―大空の下で―
ロゼッタ二部作のうちの完結部分、文学フリマ収録作品です
私はまだまだ広い世界に出たい。
知らないことがたくさんあるし、更に多くの事を学んで、成長して行きたい。
それにいつかこの目でまだ見ていない美しい街並みや景色を知って確かめたい。
だからこれはその一歩。
自分の足で広大なこの場に踏み出す歩みだしだ。
と、気持ちは十分にあったものの。
世の中はそんなに甘くなくて、その証拠にこんな大変な事になっていた。
私の目の前の人はとてつもなく怒っている。
「新入り! あんた手が空いたらボーッとしてないで周りに何するか聞くのが普通じゃないの?」
この人は今私が居る整備工場の給仕係だ。
同時に一緒に働く私の先輩で、名前はリリーさんという。
年齢は私と同年代くらいで十代半ば。
工場に私を雇い招きいれてくれたオーナーさんによると私より三歳程の歳上だそう。
短い金髪に碧眼、切れ目で美人だけど感じは悪い。
私にきつく当たってくる。
理由はわからないけどリリーさんは冷たい目で私を睨む。
「あんた……まさか楽して給金を貰おうなんて考えちゃいないね?」
ついでに言いがかりをつけてくる。
私は正直どうしていいかわからなくて周りを見ていたのだけど、それがリリーさんにはどうやら手抜きをしているように見えたらしい。
私は返事に困ってどうしょうもなくなり、平謝りした。
「ご……ごめんなさい、ちゃんと次からは聞きます」
リリーさんは私の一言で一気に怒りを顕にした。
「やっぱりそうか! まったく! ふざけるんじゃないよ」
私はリリーさんの怒りの強さに萎縮する。
人の本気の怒鳴り声は身が竦む程に怖い。
私はあまりの相手の攻撃的な声色に驚いてたじろぐ。
リリーさんは私の怯えるのをよそに続けて怒り続ける。
「大体あんたねぇ……聞いた話ではただ家出して住むためにここに働きに来たそうじゃないか? こっちゃあ田舎から出稼ぎに来てるのにねぇ!」
敵意むき出しの言葉で私はすごく不安で一杯になる。
私は急に目眩と頭痛がして体が心労に反応しているのに気がつく。
生まれついて体が弱い私は、強い不安に晒されると良くない症状に見舞われる。
このことは工場のオーナーさん、それから私をこの場に紹介したファルさんという男の人に説明してある。
オーナーさんからは給仕の人達に知らせているはずらしいけど、この様子だとまだどういうことだか理解してもらえてないみたいだ。
今すぐこの場を逃げ出したいけどここで逃げたら仕事を任せてもらえなくなってしまうかもしれない。
私は葛藤の中で必死堪えていた。
と、そうしていると騒ぎを聞きつけたのか誰かがやってきた。
調理室の戸を開けて入ってきたのはゲルマさんというここの給仕担当の責任者だった。
赤色のくせっ毛に高く伸びた背丈。
女の人にしては屈強そうな体つきをしている方だ。
「あら、一体何の騒ぎ?」
ゲルマさんの声で私とリリーさんが扉の開いた方向を向く。
ゲルマさんが驚いたような顔で立っていた。
やってきたゲルマさんに向けて真っ先にリリーさんが言う。
「ゲルマさん! お疲れ様です……聞いて下さい! この新入、ボサッと突っ立ってサボろうとしていたんです……最低ですよね?」
ゲルマさんは腕を組み、彼女の言葉を聞く。
それから私を見てため息を付いた。
声のトーンを低くして言う。
「やれやれ、ロゼッタ? 次も同じことしたら流石に上に報告させてもらうよ、わかったわね?」
私はすぐに頭を下げて謝る。
「ごっ、ごめんなさいっ」
「謝るくらいならちゃんと働きな!」
リリーさんが謝っている私の横からまた強く非難してきた。
彼女の罵声を浴び続けた私は目の前の異変に気がついた。
「あ……え」
二人の顔が歪んで見えて、足元の感覚がふわふわしてきた。
視界が歪んで回る。
「え……きゃっ!」
気づいたら尻餅をついたようでお尻に痛みが走り、転げて床に軽く頭をこする。
幸い頭を大きな衝撃をぶつける寸前でゲルマさんが腕を掴んでくれたたらしい。
最悪の状態は免れて頭にコブができるようなことはなかった。
