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冬の童話祭参加作

星に願わぬ君の祈りは

作者: 秋本そら

挿絵(By みてみん)

 二〇二一年十二月十四日。

 ふたご座流星群の夜に、星影祭(ほしかげまつり)ははじまる。

 今宵、この街――夜見月市(よみつきし)に住まう人々はここ、流尾(ながれお)神社へと足を運び、普段は開いていない本殿の奥、そこで微笑みを浮かべたまま座す星神(ほしかみ)さまへと感謝と祈りをささげる。金の瞳に長く艶やかな白髪が特徴的な、人離れしたお姿。夜色に金銀の砂子をちりばめたような、質素ながらも華やかな袴を身につけた、この神社で祀られている女神に。

 そして、星神さまのことを世話し、自らの持つ呪力で神の助力をしながら街を見守る神主一家への感謝の気持ちとして、賽銭を残し、ここに来た人々は参拝を終えるのだった。


「こちらで甘酒をお配りしておりまーす」

 私は、そんな人々に向けて甘酒を配っていた。

 本殿からほど近いところに机を置いて、配る準備をして。参拝に来てくださった皆様への感謝の気持ちとして、これを供するのだ。遠い昔から続く、流尾神社のもてなしの伝統。

「すまないけれど、わたしの分と妻の分、ふたつもらってもいいかい?」

 杖をついて目の前に立つ男性が、おずおずと問いかけてくる。

「構いませんけれど……ふたつ持てますか? もしよろしければ、奥さまのところまでお持ちしますよ」

「いや、大丈夫だよ。この杖は保険みたいなものだからねえ。なくても歩けるさ」

「そうでしたか。分かりました」

 あたたかな甘酒を紙コップに注ぐ。白い湯気が浮かび上がって、紺色の空へと溶けて消えていった。

「どうぞ、熱いので気をつけてくださいね」

「ありがとうね、巫女ちゃん。そういえば、巫女ちゃんはいくつになったんだっけ?」

「今年で十一になりました。五年生です」

「大きくなったねえ。……おっと、後ろの人を待たせてはいけないね。妻も甘酒を楽しみにしている頃だろうし、わたしはこれで」

「毎年来てくださってありがとうございます。今年も楽しんでいってくださいね」

 杖を脇に抱えて去っていったご老人を送り出して、次の方の甘酒を用意する。お祭りにいらっしゃった方々と会話できるから、この仕事(お手伝い)が好きだ。

「ねえ、神事がはじまるのは何時でしたっけ?」

「本殿のお清めと昔語りが二十時で、舞が二十時半の予定ですよ。お清めと昔語りの方はもう少しではじまりますね。お祭りの終了後も、二十三時まででしたら流れ星をご覧いただけます」

「ありがとう! 巫女ちゃんの舞、楽しみにしてるよ」

「こちらこそ、ありがとうございます!」

 深く頭を下げてから、再び前を向いたとき。ふと、人影の合間から見えた夜色のワンピースと白い羽織。楽しげに誰かと話すその人は、白髪を揺らして笑っていた。

 ――はて、あのお方は誰と話しているのやら。

 くすり、と笑みをこぼして、目の前のひとへと目線を戻した。

 流尾神社の巫女――正確には巫女見習い――の仕事は、はじまったばかりなんだから。


「さあさあ、お話を聞きたい方はお集まりくださーい。そろそろ昔語りの時間がはじまりまーす」

 手水舎の近く、多少人が集まっても大丈夫なくらいの広さがある空間で、姉の美星(みほ)――美星ねえが声をあげる。そこまで大きいわけでもないのによく通る、その大人びた声は小さな子どもを中心としたひとたちを呼び寄せる。呪力を使っているわけでもないのに、なんでこう、美星ねえは人の心を摑むのがうまいんだろう。羨ましい。何人もの保護者が我が子を送り出す姿を目にしながら、私は相変わらず甘酒を参拝客の皆様に渡していた。

