第45回 工作艦明石
今回は、ちょっと変わった船の紹介。
まあ、多分ご存じの方もいるかもしれません。「艦これ」に詳しい人なら、当たり前のように知っていることでしょう。かく言う私もかつて、「艦これ」やってました。
太平洋戦争における、日本海軍の艦船で有名なのは、もちろん戦艦「大和」、「武蔵」、空母「赤城」、「蒼龍」、「加賀」、最近だと映画「ゴジラ-1.0」でも有名になった不沈駆逐艦「雪風」などがいますが、今回の「明石」は、工作艦という部類。
実は、アメリカ海軍にも工作艦「メデューサ」というのがありましたが、明石はこのメデューサ並みの修理能力を持つ特務艦として建造されたそうです。
ちなみに、有名な工作艦の明石は、実は2代目。
初代は、明治時代に作られた、防護巡洋艦です。
スペックは、基準排水量約10,000トン、速力18ノット、12.7cm高角砲4門、対空機銃4挺以上、航続力14ノットで8,000海里。
では、この明石の何がすごいかと言うと。
艦内には、工場が17もあり、そこには当時の海軍工廠にすら配備していなかった、ドイツ製工作機械をはじめ、最新の機械が114台も設置されていたそうです。
そのため修理能力は非常に優れ、連合艦隊の平時年間修理量35万工数の約40%を処理できる計算であり、これは文字通り「移動する海軍工廠」と言えるわけです。
明石造船主任である、小倉竜朗技術大尉は、明石について「あらゆる修理工事が可能だった」と回想しています。
つまり、「縁の下の力持ち」、「艦隊のお母さん」みたいな役割なんですが。
当然のことながら、アメリカ軍はこれを「狙った」わけです。
何しろ、せっかく艦隊戦で壊しても、すぐに修理されてくるから、アメリカとしてはたまらないわけです。
実際、明石は太平洋戦争開戦と共に南方に進出。最前線を駆け回り、あらゆる艦船を修理しています。
1944年(昭和19年)3月30日、アメリカ軍の第58任務部隊はパラオ大空襲を敢行。連合艦隊の主力であった戦艦武蔵などは事前に退避しており、この時、泊地に取り残されていた明石以下多数の補助艦艇や商船は次々に撃沈されていきます。
そして、ついに明石にも500ポンド爆弾と思われる1発が命中して火災が発生。被弾した明石は夕刻になると激しく炎上。周囲の掃海艇が明石に接舷して消火に協力するも、重油タンクにも引火、消火の見込みがなくなり、ついにここに至って明石は放棄され、御真影や生存者は周囲の小型艇に収容されます。
そして、この明石の喪失の影響は大きく、これは南方海域における日本海軍の艦艇修理の要が失われた事を意味しました。
海軍は特設測量艦・白沙を改造し、5月1日付で特設工作艦とし、白沙はシンガポールに配備されますが、実はその能力は明石に劣っていました。
このため南方で損傷した艦の修理に際しては、設備の整った内地への帰還を余儀なくされるわけです。
ということで、実は非常に優秀な船だったのが、明石。
こういう船を自ら造り出した日本人というのは、やはり優秀な民族だと個人的には思います。
元々、日本人は器用な民族ですからね。