その代わり背中からお尻までがじんじん痛い。
私は痛みをこらえて顔を歪ませる。
リリーさんが冷たい目で見て、ゲルマさんが呆れた顔をしていた。
ゲルマさんが言う。
「あぁ、やれ世話の焼ける娘だわね、ほらっ」
ゲルマさん私を支えて立ち上げさせる。
私はふらつきながら謝った。
「ごめんなさい……ちょっと慣れない事ばかりで疲れているみたいです」
リリーさんが私の言葉に食いついた。
「ロクに自分の体調管理もできない位ならとっととやめちまいな!」
「よしなさい、リリー。あなたも新人相手に当たりすぎよ」
ゲルマさんが振り向いて制止する。
言い終えて今度は私に向き直って冷ややかに言った。
「でもまあ、ロゼッタ……あなたも大概だわ、もう少しちゃんとしなさい」
私は悔しくて少し唇を噛む。
病気が阻んで来なければこんな思いはしないのに。
ゲルマさんが額に手を当てて言う。
「それと、ちょっと医者に行きなさい。その様子だと疲れてるみたいだし、ぶつけたところも怪我があるといけないからすぐ見てもらいなさい」
「はい……」
私は小さくうなずいて俯いた。
―――と、このように。外の世界は夢に見るよりはそんなに甘くないのだった。
私は何でここまで来たのかなと、気持ちが揺らいだ様に感じた。
◇◇◇
その日の夕方、私はファルさんの付き添いでお医者様のところに行った。
診てもらったところ別段大きな怪我はなく、軽い打撲だけだと言われて少し処置してから帰された。
帰り道。
すっかり日は傾きかけ、工場に戻る最中には私もまた夕日の様に気持ちが落ちていた。
ファルさんは私の様子を察してなのか気遣ってくれる。
「大丈夫かい、ロゼッタ?」
私は俯いて小さく頷く。
「はい」
ファルさんは少し間が空いてから私に聞く。
「本当かな? 何かあったんじゃないのかな?」
私はファルさんを見る。
泣きそうな気分だけどファルさんにまで情けない様子は晒したくないと思う。
だけど、徐々に先程のことが思い出されて悔しさが沸く。
ファルさんは私の胸の内を知ったらどんな顔で見るのだろう。
呆れられてしまうのかなとか思ってしまう。
不安なまま彼に目を向けるとファルさんは優しく笑った。
「ロゼッタ? 強がることはないんだよ、何かあるなら隠さないで正直に言って欲しい、僕は君の応援者なんだから」
ファルさんの発した言葉は予想とは違っていて思わず私はじんと来る。
同時に、その時私は自分の身に起きたことについてすぐに気づいた。
「あ……ら」
目の下から温かい水滴が顔を伝うような感覚がある。
「あ……そう、ですよね? えっと、こんなんじゃ……嘘付いてるってわかりますよね」
私はどうも泣いてたらしい。
「え? ああ…うん、まあね」
見え透いた嘘を突き通して、見栄を張ろうとした自分が恥ずかしい。
私の様子を見てファルさんは自分の懐のポケットからハンカチを私に渡してきた。
「これ使って? 新しい生活は慣れないだろうから色々大変だよね? 良かったら相談にのるよ」
私はハンカチを受け取り、涙を拭くのに借りた。
「ありがとうございます……ファルさん」
私は彼の優しさに感謝しながらしばらく泣いた。
◇◇◇
その後、どれだけ泣いたのか私はファルさんと一緒に歩いた。
歩くうちにいつの間にか工場の宿舎から近くまで来ていたようだ。
散々泣きはらして気持ちが和らいだ私はファルさんにお礼を言う。
「ファルさん、ありがとうございます……ちょっと気持ちが落ち着きました」
彼は安心したような顔で聞く。
「ああ、大丈夫だね? よかった」
「はい」
私は頷き、答えた。
「やっぱり何かあったんだね? 話してごらん」
私はファルさんに聞かれて今日の出来事語り始めた。
「今日……実は先輩でリリーさんという人に怒鳴られたんです」
「ああロゼッタより少し年上のあの人かい」
ファルさんの言葉に私は無言で頷く。
私は続けて言う。
「そしたら目眩がして倒れそうになって」
ファルさんは相槌を打ちながら聞く。
