涙
俺は、アヴァンス王国の武具屋の息子として生まれた。
父は元冒険者で、母は王国にある商家の娘だった。
二人は父が受けた討伐依頼を通して知り合い、結婚した。
その後、母が俺を身籠ったのを機に父は冒険者を引退し、母の実家の後押しもあって冒険者向けの武具屋を開業した。
その武具屋は、父がそこそこ名の知れた冒険者だったという事もあって、俺が物心つく頃には結構大きな店になっていた。
もしも何事もなく時が過ぎていれば、俺は今頃この父の店を受け継ぎ、店主になっていたかもしれない。
だが、現在の俺の立場は、アヴァンス王国第2騎士団の副団長。
武具屋の店主という未来から随分と様変わりしてしまったが、こんな立場になったのにも理由がある。
その理由とは、俺が十五歳の時に父がいきなり倒れたからだ。
直ぐに医者に診せた結果、倒れた原因は、父が冒険者時代に討伐した魔獣から受けた毒だと判明した。
その魔獣は『ミミクリー・スコーピオン』と呼ばれる魔獣で、長い尻尾状の毒針と鋼鉄をも両断する巨大な鋏型の触肢を持ち、周囲の景色に擬態するという特性を備えていた。
E~SSSまである魔獣の脅威度を示すランクではAランクの魔獣に該当し、過去にはたった一匹で大きな都市を滅ぼした記録もある狂暴で厄介な魔獣だ。
そして、父の治療にはそんな魔獣の体内に備わっている、ある部位が必要だった。
母と母の実家は、その部位を求めて伝手を使い方々を探したが、只でさえ見つけにくい特性を持つ上にAランク魔獣の部位などそう簡単に出回る物でもない。
求める魔獣の部位は見つからず時間だけが過ぎていき、その間も父の容態は悪化していった。
医者によるとこの毒は、死に至るまで数年間を要し、その間対象を痛みで苦しめるらしい。
「覚悟して下さい」と医者は言ったが実際その通りだった。
父は倒れて以後、1日中身体の痛みを訴え、吐血と嘔吐を繰り返していた。
痛みを麻痺させる薬を使い、どうにか容態を落ち着かせるのだが薬の効果が切れればまた痛みを訴えだす。
あんなに強く逞しかった父が「痛い、痛い・・・」と、まるですがるように母に訴えていたのをよく覚えている。
俺はそんな父を救いたくて、母の静止を振り切り『ミミクリー・スコーピオン』討伐の旅に出た。
見つからないのなら自分の手で探し出すしかない。
そして、その為には強くなるしかなかった。
幸い俺には、剣と魔法の両方に才能があり、父に憧れて冒険者を目指して鍛えていた事もあってそれなりには戦えた。
さらに旅の中で何度も魔獣に挑み、時には人とも戦いながら、実戦の中で力をつけていった。
そして旅に出て三年後、俺は遂に『ミミクリー・スコーピオン』を探し出し、これを討伐した。
それから毒の治癒に必要な部位を切り取り、一目散に実家へと帰った。
父を苦しめている毒は、死に至るまでに長い時間を要する。
ここに至るまでも母と手紙のやり取りをしていたから、まだ父の命が潰えてない事も分かっていた。
間に合った。
帰り道を進みながら俺はそう思っていた。
だが王都へ戻った俺を待っていたのは、謎の『黒い龍』だった。
どこから来たのかは不明だが、その龍はまるで騎士団長と騎士団の主力の不在時を狙ったかのように王都に現れ、吐息によって瞬く間に街を焼いた。
王都防衛の為に残っていた騎士団が応戦したが、街には甚大な被害が出て、俺の実家もその例外ではなかった。
俺が王都にたどり着いた時、既に実家は龍が暴れた影響で降ってきた大きな瓦礫によって潰されていて、さらに火がついていた。
俺は直ぐに水魔術で火を消し止めると瓦礫を退かして必死で両親を探した。
そして二人を見つけた。
母は酷い火傷を負い、呼吸するのも苦し気だったが息はあった。
しかし父は――――降ってきた瓦礫によって身体を潰されて即死していた。
その時抱いた感情をなんと言ったら良いのか、俺にはまだ分からない。
ただ・・・あの『黒い龍』を殺さねばならないと思った事だけははっきりと覚えている。
俺は母の応急処置を済ませると、剣を手に『黒い龍』へと向かって行った。
そして、死闘の末に龍の首を落として討ち取った。
王都はその事実に歓喜した。
だが、俺はその輪の中には加われなかった。
俺は父を、母を、救えなかった。
意味のない勝利だった。
ただ、俺にとっては意味のない勝利でも、周りからしたら違ったらしい。
王都に戻った騎士団長は、状況を確認すると父の亡骸を弔い、母を看病する俺に言った。
『王都の再建に力を貸して欲しい』と。
