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第47回 陰陽師、安倍晴明について

 今回は、このコーナーでは異質の平安時代の人物について。


 今や超有名とも言える、陰陽師おんみょうじ安倍あべの晴明せいめいについて。


 安倍晴明と言えば、陰陽寮おんみょうりょうを統括した陰陽師で、言わば占い師みたいな物ですが、古代・中世においては、吉凶を占う人というのは、結構な信ぴょう性と信頼を置かれていたのです。


 何しろ、現代のような科学が発達しているわけではないので。


 今では考えられないですが、古代においては、占いで政治を決めたこともあったもと言われています。


 そして、実は安倍晴明が活躍したのは、40歳を越えてから。それも平安時代の40歳はもう立派な老齢です。


 実は晴明の若い頃というのは、非常に謎に満ちており、当時の文献には記載が全然ないそうで、一応、今昔こんじゃく物語集にはかろうじて安倍晴明の名前が出てくる程度。


 職も、天文得業生(とくごうしょう)という、陰陽寮に所属する学生だったと言われており、そう考えると当時の40歳、もはや老齢に差し掛かる頃まで、彼は出世できていなかったとも言えるわけです。


 清明が、いわゆる「陰陽師」として官職に任じられたのが、応和元年(961年)以降と言われ、数え年で41歳の頃。意外なことにそこから見出されて、花山かざん天皇の信頼を受けるようになり、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が出てきます。


 ようやく出世街道に乗って、52歳でようやく天文博士となり、有名になります。


 ちなみに、安倍晴明と言えば、有名な「五芒星」の紋。

 これはセーマンドーマンと言い、現在に残る陰陽道の名残と言われるしゅ(まじない、呪文などの意味)と言われてますが、晴明と同じく平安時代に活躍した蘆屋あしや道満どうまんという、安倍家陰陽道の名残とも言われています。


 また、安倍晴明の母は、くずの葉という狐だったという説もあり、そうすると、晴明は人間と狐のハーフ? というおとぎ話みたいな話になるわけです。


 まあ、これについては、当時は「狐は人間を化かす」とも言われており、まじない、呪文などに結びつけた俗説だとは思いますが。なので、本当に狐の子ということでは、さすがにないとは思います。


 なお、「晴明」は「せいめい」と呼ぶのが一般的ですが、「はるあき」、「はるあきら」とも呼ぶそうです。ちなみに何故「せいめい」と音読みの方が一般的になったのかも実はよくわかっていません。当時の慣例では、恐らく「はるあき」、「はるあきら」のように訓読みで読む方が一般的なので。


 京都にある、晴明神社。実際に行ったことがあります。

 神社には五芒星が描かれ、若い女性がいっぱいいました。


 皆さん、アニメか何かの影響で、安倍晴明が若くてイケメンだと勝手に思い込んでますが、実はかなりの老齢になってから活躍したわけです。


 なお、安倍晴明の生没年は921~1005とされ、享年84歳。当時としてはかなりの長寿と言えます。


 もっとも、それが本当に正しいかどうかはわかりませんが。

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