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第41回 戦国の女傑たち

 戦国時代。男たちは戦いに明け暮れ、女たちは夫の留守に家を守り。


 というのが、一般的にイメージする姿だと思いますが。


 中には、まるでアニメの主人公になるような戦いぶりをした女性たちがいました。


 今回は、そんな彼女たちにスポットを当てます。

 では、有名どころから、マイナーまで早速取り上げます。


①立花誾千代(ぎんちよ)(1569~1602)

 ご存じ、父は「雷神」とも呼ばれた猛将、立花道雪(どうせつ)。7歳の時に立花城の城督・城領・諸道具の一切を父から譲られています。


 道雪は後継者となるべき息子がいなく、一人娘の誾千代に城督を継がせるため、通常の男性当主の相続と同じ手続きを踏み、主家である大友家の許しを得た上で姫を立花城の城督としたとされています。これは戦国時代でもまれな例と言われています。


 そして、彼女の夫になったのが、立花家に養子に来た、高橋紹運(じょううん)の長男、立花宗茂(むねしげ)


 この宗茂が「鎮西ちんぜい一」と言われるくらいの文武両道の名将。しかし、夫婦仲は悪かったらしく、別居状態だったとか。


 誾千代のエピソードとして、有名なのが一つあります。関ヶ原の戦いの時、小西行長(ゆきなが)の領地を制圧した加藤清正が宗茂に開城を説得すべく、柳河やながわに進軍した時のこと。


 「街道を進むと、宮永みやながという地を通ることになりますが、ここは立花宗茂夫人の御座所です。柳川の領民は立花家を大変に慕っており、宮永館に軍勢が接近したとあれば、みな武装して攻め寄せてくるでしょう」と聞かされたため、清正は宮永村を迂回して行軍したとされています。


 誾千代自体は、病気になり、わずか34歳の若さで亡くなっており、二人の間に子は生まれなかったそうです。


甲斐かい姫(1572~没年不詳)

 西の立花誾千代に対して、東の女傑が彼女。


 武蔵むさし国(現在の埼玉県、東京都)、忍城おしじょう城主・成田氏長(うじなが)の長女。天正18年(1590年)の小田原征伐の際、父・氏長が小田原城に詰めたため留守となった忍城を一族郎党と共に預かり、豊臣軍が城に侵攻した際には武勇を発揮して城を守りぬいたと伝えられています。


 この辺りは、映画「のぼうの城」を見ると大体わかります。


 彼女の活躍は置いておくとして、甲斐姫の武勇伝を聞いた秀吉は、姫を気に入り側室として召し抱えることになったそうです。この辺り、女好きの秀吉の性格もありますが、蒲生がもう氏郷(うじさと)に預けられていた父の氏長は姫の口添えもあって、天正19年(1591年)に下野しもつけ国(現在の栃木県)烏山からすやま城主として2万石の領主に取り立てられたそうなので、娘のおかげで氏長は助かっています。


 そして、彼女は秀吉死後の消息が不明らしいです。


 一説には、秀吉には16人も側室がいたらしいのですが、。慶長3年(1598年)に京都で行われた醍醐だいごの花見の際、甲斐姫が詠んだとされる歌が残されているだけで、その後、消息不明。


 秀頼の養育係を務めたとも、隠密になったとも言われています。


妙林尼みょうりんに(生没年不詳)

 吉岡妙林とも。史料はほとんど残っておらず、『大友興廃記』『両豊記』にその名が、ルイス・フロイスの文書に妙林尼と思われる人物の記録が登場するのみと言われています。


 吉岡長増(ながます)の息子・鑑興あきおき(後、鎮興しげおき)と結婚するも天正6年(1578年)、その夫が耳川の戦いで戦死したため、夫を弔うために出家し、妙林尼と称したとされています。


 彼女のエピソードで一番有名なのが、以下の物。


 天正14年(1586年)、九州制覇を目指す島津氏は大友氏が統治する豊後ぶんご(現在の大分県)侵攻を開始し、大友氏の援軍として豊臣秀吉が寄越した連合軍にも戸次川へつぎがわの戦いで勝利し、破竹の勢いで豊後各地を制圧していきます。


 勢いに乗る島津家久は大友宗麟(そうりん)のいる臼杵うすき城へ向けて進軍すると共に、野村文綱(ふみつな)・白浜重政・伊集院久宣(ひさのぶ)らに総勢3000の兵を持たせ、鶴崎城を攻略するよう命令します。


 当時、鶴崎城の城主は吉岡鎮興の子・統増むねますでしたが、その統増は宗麟に従って臼杵城に籠城していたため、鶴崎城の指揮は母親であった妙林尼に委ねられていました。


 若い兵は統増が連れて行ってしまったため、城内や周辺には老人の家臣や農民、女や子供しかおらず、戦力的にも降伏するのが妥当な選択肢でしたが、城を明け渡す事を良しとしなかった妙林尼は籠城を決意し、急いで農民に家から板や畳を持ち寄らせると、それを材料に城の周りに砦を築き、また農民に鉄砲の使い方を教えるなどして決戦に備えます。