 といっても、その人数はだいぶ減ってきたけれど。

「みなさーんっ、そろそろ、おきよめがはじまりまーすっ」

 今度は、本殿の方から声が響いてきた。弟の流星(りゅうせい)――りゅうが一生懸命叫ぶ姿が目に入って、可愛らしいあまり笑みがこぼれた。一家の中で一番幼いながら最も呪力があるとあのお方に言われているりゅうは、その力を使って人々を本殿の方へと振り向かせる。力の使い方は誰も教えていないはずだから、きっと無自覚なんだろうなあ。……天才型ってやつだろうか。将来、この子はどうなるんだろう。

 期待を胸に抱きながら手を止める。もう、甘酒を求めてこちらへとやってくる人はいない。

「さて、それではお時間になりましたので、昔語りをはじめようと思います」

 凛とした声で美星ねえが言うのと、本殿の中にいる星神さまが立ち上がったのが、同時だった。

 星影祭の、はじまりだ。

「この土地が、まだ夜見月と呼ばれる前のこと。これは、遠い遠い、遥か昔に、本当にあったお話です」

 星神さまと、神主であるお父さん、そして神主手伝いのりゅうが向かい合って礼をする。

「とても寒く、星の流れる、ある夜のこと。人々は、どこかにいらっしゃるであろう神様に向かって祈りをささげていました」

 星神さまが一度姿を消し――文字通り、その場から消えるのである――、お父さんとりゅうが本殿の中に一歩足を踏み入れる。お父さんが大幣(おおぬさ)を、りゅうが(さかき)を持っているのが見えた。

 二人は、ほんの少しだけ向き合って、目と目を合わせた。

「人々は、苦しみの中にいました。その年は食べるものが足りず、天気は荒れて、人々は多くが病に倒れていたのです。このままではこの土地に住む人が皆死んでしまう、と、何ヶ月も神様のことを信じて、助けを願い、祈り続けていたのです」

「――ねえ、星乃(ほしの)ちゃんも少しだけ休んだらどう? 甘酒でも飲んで、あったまるといいわよ」

 背後から突然かけられた言葉に、反射的に振り返る。

「――もう、驚かせないでください。それに今は神事の途中ですよ、星神さま」

 私の真後ろにいるお方。夜色のワンピースと白い羽織を身にまとい、短い白髪を揺らして笑う、この方こそが、この神社でお祀りしている星神さまだ。

「大丈夫よ、出番までには戻るわ。それに、もしも間に合わないってなったら分身を動かすから」

「神事のときに分身を使うのは避けてください、ってお願いしたと思うんですけど」

「あんなにたくさんの人に見られたってばれないんだから平気よ。それに、分身と私は感覚を共有しているから、みんなの願いも祈りもすべて私自身が受け止めているって話は前にしたでしょう?」

「聞きましたけども……」

 この『神様』は自分の分身体のようなものを作ることができる。さっき、本殿の中でお参りする人々に笑みを投げかけていたのは、分身体の方。『神様』本人は「ずっと座っているなんてつまらないし疲れるじゃない?」と言って、神社を訪れた人々の中に紛れ込んでは随所で盛り上がる会話を聞いて楽しんでいる。