「私、お仕事なんて初めてだから自分の任されたことしかわからなくて……どうしていいかわからないでいたら……リリーさんに手を抜いてるんじゃないかと怒鳴られたんです」
私の話に彼は丁寧に聞き取っている。
「私……要領悪くて……上手くやって行ける自信がないんです」
「うん……」
これまでに貯めていた気持ちをファルさんに向けて吐き出す。
こんなに悔しい思いは今までそんなに多く感じたことがない。
尚の事気持ちに動かされて私は言葉を出す。
「とにかく……不安で……どうにかしたいんですけど、どうしたらいいかわからないんです」
私は言い終える。
ファルさんは顎の先をつまむようにして何か考えこむようにしてから口を開いた。
「ん、そっか……それは大変だったね」
私は少し俯いて小さな声で、はいと答えた。
ファルさんは少し困ったような声色で、次に私へ向けてこう言う。
「一つだけいいかな? ロゼッタはこれからどうなりたいのかな?」
「私は……」
私は色々考えて、言葉に詰まる。
夢にまで見た世界。世の中。ようやく見えた自立の道。
それが今引いてしまったら全部水の泡だ。
私が家に戻ればママは私を手放すことは絶対無いはず。
外の刺激の届かない安全な場所に置こうとする。
でも反対に今の困難に向かって相手に怒鳴られないようになるのは難しい。
立ち向かう方法は私の考えられる限りでは無い。
――それでも私はできるならどうにか乗り越えたいと思った。
「私は乗り越えたいです……乗り越えて成長したいです」
私は真剣にファルさんに答えた。
彼はどことなく嬉しそうに微笑む。
「うん、じゃあ僕の考えだけど一つアドバイス……と、その前に、ロゼッタはリリーさんについてはよく知らないよね?」
私はファルさんの質問に答える。
「ぇ……はい……あまり」
私はリリーさんについて思い返す。
強いて言うと気が強くて田舎から出てきている人で意地悪な印象、くらいだ。
聞かれれば驚くほどなんにも答えられない。
でも、このことが一体どんなアドバイスになるのか私の頭では考えつかない。
「じゃあ、こうしようか? 今度からリリーさんのことを知る努力をしよう……それでいい所をできるだけ見つける、いいね?」
私はファルさんが言うことがよくわからなかった。
思わず疑問を問いかける。
「え……何でですか?」
ファルさんは私の疑問に答えた。
「ん? 何でか? そうだね、相手の事を知っていけば相手がなぜそう考えたか納得するしすれ違いも起きにくくなると思うからさ」
私は彼のアドバイスに最初は少し戸惑った。
「勿論どうしても駄目な時もあるかもしれないけど……あとは努力次第かな?」
でも、ファルさんの屈託のない表情に私は自然とそういった考えもあるのかもしれないと思えるようだった。
難しそうだけど参考としておこうと思い、私はファルさんにお礼を言う。
「ファルさん、ありがとうございます……アドバイス参考にしてがんばります」
沈んだ気持ちが少し浮かび上がってくる。
「うん、頑張って」
ファルさんは私を激励してくれた。
私達は工場に戻り、夕飯をとってから寝るまでそれぞれに過ごして一日を終えた。
◇◇◇
翌日のこと、今日は休暇を頂いていて昼にファルさんの作業場にお邪魔させてもらった。
ふとした疑問でファルさんが何でこんなに私を応援してくれるのか気になった。
なので彼のもとに向かう。
彼は作業場の中の椅子に腰掛け一人で休憩していた。
声をかけて少しの間、他愛のない話をする。
それとなく話の間で真相を尋ねてみると、彼は額をかいて少し困った様にしてこう答えてくれた。
「え? ああ、それはロゼッタの夢は共感できるし、応援もしたくなるよ……まるで自分の夢に重なるみたいだからさ」
私は思いがけない言葉に驚き、疑問がふと浮かぶ。
「ファルさんの夢って……どんな夢ですか」
私は思い切って浮かんだ言葉を口にしてみる。
ファルさんは丸椅子に座ってコーヒーを飲みながら答えた。
「僕の夢かい? 僕の夢はいずれ自分の工場を持って、それから成長し続けることさ」
ファルさんは活き活きと楽しそうに語る。
私は真面目な彼らしいな、と、温かい気持ちになる。
