第18回 北海道暗黒史2
忘れてました。
北海道暗黒史の続きです。
アイヌ問題について。
ただ、正直、北海道出身なのに、私はこれに関しては、あまり詳しく知りません。
一応、少しはその手の話は聞いたことがある程度です。
実はアイヌに関してはよくわかってない部分があり、中世以前には日本(というより蝦夷=北海道)には住んでなかったと言われています。
つまり、彼らがどこから来て、いつ頃、蝦夷に住み始めたかがよくわからないのです。
系統的には、縄文人に近いそうですが、13~14世紀頃に蝦夷に文化圏を形成し始めます。
彼らは文字を持たないので、口頭で文化を伝えるそうです。
一応、言っておきますが、蝦夷に日本人(和人)が住み始めた鎌倉時代頃から室町、戦国時代頃までは、必ずしも「日本人とアイヌが対立していたわけではない」という事実があります。
実際に、当時、蝦夷を治めていた蠣崎氏は、共存共栄を目指したというか、当初はアイヌと交易をして持ちつ持たれつの関係だったそうです。
それがやがて対立し、コシャマインの乱、シャクシャインの乱などが起こります。
江戸時代には「場所請負制」と呼ばれる流通制度により、蝦夷を治めていた松前藩とアイヌが積極的に交易をしています。
しかし、決定的になったのが、明治維新後の北海道開拓以降。
中央の明治政府は、北海道開拓を押し進めるため、徹底した「同化」を図ったので、要は「アイヌ民族も取り入れろ」ということになり、強制的に居住地を移らされたり、言語や文化を奪ったり、ということが行われました。
これには、「早く北海道を開拓して近代化しないと、帝国主義により他国に奪われる」という危機感もあったはずです。当時は、今では考えられないくらい、弱肉強食の世界だったので。
結局、江戸時代にアイヌの人口は約26000人程度だったのが、現在では半数の13000人程度にまで減っています。
この辺りは、アメリカ人が西部開拓で、ネイティブアメリカン(インディアン)を迫害してきた歴史と似ていますね。
ただ、違うのはアイヌはネイティブアメリカンほど大規模な反乱を、特に明治以降はしなかったので、日本人に「飲み込まれる」形で減少していったわけです。
その過程で、多くの「差別」や「いじめ」があったことは残念なことだと思います。
現在、北海道の白老町に「ウポポイ」というアイヌ文化の施設みたいのが出来たそうですが、私は正直、これには「否定的」です。
まあ、政府の影響で無理矢理作った感があることもあり、実際に行った人の評価も低いので。
それよりも、実際に行って良かったのが、平取町の二風谷アイヌ文化博物館です。
ここには、かなりの量のアイヌの民芸品や小物などが展示され、アイヌの歴史を学ぶ上では非常に興味深いところです。
ちなみに、平取町はアイヌがたくさん住んでいたことで有名ですね。
他に、旭川市にある川村カ子トアイヌ記念館もオススメです。
アイヌに関しては、漫画「ゴールデンカムイ」で勉強したと言っていいくらいで、それ以前にはほとんど知りませんでした。
ただ、北海道出身なので、地名の大半がアイヌ語由来と言うのは知っており、北海道に多い地名「別」、「内」などのつく土地は、アイヌ語で「川」を意味する土地だったように記憶してます。
結局、最終的に残るのは、「土地の名前」というケースが多いですね。
これもアメリカのネイティブアメリカンにも共通してます。
全米50州のうちネイティブアメリカンの言葉に由来するものが実に半数の25州になるそうです。
有名なのを一例として挙げると、オハイオ、イリノイ、ケンタッキー、ミネソタなど。
北海道でも明らかに日本語由来ではない、留寿都、留萌、ニセコ、倶知安、納沙布などの地名が今でもありますからね。そもそも日本語で「ル」から始まる地名なんて、北海道以外聞いたことがありません。
ということで、あまり詳しくは語れなくて申し訳ありません。




