第59回 東京の下町、亀有
今回は、ちょっと変わった趣向で。
「下町」について。
下町の定義というのは、曖昧なのですが、まあざっくり言うと、「都会にある庶民的な街」みたいなものでしょう。
その観点で、私が最近、用事でよく行くのが、東京都葛飾区亀有。
そう、亀有と言えば、「こち亀」(こちら葛飾区亀有公園前派出所)。
亀有駅前には、両さんどころか、中川や麗子の像まであり、いつ行っても誰かが写真を撮っているくらい人気。
では、「東京の下町」の代表格でもある、この亀有は何故下町になったのか、を見て行きましょう。
ちなみに、亀有はかつて「亀無」、あるいは「亀梨」と呼ばれていたとか。
江戸時代以前にはそう呼ばれていたらしく、低湿地帯の中に「亀」の甲羅の形を「成す」土地だからというのが由来とか。
ところが、江戸時代初期頃に、「無し」に通じて縁起が悪いとされ、「亀有」に改められたそうです。
江戸時代には、水戸黄門像があり、水戸街道の一里塚が置かれるなど、交通の要衝だったそうですが、亀有の大部分は明治になってもひなびた農村だったらしいです。
明治時代に、南葛飾郡亀有村となり、青戸村と合併して、亀青村の一部になります。
1919年(大正8年)、日本紙器製造亀有工場が、1938年(昭和13年)には、日立製作所亀有工場が進出し、大正時代以降は、工業地帯として発展します。
第二次世界大戦では、亀有周辺は大きな被害がほとんどなかったため、戦後は都心部から人口が流入し、急速に都市化が進みます。
特に江東区、墨田区、台東区、荒川区などから流入して、下町の気風はこの地に移転し、それが葛飾区=下町という雰囲気を作っていったとか。
すぐ近くには、「寅さん」で有名な柴又があり、こち亀に関しては「こち亀記念館」が割と最近出来ました。
亀有駅を中心とした地域は、現在でも葛飾区内で有数の商業地帯で、駅周辺に小さな商店街が連なってます。
ただ、約20年に及ぶ南口再開発事業が行われ、1996年(平成8年)には、4棟の商業ビル、マンション、駐車場などを擁するリリオ商店街が開業。
10年後の2006年(平成18年)には、日本板紙亀有工場跡地に大規模ショッピングセンター「アリオ亀有」が開業して、さらに発展しています。
ということで、葛飾区亀有の歴史についてでした。
ちなみに、亀有公園前派出所というのは、実際にはありません。
亀有公園自体は、ちゃんとありますけどね。
それと、東京の「下町」自体は、もちろん亀有以外にも戸越銀座、谷中、門前仲町などいっぱいありますけどね。今回は代表的に、私がよく行く亀有にしました。
亀有自体、確かに庶民的な雰囲気は漂っている街ですね。いわゆるセレブ感は全くありませんが、私も所詮は貧乏庶民なので、親近感が湧きます。豪華すぎるところは落ち着かないのです。