どうやら『黒い龍』を討ち取った俺は、民の間で英雄と言われ始めていて、混乱の最中にある王都民を安心させる為にも騎士団へ加入して欲しいらしかった。
俺は、それを了承した。
理由としては、母の入院と治療に金がかかる事が大きかった。
当時の俺は、金よりも『ミミクリー・スコーピオン』の素材だけを求めていたから母の治療費を払うだけの金を持ってなかった。
実家は焼け落ちてしまったし、冒険者になって適当な魔獣を狩って稼ぐ方法もあったが、それでは討伐に出ている間、母を残す事になってしまう。
もう母を一人にしたくなかった。
何かあれば直ぐに駆けつけられる距離に居たかった。
そんな俺に団長は、王都防衛が主任務の第2騎士団副団長という立場と十分な報酬を約束してくれた。
そうして俺は騎士団に入団し、この二年間、副団長としてやってきたのだった。
◆◆◆
雨に打たれながら病院へと走る。
濡れた歩道は存外走りにくく、また王都内である為全力を出す訳にもいかず、数十分ほど走ってようやく病院にたどり着いた。
そのまま屋内へ入ると正面ホールにある受付の元に向かう。
受付を担当していた女性にグリス・アノールである事を伝えると、直ぐに母の主治医の先生を呼んでくれた。
暫く待っていると母の先生が到着し、遺体が安置されている場所へと案内してくれる。
その間、歩きながら先生が話し始めた。
「お母様は、今日の明け方体調を崩しました。手は尽くしましたがあまり効果はなくそのまま・・・力及ばず申し訳ありません。連絡も遅くなってしまって・・・」
俺は先生の言葉に握り締めたままだった手紙に意識を向ける。
おそらく貴族共の嫌がらせの手紙が優先して俺の元に送り付けられ、この手紙の到着が遅れてしまったのだろう。
病院からの手紙と貴族からの手紙、郵便屋がどちらを優先して送るかは明らかだしな。
そう考えた俺は少し苦い気分になりながらも、申し訳なさそうにしている先生へと言った。
「いえ、先生には本当によくして頂きました。母の事は・・・覚悟はしていましたから・・・」
母が負った大火傷は、初期から手の施しようがない程酷く、むしろここまで持ったのは病院側の手厚い看護のお陰だ。
それを伝えると先生は、ますます申し訳なさそうにした。
「『聖女』様なら・・・もしかしたらなんとかなったかもしれませんが・・・」
「・・・」
『聖女』とは大陸中央にある宗教国家、バクラオン聖国にいる者達の事だ。
なんでも神の秘術である『神秘術』を扱え、どんな怪我や病もたちどころに癒し、邪な力を祓う事ができるという。
バクラオンの最重要人物であり、各国の王族でもその素顔を知る者は少なく、とうてい俺のような平民上がりの騎士がお目にかかれる立場の人ではない。
駄目元で手紙を送ったりもしてみたが、当然返信はなかった。
「・・・仕方ありませんよ。他国の一介の騎士など、一生かけてもお目通りすら叶わないでしょう」
そうだ。
仕方なかったのだ。
医者も薬も、俺が用意できる最高のものは用意した。
だから・・・もし誰が悪いのかと言われたらそれはきっと、王都が襲われた日に間に合わなかった俺以外いないのだ。
「こちらです」
たどり着いた部屋の扉の前で先生がそう言ってドアを開ける。
中にはベッドのような台が何個か置かれ、母の身体はその内の一台に寝かされていた。
焼け爛れていた皮膚に特に変化はなかったが、顔は生前は見られなかったほど穏やかなものになっていた。
「・・・」
俺は無言でそんな母の顔を見つめる。
すると側にいた先生が口を開いた。
「グリスさん。お母様から亡くなる寸前、あなたへの伝言を頼まれました。伝えてもよろしいですか?」
「ええ。母はなんと?」
「・・・・・・『あなたのせいじゃない。ありがとう、自由に生きて』、です」
「・・・」
先生は母の最後の言葉を伝え終わると、「失礼します」と言って部屋から退室し、俺と母を二人きりにしてくれた。
俺はもう一度、台に寝かされている母の顔を覗き込む。
――――守れた筈の人だった。
――――2年前、俺が1日でも早く帰って来ていれば。
後悔が胸の中にずっとあった。
だけど母はそんな俺にわざわざ赦しの言葉まで残していってくれた。
「母・・・さん・・・」
俺は冷たくなった母の手を握った。
そして、この日だけは亡骸にすがりついて涙を流した。
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