第15回 真実の坂本龍馬
実は今、RISE OF THE RONINというゲームをやってまして。
幕末が舞台のストーリーで、幕末の志士がたくさん出てきます。
そこで、今回取り上げるのは、かの有名な人物です。
坂本龍馬(1836~1867)
幕末に詳しくない人でも、日本人なら誰でもある程度知ってると思われ、幕末の志士で人気投票をやると、大体1位とか2位になる、超人気者の彼ですが。
あえてファンに喧嘩を売るような話ですが。実は、「坂本龍馬がやったとされることは、ほとんど嘘」だということが、歴史学ではわかってます。
つまり、現在、私たちが持っている「すごい龍馬像」というのは、大半が小説、特に「竜馬がゆく」の司馬遼太郎が作った、言わば「司馬史観」によるものなのです。
具体的に見ていきましょう。
有名な、「薩長同盟」の立役者が龍馬で、つまり彼が敵対する薩摩藩と長州藩の手を結ばせて、倒幕に向かわせたという物。
はい、嘘です。
龍馬が薩摩の西郷隆盛に会って、「西郷さん、なんとかしてくれよ」的なことを言ったとされてますが。当時、西郷隆盛は、流刑地となっていた島から薩摩に戻ったばかりで、藩の決定権などない状態でした。
実際には、薩摩藩の家老、小松帯刀が中心になって、薩長同盟に動いていました。そもそもが小松の部下が、西郷と大久保利通だったのです。
薩長同盟を取り付けるにあたり、カギになっていたのは、国父と言われていた、島津久光で、その賛同を取り付けることだったのですが、これに奔走したのが小松だったのです。
結果、龍馬は何もしてないということになります。
龍馬が書いたとされ、画期的だと言われた「船中八策」(後の明治の世の「五箇条の御誓文」につながったとされる)は、龍馬の師匠である、勝海舟や佐久間象山、あるいは横井小楠の教えをまとめただけの話です。
つまり、そこに龍馬のオリジナリティーはどこにもありません。
これも嘘だったわけです。
では、「龍馬は本当に何も成し遂げていない、ただの風来坊か?」と言われると、そこはちょっと違います。
龍馬自身が、明治維新において「第三の道」を考えていたのは確かだったようです。
つまり、倒幕して新政府を目指す勢力(薩摩藩、長州藩など)、徳川家を中心とした公武合体の新政府を目指す勢力(幕府、越前藩など)の二大勢力とはまったく別の道を龍馬は考えていました。
薩摩、長州、幕府、その他みんな含めて、全体的に「日本」のことを考える世界があってもいい、と「万機公論に決すべし」という、言わば議会制民主主義を考えていたと言われています。
その実現のために、龍馬が作ったのが、亀山社中、後の海援隊です。
ここで艦船を集めて貿易で資金を稼ぎ、決定権や発言権を握ろうとした、と思うのです。
ちなみに、亀山社中にお金を出したのは、前述した薩摩藩の小松帯刀です。龍馬は手紙の中で「小松は神様だ」とまで言っています。
実は当時の薩摩は、薩英戦争に敗れて艦船を失い、壊滅的な打撃を受けていたので、龍馬のプランに賛成し、いったんは外人部隊として亀山社中を応援しようとしたようです。
しかし、薩長同盟がなると、今度は亀山社中が薩長との間の商売を取り持つ必要もなくなります。
実は薩長同盟が成立したことで、一番困ったのは、龍馬だったのです。薩長両藩にとって、亀山社中が不要になったからです。
そこで途方に暮れていた龍馬を支援したのが、土佐藩の後藤象二郎です。
土佐藩は、当時、幕府に近い立場にあり、薩長が勝って体制がひっくり返ると大変なことになるため、龍馬を支援し、海援隊が出来ました。
しかし、他の藩と商売を広げる前に、龍馬自身が暗殺されてしまいます。
ある意味、晩年の龍馬はかわいそうで、この「第三の道」にこだわり、色々とアピールしてましたが、どちらの勢力にもいい顔をするということは、言ってみれば「どちらからも信用されない」ことになるわけです。
つまり、内心では薩摩にも長州にも、龍馬の地元の土佐からも「あいつ怪しい。敵じゃないか」と思われていたわけです。
で、結局、邪魔になったから暗殺。
まあ、今とはなっては、誰が犯人なのか、まったくわからず、詳しくは第7回「坂本龍馬暗殺犯の推測」を見て欲しいのですが。
実は、そこで書かなかった勢力として「土佐藩」があります。
後藤象二郎が黒幕の可能性はあります。
そもそも、土佐では前藩主で最高権力者の山内容堂が土佐勤王党を皆殺しに近い形で弾圧してます。
最初は使えそうだから利用してたけど、大政奉還がなって、龍馬が不要、邪魔になったから消した、という可能性はあります。
なんだかんだで、幕末という時代は、こういう薄汚い謀略による「暗さ」があるのです。
もっとも、龍馬の存在がまったく無意味だったわけではありません。戦争を回避する手段として、第三の道を探る、「可能性」を秘めていたわけですし、龍馬が目指した世界が実現していれば、明治維新はかなり変わった形になっていたことでしょう。
ということで、今度、改めて、高知市にある「坂本龍馬記念館」に行きたくなりました。
散々ディスるようなことを書きましたが、私自身が、坂本龍馬のことが好きなのです。