「――あ、そろそろ私の出番になりそうだからもう行くわね。あと、これから猫舌の子が甘酒を取りに来るから、先に用意して、少しさましておいてくれない?」

「わ、分かりました!」

「ありがと、それじゃあよろしくね」

 その言葉と同時にそのひとの髪が一気に伸び、服装も夜色に金銀の砂子をちりばめた袴に変わる。そして、ひとつウインクをしてから、一瞬のうちに本殿の目の前へと移動した。

 さっきまでの茶目っ気はどこへやら。真剣に、でも慈愛に満ち溢れた笑みを浮かべるそのひとに――いや、人じゃないんだけど――ついつい舌を巻いてしまう。

 昔語りは終わったらしく、美星ねえの声はしない。みんなが、本殿の方をじっと見ている。甘酒を紙コップに注ぎながら、私もそちらの方を眺めていた。


「あの、甘酒を配っているのってここかしら?」

 鈴の音とともに鼓膜を揺らした声。

 振り返った先にいたのは、いたって普通の少女だった。

 そのはずなのに、目の前に立っているそのひとを一目見たとき、まず感じたのは、畏怖。

 見た目は、金色の目と少しだけ鋭い歯を除けば、どこにでもいるような女の子。尾提髪に結び付けられている赤い糸と鈴が、着物によく似合う。けれど、年齢が分からない。私と同じくらいのようでもあるけれど、ずっと年上のようにも見える。

 そして、このひとは……持っている力が、強いのだ。一家の中で最も呪力の高い弟と、比べ物にならないくらいに強い。それが、巫女見習いの感覚で分かってしまう。肌が、感じ取る。

 多分、人間じゃない。

 一度、深呼吸。強くひとつだけ、呪力を込めて瞬きをした。

 人間には見えないものを、意図的に見えるようにするために。

「あら、どうしたの?」

 こてん、と首を傾げた少女の頭に、さっきまでは見えなかった猫の耳が見える。黒い尾と、巨大な猫の形をした影も。

 ――ああ、そういうことか。

「いえ、なんでもないんです。まさか、化け猫さんがいらっしゃるとは、思っていなくて」

「あたしの正体が分かるの? さすが巫女さんね。あ、甘酒をいただいてもいいかしら?」

 面白そうな、興味深そうな。そんな表情を浮かべたその妖にさましておいた甘酒を渡すと、彼女は熱がりながらそれを飲んだ。

「ありがとう! おいしいわね、これ」

「そうですか? そう言っていただけて嬉しいです」

 そのまま意気投合して聞いた話だが、彼女の名前はミヤといい、長く妖として生きて年季を得たことにより、妖力がかなり高まっているそうだ。その妖力を活かして、今は悪さをする妖を諫めたり、場合によっては粛清したりしているという。今日はもう何十年ぶりか分からないほどに星影祭に訪れ、星神さまとさっき再会したのだとか。

「前に来たときは『神様』と少しお話をしただけだったから、今日は少しだけのんびりしていこうと思ってね。さっきまでは昔語りを聞いていたのよ。けれど『神様』が、あの話の裏には秘密があるから、甘酒を配っている子に訊いてごらんなさい、って言っていてねえ。……もしよければ、お聞かせ願えないかしら?」

 そう。

 昔語りは、嘘ではない。

 けれど、神主一家で語り継がれる、昔語りの背後にある伝承がある。

「姉のようにはうまく語れませんが……それでもよろしければ」

 空を見上げ、流れ星が降るのを眺めながら、言葉を紡いでいった。


 ***


 まだこの街が、名もない集落だったころ。いつかも分からないほど遠い昔、飢えと病、そして天災に見舞われて苦しい思いをした人々は、神に祈りをささげました。その思いは通じ、この街の守護神たる星神さまが、寒く星の降る夜に地上に舞い降りてきて、人々の願いを叶えたのです。

 そのとき、当時人々の中で最も強い呪力を持った者が、神様に仕えるようになりました。その者は『神田』姓を神様にいただき、神様のくつろげる場所を作るべく、神社の建立を主導しました。――この人が私たちのご先祖様というわけですね。

 それからというもの、流れ星に願いを込めればそれが叶うといわれるようになったのです。流れ星の降る夜、人々の祈りに応えて星神さまがこの地に舞い降りたのと、同じように。

 ――ここまでは、先ほど昔語りで聞いたことと思います。


 まず、大前提かつ、根底をひっくり返すような話をいたしますが……星神さまは、本物の神ではありません。

 本物の神――この世界の創造神は、最初はたしかに存在しました。けれど、一柱だった神は善と悪に引き裂かれ、二柱になり、争って、どちらも身を滅ぼしました。つまり、この世界には、神はいないんです。

