第56回 南国に散った、北国の男たち
今回、紹介するのは、「沖縄戦」。
そう。太平洋戦争(この呼称も好きではなく、本来は大東亜戦争が正しい)での最終局面として、また日本唯一の地上戦、凄惨な戦いが行われた悲劇の地として、有名な沖縄。
もちろん、私は沖縄戦自体を肯定するつもりはなく、これは実際にとんでもない犠牲者を産んだ戦いだったのは間違いないです。
特に民間人の死傷者が多いのが特徴で、結局、戦争ってのは、軍人より民間人が犠牲になることが多いのは、昨今のウクライナ戦争でも証明されています。
では、その沖縄戦において。
一番犠牲者が多かったのは、もちろん沖縄県民の皆様。
では、2番目に犠牲者が多かったのは、どこの県の人でしょう?
これが意外なことに、2番目は「北海道民」。それも他県民を圧倒してます。
ちなみに、沖縄戦での犠牲者を県別に並べ、ワースト5まで並べると。
1位 沖縄県 149,611人
2位 北海道 10,805人
3位 福岡県 4,030人
4位 東京都 3,521人
5位 兵庫県 3,202人
となっています。
3位の福岡県と比べても2倍以上。圧倒的ですね。
なお、この人数は、沖縄にある「平和の礎」に記載されている刻銘者数で、実際にはもっと多かったと思われます。
では、何故、沖縄県から遠く離れた、北海道の人たちがこんなに犠牲になったかと言うと。
答えは、第24師団にあります。
この第24師団というのは、満州(現在の中国北東部)で編成された部隊ですが、最前線に行くことが多かったそうです。
で、結局、沖縄戦において主力となった、第32軍に組み込まれ、沖縄本島に上陸。その第24師団には北海道出身者が多かったためです。
沖縄戦において、日本側の主力となった兵団は、この第24師団と、第62師団、独立混成第44旅団と言われており、日本軍の正規兵力は約8万6400人。これに加え、防衛隊などとして動員された地元住民を含めると、日本軍の戦力は約10万人。
このうち、第24師団は約1万4000人と言われていますが、沖縄県平和祈念資料館によると、各師団の正確な人数などは不明らしいです。なので、正確には不明。
それにしても1万4000人としたら、そのうち1万805人が亡くなったとすると、ほとんど全滅に近い被害です。
故郷からはるか遠い、南国の地で散った、私の故郷の先祖の同胞たちは何を思ったのでしょう。
その思いがあったから、2019年に実際に沖縄県に行って、この平和の礎を見てきました。
確かに北海道出身者が圧倒的に多かったです。
この平和の礎には、各県ごとに大きな石碑のような石が置かれ、そこに戦死者が刻銘されています。
ちなみに、平和の礎から少し行った先に、平和創造の森公園があり、そこに各都道府県犠牲者の石碑があます。北海道は「北霊碑」というのがあり、確かここにも犠牲者の名前があったはず。見に行きました。
なお、沖縄県と北海道には、割と共通事項が多く、親近感を抱くことがあります。
日本語由来ではない言語(方言)、地名などもそうですが、不思議と共通項が多くあります。
これは、昔から沖縄県も北海道も「外地」と呼ばれ、日本国内にありながら、植民地的な扱いを受けてきたから。
つまり、ひどい言い方をすれば「捨て石」にされたのは、沖縄県民だけでなく、北海道民も同じということです。
「外地の兵なら多少死んでも構わない」とまで当時の軍の上層部が思っていたかどうか、まではさすがにわからないですが、いずれにしても北海道民の多くがこの慣れない南方の地で、命を散らした事実は覆らないのです。
ということで、知られざる沖縄戦史でした。
沖縄には、修学旅行と、個人的な旅行と二度ほど行ってますが、行くと必ずひめゆりの塔や戦争の史跡には行くようにしてます。