 同年冬、野村文綱を中心とした島津軍は白滝山に陣を敷き、攻撃を開始するも、妙林尼が周到に準備した落とし穴や鳴子の罠と鉄砲を巧みに使用した奇策に次々とはまり、大苦戦。


 結局、妙林尼率いる吉岡軍は計16度に及ぶ島津軍の攻撃を退け、なおも籠城を続けます。なかなか城を落とせない島津軍は、要請されている本軍への合流が出来ず、ついに和睦を提案。食糧が底を突きかけていた妙林尼側も、全員の命の保証を条件に鶴崎城を開城し、撤退します。


 この時、和睦した妙林尼側は島津軍を手厚くもてなし、城内で両軍が酒を酌み交わすなどしたと言われています。


 ところが、これで終わらず、和睦した妙林尼ですが、島津軍の殲滅を諦めた訳ではなかったのです。


 天正15年(1587年)3月、豊臣秀吉が自ら20万の大軍を率いて島津討伐へ向かうとの知らせが入ったため、豊後にいる島津軍に撤退命令が出ると、妙林尼は野村文綱の屋敷を訪れて「私は島津軍と厚く交流してしまったため、大友家には残れないから家臣共々一緒に薩摩に連れて行って欲しい」と頼み込み、また祝賀と称して島津軍にお酒を飲ませます。


 後日、出立する島津軍を「後からすぐに合流する」と見送った妙林尼は、すぐさま家臣に命じ、後から追いかけてくるはずの妙林尼一行を待ちながら千鳥足でゆっくり撤退する島津軍に乙津おとづ川辺りで奇襲攻撃を仕掛け、白浜重政、伊集院久宣ら大勢を討ち取ったとされています。野村文綱は流れ矢を胸に受け負傷しながら何とか日向国(現在の宮崎県)・高城たかしろまで逃げ延びるも、この時受けた傷が元で没しています。


 これを聞いた秀吉は、大喜びで彼女に会いたいと言ったそうですが、彼女は会うのを断ったとか。


富田とみた信高のぶたかの妻(生没年不詳)

 名前は不詳です。中国地方の武将である、宇喜多うきた忠家の娘として生まれ、富田とみた高定たかさだの甥にあたる武将・富田信高に嫁ぎます。


 彼女が活躍したのが、天下分け目の関ヶ原の戦い。


 当時、富田信高は伊勢いせ国(現在の三重県)安濃津あのつ城5万石の城主。慶長5年(1600年)、徳川家康が関ヶ原の戦いの前哨戦とも言える会津征伐の軍を起こすと、富田信高も300人の兵を率いて従軍しました。


 しかし徳川家康は、安濃津城が交通の要衝に位置することから、富田信高を帰還させ、防備を固めるように命じます。


 急ぎ伊勢国に帰国した富田信高は、西軍と激しい戦いを繰り広げることになります。


 西軍は毛利秀元、長宗我部ちょうそかべ盛親もりちか吉川きっかわ広家、長束なつか正家らを筆頭に3万人の兵を派遣。伏見城を落城させた後、安濃津城に攻め寄せて総攻撃を開始します。


 一方の富田信高率いる東軍の将兵は1700人。圧倒的な兵数優位で西軍の勝利は確実と思われていました。しかし、東軍は次々と外郭を奪われるも、少ない兵で必死に城を守り続けました。


 そんな中、戦局を動かしたのが西軍の大砲攻撃でした。毛利秀元と吉川広家が行なった砲撃で、(やぐら)が撃破され二の丸、三の丸へ侵入されてしまいます。富田信高は自らも本丸から飛び出し、槍を取って決戦にのぞみました。


 必死に応戦するものの、城主を援護する味方の軍勢が次々と倒れ、駆け付けた家臣から遂に城の陥落を告げられます。


 「もはやここまで」と自決を決意するものの、敵兵に埋め尽くされて本丸に引き返すことができません。


 落城寸前まで追い込まれた、富田信高の前に現れたのは、想像もつかない人物でした。猛者を次々と倒して勇敢に前に進みでる、一人の美しい若武者。それが彼女でした。


 瞬く間に5、6人の敵兵を倒し、彼女はさらに前に進みました。「武功雑記」にはその様がこうつづられています。


緋縅ひおどしの具足に半月を打った兜の緒をしめ、片鎌の手槍を持ち、富田信高の前に進み出て槍を合わせた」。


 彼女の功績は「武将感服記」にも収められており、毛利秀元の家臣・中川清左エ衛門を討ち取ったと記されています。その活躍ぶりは、平安時代の巴御前に比肩すると言われ、彼女の活躍は江戸時代の書物にも書かれたとか。


 ということで、長くなりましたが。


 今回は、あくまでも「戦った」女性ですが、直接戦わずとも、城を守ったり、女大名として活躍した人もいました。


 戦国時代の女性は、本当に「心」が強かったんだと思います。

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