第68回 ペリリューの戦いについて
アニメ映画「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」が公開されたとのことで、それを記念して書きます。
ペリリューの戦い、あるいはペリリュー島の戦い。
ペリリュー島というのは場所的には、現在のパラオ共和国にあります。当時、パラオは日本の委任統治領でした。
1944年9月15日 から11月27日まで行われた、大東亜戦争(太平洋戦争)の戦いで、時系列的には、グァム島の戦いが終わった後、硫黄島の戦いが始まる前になります。
戦力的には。
日本軍
第14師団歩兵第2連隊を中心とした、約10500名。ほか海軍少々。司令官は中川州男大佐。
装備は。
・小銃: 5066挺
・九六式軽機関銃: 200挺
・九二式重機関銃: 58挺
・九七式中迫撃砲ほか火砲: 約200門
・九五式軽戦車: 17両
アメリカ軍
第1海兵師団、第81歩兵師団、付属海軍部隊 の計48740名
装備は。
・小銃、自動小銃: 41346挺
・機関銃: 1434挺
・拳銃: 3399挺
・火砲: 729門
・戦車: 117両
・バズーカ砲: 180基
・戦艦: 5隻
・重巡洋艦: 5隻
・軽巡洋艦: 4隻
・駆逐艦: 14隻
・航空母艦: 3隻
・軽空母: 5隻
・護衛空母: 11隻
ということで、戦力的な比較では、陸軍で約1:5、海軍では日本軍は艦艇すらないので、話にならないレベル。
なので、米軍は、「こんなの4日で落とせるぜ」とタカをくくっていた計算だったとか。
ところが。
ここで、日本軍はこれまでにない戦術を取ったのです。
つまり、これまでのいわゆる無計画なほどの「バンザイ突撃」を厳禁し、徹底的なゲリラ戦を展開。
全部書くと長いので、ざっくり戦闘状況を見ていきましょう。
①上陸から水際での死闘
アメリカ軍は、上陸する前に艦艇から猛烈な艦砲射撃を加え、日本軍陣地を吹き飛ばしたのですが、実はこれはほとんど損害を与えることなく、巧みに偽装された日本軍陣地にダメージを与えなかったとか。
そして、アメリカ軍上陸。彼らは「3日分」の食糧しか持っていなかったと言われています。
しかも最初は、ほとんど抵抗がないまま上陸。
アメリカ軍は拍子抜けしていたんですが。
そこへ、潜んでいた日本軍の猛烈な反撃が加えられ、アメリカ軍は犠牲者を増やします。
あまりにも血が流れたため、ここを「オレンジビーチ」と名付けたという噂もあります。
②日本軍反撃
多数の死傷者を出しながらも、アメリカ軍は物量作戦で次々と上陸。対して、日本軍は温存していた、九五式軽戦車を使います。17両の九五式軽戦車の車体にロープがまかれ、そのロープを歩兵がつかむ、タンクデサントでの出撃となります。
戦車隊は連日の猛訓練により、800メートルの距離でも百発百中の命中率を誇っていたそうで、アメリカ軍のM4中戦車の側面に回り込んで砲弾を浴びせたましたが、それでも豆鉄砲のようなもので貫通できなかったそうで、要は日本軍の戦車が弱かっただけですが、それでもこれを見たアメリカ軍の兵士は「戦車と歩兵が見事に連携した攻撃であり、今までの日本軍とは違って非常に手ごわいと感じた」と思ったそうです。
結局、戦車隊の一部は海岸まで行くも、ほとんど撃破され、生き残ったのは2両だけで失敗に終わります。
③飛行場付近での戦い
この辺り、実は昔、アメリカで作られたドラマ「ザ・パシフィック」を見ると、非常に詳しいのですが、飛行場付近での戦闘になります。
これが凄まじく、飛行場一帯は何もない開けた地形で、唯一、飛行場北方にある半壊した格納庫のみが遮蔽物であり、第5海兵連隊は何もない開けた空間を何百メートルも突き進まねばならなかったそうです。
日本軍は飛行場を見下ろす高地から砲撃し、攻撃開始前に連隊司令部が置かれていた塹壕に砲弾が命中し、第5海兵連隊連隊長バッキー・ハリス大佐が重傷、参謀も死傷し連隊司令部が大損害を被っています。
もちろん、日本軍もイシマツという陣地を築いていましたが、大量の負傷兵を抱えながら、アメリカ軍を突破して撤退することもできず、自決、あるいは重傷者を手榴弾で爆殺してから、撤退するという地獄絵図だったそうです。
④ブラッディノーズ・リッジ(鼻血の尾根)の戦い
初期の海岸地区や飛行場周辺の攻防では、アメリカ軍に多大な損害を与えたものの、日本軍陣地と部隊もほぼ壊滅したため、中川大佐は師団作戦命令の通り、ペリリュー島の山岳地帯に500個以上は存在すると思われる洞窟を駆使した持久戦術に移行します。
「外に出て攻撃を仕掛けると、戦車と航空機と艦砲射撃が待ち構えている。その手には乗らず、敵が近づいて来たら狙撃せよ。容易く死なずに永く生きながらえて一人でも多くの敵を殺せ」と厳命したと言われています。
アメリカ軍はこれまでの太平洋の他の島で繰り返された、日本軍の盲目的なバンザイ突撃を圧倒的な火力で撃滅するという展開を望んでいたのですが、この島ではその傾向は全く見えず、後にペリリュー守備隊を称して「これまで出会った中では、最も優秀と思える兵士で、率いる将校も、敵の圧倒的な火力の前に無駄死にする無意味さを理解し、アメリカ軍の術中にはまらない決意に満ちていた。」と評価しています。
