第58回 日本語史から見たタイムスリップ物の限界
ご無沙汰してました。
今回は、「日本語史から見たタイムスリップ物の限界」と題して、その原因を探ります。
小説でも、ドラマでも、アニメでもタイムスリップ物は人気で、私自身、結構好きなジャンルではありますが。
実は、「現代から過去にタイムスリップしても、実際には言葉が通じない」恐れがあるのです。
学校の勉強で、古典を学んだ人は、確かに「平安時代じゃ、いとおかし、とか言うし」と漠然と言葉の違いを認識すると思いますし、確かに平安時代と現代ではだいぶ言葉も違います。
しかし、実は戦国時代でも通じない可能性があります。
戦国時代真っただ中の1516年、『後奈良院御撰何曾』という書物があり、そこに面白いなぞなぞが載ってます。
「母には二たびあひたれども父には一度もあはず」
つまり、「母には二度会うけど、父には一度も会わない物は何か?」というなぞなぞ。
これを現代語から考えると、答えは出ません。ちなみにこのなぞなぞの答えは「唇」です。
これは、「母」というのがポイントになります。
現代では、これを「ハハ」と読むから、発音するとわかりますが、その時、唇は一度も当たりません。同様に父も「チチ」と読むから、唇は一度も当たりません。実際に発音してみると、これはよくわかります。
ところが、戦国時代には、母を「ファファ」と呼んでいたとしたら。「ファファ」だと確かに唇が二回当たります。
つまり、このことから戦国時代には「母」を「ファファ」と呼んでいたとされるわけです。
ちなみに古代では「パパ」と呼んでいたとか。「母」なのに「パパ」。紛らわしいですね。
つまり、時代によって、パパ(papa)→ファファ(fafa)→ハハ(haha)と変遷してきたそうです。
なお、このなぞなぞが解けたのが、昭和になってから、広辞苑が作られる時に、音韻史と結びつけて考察してようやくわかったとか。
実は、江戸時代の人が同様にこのなぞなぞに挑んで、わからなかったとか。つまり、江戸時代にはもう「ハハ」と呼んでいたのでしょう。
そんなわけで、おおむね、現代人でも通じるような言葉遣いになったのは、江戸時代の中期頃と言われています。
もちろん、その当時は、今よりもはるかに方言が強いので、地方によっては通じない可能性がありますが、江戸あたりだとある程度、標準語でも通じるかもしれません。
「すごい」という言葉もすでにあったとか言われています。
確実なのは、明治・大正期で、大正時代になると、生活様式も現代に似通ってきます。
もっとも、今の「映える」だの、「炎上する」だの、「推し活」だのも、つい20数年前だと、「なんのこっちゃ」という話にはなるわけで、言葉というのは、時代によって、常に変化する物なのです。
これは日本語に限らず、英語や他の言語でも同様です。