 では、星神さまを含め、この世界にいる神はいったい何者なのか――。

 その答えは『異世界の住人』です。

 ……そのことはご存じでしたか。

 そうです。ミヤさんのおっしゃる通り、世界は複数あります。私たち人間が生きる世界――現世と、妖や幽霊といった『不思議』の集まる世界――間の国。そして、ひとや妖たちよりもはるかに『力』の強いものたちが住まう世界――越国。少なくとも、この三つの世界が存在していることが分かっています。

 この世界に存在する神は皆、越国の住人でした。

 星神さまも、その例に漏れることはありません。

 本物の神が存在していることを知っていて、かつ本物の神が亡くなったことを知らなかった人々の祈りは、とても強固なものでした。強く長い祈りはやがて、世界の境界を破り、時空の壁を越えて、星神さまのもとへと届いたのです。

 人々の祈りを受け止め、声にならない声を聞いた星神さまは、それに心を打たれて、この世界のこの街に舞い降りた……それがたまたま、ふたご座流星群の時期だったのです。

 この街がたまたま『狭間の街』――現世と間の国が最も近くなる場所であったということも、星神さまを呼び寄せることのできた要因の一つかもしれません。この街では、間の国の影響で不思議な力が働くことがありますから。


 ***


「つまり、昔語りの裏にある伝承というのは、星神さまが本物の神ではないこと、この世界にいる神は皆、越国の住人であった者だということ……その二点、ですね。間の国のことはよく語られますが、越国のことはなかなか語られることはありません。神様についてちゃんと知られているのは、この流尾神社と、かの有名な出雲くらいではないでしょうか。出雲はこの場所と似ていて、現世と越国が最も近くなる場所ですからね。――と、このようなお話なのですが……いかがでしたか?」

 流れ星から目線を引きはがして目の前の少女を見ると、彼女は納得したような表情をしていたものの、すぐに首を傾げた。

「ひとつだけ、質問してもいいかしら?」

「私に答えられる範囲内のものであれば、いくらでも」

「流れ星に願いを込めれば叶うと言われるようになったのも、星神さまが星降る夜にこの街に降り立ったからよね? けれど、それが偶然だったというのなら、本当は流れ星に願い事をしても、それは叶わないんじゃないかしら?」

 ……ああ、そこに気づくなんて。なんてこのひとは――化け猫さんは、鋭い目を持っていることだろう。

「ミヤさんのおっしゃる通りです。本来、流れ星に願いを込めたところで、願いは叶いません。流れ星そのものには、ひとの望みを叶える力はありませんから。……けれど、この街では違います。流れ星に込めた願いを、星神さまが受け止めているからです。星神さまは、星への願いを自分が受け止められるように、この街全体に(まじな)いをかけています。もちろん、願いの量は膨大なものですから、全てを受け止め切れるとは限りません。けれど、できるだけ願いが叶うように、人々のたどる道を少しずつ変えて、望む未来へと進むお手伝いをしていると――そう、星神さまはおっしゃっていましたよ」

 一通りの説明を終えると、ミヤさんはようやく満足げに頷いた。

「そういうことだったのね。ありがとう、巫女さん。……にしても、本当に『神様』はすごいわよねぇ。街全体にたくさんの(まじな)いをかけて、自分の分身体を作って、人々の願いを全て受け止めて、あなたたち神社の一家に守護を与えて、それでもなお『力』が有り余っているのだもの。年季を経た妖のあたしにだって、そんなことできないわよ」

「ええ。本当に星神さまは凄い方です。……自由奔放な性格には、困ることもありますけれど」

 思わず苦笑をこぼしたそのとき、あたりから一斉に拍手の音が響き渡った。お清めの神事が終わったのだ。本殿で、星神さまとお父さん、弟のりゅうが三人揃って堂々と佇んでいる。