「成長してどんなことがしたいんですか?」
私はもっと彼の夢について知りたくなって更に尋ねた。
ファルさんは笑顔で理由を話す。
「それはね、もっと色んな街に仲間を作って新しい技術を行き来させるんだ、そうすると色んな人が豊かな暮らしを送れるようになる」
天井を見上げて想像に耽るようにしたファルさん。
夢について話す彼はいつもの淡々とたて穏やかな感じではなく、熱の入った話し方だった。
「わぁ……とても立派な夢なんですね」
頷くファルさん。
今度は私の顔に目を移す。
「だからこそ、人とのつながりは大事にするんだ、夢を叶えるにしてもそうだけど人は自分一人じゃ出来ないことだらけなんだから」
私は今の言葉が彼の言う夢、すべての行動の最初の元になる考えなんだと、胸をうたれた。
私の夢とは重なる部分があっても、彼のほうが遥かに立派な望みだと思う。
私は、はっとした。
そうだ、私は私なりにもっと前に進まないといけない。
あの狭い世界にいた頃の私と同じになってしまう。
次こそはなんとか任されたことこなさないと。
その方法を考えないと。
「ん……どうしたんだい?」
真剣に考え事をしていたらファルさんに声をかけられていたのに一瞬、気が付かなかった。
「あ、いえっ」
ファルさんは少し私の様子を伺っていた。
私は彼からつい目をそらして。
「え……あぁ、ファルさんの夢を聞いたら私も頑張らなきゃと……思ったんです」
しみじみと感じた思いを言葉にして伝える。
「そうか……じゃあ、一緒に頑張ろう? 一人で考え込まずに……ね?」
ファルさんはふと、ゆっくり右手を差し出してきた。
私も彼の求めに答えて右手を差し出してゆっくり握手した。
彼の手は男の人にしてはあまりゴツゴツして無い。
あまり触れた事のない大きい手のひらだった。
「これからもよろしくお願いします! ファルさん」
彼の手をちょっと強めに握る。
「ああ、こちらこそ」
私達が握手を終えて手を放すと不意に作業場の入り口から声がした。
「お、いいムードだねぇ……ちょっと呼びに来たんだが邪魔かな?」
急に耳に飛び込む声に私は驚いてファルさんは声のした方を向いた。
「ひゃっ!」
「―――ん? おや」
今の今まで屋内は私とファルさんしかいなかったので何だか不意をうたれたような感じだった。
「オーナーじゃないですか? どうされたんですか」
ファルさんは声のする方向に向けて言う。
声をかけられた人はおどけた様子で喋る。
「あれ、今の言葉無視かな? え? 釣れないなぁ」
「……え、ああ、すいません」
答えたファルさんは少し冷ややかな反応だ。
ついでに面倒くさそうにも見える。
「えぇ!? それだけ? 今いい感じだったから、少しいじってあげようとしてたんだけど君というやつは、堅物にも程があるよ~」
と、先程からこの場に現れた人はこの工場のオーナーさん。
名前はセイッドさんと言う。
若くしてこの工場を立ち上げた私達の雇い主で、普段はこんな感じの変な人。
外見は男の人にしてはあまり見ない長髪で前髪をあげていて、顎ヒゲがやや目立つ感じ。
大体年で言うとファルさんより一回り近く上だろうと思われる外見だ。
ファルさんに言わせるとこの人は恐ろしく才能がある変わり者、との事。
人のことをそんなに何かと言わない彼が珍しく変わり者呼ばわりするだけあって、私から見てもちょっと変な雰囲気の人だ。
私を特別な事情があると知って受け入れしてくれるんだから懐は深い人なんだろうと思う。
私は日々セイッドさんに感謝もありつつ、反面で話しにくくて少し苦手だった。
「まぁ、もう少しいじりたいけどロゼッタがかわいそうだからやめておくとしようか?」
私はセイッドさんの言葉を思い返して何度も頭の中でその場で思い出す。
言葉が耳に残って本の文字を読み返すように繰り返した。
それはつまり……私とファルさん、が?
つい先程までの握手の辺りを省みる。
私はふつふつと変な気持ちが湧きでてくる気がした。
あの時の事をセイッドさんは言っていた?
え?いやいや、何を考えているの私!
