悪夢
宿の部屋に入った私は、閉めた扉に寄りかかり室内を見渡した。
ベッドに小さいテーブルがある普通の部屋で、特別おかしな所はない。
ただグリスの姿が見えず、狭い部屋に一人になった影響なのか、身体が震え、未だに残っている傷痕がズキリと痛みを訴えだした。
「大丈夫・・・大丈夫・・・」
私は自分の気持ちを落ち着かせるように何度もその言葉を呟き、扉から離れてベッドに腰を下ろした。
息を吐き出し震える自分の肩を抱きしめる。
「はぁ・・・」
この数日はずっとグリスが側にいてくれたから良かったが、一人になるとこれだ。
ここは、あの牢獄ではないのに。
いい加減このままでは駄目だ。
私には"邪神"を封じるという役目があるのだから、何時までも痛みに怖がっている暇はないのだ。
もう失敗は出来ない。
それが私に出来る唯一の――――償いなのだから。
◆◆◆
「んんっ・・・」
目を開けるとそこは薄暗い部屋の中で、壁の燭台に灯された蝋燭の灯りだけがぼんやりと室内を照らしていた。
いつの間にか眠ってしまっていたのだろうか?
(あれ・・・でも蝋燭なんて点けてましたっけ・・・?)
寝起きのぼんやりとした頭にそんな疑問が浮かび、起き上がろうと身体を動かす。
だが出来なかった。
動こうと手足に力を入れたらガチャリという金属音がするだけだった。
驚いて見ると両手足には鋼鉄の枷がつけられていて、さらに手枷から伸びた鎖によって身体を吊り上げられていた。
「えっ!?うっ!痛っ!」
拘束されている事に気づいた途端、吊り上げられている事で全体重が掛かっている手首や肩に痛みが走った。
「あぁ・・・!うぐっ・・・!」
さっきまで感じていた寝起きの倦怠感は消え去り、それによって鮮明に部屋の中が頭に入ってくる。
冷たく壁の至るところに黒ずんだ染みがこびりついた石造りの部屋。
ここは――――
「と、どうして・・・い、嫌・・・」
この場所を理解した私は、必死で否定しようとしたが、その時、扉が開かれる音がして部屋の中に一人の男が入ってきた。
私はその人物をよく知っている。
ギョロギョロとした生気のない瞳に、口元にはよく笑う事で出来た笑顔のしわ。
バグラオン聖国で教皇に次ぐ権力者、三司祭の一人にして『メンダマルム教団』の最高幹部でもある。
名前は、
「ドロル・・・」
「おお、やっと起きられましたなぁ、ルキア様。結構、結構」
私が名前を呼ぶとドロルは満足気に何度も頷き、それから言った。
「それにしても、やってくれましたなぁ。まさか誰よりも教義に忠実だった貴女が裏切るとは・・・」
「な、なにが裏切るですか・・・!裏切ってたのは貴方達の方でしょう・・・!」
私は肩や手首の痛みに耐えながらドロルの言葉に必死で言い返す。
「全部・・・嘘だったんですね・・・!『女神教』の教えも・・・!この国も・・・!」
「そうですよ。『女神教』を作ったのは、この地を確保し、生まれてくる『神秘』を宿した女児を邪神様復活の為に利用する目的に過ぎませんからな。さらに物心つく前にこうして『神秘』を封じる"首輪"を付けておけば、反旗を翻えされても捕らえ易いという訳です」
ドロルは話しながら吊り上げられた私に近づいてきた。
「ただ、やはり貴女の『神秘』は膨大でしたな。解き放つ事が出来たのは、眷属の『イビル・ドラゴン』の一体だけ。邪神様自身の復活はもう少し先送りになりそうです」
「・・・」
「儀式を邪魔された事でモルスの奴は怒り狂い、貴女の事を殺せと喚いておりましたな。ですが教皇様は、生かして苦しめる事にしたようですぞ」
ドロルが自身の手をパンと一回叩いた。
すると黒い修道服を着た男が台車を押して入ってきた。
彼が持ってきた台車の上には、鞭やナイフ、それぞれ太さの違う針、金槌といった道具が並べられており、中には私が知らない禍々しい道具まで並べられていた。
私の身体から冷や汗が吹き出す。
何をされるかはもう予想がついていた。
「"痛み"。それは邪神様からの恩恵であり、今日から私が貴女に与える全てです。死も恐怖も、全ては"痛み"の前のまやかしに過ぎない、それを今から貴女に教えて差し上げますぞ、ルキア様」
そう言ってドロルは台車の上の鞭を手に取り、無造作に振り上げた。
ビュッ!という風切り音がして私の身体を焼けつくような痛みが貫き、喉から悲鳴が漏れ出た。
◆◆◆
「はぁ・・・!はぁ・・・!」
飛び起きるとそこは、宿屋のベッドの上だった。
両手足は自由だし、部屋もあの牢獄のような石造りではない。
だが、果たしてどちらが夢なのか。
あの牢獄で与えられた"痛み"の記憶は鮮明で、今もはっきりと思い出せる。
ズキリとまた身体に残った傷痕が痛んだ。
その時、部屋の扉がノックされた。
「っ!」
驚いて身を固くするが、聞こえてきた声は、「あの人」のものだった。
「ルキア殿、起きてるか?」
「は、はい!ちょっと待って下さい!」
私は慌てて身支度を整えると部屋の扉を開ける。
扉の前ではグリスが待っていて、私が顔を出すと尋ねてきた。
「そろそろ夕食にしようと思うんだが、食欲はあるか?」
食欲なんて"痛み"に怯えていたさっきまでは、全くなかった。
だが、グリスに会った事で思い出したかのようにお腹が鳴る。
「あ・・・」
「・・・すまない。待たせてたようだな」
私のお腹の音を聞いたグリスが酷く畏まった顔をして謝罪してくる。
そんな彼に私は顔を真っ赤にして言った。
「ま、待ってませんから!これは、その・・・たまたまです!たまたま!」
「む・・・そうなのか?」
「そうです!ほら、そんな事より早く行きましょう!一階ですよね!」
私はグリスの手を掴むと彼を引っ張って階段へ向かう。
頭の中は恥ずかしさで一杯で、不思議な事にさっきまであんなに感じていた"痛み"は、今はどこにもなかった。
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