アメリカ軍の中でもエリートとされる、第一海兵連隊が、ブラッディノーズ・リッジという尾根を巡る戦いに繰り出されますが、ここでも日本軍は巧みな洞窟陣地を使った、ゲリラ戦を展開。
アメリカ軍はあっという間に死傷者が続出し、第一海兵連隊は1500名以上の死傷者を出し、両軍とも近接戦闘で崖から突き落とすような凄まじい戦いが行われます。
⑤日本軍逆上陸
ペリリュー島にアメリカ軍が上陸したとの報告があった後、パラオの第14師団司令部では連日、逆上陸について議論が行われていました。歩兵第15連隊は当初から、逆上陸を想定した海上機動部隊に指定されており、その訓練も積んできたので、連隊長の福井義介大佐は計画通りの逆上陸を意見具申しますが、中川大佐は拒否。
一旦は頓挫したと思われた逆上陸ですが、中川大佐始め、日本軍が敵上陸後、1週間以上も奮闘していたため、アメリカ軍上陸1週間後の9月22日に、師団長の井上貞衛中将は「米軍は我がペリリュー守備隊の勇戦にて疲労困憊し、ことに砲爆弾の欠乏に悩んでいることは確実であり、もっぱら新鋭戦力の来着を待っている。今やペリリューはあと一押しで米軍を完全に敗退に導き、これを陸岸から駆逐することも可能である。」と判断を下して増援を送ることと決定。
しかし、最終的には歩兵第15連隊全部ではなく、第2大隊(指揮官飯田義榮少佐)にペリリュー島に逆上陸することを命じます。
なんだかんだで、この部隊は激減し、戦況報告のため、ペリリュー島から司令部のあるパラオまで60キロを17名の兵士が泳いで渡り、最終的には4名しかたどり着けなかったそうです。
一方、飯田少佐は無事に中川大佐の元まで到着しています。
⑥第1海兵連隊壊滅・歩兵第81師団投入
その後、ファイブ・シスターズと呼ばれる尾根を巡る攻防戦が行われますが、ここは地形を最大限に利用して構築された、何重にも渡る縦深複郭陣地で、日本軍の激しい防衛戦により、アメリカ軍が誇るエリート部隊である、第一海兵連隊の第一大隊がほぼ壊滅。
兵員約3000名の連隊の定員の内1749名が死傷しており、第1海兵連隊はアメリカ軍史上最も激しい損害を受けた連隊となっていました。傘下の大隊の内、第1大隊の死傷率は71パーセントに達しており事実上全滅していたというので、相当な物です。
そのため、アメリカ軍は不本意ながらも、予備の陸軍第81師団の第321連隊をペリリュー島に移動させたと言われています。
⑦ファイブ・シスターズ包囲戦
アメリカ軍は第1海兵連隊の壊滅後、作戦の変更を余儀なくされ、島南部からファイブ・シスターズ陣地への強行を断念し、島の西側の比較的日本軍の抵抗の少ない平坦地を掃討しながら島の北端まで制圧し、日本軍守備隊を山岳地帯に孤立させた後に、日本軍の陣地を突破できるルートを探す作戦に切り替えます。
残る第5海兵連隊と第7海兵連隊も第1海兵連隊程ではないものの、かなりの損害を被っており、第1海兵師団全体での死傷者は第1海兵師団撤退時点で合計3946名に達しています。
結局、ファイブ・シスターズの戦闘は9月末から10月末まで続き、日本軍も苦しんでおり、既に戦死者・行方不明者は9000名を超え、10月13日時点で中川大佐が掌握していた兵員は1150名に過ぎなかったそうです。
それでも、この戦いの中で10月17日に日本軍の、ある狙撃兵は、第323連隊第1大隊長レイモンド・S・ゲイツ中佐を仕留めています。ゲイツ中佐はペリリュー島の戦いにおける陸軍での最高位の戦死者となりました。
⑧日本軍守備隊玉砕
11月15日にパラオ本島の第14師団司令部から中川に、天皇から11回目のご嘉賞の言葉があったことが伝えられますが、これは日本陸軍史上で前例のないことだったそうです。東京の大本営においても、この頃は「まだペリリューはがんばっているか」が朝の挨拶代わりになっていたそうです。
11月22日にはアメリカ軍が陣地前数百メートルまで迫ってきており、中川は最後が近づいたと考えて第14師団司令部に電文を発信。
11月24日。司令部は玉砕を決定。「サクラサクラサクラ」から始まる決別電文を送り、11月27日には全員玉砕。
最終的な被害は、以下の通り。
日本軍
戦死者: 10022名~10695名
戦傷者: 446名
アメリカ軍
戦死者: 1684~2336名
戦傷者: 7160~8450名
戦病者: 数千名、第81歩兵師団だけで2500名以上、第1海兵師団も含めると5000名以上いるという説あり。さらに1万人を超えるとする説もあり。
結果的には、もちろん日本軍の負けですが、実はアメリカ軍からの評価は非常に高かったとされています。
アメリカ海兵隊の評価は「日本軍はアメリカ軍に多大な犠牲を負わせることによって、長期に渡る遅滞・流血戦術を実行することに成功した」とされており、日本軍にとっても、ゲリラ戦の有効性を、後の硫黄島、沖縄の戦いに生かすきっかけにもなったと言われています。
ということで、長いですが、ペリリューの戦いについて。
詳しく知りたい方は、この戦いに参加したアメリカ軍の兵士、ユージーン・スレッジが書いた「 ペリリュー・沖縄戦記」(ドラマ「ザ・パシフィック」の原作の一つ)をご覧ください。この本自体を私は持ってますが、実際の体験談というのは臨場感が違います。
私はまだ映画は見てませんが、近いうちに見に行こうと思っています。