そんな話おかしい、かも。
だって私なんかが……。
「あらら、ここらへんで止めとこうとしたんだけどちょっと面白そうだね……もう少しいじってみようかな? 彼女顔が赤いし」
「オーナー、ちょっとロゼッタが困ります……いい加減にしてください、彼女に悪戯な心労を与えないでくだい」
ファルさんたちが目の前で少し苛立ったように言う。
私はその姿を何故かぼっーと見る。
「オーナー、貴方はどちらかを呼びに来たのではないのですか? まさか自分等の様子を見て茶化しに来ただけなんて言うつもりじゃないですよね」
「いやいやぁ、確かに様子を見に来たのは確かさ、今日は君達に用事があってね」
私はセイッドさんの言葉で不意に現実に戻りセイッドさんの言葉に耳を傾けた。
「ファルの用事は後でいいから事務室に来るように、とだけなんだが」
ファルさんが首を傾げる。
「―――そ、ロゼッタの昨日の体調不良の件は大まかにゲルマから報告を受けた」
セイッドさんは急に真面目な口調で話し出したので私は僅かな時間の妄想から我に返る。
「で、ちょっとばかり気にかかったんだ……ロゼッタ? ここでの生活で何か困ったことは在るかい?」
時々セイッドさんはこんなふうに雰囲気が切り替わる。
だから驚いてどう話を受けていいいか戸惑うことがある。
私はおずおずとした調子で聞かれたことに答えた。
「え……えっと……あ、はい……人とのやり取りで上手く行かないことや、私に至らないことが色々……」
私の答えを聞いたセイッドさんが一言、ほう、と言う。
「え…あの? 私は何か変な事言いましたか?」
私は反応が薄い事に不安になって思わずセイッドさんに尋ねる。
「いやいやぁ、何も変な事はない……安心してくれ、大体は察したから……こちらよりファルが多分アドバイスの一つや二つはくれるぞ」
今の言葉でセイッドさんは大体察したと言う。
私は内心で驚きながらセイッドさんを見て、次にファルさんの方に目を見た。
ファルさんは困ったように額を掻く。
「彼女へのアドバイスはつい昨日しましたがオーナーも何か彼女に一つお願いします」
ファルさんに言われてセイッドさんは心底、感心したように彼を褒める。
「おぉ~! そうかそうか、もう助け舟を出しているとはできる紳士は仕事が早いものだね」
「……はは」
ファルさんはまた面倒そうに笑っていた。
不意にセイッドさんがこほん、と咳払いをする。
「じゃあ、少しその話、真面目にしてみようか」
ファルさんが、そうしてください、言う。
私も頷いて耳を傾けるとセイッドさんが私に語りかける。
「ロゼッタの性格やどんな家で過ごしていたのかはおおよそファルから話に聞き及んでいる」
「はい」
「それから考えると、一番ぶつかりそうなのはおそらくリリーかな? 彼女は努力家な反面でやや狭量な部分があるから」
私はまたも内心で驚いた。
この人は少し得体が知れないみたいに思える。
助力をしてくださっているので不快な訳ではないけど。
「えっ……はい」
私はおどおどと答えた。
「ん……やっぱりか」
セイッドさんは苦笑いしていた。
「いや、彼女は努力家でロゼッタのこと期待しているんだ、まあ、境遇に関しては恨めしそうだけど」
私はセイッドさん言葉で昨日の事を思い出す。
リリーさんは私が家を出るためにここに来たことについて怒っていた。
以前のリリーさんは優しかったのに、私が自分の事を話してからというものの対応が一気に変わった。
あの時の言い方も凄く強い言い方だった。
「そうだとすると……私はリリーさんに憎まれているのですか?」
私は疑問に思い、セイッドさんに聞く。
すると脇でしばらく聞いていたファルさんが口を開いた。
「――いや、彼女の性分だと憎むより、妬みが原因で君にあたっているのかも」
セイッドさんがうんうん、とうなずいて笑う。
「それから彼女はロゼッタの事を年齢が近いのもあってライバル視しているのかもね」
困ったように両手の平を上に広げた。
セイッドさんははっ、と笑いこう言う。
「だからこそ君に期待をかけるし、妬ましいからイライラするんじゃないか? まあ努力家なのにそこは玉に瑕だね」
私は二人の話を聞き、リリーさんが私に期待していたことについて考える。
そこで一つだけ妙に思うことがあった。
「でも……何故リリーさんはそこまでムキになる必要があるのですか?」
ファルさんが私の方を見て小さく唸った。
「ん……それは多分、君みたいに自分の自由で将来を決められなかったという嫉妬だよ」
私はなんだかリリーさんの気持ちが少し垣間見えた。
彼女の気持ちを考えると、今の状況は仕方ないと思う。
そうであれば私は毅然としていなくてはいけないし、これくらいの困難で負けるわけには行かない。
険しい道でも乗り越えると私は決めたのだから。
「ファルさん、セイッドさん、ありがとうございます私……頑張ります、頑張ってこの困難を乗り越えます」
私は二人にお辞儀をして感謝を伝える。
「はは、参考になったかな! ファルも彼女くらいの真っ直ぐさがあればいいけどね」
「人聞きの悪い事を言わないでください」
