第48回 変わった兵法者たち
今回、取り上げるのは、ズバリ「変わった兵法者」。
戦国時代、漫画「花の慶次」でも描かれたように、「傾奇者」と呼ばれた、奇抜な格好をした派手な芸人みたいな人たちがいたんですが、武芸者の中にもいました。
そんな彼らの何人かを紹介します。
①夢想権之助(生没年不詳)
江戸時代初期の武芸者。彼のすごいところは、嘘か誠か「生涯一度も負けたことがない」と言われた、あの宮本武蔵に勝ったとされる物。ちなみに負けたとされる説もあるそうです。
もっとも、これらについても結構、眉唾物だとは思いますが。
神道夢想流杖術の流祖と言われており、「天下無双」の旗を掲げて、諸国を歩き回って、武蔵と戦ったとされています。
もっとも、史料的にはほとんど残ってないので、謎が多いですが。
大体、名前からして偽名っぽいですしね。
②松林蝙也斎(1593~1667)
上記の夢想権之助の弟子と言われるのが、松林蝙也斎。「蝙」というのは、「蝙蝠」のことを指します。
本名は永吉。夢想願流という流派を編み出したとされています。
彼はある時、江戸城において将軍・徳川家光に剣技を披露する機会を与えられたそうです。
この時、永吉は門人を相手に組太刀を立合ったほか、相手の太刀の棟に飛び乗り宙を舞うなどの奥義を披露し(夢想願流には、「足譚」という相手の太刀を足で踏み落とす術があるとされる)、家光は「身の軽きこと蝙蝠の如し」とその技量を讃えたといい、これを誉れとした永吉は以後は蝙也斎と名乗ったとされています。
その後、仙台藩の伊達忠宗(伊達政宗の子)に仕えたと言われています。
確か漫画「るろうに剣心」にも彼をモチーフとしたキャラが出てたような。
③松山主水(?~1635)
同じく漫画「るろうに剣心」の鵜堂刃衛のモデルになった人物で、二階堂平法という兵法を使ったと言われています。
本名は大吉、あるいは源之丞とも。
この二階堂兵法の秘伝に「心の一方」という技があり、これが一種の金縛りだったようで、技を受けた人は、動けなくなったとか。
肥後国(現在の熊本県)の細川忠利に仕えたと言われていますが、「心の一方」を使う松山主水は、かなり傍若無人だったそうで、「心の一方」で恐れられたことの反感もあったらしく、主水は大坂から船で帰国する際に家中のトラブルに巻き込まれ、忠利の父・三斎が激怒。主水の暗殺を命じたそうです。
寛永12年(1635年)10月、主水は光円寺で運悪く、病気で臥せっていたところを、三斎の命を受けた荘林十兵衛によって暗殺されますが、その時、布団の上から刺されて亡くなったそうです。
④【番外編】佐々木小次郎(?~1612)
宮本武蔵と巌流島で戦ったことで有名な、佐々木小次郎。「巌流」という流派を使い、「燕返し」という技を使ったとも、物干し竿と呼ばれる長い刀を使ったとも言われていますが、実は出自からしてよくわかっていません。
越前国(現在の福井県)の盲目の武芸者、冨田勢源の弟子とも、その富田勢源門下の鐘捲自斎の弟子とも言われており、初めは安芸国(現在の広島県)の毛利家に仕え、後に小倉藩の細川家に仕えたとされています。
そして、物語では大体、美形のイケメン剣士に描かれることが多い、佐々木小次郎。
しかし一説には、巌流島の戦いの時、小次郎は70歳を越えていたとも言われています。
武蔵はその時、29歳くらいだったので、40歳以上も年上だったとすると、体力的に結構な不利と言えなくもないですが、真相はわかりません。
ということで、なかなかマニアックな兵法者たちでした。