「……というか、よく分かりましたね。この街に幾重にもかけられた(まじな)いが」

「そりゃあ、あたしだって長いこと妖をやっているんだもの。私自身がかけることはできなくても、どんなものがこの街にあるのかくらい、なんとなく分かっちゃうわよ」

 つん、とそっぽを向いた黒猫みたいに、彼女はすました顔で言う。

「もうずっと昔から、知っていたのよ。あたしたちは――この街は、たくさんの祈りで守られている。そのうちの大半は、『神様』によるものだって。もちろん、そうでないものもあるのよ。でも、この街のみんながこんなに笑顔で、『神様』を一途に信じる人が多いのは、やっぱり『神様』の『力』があるからだと思うわ」

「――おねえちゃん!」

 背後から聞こえたのは、聞き慣れた幼い弟の声。数秒後、どん、と衝撃が伝わり、りゅうが私の足にしがみついて笑っているのが見えた。

「ねえねえ、ぼくのおきよめ、みてた? みてたよね?」

「見てたよ。とっても立派だった」

 本当は序盤しか見ることができていないのだけど、それを満面の笑みで褒めてほしそうにしているりゅうに言うことはできない。

「こんどはおねえちゃんたちのばんだね。ぼく、おねえちゃんのふえも、おねえちゃんのおどりも、どっちもたのしみなんだー!」

「ありがとう、りゅう。頑張るね」

 りゅうは私のことも美星ねえのことも「おねえちゃん」と呼ぶものだから、ときどきどっちのことを呼んでいるのか分からなくなる。ちなみに、この後の舞で踊るのは私、笛を吹くのは美星ねえだ。

 ――本来は、年長者の巫女見習いである美星ねえが踊り、私が笛を吹くはずなのだけど。

「では、ミヤさん。私は準備があるので、これで」

「分かったわ。楽しいお話をありがとう」

 鋭い歯を見せて、彼女は笑う。

 ミヤさんに見送られて、私とりゅうは社務所へと戻っていった。


 袴を着ている上から装飾のある羽織をかぶり、星の髪留めをつけて弓を背負ったら、準備万端。

「おねえちゃん、綺麗!」

「ありがとう。じゃあ、戻ろうか」

「うん!」

 社務所を出て神社までたどり着くには、一分もかからない。それほどまでに、神社と社務所は近くにある。それでも私は小走りで、本殿の前、お清めの後にお父さんが舞のスペースを確保した場所へと急ぐ。八時半まで、あと五分ほどだ。

「遅くなってごめんなさい。もうすぐ舞がはじまる時間なのに」

「大丈夫だよ、ほしちゃん。気にしないで」

 先にその場所で待っていた美星ねえが、耳元にある星のイヤリングを揺らして笑った。長めの前髪は、今日も少し目にかぶっている。

「あら、素敵ね。去年も星乃ちゃんのその姿を見たけれど、今年もよく似合ってるわ」

 星神さまがそう言って楽しそうに笑う横で、美星ねえは少しだけ、悔しそうに上を向いた。風が吹いて、美星ねえの短い髪を、長い前髪を、さらりと揺らす。

 美星ねえの目は、二年前から閉ざされたままだ。

「あーあ、ほしちゃんの姿が見えたらよかったのになあ。見てみたかった」

 二年前、お母さんと美星ねえが一緒に車に乗って、事故に遭って。美星ねえは怪我を負い失明。お母さんは……死んでしまった。

「えー、では、大変長らくお待たせいたしました。『巫女の舞』のはじまりです」

 お父さんの声に、はっと我に返る。無意識のうちに背筋が伸び、ピンと糸が張り詰めるような、そんな緊張感に包まれる。

 しんと静まり返った神社内。美星ねえが懐から横笛を取り出し、整った所作で唇に当てた。

 私は本殿の前に立ち、背負っていた弓を、虚空に向かって構える。


 静寂を切り裂くように、透き通った音が辺りに響き渡った。


 矢のない弓を、私は祝詞(のりと)を口ずさみながら引く。右手を離せば、目に見えない呪力で形作られた矢が生まれ、空高く舞い上がって金の光となり――この光も、私たち神社の家系の者か星神さまでないと見ることができない――そして、はじけて散る。