セイッドさんの声にファルさんは苛立つ様に言う。
でも心底怒ってる風では無さそう。
セイッドさんがファルさんに謝り、今度は私に言う。
「まあ、俺からロゼッタに協力できるのは再度君の病気の事をみんなに説明して理解を得ることかな、それがアドバイス代わりの助け舟だ」
私は、ありがとうございます、と再度セイッドさんにお礼を言う。
「礼には及ばないさ、その代わり日々の良い働きを期待するよ」
私はセイッドさんの言葉を受けて気が引き締まる。
そして、私達は話を終えた。
セイッドさんはファルさんを連れて事務室に向かい、私はこの日は体を休めて一日を終えた。
明日から通常通りの仕事を言い渡されている。
しっかり体を休めて備えようと思った。
次は相手を知る努力をして、なんとか自分の事を主張できるようにしよう。
私は心に決めてこの一日を過ごした。
◇◇◇
その翌日からのこと。
私は仕事に復帰して、その都度、ゲルマさんも作業の見守りに入るようになった。
ゲルマさんはテキパキと仕事をこなしながら私達に色んな指示を出してくる。
私は分からないことがあれば訊く癖をつけるために、積極的にゲルマさんに仕事の疑問を訊いた。
ゲルマさんは私の質問に事細かに答えてくださった。
私は教えて頂いた内容をメモに取り、自分で仕事の後に見返した。
おかげで少しずつ要領が良くなってく気がした。
実際に仕事の終わる時間も短くなり、少しずつ新しい作業を任された。
事が起きたのは順調にここでの生活が三ヶ月くらい過ぎた頃だった。
あろうことか虫の居所が悪そうなリリーさんが私に当たり散らしてきた。
「ああ! あんたね、もうちょっと早くできないの? そんな皿くらいすぐに片付けられるでしょ!?」
私の失敗に怒る理由が見当たらなくなって、今度は私の作業の遅さに目をつけてきた。
ただの言いがかりだとは思うけどあまりの剣幕に私は動揺する。
「え――」
凍りついて近くに居たゲルマさんを見る。
「――ん?」
あろうことかゲルマさんは何も言わずにこちらをすまして見ているだけだった。
私はこの間のことを思い出した。
いけない、落ち着こう。
冷静になりなさい。
私は自分に言い聞かせて呼吸を整えた。
考える。
何でリリーさんがこんな事をするのか。
彼女は彼女の立場があり私に目を向けている。
でもそれは私とは関わりがないし、彼女の問題。
お仕事をする上ではこの大声を上げられると私の作業に差し支えが出てしまう。
するとリリーさんに言うことは一つだ。
「ごめんなさい、リリーさん……精一杯努力はしていますがまだ私も至らないことばかりで」
リリーさんの顔色が変わったのが伺える。
「ただ私は大声を上げられると具合が悪くなるので、出来たら控えめの声で教えてください……指摘していただいたところは勉強しますので」
リリーさんはなんとかなにか言おうとしていたが言葉にならずに体を震わせていた。
直に腹立たしそうに顔を真赤にして言う。
「きぃいぃっ! この! あんた――」
そして私に掴みかかろうとにじり寄ろうとした時。
――ばんっ、ばんっ。
手を二度、叩く音がした
「そこまで! リリー、よしなさい……完全にあんたの負けだわ、下がりなさい」
「えっ! ゲルマさん! 私はこんなやつと争ってなんか――」
「見苦しい言い訳をしない! ロゼッタを見習いな!」
私は急な物事の移り変わりにあ然として見ていた。
一体、何が起きているんだろう。
ゲルマさんが私とリリーさんの揉め事を黙ってみていたのは何で?
そうかと思えば不意に止めに入ったのは?
理解が追いつかない。
ゲルマさんが止めに入ってリリーさんは不満そうにこっちを見る。
横でゲルマさんは私に向けてこう言った。
「――合格だね……ロゼッタ、これなら貴女の親御さんも安心してもらえる」
ゲルマさん言葉は理解の及ばない妙な言葉だった。
「――え、あ……はい?」
私の喉から声が漏れる。
あまりに突拍子もない言葉を訊いて間の抜けた声が出た。
ここに来て何故私のママの話が出るのか疑問が湧く。
「えっ……何のお話ですか?」
私は聞かずにはいられなくて直ぐにゲルマさんに尋ねた。
「――これを見なさい」
するとゲルマさんは手紙と封筒らしきものを私に手渡してきた。
「……え?」
広げて読み上げると驚くべき内容の文章がそこには記されていた。
――ゲルマさんへ。
お父様の生前は家のお店での取引でお世話になりました。
この度、やはりロゼッタはそちらの工場に行っているとの事で、最初は戸惑いました。
ですが、娘も自分なりに考えての事。
私も腹を決めて娘の覚悟を見守る形とします。
娘のことですから上手く行かないことだらけでしょうが、本人が立ち上がるまで決して手を貸さないようにお願いします。
私が過保護に育てすぎた分をゲルマさんにお任せするのは大変心苦しく思いますが、どうか不出来なこの母娘にお力添えいただけますようお願いいたします。
ロゼッタの母、サンナ。
「――え、ママの筆跡?」
私は呆然とした。
これは一体どういうわけなのだろうか?
