第21回 二代目の評価
よく言われますが、企業などの経営で「二代目はダメ」、「二代目は会社を潰す」というのがあります。
これはもちろん同族経営の会社で、創業者が父、その父の跡を息子が継ぐと、苦労を知らずに会社を引き継ぐから、簡単に潰すというのが主な理由です。
では、実際に戦国時代の世襲の武家において、二代目がどうだったのか、を参考に見て行きましょう。
今回は、ざっくりとした比較なので、詳細はWikipediaなどを見て下さい。
※記載は、左側が「父(初代)」、右側が「跡継ぎ息子(二代目)」です。
①武田信玄―勝頼
いきなり核心に迫る二人ですが、勝頼は父の頃の重臣を長篠の戦いで死なせたので、評価が低いのですが、実は優秀でした。あの織田信長や上杉謙信が武田勝頼を認めています。さすがに偉大な信玄と比較すると、劣りますが、それで優秀ではないというのは勝頼がかわいそう。
武田家の版図を拡大し、父・信玄でさえ落とせなかった、高天神城を落としてますが、ご存じの通り、織田信長に攻められ、武田家は滅亡。生まれた時代と相手が悪かったとも言えます。
②上杉謙信―景勝
正確には、二人は叔父と甥の関係で、謙信は結婚してないので、血のつながった親子ではないですが、一応血縁ということで。謙信は確かに優秀でしたが、景勝もまた優秀。
なんだかんだで徳川家に歯向かったのに、減封されただけで済み、上杉家は明治まで続いたので、ある意味、勝ち組です。
③徳川家康―秀忠
これはまあ、父の家康が優秀すぎて、息子の秀忠がかわいそうというパターン。家康は戦国時代の一番厳しいところを生きてきてますが、秀忠は全然、戦の才能がなかった代わりに、内政で力を発揮しています。
ちなみに、家康には信康という優秀な長男がいましたが、ご存じの通り、信長との間で揉め、武田家に内通したという理由で切腹。
次男の秀康は、武力が強すぎるため、父に嫌われ、結城家に養子に出されてるので、秀忠は三男です。
③織田信長―信雄、信孝
これは徳川家よりもかわいそうというか、次男の信雄も三男の信孝も、全然優秀ではなかったどころか、家を潰して、江戸時代には織田家は大名ですらなくなったので、失敗ですね。
ちなみに、信長にも家康と似たように、信忠という優秀な長男がいましたが、本能寺の変で亡くなっています。
④豊臣秀吉―秀頼
これももう「言わずもがな」という感じですが、父が偉大で、しかもずっと子宝に恵まれず、やっと生まれたのが秀頼。つまり溺愛しすぎて、失敗。今でも言えますが、子供を過保護に溺愛しすぎると、息子はダメになります。
結局、大坂の陣でなす術もなく、徳川家に滅ぼされて、母の淀君と共に自害し、豊臣家は滅亡してますからね。
⑤北条氏康―氏政
ちょっとマニアックですが、関東の雄、北条家。氏康はとてつもなく優秀だったんですが、息子氏政が優秀でないことを見抜いており、生前から危惧していたとか。結果的に、その氏康の心配が当たり、1590年、豊臣秀吉の小田原征伐で北条家は滅亡します。氏政は秀吉の命により切腹。
なお、氏政は家族思いで愛妻家だったらしいので、多分いい人だったんでしょう。あまりにも人がいいと、厳しい戦国時代では生き残れません。
⑥今川義元―氏真
これもマニアックと言えばマニアック。織田信長に負けたことで、評価が低い今川義元ですが、実はとても優秀な人。文武両道の人だったんですが、息子の氏真はバカ殿でした。
ただ、彼は蹴鞠という才能があったので、生かされ(というか、殺す価値もないと思われた?)長生きしています。
一芸に秀でたのが寿命を延ばしたケース。現代に生まれてたら、サッカー選手になれたかも、氏真。
⑦真田昌幸―信之、幸村(信繁)
まあ、真田氏に関しては、昌幸の父・幸隆(幸綱)から優秀だったので、「真田三代」なんて呼ばれ、全員優秀で知られてますね。
幸村が大坂の陣で「日ノ本一の兵」と言われる活躍をして「名」を残し、信之は真田家という「家」を後世まで守っています。
⑧毛利元就―隆元
毛利家は長男、隆元以外に、次男元春、三男隆景と、ある意味、全員優秀だったので、跡継ぎの隆元が若くして亡くなったことが最大の失敗とも言えます。その子の輝元がどうもパッとしなかったので。
というより輝元が曖昧な態度で関ヶ原の戦いに臨み、次男の吉川家の吉川広家が東軍と内通し、さらに小早川家の養子の小早川秀秋が裏切ったことで、結果的に西軍が負けたので、ある意味、「関ヶ原の敗戦の責任は毛利家にある」と言えます。
ということで、ざっくり見てきました。
他にも伊達家や島津家などもありますが、省略。
あまりにも偉大な父を持つと、息子はやはり大変ということです。何しろ何でもかんでも父と比較されますからね。