 祝福の祝詞。人々の幸せを願う(まじな)いの言葉で、舞ははじまるのだ。

 この神事。踊りそのものには、なんの意味もない。重要なのは、私の呪力と、星神さまにいただいた加護。そして、祝詞だ。舞は、それらを隠すための方便。

 緩やかに手が描く文様も、足さばきが生む足跡も、それらしく見せているだけでなんの効果もない。こっそりと口が紡ぐ言葉が、自身の力と神様の加護が、この場にいる人々へのおまじないになる。

 途中からは星神さまも加わって、一緒に舞っては祝詞を重ねていった。

 弓を交互に使い、神様は街全体の守護を、私はその手助けをする。年に一度、この神事があるから、この夜見月市は遠い昔からずっと、神に守られた街であり続けた。

 ――でも、それでも、足りない。

 知っている。星神さまですら、完璧な存在ではない。

 この街でも、どこかで誰かが傷つき涙を流し、苦しむものがいる。誰かを傷つけて笑う存在がいる。幸せだけがある場所ではない。

 もしこの街が悲しみも苦しみもない場所ならば、二年前、お母さんは死ななかった。美星ねえも失明することなく、ここで踊っているのは私ではなかったはずだ。

 でも、だからこそ。

 私たちはこうして、神事を続けている。

 一人だけの力ではなく、みんなで一緒に、(まじな)いを重ね合わせ、少しでも加護からこぼれる人が減るように。たくさんの手で、誰かを守ることができるように。

 そのために、私は祝詞を口ずさむ。星神さまも、きっとそうだろう。

 笛の音が転調して、もうすぐ神事が終わることを告げてくる。胸の奥に、ぴりりと今までとは違う緊張が走った。

 舞の締めは、星神さまの力を私が背負い、二人分の力で祝福の矢を放つこと。

「いくわよ、星乃ちゃん」

「――はい」

 星神さまが、私の肩に手を添える。重くて強大な『力』がのしかかり、入り込んでくるのが分かる。それと自分の呪力とを足し合わせ、祝詞に、弓に、力を込めた。

「――!」

 笛の音が消えると同時に、矢が弓から離れて空へと舞い上がる。

 そして、他の人には見ることのできない、金の光のかけらが散り広がった。

 街に流れ星が降るかのように。


「素敵な舞だったわ。……にしても、巫女さんは大丈夫なの? あんなにたくさん呪力を使っちゃって」

 神事を終え、社務所で羽織を脱いでから戻った神社で、化け猫のミヤさんはそう言って不安げに私を見つめてきた。

「……さすがとしか言いようがないですね。あの神事の本質を見抜かれるなんて」

「あたしの質問に答えてないじゃない」

 ぷくり、と頰を膨らませて不満げな表情に、くすり、とついこぼれた笑み。「なんで笑うのよ、もう」と眉間にしわを寄せた彼女に、さらに笑いを誘われてしまった。

「大丈夫ですよ。しっかり休めば、また呪力も戻ってきますから」

「そう。ならいいんだけど……巫女さん、あなたは多分、自分が思っている以上の力をあの神事で使っていると思うのよね」

 人には見えない尻尾を揺らして、ミヤさんは空を流れる星を見上げる。

「あなたの舞からは、後悔の気配がしたの。誰かを助けられなかった、みたいな……悲しい過去が根底にあるのね、きっと。自分がした思いを他の人に感じさせたくない。そんな、切実な後悔と、祈りを感じたのよ」