ママの手紙がゲルマさん宛に送られている。
何が起きているの全くわからず手にとった手紙を持ったまま固まる。
「そう、貴女の親御さんとあたしは古い知り合いなのさ、貴女が家を出た後から大体の様子は親御さんに知らせてある」
「――えぇっ!」
私は驚きのあまりに声を上げてしまった。
もうこうなるとリリーさんの不思議がる視線もほぼ目に入らない。
頭の中がショートした配電盤みたいに煙を上げるようなイメージ。
「そんなっ! ママは全部知ってたんですか! 何故教えてもらえないんですか?」
「バカおっしゃい……貴女は親御さんがここに来たら余計な事考え始めるでしょう?」
「……う」
私はそうかも知れないと思い口を噤む。
リリーさんはなにか言ってるけどもう聞き取る余裕がない。
「私……ママに連れ戻されるんですか?」
恐る恐る私は尋ねる。
「ロゼッタ……聞いてなかったかしら? 合格と言ったはずでしょう」
「え――えっと……ご、合格?」
私がよくわからず尋ねる。
「ようするに親御さんに貴女の様子を伝えて独り立ちの許しを得たのよ、ここしばらくは最後の様子見だったわけさ!」
「……ぇ――ぇ!?」
私はもうどうにも後にも落ち着いていられなかった。
リリーさんは何だかふてくされながら私にこう言った。
「よく解らないけど、ゲルマさんがあんたを認めるならしょうがない、認めてやる――ふんっ」
私はお辞儀をリリーさんにする。
私の頑張る気持ちが確かに形に現れた瞬間だった。
◇◇◇
どうもファルさんも途中からこの手紙の話は知っていたが、私のために黙っていたらしい。
ファルさん自身も初めて知ったのはセイッドさんに事務室に呼ばれた時らしい。
ファルさんが私のことを考えて黙ってくれていたのはちょっと嬉しい。
でもファルさんまで一緒に秘密を共有していたのは何だかちょっとずるい気もした。
私はあの後、ゲルマさん伝にママから独り立ちの許しを得た。
ゲルマさん曰く『自分で声を上げられるようになったから一先ず合格』だそうでママもそれを聞いて認めてくれたらしい。
それから数カ月後。
長期休暇の時期が近づいて、リリーさんや他の何人かは里帰りしていた。
私はと言うと、帰る家はあるにはあるけど帰る予定もないので宿舎でのんびり本を読む予定でいた。
所が私宛に手紙が送られて予定は急きょ変更することになった。
「えっと……ぇ、ママから?」
手紙は私のママからで内容は『休みの間くらい家に戻って顔を見せて、迎えに行きます』
と書かれている。
丁寧に時間と待ち合わせ場所に工場の入口で待ち合わせと書かれている。
「ママ……」
私は頭を抱えた。
だってママと顔を合わせたら何だか気まずい。
でも、手紙の内容だと既にもう来る気だ。
私は気持ちが落ち着かず髪の毛をいじった。
そういえば仕事中は束ねていたからあまり気にしないけど少し伸びた気がした。
落ち着かないまま、ママと会うことを避ける方法を考えていた。
何時間か考えて最終的に私が出した答えは開き直るしか無い、だった。
私は一人で行く勇気がないので休暇中のファルさんと一緒にママのところに向う。
ファルさんにこの事をお願いした時、彼はこういった。
「構わないよ、こちらで君を連れ出してしまった事もサンナさんにお詫びもしないといけないからね、改めて考えると強引だったかも知れないし」
彼はしんみりした様な表情で答えていた。
サンナというのは私のママの事だ。
ママは知らせられた時間通りに現れた。
相変わらず綺麗だった。
黒髪のポニーテールにブラウスとロングスカート、バッグを持ってやって来た。
いつもの格好だからひと目で分かる。
遠巻きにも、ちょっとやつれて見えていたので胸がチクリと少し傷んだ。
遠くから何も言葉を交わさず徐々に近づき、私とママは面と向かう。
ファルさんが横で立つ形になる。
私は俯いてママの顔を直視できずにいるとママが声をかけてきた。
「ロゼッタ……」
ママが私の事を呼ぶ。
今までのことが一気に回想される。
ママに反抗してファルさんを頼りにして家を出て行ったこと。
その後まるで何も出来ないことに打ちひしがれたり、泣いたりしたこと。
