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「リズレット様、大変です!」
緩やかな午後、ようやく見つけた時間で、お茶を楽しんでいるところに飛び込んできたのは、私が婚約者である王太子の側にこっそりつけていた侍女の一人のベラだ。彼女は淡い茶色の髪を振り乱し、いつもはくるりと丸く可愛らしい緑の瞳を血走らせて私の部屋に飛び込んできた。
「あら、ベラ。いつもご苦労様。何かあったのかしら?また今日も隣国の使者を追い返したって話はもうお父様から聞いているわよ。」
「そんなことではありません、それよりも馬鹿な話です!ひと月後の卒業パーティーでお嬢様は婚約破棄されて、その後毒杯を賜ることになりそうです!」
ベラの言葉に対して出てきた私の返事はただの一言だけだった。
「はぁ…?」
私はリズレット・エルディ・クラース。クラース公爵家の長女で、上にお兄様、下に弟がいる三人兄弟の真ん中だ。クラース公爵家は陰の王家とも言われるほどの権力を持っており、その一人娘である私は王太子であるマーティー殿下の婚約者でもある。
マーティー殿下と私はまぁ、ほどほどの関係を保っており、学園を卒業後半年ほどで結婚する予定であった。
「どう言うこと、ベラ。あの凡愚はお嬢様にベタ惚れのはずよ。まさか、あの似非聖女さまとやらに誑かされてお嬢様に婚約破棄を突きつけるつもりかしら?」
私つきの侍女のアメリアが飛び込んできたベラを問いただす。アメリアは黒髪黒目のシュッとした美人でキビキビした動きと気の利いたところが好ましい私の侍女である。少し私贔屓が過ぎるきらいはあるが、信用に足る良い侍女である。
「アメリア、貴女少し言葉が過ぎるわよ?」
凡愚とは殿下のことだろう。それならば私にベタ惚れとは少し言い過ぎではないだろうか。
私と殿下は王妃教育に行く時や帰るときに少し挨拶をする程度で、学園でもあまり接触がない。お互い忙しい身であるし、特に今これと言って話さなければならない用事などない。
そんな暇があるなら、片付けなくてはならない問題がたくさんある。まだ私の仕事ではないが、殿下と結婚したら進めていかなければならない政策がある。その政策はとにかく先が長く、終わりが見えないほどだ。対策を進めるための下準備はしておくべきで、しすぎることはない。現在の陛下や妃殿下や数多の貴族など障害が山積みである。なので、私は忙しい。
殿下とも、どうせ半年後には嫌でも結婚生活を営まなくてはならないのだ。せめて今くらい放っておいて欲しいし、殿下も好きにすると良いと思っている。
しかし、マーティー殿下は少々軽率なところがおありの方なので、念のため近くに私の侍女を潜り込ませていたが、なんだかとんでもない話を持ってきた。
「いいえ、お嬢様!アメリアの言うことは尤もです。お嬢様はお美しく、賢く、気高く、お優しい、まさに淑女の鑑とも言うべき方です。そんなお嬢様を捨ててあの、似非聖女に走るならば、暗愚でも褒めすぎです!」
「そうですわよぅ。リズレット様。貴女様は咲き誇る白薔薇、この国の至宝といわれるほどのお方ですぅ。そんな方の婚約者にしてもらっておきながらぁ、どうしてそんな愚かなことを言い出したのでしょう?さて、どんなふうに処分すべきでしょうかねぇ……?」
ベラが血相を変えて反論してくる。そしてもう一人の侍女、ナターリエまで一緒に怒り出す。ナターリエは真っ赤な髪に新緑の瞳の色っぽい侍女である。それなのに少し舌ったらずな喋り方をするが、それは彼女の魅力を損なうどころか、かえって魅力を際立たせている。実はナターリエは公爵家の影の一族を束ねている長の娘で、暗器の使い手でもある。
しかし、侍女たちの私贔屓が凄まじくて恥ずかしい。プラチナブロンドと青い空色の瞳の私は、誰が呼び出したか、白薔薇の姫と渾名されている。実家が下手に力を持っているせいでおべんちゃらを言われているだけだろうと私は思っているが、私思いの侍女たちに言われると少し違った意味にとれて嬉しく感じる。
とりあえず侍女たちは置いておいて、問題は殿下である。なにをどう拗らせて、そんな馬鹿なことを言い出したのか。我がクラース家を怒らせても王家に利点などひとつもないはずである。むしろ、不利益しかないと言ってもいい。