「……そう、かもしれませんね」

 図星だった。

 声が震えた気がするけれど、うまく隠せていただろうか。

「ねえ、巫女さん。あなたって何歳(いくつ)?」

「十一です」

「そう。……ねえ、そんなにあなた一人で背負い込まなくていいのよ。この街の人たちみんななんて、十一歳の女の子一人では守り切れるわけがない。それは分かっていると思うの。だから、あなたはあなたにできる範囲のことをすればいい。まだ知らないかもしれないけれど、この街にはあなたたち神田家や『神様』以外にも、たくさんの守りの手があるのだから」

 いつの間にか、彼女は私の方をじっと見つめていた。

 そっと私の頰に添えられた、ミヤさんの手。あたたかくて、どこか安心するようなぬくもりのある、柔らかな手。

「自慢じゃないけどね、あたしだってその手のうちの一つよ。あなたたちとは手段が違うけれどね。さっき言ったでしょう? あたしは人を傷つける妖を懲らしめる者だって。ほかにも、あたしの友達の妖狐は、寂しい思いをしている妖に手を差し伸べ続けている。一人でも笑顔の妖が増えますように、って。あとはね……」

 ここで彼女は、にやりと猫のように笑みを浮かべて。

「あとは内緒よ」

「ええっ」

「この先、まだまだ人生は続くんでしょう? なら、その目で確かめてみればいいわ。身近なところにきっと隠れているものだから」

 すっと頰に添えていた手を離し、「それじゃ」と彼女は歌うように言う。

「あたしは最後に『神様』と少し話してから帰るから。流れ星を見ていったら、なんて言わないで頂戴ね。あたし猫だから、星を見るには向かない目なのよ」

 どこまで本当でどこからが冗談なのか分からない言葉を残して、ミヤさんは目の前から去っていった。


 空を見上げる。

 星が遊ぶように流れていく。

 街の人々はあの星に願いを託すけれど、私は星に願わない。

 流れ星が願いを叶えないことを、昔からずっと知っていたから。

 私はただ、祈るだけ。

 祈りを祝詞に、呪力に込めて。


 ――少しでも多くの人が、笑顔でありますように、と。

「星に願わぬ君の祈りは」を読んでくださった皆様、ありがとうございます。

 いかがでしたでしょうか?

 あらすじにも書いたとおり、この作品は冬の童話祭2022「流れ星」参加作品です。

 私は昔から神社というものと縁遠く、訪れたことがほとんどない場所でもあるので、実際の神事やお祭りとは異なる点が多々あると思います。あえて実際から少し離したいという意図もあり、あまり調べることなく書いてしまいました。あくまでも架空の街の架空の神社で起こった話だと思っていただけますと幸いです。

 この作品のタイトルに書かれている「君」というのは、「作者から見た君」=主人公の星乃ちゃんのことです。分かりにくいことをしてすみませんでした。

 評価、感想等頂けますと励みになります。

 最後になりましたが、この作品を手に取り読んでくださり、本当にありがとうございました!

 

 秋本そら


 追伸

 この作品は、冬の童話祭2020参加作品「鈴音響けば」や冬の童話祭2021参加作品「ちいさなチイちゃん」と関連のあるお話です。読まずとも楽しんでいただけるかと思いますが、気になる方はぜひのぞいてみてください。化け猫のミヤや、ミヤの友達の妖狐が登場する物語です。

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― 新着の感想 ―
[一言] 星神さまや化け猫さんなど非日常の存在が普通にあることが魅力的なお話でした。 興味深く読ませていただきました!
2022/01/20 19:23 退会済み
管理
[良い点] 面白かったです。星神さまの設定が良くできてると思いました。 こういう雰囲気の神社もいいですね。 うちの近所の神社は、町のあちこちに『巫女さんが初詣を呼びかけるポスター』が貼ってます。 でも…
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