自分自身の事を言えるようにもがいてアドバイスを元に困難に立ち向かったこと。
そして今こうしてママと再会している。
私は黙ってママの顔をチラリと見る。
すると、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「……ママ」
私はママのそんな顔を見て家を出る前を思い出した。
あの日のその顔と同じ、ママらしくない弱々しい顔だ。
「ごめんね、ロゼッタ……ママは貴女をいつまでも子供だとしか見れていなかったわ」
ママの消え入りそうな声に私も何だか悲しい気持ちなる。
私はギュッと両手を握って胸に当てる。
またママの顔から目を逸らしてしまった。
「だから、私は貴女の覚悟を試そうと思ったわ」
ママは少し声を震わせる様に話す。
ファルさんと私は黙して話を聞く。
「――私は貴女の覚悟を疑ってしまったの……でも、貴女の覚悟は本物だった……」
「……」
私は困惑する。
ママがこんなに追い詰められているなんて、考えれば想像できた。
なのにそうしてこなかったな、と思った。
私はどうにもならない不憫な様子に感傷的な気持ちになる。
ママは私に言う。
「ロゼッタ、顔を合わせてくれてありがとう……こんな弱い母親だけど許してね……貴方はもう私が見ないでも生きてけるわ」
ママはいい終えると泣き出した。
私は今までのママの話を聞いて釣られて涙する。
「うん……大丈夫、ママ、私こそ、ごめんさい……ママも寂しかったんんだよね? もう少し考えてあげればよかった」
ママが私に寄ってくる。
視線が合い、お互いがお互いの顔を見る。
「ロゼッタ……貴女は立派よ、これからも応援するわ」
「――ママ……ありがとう」
ママはゆっくり私を抱きしめてきた。
ぐっと抱きしめられて、ママの服からはお店の花屋で扱う草花の匂いが香った。
ファルさんが横で穏やかに私達母娘の様子を見守る。
「サンナさん、結果的にはロゼッタの成長を見届けられて良かったですね? それと彼女を強引に引き剥がしてしまった件については、お詫び申し上げます」
ファルさんの言葉でママは私をゆっくり名残惜しそうに離す。
ママは背筋を伸ばしてシャンとする。
「いいえ、娘の為を思ってしてくださったのでこの件は咎め立てしません、むしろお礼を申し上げたいくらいです」
このときのママは以前の仕事中に見せた雰囲気だ。
ファルさんは恐縮ですと言ってお辞儀をする。
ママはファルさんに向けて言う。
「お礼に重ねてもう一つお願いがあります……これからもロゼッタの助けになって頂けませんか?」
ファルさんはママのお願いに笑顔で答える。
「ええ、勿論です――ロゼッタのことは見守って行きますから、ご安心ください」
ママはホッとしたような表情になった。
よろしくお願いします、と頭を下げる。
私の方に向き直ったママはまだ涙が顔に残る。
けどもう、泣いていなくて何処か満ち足りた笑顔だ。
「さ、ロゼッタ……帰りましょう、お休みはまだ有るわよね?」
「うん……あるよ、だから一日くらいは戻る……」
私は涙を拭って答える。
「ええ、じゃあ夕食は少し手の凝った物を作ろうかしらね? 張り切っちゃうわ」
「ふふっ」
私は久々のママとの会話に胸が温まる。
それから私達は家に帰り、長い時間を母娘水入らずの状態で語り合った。
これは大空の下で繋がった、私というある一つの物語り。
広い世界へ向かう私の姿を捉えた一枚の写真のような物。
◇◇◇
「そういえばロゼッタ……貴女、好きな人とか出来たのかしら? 例えばファルさんとか?」
ママはそう言って私をからかう。
セイッドさんも前に似た様な言ってた。
「もぅ……ママ! そんな――そんなこと……ある、あるわけ……な」
私はムキになってママに否定しようとしたけど、完全に否定しきれない。
また顔が真っ赤になったと後で言われたのは自分でも想像して目が当てられないのだった。
ロゼッタ―大空の下で― 終わり
キャラクターの大幅な増加と人間模様の絡みを重視しました。
ロゼッタに思い入れが強すぎて上手くかけなかった部分もありましたがだいぶ書けました。