳で、今川家に人質に出されます。
ちなみに、祖父・清康を殺した刀が「村正」だったと言われ、それ以降、「村正は徳川家を呪う刀」と言われたのだとか。
その後、織田家に人質交換として出され、今川家に戻りますが、要はこの時期の松平家はほとんど実権がなく、今川家に従属していた状態。
ただ、家康が幸運だったのは、今川家に太原雪斎という男がいたこと。
彼は、臨済宗の僧侶でしたが、実質的に今川家の軍師的な役割を果たしていた智将だったので、その太原雪斎に、若い頃の家康は学問を習った、という説があります。まあ、これには異説もありはっきりしないのですが。
とにかく、一生、今川家の人質で終わるはずだった家康が、桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を討ったことにより、独立。
後は、省略しますが、家康の元には、実は非常に優秀な部下が多かったのです。
有名な徳川四天王、本多忠勝、榊原康政、井伊直政、酒井忠次を始め、石川数正、伊賀出身の服部半蔵、軍師的な存在の本多正信などなど。
当時、「三河武者は勇猛」と言われていたそうで、岡崎城に帰った家康を懸命に支えたのが、彼らだったのです。
家康が本領を発揮したのは、天正18年(1590年)。駿河国・遠江国(現在の静岡県)・三河国・甲斐国(現在の山梨県)・信濃国(現在の長野県)の5か国から、北条氏の旧領だった武蔵国(現在の東京都・埼玉県)・伊豆国(現在の静岡県の一部)・相模国(現在の神奈川県)・上野国(現在の群馬県)・上総国・下総国(現在の千葉県)・下野国(現在の栃木県)の一部・常陸国(現在の茨城県)の一部の関八州に移されます。
つまり、秀吉によって左遷されたに等しいのですが、ここで腐らずに江戸を開墾。当時の江戸は、湿地帯が多く、人も閑散としていて、とても発展できる土地とは思われていなかったのです。
ところが、そこから懸命に街を発展させ、江戸時代には江戸は人口100万人を超える、世界的な大都市になります。つまり、今の東京都民や、東京で仕事に就いている人こそ家康に感謝すべきなのです。
後の経歴は有名すぎるので、書かないですが、家康と言えば、面白い話が残ってます。
彼は、いわゆる「健康マニア」だったそうで、自分で薬の調合をやっていたと言われています。それくらい健康に気を遣っていたので、人生50年と言われるあの時代に75歳まで長生きしたのですが。
また、「英雄色を好む」と言われるように、家康にも多くの側室がいましたが、面白いのが「お梶の方」という女性。
彼女は太田康資と北条氏康の養女・法性院との間に生まれた娘、あるいは康資の養女(江戸重通の娘)などとも言われ、家康より30歳以上も若いのですが。
非常に聡明で、家康が寵愛したと言われます。
しかも、関ヶ原の戦い、大坂の陣に甲冑を着て、戦場に出たと言われており、それが真実なら、ほとんどアニメか漫画の世界です。
そんな家康ですが、もちろん欠点もありました。
それは「ケチ」だったこと。
とにかく倹約を好み、家臣にも倹約を強要に近い形で勧めていたと言われています。
織田信長に見出された天才武将、蒲生氏郷が、秀吉の後に天下を取るのは前田利家だとして、家康は人に知行(領地)を与えるのをケチるから、人心を集められず、天下を取れないだろう、と言っています。
なお、秀吉は城攻めが得意、家康は野戦が得意だったとも言われていますね。
結果的に、戦国の世を制して、その後、250年以上も続く江戸時代を作ったのは、徳川家康なので、その意味では、まさに「成功者」なのが家康だと思うのです。




